26.切るなよ切るなよ
扉を開けた先は異世界だった、というのはラノベ等で往々にしてみられる展開ではある。
だが現実でそんなことはない。
扉を開けたら使い魔協会でしたとか、世界の全てが記録されている異空間でしたとか、その程度である。
……いや、割とあるのかもしれない。凛に限っては、であるが。
ただし、本当に、今回は、全くもって、疑う余地もなく、扉の向こうは至って普通の現実世界。
「ごめんなさいデス」
千鶴が突然謝った。
「え?」
「いえ、想像以上の散らかりかただったモノデ……」
そう、この部屋は普通の部屋ではあるが控え目に言って散らかっていた。
『控え目に言って』である。
主観を除いて客観的に表現するならば、部屋が大量の物で溢れかえり床が見えないと言うのが正確か。パソコンの周辺機器、雑誌、漫画、ダンボール箱、食べ終えた弁当容器、ペットボトル、スナック菓子の袋などなどが部屋の中心に陣取っているこたつから流れ出たような有様。
「まあ確かに驚きはしたけど……。テレビとかでよく見る片付けられない人って本当にいるんだね」
凛は物珍しそうに首を左右に動かしていた。
凛自身は割と片付けとか整理整頓が好きな為アパートの部屋はすっきりしている。別に潔癖症ではないのでこの部屋を見ても嫌悪感は抱かないが、ちょっと片付けしたいなーと思うくらい。
「おにーちゃん!おにーちゃん!」
千鶴がこの部屋の主に呼びかける。だが返事はない。
壁際に設置された台の上にあるモニター画面に凛が視線をやると、映し出されているのは黒い手袋をはめた等身大の人間の手。等身大ではあるが何か違和感がある。規則的に小さく上下に動くばかりでそれ以上は全く変わらない。どこか作り物めいた印象を受ける。
と、急にその画面が一面真っ赤に染まり、そして数秒後には再び同じ映像が映し出された。
「あ、これって……」
凛はその映像に見覚えがあった。というよりも、とても馴染みがあった。幾度となくその光景は見てきている。見飽きていると言ってもいいくらいに。
『DO-NOTHING3』
凛がいつもやっているFPSゲーム、そのナンバリングタイトルの3作目。
徹底的にリアルさを追求していてゲームとしての楽しさよりもシミュレーションとしての側面が強く、発砲音のこだわりはもちろんのこと手ぶれや距離やランダムに吹く風による弾道変化、さらに天候や時間が視界に与える影響までも表現している。
プレイヤーに対して一切媚びず、敵を探るシステムや航空爆撃支援なども存在しない。広大なフィールドにおいて敵を見つけるのもその敵に弾を撃ち込むのも頼れるのは己の力のみ。
そんな敵を倒す前にまずまともに弾をヒットさせることさえままならない激ムズ不親切仕様であるにもかかわらず全世界のコアなFPSファンから絶大な支持を得ている。
凛もこのシリーズに出会ってからはたまに他のシリーズのFPSゲームをすると面白いことは面白いのだがどうしても物足りなさを感じてしまって結局は戻ってきてしまう。
このゲームのシステムに触れてからよくよくそのタイトルの意味を考えると実に皮肉っていると言える。
DO-NOTHING(怠け者)。
「んあ」
その時、奇妙な声とともにゴミと同化していた毛布がもぞもぞっと蠢いた。
「あらー、落ちてたか……。キックはまだされてないな」
寝癖なのかパーマなのかわからないがボザボサの髪を押さえ付けるヘッドホン、位置がずれていたそれを直して男はモニターに向き合い、眠ってしまっても手放さなかったゲーム用コントローラーを両手でしっかり握る。
「残り3分12秒、まだいける」
あくびを1つ、それから唇を舌で湿らせる。
するとモニターの中の人物が疾風となって駆けだした。
灰色の建物と建物の間の人が1人通るのがやっとの通路とは呼べない隙間、そこを全力で走り続け大きな通りが見えて建物が切れる寸前に不意に立ち止まる。よくわからない謎の3秒の待機、そして手にしていたコンバットナイフを無造作に振る。そこに大通りから曲がってきた都市迷彩服の男が運悪く走り込んできた。自分から斬られにきた形である。
崩れ落ちる男には一瞥だにせず大通りを横断して向かいにあった2階建ての建物に突入した。
建物に入ってからは先程までの機敏な動きとは打って変わって鈍重に慎重に歩みを進める。12段の階段を足音が鳴らないギリギリの速度の1歩=0.5秒のペースをきっちり守って上り、階段のすぐ脇にある無残に壊された木製の扉が打ち捨てられた部屋の中を半身で覗き込んだ。
家具も何もない殺風景な部屋の窓際に全身黒一色の男を確認。こちらは見ていない。見ているのは窓の外、重そうなスナイパーライフルで遠方を狙っている。
こちらを見ていないことがわかればよしとダッシュで一気に距離を詰めた。
