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骨の髄まで  作者: 國生さゆり
30/39

シーン30 はぐれ散らかす



 服部はそれにしてもと思う。席を外したあの一瞬のあいだに、テーブルにのっていたはずのあの封筒が消えていた…。視線だけ動かして、隣で電車に揺られている内藤を見る。内藤は最初から手ぶらだった、今も手ぶらだ。型落ちのグレースーツの上下ポケットは膨らんでもいない。内藤は金を受け取らなかったのだ。自分のために安堵する。今日起きたことが何かの拍子で表沙汰になれば、同席していた自分も聴取され、その報告書の厚さは世界で一番売れている聖書並みでは済まないだろう。そして繰り返される聴取に疲弊し、免職が有り難く思えてくるが、されどその願いは受理されず、どこまでも通常運転を求められ、干され、煩わせれ、塩漬けをくらった身の上には名ばかりの肩書きだけが落ちてくる。廊下で誰かとすれ違えば、あの人はなどと口葉に登る羽目となる。お上もお上で役職各位は経歴の汚濁を嫌い、触れる愚かは犯さず、前任者が決めたからと飼い殺しを黙認して受け継ぐ。それができるのは税金である原資は、誰の腹も痛まないと知っているからで、だが、そんな下知はまだいい方で、組織に対する従順を忘れれば本気の警察組織に追尾され、逮捕という不名誉を着せられる。前科、もしくは執行猶予が我が身にへばりつく。こちらもそれはごめん被りたい生活がある。だから黙る。黙って従う。社会保険と国民年金に厚生年金、社会的に信頼ある職業となれば聞こえはバッチリで、捨てるには天利ある家宝が勢ぞろいする。それに己を客観視してみれば、もう違う場所に適応できるほどの若さは無い、重ねて言えば世界観もすでに狭い。そして誰よりも知っている自分は優秀な刑事で、刑事は天職なのだと知っている。



 そう考えれば腹が立つ。クソ、内藤は噂通りの疫病神だ。誰ともコンビを組まず、部下も持たず、胡散臭いが検挙率と上司の覚えは抜群だ。四課は隠密行動が多いと聞くが、この男は刑事としての自覚さえ無い。巻き添いを食らうわけにはいかない。正義は正しいと信じている年若の部下もいる。日陰も裏も底も表も太陽も月も見せて、教え育てなければ法治国家が崩れ落ちる、ここで潰れるわけにはいかない。内藤とサシで話すのは、行動するのは今日が最後と決める。



 しかしながら、あの女ヤクザに傅いていた男は、、、女のように可憐でささやかな男だった。温もりなど、だぶん愛など知らないであろう男の視線は無味無臭でしかなく、その後味も悪くはなかった。どこか庇護欲をそそる男で、犯罪者によくいるタイプの男で、どこか危なげで投げやりで、自身を他人に預けているような雰囲気を醸し出し、それでいて今はなんとか体裁を保ってはいるが、崩壊の香りを上等だと声高に歌い上げているかのような、何かに陶酔した茹る翳りを目の奥に忍ばせていた。



 車内に案内の機械音の声が響く。



 アクセスの多様性が数限りなく広がっている駅に到着して、空いた優先席に内藤が「よいしょ」と小言でも言い出しそうな不機嫌さでこぼし座った。顔を上げ視線を合わせてきた内藤が「気が張ったんだ」と言い訳がましく呟いた。だからなんだと思いつつもうなずいていた。この教育が行き届いた法治国家の申し子だと己を嘆きたくなる。公職に身を置く立場でもある。そして他人を思いやってこその人権だと教えられても来た。嫌気が刺す。一体この国はどこへ行きつくのだろう…と浮き草のように思う。連日の睡眠不足と栄養不足が心を疲弊させていた。



