35. チリアンの興味
リーンが帰ってきたのは夜中だった。
見るからにくたびれていて、朝食以降何も食べていないが、あまり食欲がないらしい。
「疲れているときこそ少しでも食べた方がいい。軽いものなら食べられそうか」
「少しなら」
「すぐに用意するからダイニングで待っててくれ」
「もう作ってあるの?」
「ああ、温めるだけだ。俺はもう食べたけどな」
すぐに料理の乗った皿を出すと、リーンは「ありがとう」と言って食べ始めた。疲れが顔にありありと出ている
「大変だったな、こんな夜中まで話し合っていたのか」
「ううん、それとはまた別にちょっと」
「また何かあったのか?」
一瞬やけになった王宮騎士隊が何かしてきたのかと思ったが、リーンの口からはまったく違う話が出てきた。
「副室長が家族と縁を切ったの」
「うん?」
「あそこの家は王宮騎士隊と繋がりがあるから。今日のことで揉めて、最終的にもう家に縛られるのは止めるって」
「それは、えーと、大丈夫なのか」
益々髪の毛が薄くなったんじゃないかと余計な心配をしてしまう。
「本人は清々していたからそれはいいんだけど。うん。いいのかなあ」
リーンも疲れて判断がつかないのか首を傾げている。というかそれ以外にも何かあったのか。
「家族に手を上げられてね、副室長って喧嘩慣れしていないから」
「まさか怪我をしたんじゃ」
「副室長は無事よ。ただ少しやり返しすぎちゃって、王宮の一室が半壊したの」
あのぽよぽよしたお腹で戦えるとも思えない。部屋が半壊と聞いて思い浮かぶことは一つ。
「副室長も爆薬を持ち歩いているのか」
「爆薬ではないんだけど、それに類するものというか、まあ混ぜると危ない物質をちょっとね」
ちょっとで王宮の一室が半壊したらたまったものではない。錬金術室は怒らせてはいけない者たちの集まりなのか。
俺がリーンを訪ねたとき、塩対応や舌打ちで済んで本当に良かった。
「錬金術室はみんなそういった危険物が作れるんだな」
「作ろうと思えば」
「じゃあ王宮騎士にもやり返せたんじゃないか?」
「んー、そういう化合物って調整が難しいし、騎士とぶつかるたびに物損事故を起こすのもね。それに魔法に比べるとやっぱり攻撃までに時間がかかるから不利だし。さらにやり返されると泥沼化するだけでしょう」
これまで大事にならなかったのは、錬金術室が我慢をしていたからということか。まあ騎士を相手に立ち回るのは覚悟がいるだろうしな。
「極論を言えばほら、この前の騎士像みたいになんでもいいから物質を熱して投げてしまえば武器にはなるんだけどね」
あの熱気は思い出すだけでゾッとする。あれを頭からかけられたらまず命はないだろう。やり返すというレベルの話ではない。
「相手の怪我の程度は?」
「かすり傷くらいかな」
目をそらすところが怪しい。
「そんなわけで片づけをしていて遅くなったの。久しぶりにがっつり怒られたわ」
「大変だったなあ」
久しぶりということは、前にも同じようなことがあったのだろう。そしてその犯人はリーンだろうなと俺の勘が告げている。
「でもまあ、みんなで片づけをしながら話し合えたから、机で向かい合って話すより良かったといえば良かったのかも」
「そうか」
リーンは食べ終わると眠そうにあくびをした。
「風呂が沸いてるから入っていいぞ」
「うん、ありがとう」
そのまま風呂で寝てしまわないか心配だったが、いつもより早く上がってきて、長い髪を乾かしているうちにも、リーンはうとうとと舟をこぎ始めた。
「もう寝るか」
「ん……」
返事なのか寝言なのか、リーンはソファにもたれかかるように眠ってしまった。
「リーン、寝るならベッドでな」
今度は返事がない。許可が出るまで触れないという約束だったが、声をかけても体を揺らしても起きないのだから、俺が運ぶしかないよな。これは不可抗力である。
抱き上げたリーンの体は温かくて柔らかかった。
「お疲れ様。今日はがんばったな」
