表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
骨の髄まで  作者: 國生さゆり
28/39

シーン28 巻取る



 濃紺のスーツの白ワイシャツに紺色のネクタイをキッチリと締めた服部は、ゆっくりとした動作で深紅の1人掛けソファに座った。その視線をなだらかにうつむかせるためだった。服部はその目の端でテーブル越しの三人掛けソファ中央に、背筋を凛と立て冷ややかに腰掛けているかん子を見た。澄んだ水のような淡く緑がかった青色の着物がそう思わせるのか、その雰囲気はどこまでも冷たく、見ようによっては白けた笑みを皮膚の上に浮かべているような女を、服部は夜草深い中で一匹なまめく獣のようだと思う。そんな服部の面持ちなど気にするはずのない内藤は、服部の隣に並ぶ1人がけソファにすや、かん子の後ろに控え立つ染矢の左手薬指の包帯と、どう見ても今しがたこしらえたであろう頬のアザを、そよそよとそよがせた視線でなぞり「喧嘩でもしたのか?お前ボロボロじゃないか」と口にする。その口調には馴れ合いが見えた。



 しじまの服部が切れ長の目をジロリと内藤に走らせる。内藤はその目を図太い笑みを目尻に浮かべながら見返し、そんな目つきでありながらも「コイツがガキの頃からの付き合いでして」と媚びる口調で口にする。結局、内藤は服部の事などなんとも思っていないのだ。これから先、表面上は捜査協力してゆくが、追うのは自分の手柄のみで、もう寒くても暑くても動じない腹の底で、どうしたらあわよくば、どこまでも漆黒に没する墨色の汚濁に、服部を沈められるか狙っているのだった。染矢はそんな内藤の悪質は悲しみがのたうち回ってよじれ、卑屈と軽蔑の成れの果てだと知っている。先代が若頭だった頃から、大河原に擦り寄っていた内藤を染矢は調べさせた。



 内藤は将来を嘱望された刑事だった。交番勤務の折、土地勘を生かして窃盗犯を追い詰めて逮捕のきっかけを作り、それを機に捜査一課へと転属された。しかし、刑事になって半年が過ぎた頃、強盗殺人を犯して逃亡者となった男を恐れて、猫の額よりも狭い土地に建つ古ぼけた実家に身を寄せた女を、向かいのアパートから監視している内に、内藤はその女に同情し、哀れと思い、惚れた。声すら聞いたこともなければ、眺めているだけの存在でしかなく、左目の下に泣きぼくろがあるとだけ知っている女に、内藤は心を寄せたのだ。調査記録を読んで馬鹿げてると思ったのを覚えている。内藤は女の怯えを見て実家から引き放すよう具申したが、当時の上司は「そんな男に関わったからだ」と一笑に付したという。パシリでしかない若き刑事の意見具申など、鼻くそ程度にしか思わなかったのだろう。その矢先、女は自暴自棄になった男に待ち伏せされ、無理心中を強いられて刺し殺された。うだるような暑さの昼日中だったという。内藤が先輩刑事の「かき氷買ってこい」の一言で目を離した隙に起きた出来事だった。この日を境に内藤は、良くも悪くも刑事であることを手段とするようになった。そして優れた嗅覚と地頭の良さで手柄を積み上げ、四課へと移動願いを出したのだ。



 そんな内藤に、「この所、あること無いこと、あちこちから詮索されて往生してるんや。特に染矢はわてが面倒なことにならんよう気を張ってる。わてもこの子も難儀なこっちゃで。迷惑な話でしかない」とかん子が言えば、横から「有ること無い事ですむ話ではないと思います。裏帳簿の件でおたくの本部長だった今井は起訴できる見込みですが」と平坦な口調で服部が割って入り、その静けさにチラリと服部に視線を流したかん子は茶器を手に取り「4代目が亡くなって、代替わりした大河原には必要のない男です。お好きにどうぞ」しなやかにおっとりと鞭打つ。「修正申告の手続きを進めています」と染矢が釈明すると、初めて染矢を見た服部は「そうですか」とツレない。「ええ、お茶やな」と呟いたかん子に、服部もお茶を飲みながら「そうですね、美味いお茶だ」と答え、「大河原さん私に御用がおありとか?」と聞く。