 駅に着き、人が動きだす。背後に立たれるのが嫌でさりげなく見回していると、出入り口のスペースに無意味に、自縛のように居座っている女が目についた。ただただなぜか気に入らない。お前が奥に移動すれば動線がスムーズになるだろうがと思う。しかしながら女は、強固な意志を発揮してその場に居座り続け、視線は常にスマホだ。だがその目は動いていない。スマホを気づいていないと主張する道具にしている。だとしてもなぜそこを選ぶ。何故、そこなんだ?何故、無意味な頑なさを押し通す?「邪魔なんだよ」と言ってやりたくなる。俺の横顔を見ていた内藤がふと笑う。だよなとしたり顔で俺を見ている。だが、俺も顔を動かして内藤を見ようとはしない。結局、俺もたたずむ女と同じなのだ。今日も時間だけが過ぎてゆく。だがな、あんた、道徳心のある人々はこれからもあんたを、いつまでも、この先も、寛容という庇護の元にあんたをおいてくれるだろう。それは自満の道義でしかない。あんたそんな奴らの慰め者でいいのか、悔しくないのか?あんたなんのために生きてる?人間は自分本位だと知っているだろうに、あんたは愛玩動物と同じ扱いを受けてるんだよ。内藤がウトウトし始めてもなお俺は、内藤を見ようとはしなかった。意地になっている、わかってる。俺もあんたと同じだ。




 車輪と線路が摩耗し合い不快でしかない、悲鳴にも似た金属音を聞きながら考える。あの赤松という男の得体の知れなさはなんだったのか…と。ドップリとしたヤクザ臭を漂わせながらも、その顔つきにはアスリートのような清々しさがあった。それでいて5代目と呼ばれる母親に頭を下げるでもなく、どこか白々しい態度で接していた。ただ、染と呼んでいた危なげな男に向ける目には…、血が通っていたような気がする。されど“のような気がする“としか形容できない、自分の曖昧さに腹が立つ。幾人もの犯罪者と向き合ってきたはずの嗅覚の不憫に腹が立つ。あの男たち、あの女はなんなんだ。ヤクザとはもっと単純明快に武力と中枢との繋がりを匂わせてくる輩であったはずだが…。



 ある娘がいた。その娘は素行が悪く、あるビデオを撮られた。そのビデオを餌に父親が頭取を務める銀行から、融資を引っ張った。母親でも足を開かせるのがヤクザだ。その境を越えられるから極道なんだとある人が教えてくれた。



 「あーーーうっ」とだらしない声を上げながら、背伸びした内藤が「今日はこのまま飲みに行きませんか」と車窓を眺めながらそう言った。「一旦戻ります。部下の報告もあるでしょうから」と言ってかわすと、内藤は「ですよねー、戻ろうかなー、俺も」と呑気さ全開で口にする。食えない男だ。



 そんな男に気になっていた事を口にする。「赤松が10代の頃から折り合い悪いんですよね、あの親子。原因はなんだったんですか?」と。口が裂けたかのように笑った内藤が「共食いですよ。歪な依存関係と言った方がわかりやすいですかね」と言い、「サメ、蜘蛛、オタマジャクシ、オスの口に産卵する、なんて言ったかなーーあの魚、、、忘れた。孵化の遅い卵を栄養分として食らう、あれをやってるだけですよ」と続けた。「親子でですか」と言えば、内藤は不思議そうに俺を見た。そして「親子だから理想を押し付けあって嫌悪するんです。うちの会社でもあることじゃないですか、邪魔だから足を引っ張る、気に入らない奴だから手伝わない、疎外感を煽りたいから情報開示しない。それとなんの変わりがあるんです?」と反対に聞かれた。「それにあんただってさっき」とアゴをしゃくり、「あの女のこと何一つ知らないのに、嫌悪したでしょう。それと一緒ですよ、所詮人間なんて言葉を話すほど低俗な生き物なんですよ」と返された。



 確かにそうだ。メデューサに睨まれた女は、今も石のように立っている。



 

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