裂け目の向こう側
原因を探すとき、人はまず外側を見る。
けれど、本当に深いものは、もっと静かな場所に潜んでいるのかもしれません。
夜の街は、いつもより静かだった。
裂け目が開いた広場は仮設の柵で囲まれ、石畳の亀裂には白い布がかけられている。見上げれば、空は澄んでいるのに、どこか奥行きが不自然に深い。
レオンたちは屋根の上に立っていた。
街全体を見渡せる位置だ。
「……来る」
ミリアが小さく言う。
空の一点が、ゆっくりと暗くなる。
昼のような破壊的な裂け目ではない。
もっと静かで、もっと深い。
穴ではなく、“目”のように開く。
少し離れた鐘楼の上で、カイルとフィアが並んでいる。
今日はフィアは黒に近い深い色のコートを着ていた。夜風に揺れ、裾が闇と溶ける。昼間とは違い、笑みはない。
「深いね」
静かな声だった。
カイルは頷く。
「前より遠い」
言葉は短いが、意味は重い。
裂け目は“近づいている”のではない。
世界の奥から“覗いている”。
空の歪みが広がる。
だが、何も落ちてこない。
代わりに、圧が増す。
建物が軋み、空気が薄くなる。
人々が眠る街の上で、重さだけが積み重なる。
レオンが歯を食いしばる。
「敵が出ない……?」
ガルドが唸る。
「来ないのか?」
ミリアは目を見開く。
「違う……」
セレスが息を呑む。
「見られてる」
裂け目の奥に、輪郭が浮かぶ。
形はない。
だが意志だけがある。
街を見る。
勇者を見る。
そして——鐘楼の上の二人を見る。
フィアが、わずかに目を細める。
「……あ」
初めて、嫌そうな顔をした。
カイルが一歩前に出る。
「見つかったか」
裂け目の奥から、圧が一点に集まる。
鐘楼へ向かう。
空気が重くなる。
石が軋む。
レオンが叫ぶ。
「上だ!」
勇者パーティが動く。
だが間に合わない。
圧が落ちる。
その瞬間、フィアが片手を上げる。
今までより、はっきりと。
空間が波打つ。
裂け目と鐘楼の間に、透明な層が生まれる。
圧がぶつかる。
街全体が揺れる。
だが崩れない。
カイルが剣を抜く。
今回は一閃ではない。
踏み込み、空間ごと跳ぶ。
鐘楼から、裂け目の“目”へ。
距離が縮む。
刃が届く。
斬ったのは影ではない。
視線そのもの。
見ている“意志”を、切断する。
空が震える。
裂け目の奥から、初めて声が響く。
音ではない。
概念のような反響。
——見つけた。
同時に。
——排除する。
意志がぶつかる。
空が歪む。
街の屋根が震える。
レオンが剣を握る。
「……あれが原因か」
答えはない。
だが理解はある。
魔物ではない。
災厄でもない。
世界の外から、こちらを観測する何か。
フィアが息を整える。
「やだなぁ」
本気で嫌そうに言う。
「静かなところが好きなのに」
その言葉に、わずかな怒りが混じる。
裂け目が揺らぐ。
圧が乱れる。
カイルの刃がさらに深く入る。
視線が割れる。
空が裂け目ごと、後退する。
閉じない。
だが退く。
初めて、向こうが引いた。
静寂が落ちる。
鐘楼は崩れていない。
街も立っている。
裂け目は、遠くに小さく残っているだけだ。
レオンは鐘楼を見上げる。
今、はっきり分かった。
魔物ではない。
魔王でもない。
もっと上。
もっと外。
世界の外側から、何かが“選んでいる”。
そして——
カイルとフィアは、その対象になった。
鐘楼の上で、フィアが小さく息を吐く。
「……見られたね」
「そうだな」
カイルは剣を収める。
逃げる様子はない。
だが、追う気配もない。
ただ静かに、街を見下ろしている。
レオンは決断する。
「守る」
短い言葉だった。
今度は追うのではない。
並ぶのでもない。
“守る側”として立つ。
勇者の役割は、ようやく定まった。
夜の空は、再び静まる。
だが裂け目の奥には、まだ何かがいる。
今度ははっきりと、敵意を持って。
物語は、魔王ではなく、さらに外側へ進んでいた。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
ついに“原因”が姿を見せました。
魔物でも魔王でもなく、世界の外から覗く存在。
物語は次の段階へ入ります。
次回、初めて“向こう側”へ触れます。




