13. 初めてのけんか
それから三日後の早朝にリーンは帰ってきた。
日が昇るか昇らないかという頃、庭から人の気配がして、結界を破るような手練れが侵入したのかと思いきや、リーンがせっせと植物の苗を植えていた。
たった一行の連絡でいなくなったと思えば、帰ってきて家にも入らず植物を植えているとか、世間の一般常識がないというかなんというか、さすがに呆れてしまう。
「こんな朝っぱらからなにしてるんだ」
背後から声をかけるとリーンは勢いよく振り返った。驚かせるつもりはなかったが、大きく目を見開いている。
「そんなに驚かなくともいいだろう」
「なんでこんな時間に起きてるの?」
「そりゃ庭から人の気配がしたからな」
「静かに作業していたつもりだったんだけどうるさかった?」
「いや、職業柄そういう気配に敏感なだけだ」
「寝室から庭の気配がわかるなんてすごいわね。じゃなくて私が起こしちゃったのか、ごめんなさい」
「昨夜は早めに寝たから構わないよ。それよりなんでこんな朝っぱらから庭いじりなんてしてるんだ」
「出先で植えたい植物を採ってきたんだけど、早く植えてあげないと弱ったり上手く根付かなかったりするから」
まだ苗は残っているようだ。
「目が覚めたし俺も手伝うよ」
「悪いからいいよ」
「今日は王宮へ行くんだろ。それまでに終わらせたいんじゃないのか」
「それはそうだけど」
「着替えてくるから待っていてくれ」
家の中に戻り、朝の支度をしてから外へ出ると、ようやく日が昇ってきた。
リーンに習って植物の苗を植えていく。休みの日を利用して土を耕していたので、踏むとふかふかしている。
「しかしよくこんなに採ってきたな」
「ヤギ―が一緒だからね。一人だったらこの半分も無理だと思う」
ヤギ―とはリーンの飼っているガゼル・レックスの名前だ。由来は聞いていないが、名前の付け方が独特である。
「まさか一人で行ってきたわけじゃないよな」
「ええ、ヤギ―と一緒よ」
「ヤギ―以外の同行者は?」
「いないけど」
「一人でドウドウ山へ入ったのか?」
「そんなに高い山じゃないもの。魔物がいなくて登りやすい割に、貴重な素材が採れるから気に入ってるの。少し前に耐火性能がつくポーションを作ることに成功したんだけど、うちの室員たちが作り方を練習するには、資材部の材料だけじゃ足りなくてね」
楽しそうに話し出したリーンだが、ドウドウ山は魔物はいなくとも、野犬や狼などの野生動物が闊歩しているので、一人歩き、ましてや女性が数日もこもるような場所じゃない。
「ただ特殊系のポーションは使用期限が短いのが難なのよね。それに工程が複雑だから作れる人が限られてるし」
リーンは仕事に集中すると、周りが見えなくなるタイプなのかもしれない。だがこれまで王宮で守られてきた女性が一人で出歩くなんて危険すぎる。どうして錬金術室の奴らは止めないんだ。
「あのな、リーン、一人でドウドウ山のようなところに行ったら危ないだろう」
俺の返事が予想外の言葉だったらしく、リーンは首を傾げた。
「大丈夫よ」
「いや、危ないって。リーンが王宮の外へ出かけるようになったのは最近のことなんだろ?」
リーンの顔色が変わった。この場で切り出すべき話題でなかったらしく、まずいと思ったときには遅かった。リーンの声色が低くなる。
「誰に聞いたの?」
「あー、ラセット副室長から」
あのおしゃべりめ、とでも言いたげにリーンは眉間に皺を寄せた。
「まったく外に出られなかったわけじゃなくて、外出するときには見張りを必ずつけられたっていうだけよ」
おもしろくなさそうに呟いてリーンはまた苗を植え始めた。俺も止めていた作業を再開し始めた。
場の空気が打って変わって悪くなった。正直に言ってこういう態度をとられると面倒くさくなってくる。
気分を害させるようなことを言ったつもりはない。危ないと思ったから注意をしただけだ。しかし無遠慮に他人から聞いた話を出してしまった俺が悪いのか。
謝ってしまえばこの場は丸く収まるのかもしれないが、あんな手紙一つで出かけた人間に素直に謝るのも癪である。
そんなことを考えながら手を動かしていると、リーンの方から話し出した。
「外出は危なくないように対策をとっているから大丈夫。そうじゃなかったら一人で出かけるなんて許してもらえないし」
