絶対国防圏
1940年6月、私はドーバーからの船を降り、オーステンデの埠頭に立った。従軍記者としてベルギー軍やBEFと独軍との戦いを報道するのだ。前線まで100Kmほどしか離れていない戦地に赴くことに対し、緊張と不安があったのだが、オーステンデの港は、戦時とは思えぬほど平穏であった。たしかに、港を歩く人は多く、大荷物で大陸を脱出しようとする家族、補給品を運ぶ兵士など、平時の優雅な旅行客とは異なるものだ。しかし、戦時、前線という言葉から考える緊張感というよりも、大仕事に当たる人々の繁忙というべきものだったのである。
私がオーステンデに来た目的の一つは、ここから200Kmほど東南、アルデンヌの森を突破し、パリを無防備宣言、さらには仏の降伏に追い込んだ独軍戦車部隊が、ベルギー北部への侵攻を行えないでいる最大の理由を取材することだ。ベルギー海軍第2艦隊、先の大戦の遺物、独帝国高海艦隊の主力艦を利用した要塞群である。11インチから15インチ重砲40門が、ベルギー北部を独軍の手から守っているのだ。
この艦隊が成立した経緯には、なかなか興味深いものがある。先の大戦の休戦後、独帝国の高海艦隊は中立国の港で抑留されることが提案されたのだが、候補地となったノルウェイとスペインはこれを拒否した。これを受け、英が自国の港で管理することを提案したのだが、仏伊に加え、ユトランド海戦で新鋭艦の比叡を失った日が強く反対、中立的なベルギーで管理することになったのだった。オーステンデ近郊の遊水池に注水することで戦艦の喫水でも航行可能にし、泊地としたのだ。この決定には艦隊の自沈を恐れた日仏の意図が働いていたとされる。元が遊水池であるから、自沈は実質的に不可能なはずだったのだが、大戦を終わらせるヴェルサイユ条約の締結直後、ほとんどの艦が爆薬により艦底を爆破、航行可能な状態にするのは不可能になったのである。艦隊がどこからその爆薬を入手したかには諸説あるが、未だに明らかになってはいない。爆破されなかった主力艦3隻のうち、デアフリンガーは日の、バイエルンは英の、フリードリヒ・デア・グローセは仏の手に渡ることになった。この内、バイエルンだけはのちベルギーに売却され、現在も第一艦隊旗艦として健在である。
件の遊水地であるが、現在水は抜かれており、コンクリートで固められた戦艦群が砲を、独軍を狙うべく高く掲げている。周辺には空襲に備え、対空砲や各種のアンテナなどが整備されつつあった。この要塞に守られたベルギー北部への侵攻はたとえ独軍といえども容易ではなかろう。
もう一つの目的は、BEFの部隊だ。仏、蘭との国境、ベルギー南部と面するヘント付近にはBEFやベルギー軍の部隊が展開している。前線から後方まで続く塹壕群や重砲陣地、対空砲に守られた部隊は、たとえ独戦車部隊であろうとも突破は不可能であろう。指揮官や兵の士気も高く、仏の部隊のような総崩れにはなるまい。
ベルギー北部が我々の手にある限り、独は脆弱な側面を残して英本土に侵攻することはできない。この血は英国の絶対国防圏として守られ、近い将来には独への反攻、大陸の独裁者からの解放の起点となるであろう。私は英国の強い意思をこの訪問で感じたのだ。
英紙より抜粋
仏の降伏に際しての世論対策として明るい記事を書かせたいのはわかるのですが、こんな記事書かせているから、撤退させられなくなっているということですね。
爆薬の入手については、ぼかしていますが、日仏へ大量の艦艇が渡ることを恐れた、英の陰謀というのが定説になっています。




