シーン8 ヒラヒラと無情が舞い落ちる
シーン8 ヒラヒラと無情が舞い落ちる
明けて深夜1時、染矢はモータータワーに駐車してある車から裏金を回収していた。夜が明けるまでにあと3棟まわり、約106億を新しく用意したセーフマンション4室に移動させる予定だ。フロントが持つモータータワーは都内各所に15棟、金庫がわりに使っている車が44台。染矢の配下は6人と少ない。三手に分かれて回収作業にあたっているが、警視庁経済班の監視の目を掻い潜っての作業に、動ける時間は限られている。回収できる金にも限度がある。作業を急ぐ染矢の携帯が鳴る。目白からだった。
「是枝が死んだ」目白は台本でも読むかのように言った。
染矢は絶句する。それでも椎田の耳が気になり「場所を変えます」と言いながら数歩進んで、十二分に距離を取ってようやく喋り出す「死因はなんですか?」と潜めた声で聞く。「わからん。電話じゃ教えられんとさ、警視庁まで本人確認に来いだとよ。クソ!!」独特の甲高い声で目白が吼えた。
キィーンと残響した声にスマホを離しそうになったが、堪えた染矢が「最寄りの警察署ではなく、警視庁で確認だなんて聞いたことかない。是枝さんはどこかに出張っていたんですか?誰を連れて行ったんです?状況を知るものは是枝組にいるんですか?」と矢継ぎ早に聞く。目白は「組内の者は誰も何も知らないだろう。多分、俺は遺体確認に託けて事情聴取される。伊藤と今城を連れてゆく。嫁の話だと是枝は自宅で電話を受けた後、行き先も言わず1人で出かけたらしい。嫁は愛人の所だと思ったんだとよ」と応えた。染矢は「なぜ、時子さんは愛人の所と思ったんですか?」と再度聞く。「是枝の顔つきからそう思ったらしい」と目白が吐き捨てる。クソが!!どうせ、よそよそしくも白けた態度で送り出したに違いない。時子の嫉妬深さを目白は忌々しく思っていた。時子は男の遊びを許さない優等生的な女で、目白とはウマが合わない女であった。ボディーガードに連絡を入れる知恵さえ思い浮かばなかったバカ女。組の情勢ぐらい耳に入っていただろうに。クソったれと叫び出しそうになる憤怒を意思の力で抑え込んだ目白は「染矢、是枝は慎重な男だった。ボディーガードも運転手も連れずに出掛けたって事は、是枝が1人でも安心出来る相手だったという事だ。やったのは身内だ。是枝は身内に消されたんだよ。クソ…、どこの誰か炙り出してやる。俺らは事情聴取がすんだらしばらく姿を消すぞ。代行にだけ、俺の考察と動向を伝えといてくれ」、染矢の耳に目白のどろりとした声質がねっとりとへばりつく。途端に喉の奥がギュッと詰まり、吐き気が迫り上がって来た。
饐えた唾液を飲み下してやり過ごし「承知しました。確かに、おっしゃる通りだと思います」と染矢が言うと、目白は左の口角を卑屈にねじ上げ「俺らは身内の誰かに弓を引かれてる。赤松とこの件、今井本部長の脱税容疑、是枝の死とタイミング合い過ぎだ。こっちの諸々の情報漏れてるぞ、気をつけろ」とひねた面持ちで笑う。
スマホの向こうで目白が笑っているとわかった染矢の口元にも、悪心の微笑が浮かぶ。「やっと、俺ららしくなったと思いませんか、目白さん。新しいメルアドを取得してお知らせします。目白さんと俺の連絡用に使ってください。金の準備もしときます。跳ねさせる兵隊にも心当たりがあります。ログインパスワード、何にしますか?」と聞いた染矢に、「代行の下の名前と誕生日」と目白が言った。