足音に気付いたスナイパーライフルを持った男が振り返ろうとするも時すでに遅し。ナイフは男の喉を一文字に綺麗に切り裂いて鮮血の華を咲かせた。
走る、斬る。
止まって走って、斬る。
千鶴の兄が操作するアバターがナイフ1本で死体の山を築いていく。
ここまでで少しでもFPSというジャンルのゲームを知っている者ならばおかしいことに気が付くはず。
千鶴の兄が銃を使用していない、というのはまあそういうナイファーと呼ばれるプレイスタイルのプレイヤーは少ないながらもいるので珍しいけどおかしいという程ではない。
ならば何がおかしいというのか。
それは……『銃撃を受けていない』ということだ。
『被弾がない』ではなく『銃撃をうけていない』である。つまり、終始標的にされていないのだ。これは異常だ。
どれだけ上手くてもどれだけ運が良くても普通にプレイしていて1ゲーム中に一度も撃たれないことはあり得ない。
いつの間にか死神のように傍らに現れて死を贈られ、幽霊のようにその存在の片鱗も掴めない。
他のプレイヤーからすればそれはチートと同義だろう。
「君がラストだ」
残り時間5秒。もうトップは彼で揺らぐことはない。
最後の刃が崩れかかったレンガ造りの壁に張り付き弾倉交換をしている男を襲う……はずだった。
ブチッ。
「あ」
突然、《回線が切断されました》という警告が表示されてゲームのトップ画面に戻ってしまった。
「お~、なかなかの切れ味デス」
楽しげな声とは裏腹にハサミをチョキチョキ鳴らして切れたLANケーブルを片手に持つ少女の顔は口だけが笑っていて目が笑っていない。
ちなみにLANケーブルをカットする際は普通のハサミではなくニッパーを使いましょう。
「おや、誰かと思えばちーちゃんじゃないか。ゲームを物理的に切断するのはいささか乱暴だな。そのLANケーブルは高カテゴリで通信速度抜群の上、2重のシールドによりノイズを極限まで抑えた割とお高め」
「指を切ったほうが良かったデスカ?」
「まさか。そろそろ買い替えようと思っていたところさ。さすがちーちゃんは気が利く妹だな」
彼の頬を伝う汗は部屋の気温に起因するものではないだろう。
「はぁ……。おにーちゃんに言われたから連れてきたんデスヨ?」
「すまないね、日課の100キルまでもう少しだったんだが睡魔の攻撃は躱せなくてさ」
「夜しっかり寝ている良い子の所には睡魔は来まセン」
「今は朝?それとも昼?太陽を最後に拝んだのはいつだったか」
「……15日前デス。それも1分だけ」
背負っていたバックパックから彩鮮やかにデコられた携帯端末を取り出し手帳アプリを起動してスクロールする。入力されているのはスケジュールというよりも千鶴の兄の行動観察記録に近いもののようだ。
「あー、久しぶりの晴れだから健康の為に散歩に行こうってちーちゃんに無理やり連れ出されたけど太陽光で逆に気分が悪くなってすぐ戻ったあの日か」
人間は太陽光に含まれる紫外線を浴びることで体内でビタミンDを生成するという。他にも体内時計の調節など、適度に太陽光を浴びるのは良いとされる(諸説あり)。
ただしそれは一般論であり例外もある。
光線過敏症というアレルギーの一種は紫外線が肌に照射されると炎症をおこして火傷のような状態になってしまう為、外出時は目も含めて全て覆い隠さなければならない。
さらに例外中の例外でカーテンを閉め切った部屋で何日も何日も過ごすことに慣れきった人は、久しぶりの日光に拒否反応を示してしまうとかしないとか。千鶴の兄がまさにこれ。
「ウィ、布団の中で『早く氷河期になればいい』と呻いていたその日デス」
「なったらなったで寒くて外に出ないんだけどな。ははは」
寒いどころではない、全部氷漬けである。
凛を蚊帳の外に置いて話し込んでいたことを思い出した千鶴は申し訳なさそうな顔で凛に向き直り、
「凛さん、コレが残念ながらアタシのおにーちゃん兼赤蜜天龍会の現会長の赤蜜源十郎デス」
「残念ながらって、その紹介は酷くないかい?『憧れの』とか『大好きな』っていうプラス方面の言葉をもう少し足して欲しいな、なんて」
「Ferme-la!(その口閉じれや)」
「Je vous prie de me pardonner……(マジすいません……)」
千鶴はイライラがある一定値を超えると母の母国であるフランスの公用語が出てくるのだ。その相手は主に兄しかいないが。
「凛さん?」
凛が先程から一言も発していないことに千鶴は疑問を抱き凛の顔を見る。
凛の意識と視線はモニターにくぎ付けになっていた。
その凛の口から、
「ジャック・ザ・リッパー」
と呟きが漏れた。