「対策ってどんな?」
「魔物よけ、獣よけ、虫よけポーション」
たしかにそれらをすべて持っていれば、向こうから近づいてくることはないだろう。
「でも一番危ないのは人だろう。盗賊や山賊だけじゃない、若い女が人気のない場所を一人で出歩いていたら悪い考えを抱く奴らもいる」
「目潰しや爆薬も持ってるから」
「それを取り出す余裕もなく襲われたらどうするんだ」
「そもそもヤギ―がいるから、簡単には追いつかれない」
ああい言えばこう言う。きっと今は俺が何を言っても反論してくるだろう。
「わかった。でもどんなに準備をしても危険がまったくないということはないんだから」
十分に気をつけてほしい、と言おうとしたところでリーンが立ち上がってこちらを振り向いた。
「しつこい」
「は?」
「大丈夫って言ってるんだからそれでいいじゃない。どんなに準備をしても危険だったら、誰かが一緒だとしても危ないことに変わりないじゃない」
突然怒り出したリーンに俺の方も頭に血が上る。
「しつこくて悪かったな、心配しているだけなんだからそんな言い方しなくともいいだろう。可愛げのない」
自分から言ってきたくせに、俺が怒り返すとリーンは傷ついた顔をした。
「そもそもあんな手紙鳥一つで三日も帰ってこないなんてありえない。せめてどこへ行くとか詳しく書くべきじゃないか、何かあったらどうするつもりなんだ」
「書いたところで何かあったならどうしようもないじゃない」
「そういうことを言ってるんじゃない。一緒に暮らしていくのなら、相手の気持ちをもう少し考えろと言ってるんだ」
俺も立ち上がるとリーンは睨みつけてきた。
「今はこれ以上話しても無駄だな、悪いが手伝いはここまでだ」
手にしていた道具もそのままに、俺は家の中に入った。
この空気のまま一緒に朝食など取る気にはならなかったので、早々に出勤の支度を整え家を出た。
その際もリーンは黙々と植物を植え続けていて、それがまた俺がどうしようと興味なんてないという感じがして腹が立った。
時間までに植え終わらなくて、遅刻しようがなんだろうが知ったことじゃない。
チリアン隊長の出勤時間は毎日一定である。朝の挨拶をすると、隊長はちらりと俺を見て一言告げた。
「朝から不機嫌そうだな」
顔に出してなどいないのに、どうして挨拶一つで見抜くかなあ。
「なるほど。結婚十七日めにして離婚か」
「縁起でもないこと言わないでください! ちょっと喧嘩しただけですよ」
まったく、なにがなるほどだ。
チリアン隊長は自席につきながら俺に何があったのかと目で問いかけてきた。
「今朝リーンが帰ってきたんですけど、家にも入らず庭に植物を植えてたんですよ。こっちが心配してたっていうのに呑気すぎて」
「それで喧嘩になったのか」
「いえ、それぐらいなら我慢しましたが」
なんとなく冷静になれば、俺も悪かったのだろうと思えてくる。
「リーンが王宮から外出を許されていなかった話をうっかりしてしまったら、機嫌が悪くなってしまって、そこから売り言葉に買い言葉で気づいたらお互い感情的になってました」
「ふむ」
俺の話を聞きながらも、チリアン隊長は既に仕事を始められる体勢を整えていた。
「他人から聞いた話を迂闊に出したお前が悪い。しかも少し考えれば触れられて楽しい話題でないことはわかるであろう」
チリアン隊長は俺が落ち込んでいたとしても慰めてくれるような人じゃない。むしろ正論で追い打ちをかけるような人だ。だからこそ冷静に振り返るにはちょうどいいのだが、それと俺の心情はまた別だ。
「これまで彼女の世界がその意志に反して王宮内だけだったのだとしたら、外の世界を知る者への劣等感も生まれたであろうな」
「劣等感? 彼女は王侯貴族が囲っておきたいと思うほどの錬金術師なのに、そんなことで劣等感なんて抱くでしょうか」
「ずっと閉じ込められていたのだろう。外に出たくてもそれが叶えられなかったのだとしたら、他の者よりも自分は劣っている、遅れをとっていると考えないか」
「それは、ありえるかもしれません」
考えが足りなかった後ろめたさから、語尾が小さくなる。
止められていたからこそ、王宮の外への憧れは強かったかもしれない。