 かん子はなんの前触れもなく「わての感がいっとりますんや、あんさんの狙いは正政党の党首三田ひろし先生やと。どうでっしゃろな三田先生はお渡しするんで、財務班の方々に大河原はほっといてもらえるよう、あんさんから取りなしてはもらえませんか?」と豹の目で尋ねた。内藤はギョロリと見開いた目を染矢に向け、服部は「そう簡単に三田を下さるとは、やはりこの間の指を3本立てた件が、お気に召さなかったということですか?」と切り返し、かん子は口元だけにほのかな笑みを浮かべ、お茶を味わいながら「そうでんな、たとえば、、選挙直前に不倫現場の写真を撮らせたんはうちで、議席を減らさんよう同情を煽る手記を奥様名義で書かせ、党に恩を売ったんもうちやったらどうしますか?いずれは下の管理もできん男や嫁より、2世議員のサラブレットの方が聞こえもええし、見栄えもいい。そんな男を選ぶ女の方が使えるやろと、当方が考えてましたらどないします?」とぶちまけた。



 服部は黙り込んだ。考えていた。引っ掛けか、自分への値踏みか、本心かと…。混迷を深め、迷走している捜査の突破口に三田の首は使えると思う。その段取りを頭の中で組んでみる。イケると算段したところで、だが、しかしと思考が停止した。財務班の狙いはこの女で、それを今井で我慢させる事ができるだろうか…。星が欲しい梅沢をけしかければ飛びつくじゃないかと、服部を納得させた頭脳がそんなことよりも何よりも第一は、そうなれば内藤に弱みを握られたような不快が残ると服部に訴える。



 染矢に振り向いたかん子が「4つくれるか」と言った。首を振る染矢に「ええから」と口にしたかん子の眼光が尖る。窓際にある執務机の上に置いてあるジュラルミンケースから、A4封筒4つを手にした染矢は、静かなる足取りでかん子の右隣へと進み出て、テーブルのかん子側に封筒を置いた。次の瞬間、「おい、まかりなりにも現職の刑事2人を買収するつもりか!」と服部が声を荒げる。



 「誰があんたにやると言った」ボソリと独りごとを言うかん子。



 ガラス玉のような目で、斬るような眼差しで、服部の目を見たかん子が「中身が金やとなぜわかる、見てもないやろに。あんたはいま、わての提案を飲んでもええと思ってるやろ。せやけど、内藤に弱みを掴まれると懸念してる。あんたが内藤の弱みを掴んだらイーブンやろ。わてはやり易うしてやっとるだけや」と言うと、内藤は服部の横顔を見た。



 その目を黒く聡明な目で睨み返した服部が「仕組んだな!」と張りのある声で攻め、内藤は「いや、俺はあんたほどは頭が切れないから、5代目と話す時はいつも流れに任せてる」と実直さがギラつく男の顔で語尾を確かめるように言い、続けて「あんたには昇進してほしいと思ってる。あの組織にはあんたみたいな人が必要だ。俺はまだ5代目と話があるんだ。四課で捜査中の別件だから、あんたがいたら不都合だ。出ていってくれないか」と眺め飽きた女を突き放すような気怠さでしみじみと言った。



 「ドアまでお送りいたします」と染矢が促すと、服部はようやく立ち上がった。部下を連れてこなかったのは、なぜだと自答していたからだ。内藤と2人と聞いた時、こんな話になると…、直感していた。だが捜査線上の協力という名の名目で、社会的に影響力を持つ人間と非公式な場所で会うのは、聴取するのはよくあることだ…と、己の直感を遠ざけた。今更ながら…、俺はどこかで今の捜査体制にうんざりしていた。わかってはいたが認めたくはなかった。クソ、ヤクザ如きに…、見抜かれた。




 ドアの前に立った服部に、染矢が「ご連絡先をお教え願えますでしょうか」と言った。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