そっとベッドに寝かせて俺もその隣に滑り込んだ。このまま抱きしめて眠りたいけれど、それはまだ許されていない。
今日一日でまたリーンの新たな一面を知った。俺が思っていた以上に気が強く、部下思いで真っすぐだ。
自分の部下が王宮騎士隊に情報を漏らしたと知ってすぐに謝りに来た。隠そうとかごまかそうとか、そんな小細工は一切なかった。
それは彼女の美点だろうけど、真っすぐすぎて逆に敵も多いのではと心配になる。それにいささか脇が甘い。
誰かを守ることは難しいものだ。守られる側がそれを望んでいるとも限らない。
俺がリーンの盾になれるのであればその覚悟はあるが、彼女は貴族議会で国王陛下を相手にしても怯むことなく要望を述べていた。きっとこれまでそうやって戦ってきたんだろう。
それでもスレート王宮騎士隊長から、結婚のきっかけになった話を出された時は動揺していた。俺は考えるまでもなくその隣に並び出た。チリアン隊長が褒めるくらいだから、あれは最善の行動だったはずだ。
それにリーンからも、助けてくれてありがとうと言われた。
護国騎士団に所属していれば言われ慣れている言葉なのに、彼女が口にすると不思議なことに響きが違った。少しはにかんだ感じも可愛くて、つられて俺まで照れてしまった。
それが計算されたものじゃないから困るんだよな。
気に入らないことを言われて怒ったり、アルル地方まで単騎で乗り込んだり、今こうして隣で無防備に寝ているのもすべて自然体で、振り回されていると感じる反面、そんな彼女に惹かれている。
最初に夫婦になったおかげで一緒に過ごす時間はそれなりにあるのに、どうにも恋愛要素が足りていない。リーンは俺のことをどう思っているのかな。
「錬金術室へ行ってくる」
貴族議会の翌日、いつものように執務室で仕事を進めていると、突然チリアン隊長が立ち上がった。
「何をしに行くんですか」
「ポーションの必要数を出したので話し合いの場を設けてもらう」
「え、もうですか?」
「早い方が良いだろう」
そう言うなり、隊長は執務室を足早に出て行ってしまった。
他の脳筋隊長たちから、数の計算はチリアンに任せると言われて引き受けていたが、護国騎士団だけが早く出しても、他の部署との兼ね合いもあるだろうに。
しかしそうまでして急ぐのは、錬金術室へ行ってみたかったからだろう。
もちろん他の隊の隊長のように女性目当てなどではない。チリアン隊長は、純粋に錬金術に興味を持っている。
心なしか出て行く足音も軽かったしな。まあ上司の機嫌が良くて悪いことはないからいいか。
しかし隊長は昼になっても帰って来なかった。迷惑をかけてはいないだろうが、迎えに行くか迷っている内に、ようやく上機嫌な様子で戻って来た。
「実に有意義な時間だった」
「それは良かったですね。ところで昼食はどうしたんですか」
「私の分も用意してくれた」
食事は自分たちで作っていると言っていたので、一人分くらい増えても問題ないのだろうが、迷惑をかけたことに変わりはない。放置せずに連れ戻せば良かったかな。
「錬金術室で一緒に食事をしたなんて、他の隊長たちには言わないでくださいよ。また騒がれますから」
「食堂で食べるよりもずっと味が良かった。作り方さえ覚えれば誰が作ってもほとんど同じ味に出来るそうだ」
まったく、こっちの話を聞いちゃいないんだから。
「奴らが嫁に望む気持ちがわかった」
「いや、それたぶん解釈違いですよ。あの人たちは錬金術に惹かれて言ってるわけじゃありませんから」
「顔の造形に惹かれるのも、錬金術に惹かれるのも変わらぬと思うがな。どちらもその者が持ち得るものであろう」
「そりゃそうかもしれませんが、容姿と技術じゃちょっと違うでしょう。あとそれ、錬金術室では絶対に言わないでくださいね」
「言うつもりはないが、彼らはもっと己の能力を誇るべきだ」
誇れていたら引きこもってはいないだろう。
「錬金術とは実におもしろい。あの空間でなら思うがままに物質を操れるのだ。叩く、切る、こねる、修練を重ねれば温度の設定までできるそうだ」