「でもエリオット陛下が即位してからは、外に出られるようになったんですから、そんなにいつまでも気にしますかね。即位から一年ですよ」
「いつから外へ出ることができるようになったんだ。少なくとも私は彼女を王宮の内でも外でも見かけた憶えはない」
国王が即位してすぐに出歩く許可が下りたとは限らない。一緒に歩くといつも物珍しそうにしていることから街歩きに慣れていないことはわかる。というかラセット副室長はここ最近とか言っていなかったか。
「前国王時代も見張りがつけば外出はできたと言っていましたが」
「見張りということは、彼女にとっての味方ではなかったのだろう。そんな者を連れて出かけようなどと思うだろうか。それこそ素材を採りに行くくらいはあったかもしれないがな。彼女は一部の王侯貴族たちに嫌われていると言っていたが、もし外に親しい人間を外に作ってしまったら、弱みとして脅されたり利用されたりする可能性もある」
畳みかけるように話すので相槌を打つ間もない。
「彼女は親類がいないということだが」
「ええ、両親を子どもの頃に失くして親戚もいないと聞いています」
「つまりこれまでは貴族に対して弱みとなる存在がいなかった。だからこそ強気な態度を取れた。それではなぜコルクと結婚したのかだが、可能性としては、騎士なので自分の身は自分で守れるし、それなりの地位についているため簡単に手を出せないと判断したと私は考えるがどうだろうか」
「いや、どうだろうかと言われても本人に聞いてみないことにはなんとも言えませんよ」
「では聞いてみよ」
「え、俺が聞くんですか」
「私は彼女と話す機会がない。それにお前も気になるだろう」
「それは隊長が気になる言い方をしたんでしょう」
「謝るちょうどよい機会ではないか」
俺が謝ることが前提で話しているし。
「ふむ、まだ謝ることに抵抗があるようだな」
「そういうわけではありません。まあ花でも買って帰ろうかとは思っていますが」
「物で釣る作戦か」
「隊長、ほんとその言い方改めたほうがいいですよ」
「事実であろう」
「べつに物で釣るわけじゃありません。ただ俺も悪かったということを目に見える形で伝えようと思っただけです」
「これまで彼女に花を贈ったことはあるのか?」
「ありませんけど」
「一番最初に贈る花が謝罪のためか。実にお前らしい」
チリアン隊長がいったい俺の何を知っているというのか。
「これが本当の恋人だったり夫婦だったらもっとやりようがあっただろうな」
「いや本当の夫婦ですから、戸籍上は」
「しかしベッドは共にしていないのだろう」
「朝からなんて話をするんですか。ていうかそんな、ベッドを共にしていたらなんとかなるなんて考えこそ俗物的じゃないですか」
「私自身の考えではなく、お前の言動を予測しただけだ」
「隊長、俺のことなんだと思ってるんですか」
チリアン隊長は考えるようにわざとらしく手を顎に当てた。
「お前は言い寄ってくる女性をあしらうのが上手い」
一見、褒められたような錯覚を起こしかけたが、すぐに現実に引き戻される。
「自身の中である程度の女性像が定まっており、こうすれば女性は喜ぶ、自分の評価が上がると計算し行動する。おおかた錬金術室長はその女性像に当てはまらず、苦労しているのだろう」
くっ、当たっているのかもしれないけど絶対に肯定したくない。
「よって、このような事態に陥った今、どう対応してよいかわからない。錬金術室長はお前のことを好きで結婚したわけではないので、コルクの打算的な言動に騙されることがなく」
「あ、もうその辺で結構です。反省は十分にしていますから」
ほんと、弱ってる部下に容赦がなさすぎやしないか。
「私はお前に反省を促すために話しているわけではない。私自身が納得のいく答えに辿りつきたいから言葉にして確認しているのだ」
「俺、隊長のそういうところ好きですよ」
空気を読まなくて。
そう軽口を叩くとじろりと睨まれ「反省を促す言葉も必要か」と脅されたので、丁重にお断りした。
「長引かせるのは得策ではない。早めに修復に努めることだ」
「わかってますよ」
一言どころか延々と部下へのダメ出しをする上司へわざとらしくため息を吐いてみせたが、もちろん相手にはされなかった。




