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骨の髄まで  作者: 國生さゆり
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シーン21 裁量



  シーン21 裁量



 廊下を歩くかん子の後ろに付きしたがっていた十和子が「良かったんですか?総裁と赤松さんを見送るような形になったんですよ。今日から姐さんが大河原の看板なのに」とささやいた。かん子はふと笑い「男はんには男はんの憂さ晴らしの仕方がある。いちいち気にし取ったら、この大所帯の舵取りは出来んもんや。赤松も自分が5代目になると思っとったのに、横からわてにかすめ取られたんやから虫の居所も悪かろうて。赤松のガス抜きを総裁にしてもらうのは、わてにとってもええ事や」と歌うような口ぶりで言った。「相変わらず太いですね、姐さんは」と呆れたような、感心したような表情でそう言った十和子はかん子の横顔を見た。




 その視線に豹に目を向け「ええか、十和子。わてがこの世界でどういう生き方をするか、みんな興味深々や。だから女はという言い訳もわてが女やからしやすいやろ、そう言わさん為にも寛容さは必要やと思ってる。男は甘やかして飼い慣らすんが、一番なのはあんたもよう知ってるやろ」とかん子が言うと、十和子は「そうは言っても5代目が男だったら襲名早々、血の雨が降ってましたよ」と真実を告げる。




 「わてが男やったら、あんたらもここにはおらんかった。わてはな、新しい形を作って見せたんや。男どもが足掻あがくのももっともな話や」とかん子はカラカラと笑う。




 「それはそうと、時子はんはどうしてる?」と染矢から随時報告を受けていて、何もかも承知しているかん子だったが、喪中を理由に参加を辞退した是枝の妻・時子の様子をえて十和子に問いかけた。姐の中心たる存在の十和子がどう考えているか、知っておきたかったからだ。そうとは知らない十和子は表情を曇らせ「それが…、携帯の電源が切れていて直接話せてないんです、自宅を訪ねたら見習いの子が、体調を崩して実家で静養してると教えてくれました」と声の調子も沈みがちに語る。




 「そうか。是枝という男は仕事では極道の模範みたいな男やったけど、時子はんからは浮気が耐えられんと、しょっちゅう愚痴を聞かされとった。是枝がおらんなってからあの人は、あれこれと後悔してるんやろうな」とかん子が言うと、小さくうなずいた十和子は「愛人が変わる度に私にも愚痴をこぼしていました。ズブの素人さんだった時子に一目惚れして、半ばさらうように結婚したのにて思ってました」と正直な気持ちを吐露する。立ち止まったかん子は十和子を見つめ「あんたんとこの佐藤が珍しいんやで」と釘を刺す。



 「みんなの話を聞いて、私もそう思ってます」としおらしくうつむいた十和子に、かん子が「佐藤に本部長を任せようと思ってる。わかるか、そうなればあんたが姐達をまとめていく立場になるという事や。この世界の女は見かけの装飾で勝負しょうする生き物や。そうではないとあんたには実践してもろて、背中で教えていってほしいんや、できるか?」と聞けば、十和子はキラキラと輝く瞳でかん子を見上げ「はい!皆の手本になれるよう努力します」と健気けなげに言い、「姐さんのお気持ちに沿わない時は、これまでと同じようにご指南ください」と言って深く頭を下げる。純粋な十和子をかん子は可愛い女だと思う。



 そこへ、夏川の女将・紗子がはんなりとした足取りで寄って来た。かん子の前に正座した紗子は平伏し「この度はおめでとうございます」と言った。同じように座して頭を下げた十和子にかん子は満足する。ゆっくりと片膝をついたかん子は、とうに七十は超えているはずの女将のうなじから、色気がダダ漏れなのに嫌悪を覚えながらも「ありがとうございます。ここの面倒はこれからも変わりなく見させてもらいます。今後ともよろしゅうお願い致します」凛とするった声で言葉をかけた。紗子はかん子の父が大田原の屋台骨を揺るがすほどに、入れ上げた女だった。芸妓を引かせる為のお茶屋への心遣し、月々の手当て、身支度にまつわるあれこれ、紗子が今もんている邸宅、料亭・夏川の購入、そんな諸々等々を遣繰やりくりして捻出ねんしゅつしたのは、女房の清乃きよので姐と呼ばれていたかん子の母だった。



 紗子は確かに当代随一の舞手ではあったが、父と歌舞伎役者を両天秤にかけ、競わせて己の価値と世間の評判を上げた女だ。負ければ名折れとヤクザの血を激らせて人中にさらしてみせた女。粗末ではないが平凡な着物を好んだ母と対峙たいじし、艶やかな着物を好む女。くさせるを本能で知っている女。たおやかな鬼畜。そんな女を父は母よりも愛した。だからと言ってかん子はこの夏川を、紗子を、今はおろそかに扱う気はない。このご時世、堂々と出入り出来き、思い通りに使える場所はほとんどない。それに様式美を兼ね備えた建物は招待した相手に組への威信と畏怖を抱かせる。ようはこれまでの恩恵をどう返済へんさいさせようかと考えているだけで、今その裁量はかん子の手にある。どんな方法を選ぼうが誰からも文句がでない立場で、全てはかん子の胸先三寸と知っているかしこい女は、わざと廊下でいついて見せたのだ、それに気付かぬかん子でもなかった。「さあさあ、足を痛めます。ここは冷えますし、ご老体には毒です。お立ちになってください」とかん子がいえば、紗子も「失礼いたしました。ご挨拶に上がろうと大広間にお邪魔するつもりが、ここでお会いしたものですから」とそつなく言葉を繋ぎ合わせて立ち上がる。こんなに小さかったかと思いながら「贅を尽くしたお料理、ありがとうございました」と言ったかん子は、未だ正座している十和子に振り返り「紗子はんをお見送りしてくれるか」と頼んだ。そう、かん子は大広間にいる男達に紗子を合わせる気も、挨拶させるつもりもサラサラないのだ。歳はとったといえど、色香漂いろかただよう女の野心は衰えたようには見えず、感じず、今更、誰かとの繋がりも親睦も深めさせたくはなかった。かん子の気持ちを知ってか知らずか「はい」と言って立ち上がった十和子は、屈託なく紗子の右手を取り「うちの若衆が差配しておりますから、大丈夫ですよ」と話しかけながら歩き出す。さて、食えない女をどう料理してやろうかと、豹の目で紗子の白首をとらえてみれば己の心肝こころぎもは冷笑していた。



 人はどこまでも落ちぶれる。先を見通せんかったんはあんさんの裁量や、どう削ってもわての勝手やで。





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