「それはまたすごいですねえ」
適当な相づちを返すと、立ったまま熱弁を振るっていたチリアン隊長が俺の机の前まで歩いてきた。
「まるで今、知ったかのような言い方だな」
一緒に住んでいてなぜ知らぬと言いたげに見下ろされる。
「俺が見るのはリーンが料理をしているところくらいですからね、温度設定なんて初めて聞きましたよ。調理器具を洗う手間が省けるのはうらやましいと思っていましたが」
「コルク、お前はもっと想像力を働かせるべきだ」
この日チリアン隊長は非常に雄弁で、かつ面倒くさかった。
家に帰り一緒に夕飯の支度をしながら、チリアン隊長が迷惑をかけたことを謝ると、リーンはまったく気にしていなかった。
「迷惑じゃないから大丈夫だよ。うちの室員たちもチリアン隊長の熱意に押されて結構話してたし」
「普段は冷静すぎるくらいなんだが、興味を持つと人が変わったように質問魔になるんだ」
「今さらなんだけど隊長は貴族じゃないんだよね」
この手の質問はたまにされる。チリアン隊長は他の騎士たちに比べ気品がある。動きに荒々しさがないし、言葉遣いも丁寧で声を荒げることもない。そして貴族のように腹の内を表情に出さないためだ。
「平民だよ。ただあの人の家は代々裁判官を輩出していて、平民と言っても裕福な家庭だし、暮らし向きは下級貴族に近いだろうな」
「だから立ち居振る舞いが優雅なのね、貴族議会での弁論も上手かったし。けど、どうしてまたそんな人が騎士になったの?」
「俺が聞いたときには、自分は一族の中で変わり者だからと言っていたな」
「一族とか関係なく普通に変わってるよね。仕事はしやすいし話しやすいけど」
「あ、うん、変わってはいるな」
変わっているのは事実だが、部下として微妙に同調しづらい。あと正論大好きなチリアン隊長が話しやすいとか、それこそリーンも十分に変わってると思う。
「うちの室員たちも、ああいう騎士なら怖くないかもって言ってたよ」
「へー」
異端児のチリアン隊長を騎士の基準にされると、それはそれで困る気がする。
それに魔物だろうが人だろうが無表情に仕留める様は、敵どころか部下にも恐れられているのだが、受け入れられているのならそっとしておこう。
「ポーションのアイデアも次から次へと出してくれたしね」
「うーん、そういうことはもっと護国騎士団内で話し合ってから提案すべき事柄なんだがな」
後で絶対にもめるぞ。俺も錬金術室で熱く格好よく語りたかったとか、馬鹿げた理由で。
「耐火ポーションの効能を上げることと、耐水、耐寒、耐熱が欲しいって言われたわ」
「たしかにその辺のポーションができたら助かるな」
「実際にどうやって使いたいかを話してくれるからこっちも参考になるし、誰かの役に立てているっていう実感が沸くのはいいことね」
「そうか」
「使用する人に直に要望される喜びがあるなんてみんな知らなかったから、すごく刺激になったと思う」
チリアン隊長がべた褒めされている。自分の上司を褒められるのは嬉しくないわけじゃないが、俺の立場からするとどこか微妙な気分である。なんとなく仕事の話はあまり家でしないほうがいいのかと気を遣っていたのだが、そうでもなかったらしい。
「王宮内の根回しが終わったら、素材を採りに行こうって約束もしたしね」
「へえ、約束を」
その言い方だとまるでデートみたいだな。なんて卑屈になるのは、いつになくリーンが笑顔で話すせいだ。べつに二人で出かけるわけじゃないことはわかっている。
「後は私と副室長以外は馬に乗れないから、練習が必要だって話したら、それも場所を提供してくれるって」
「ふーん」
気のない返事をしてしまったせいか、リーンが不思議そうに見つめてきた。
「私、何か変なこと言った?」
「いや、別に」
そっけない言い方になって、おもわず言葉を付け足した。
「ずいぶんチリアン隊長のことを気に入ったんだなと思って」
とても余計な一言だった。