「FPSの世界で伝説になってるプレイヤー。アカウント名はRED-HONEYDORA。戦績自体は平均より少し上程度だけど彼のプレイヤーを伝説にまで押し上げているのはそのプレイスタイルから。前半は一切キルをとらない。ひたすら走ってやられているだけ。なんだ初心者かと高を括っていると後半に化ける。一切その姿を見なくなる。でもプレイヤーリストには残っているから落ちているわけじゃない。その証拠にキル数が急増している。気が付いたら自分もキルされている。やり返そうにもいくら探しても見つからない。そしてそのまま終了」
すらすらと祝詞かお経のように言葉を紡いでいく。
「一部ネット掲示板でチーターだとか騒がれているけどそれなら必ず前半の成績が悪い説明がつかない。これはおそらくそう、ハイレベルな先を読む能力と情報収集能力を融合昇華させたもはや極の域に達したプレイ。前半は他プレイヤーの行動を観察し、その性格嗜好を把握。そして後半はそれを基にしたサイレントキル」
喋りが徐々に熱を帯びてくると同時に凛の頬も薄ら赤みがかってくる。
「不気味で神出鬼没でナイフのみを使用するあまりにも鮮やかな手口、それに加えeスポーツの大会にも一切出場しないから経歴も不明だしログイン時間もバラバラ。それらのことから19世紀イギリスの猟奇殺人事件の犯人切り裂きジャックを彷彿とさせるとして、いつしか彼は『紅きジャック・ザ・リッパー』とよばれるようになった」
はぁー、と凛が一息つく。
その顔は長台詞を噛まずに言い終えることができた女優のように達成感に満ちていた。
「本物……?いや、疑う余地なんてない。目の前であれを見せられたんだから」
凛は過去に一度彼と対戦したことがある。
その当時はまだFPS初心者だった凛は当然の如く他プレイヤーにぼろっぼろにやられていたのだが、なぜか対戦相手のうちの1人が凛を攻撃せずに庇うような動きを見せた。それがわかったから凛もそのプレイヤーを攻撃せず立ち回りを見て学び、おかげでまずまずの成績を残すことができた。
あとで調べてみたらそのプレイヤーは『紅きジャック・ザ・リッパー』と呼ばれていて、チーターと噂される一方、初心者の手助けをすることもあるのだという。
その時付き合っていた彼氏のススメでFPSをやっていたが負け続きで面白くなくて止めようかと思っていた凛はそのプレイヤーのおかげでFPSの楽しさを知ることができた。
つまり『紅きジャック・ザ・リッパー』は凛のFPSの師であるとも言えるのだ。
「あの」
「ぴぇっ!」
夢見心地とでもいうのだろうか、ぼーっと中空に視線を彷徨わせていた凛の肩を千鶴が軽く本当に軽く叩くと、凛は人体間に電流を流す実験をした時のような劇的な反応を見せた。千鶴のほうがそれに驚いたくらいだ。
「な、なんだ千鶴か」
「いえ、アタシは千鶴を基にして造られたガイノイド『チヅルン』」
「えっ!?」
「嘘デス」
「嘘なんかい」
特に意味のないやりとりが2人の間で交わされる。
が、それのおかげで凛の意識をこちらの世界に連れ戻すことに成功したようだ。
「その、挨拶が遅れました。一乃宮凛です……。初めまして、ジャック・ザ・リッパー様」
とはいえ、憧れの存在を前にして凛は緊張を隠しきれない。
そんな凛の態度とは対極に、
「はっはー。そっちで呼ぶのはよしてくれよ。今日はリアルで会っているわけなんだからさ。親しみを込めて『源ちゃん』でいいよ」
源十郎はこたつの天板の物が載っていないスペースに器用に頬をペタンと引っ付けてゆるゆるな感じで応対する。
千鶴の双眸が光っているような気がしないでもない。
「じゃあ源十郎さんで。それで、今日私が招かれたのはどういった用件ですか?」
とりあえず凛の中ではあの拉致を一風変わった送迎として認識することにしたようだ。
「大まかに言って2つだね。ビジネスの話とプライベートな話。そうだなぁ、まずはビジネスの話からしようかな」
オーディオコメンタリー風なあとがき
カ「久しぶりカピ。みんな元気カピ?」
千「おや、最近とみに影が薄くなったと囁かれているカッピーではないデスカ」
カ「そ、そんなことないカピ!ちょっと使い魔協会の学会やらなんやらで忙しかっただけで……」
千「そういうふうに消えていった者達は過去に何人もいたって聞きますケド?」
カ「ただの噂カピ!せや、作者に賄賂を贈って出番を増やしてもらえばええんや。へへっ」
千「キャラが変わってマス。まあそれはさておき、見て見て!アタシのおにーちゃん初登場!」
カ「なんや、パっとせん男やな」
千「パっとしないのは認めマス。外出しない、掃除しない、身だしなみに無頓着。日がな一日ゲームしてゴロ寝」
カ「典型的な駄目人間やないか」
千「でも高スペック。女の人はそんな駄目男のことが結局放っておけない……らしいデスヨ」
カ「どこ情報なん?それ」
千「学校のクラスの女子がそんなこと話してマシタ」
カ「あー、女子中学生はそないな話してるんか」
千「その似非関西弁キャラまだ続けるんデス?」




