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骨の髄まで  作者: 國生さゆり
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シーン16 問い掛ける



  シーン16 問い掛ける



 深夜、そぞろ歩く染矢はときおり月を見上げていた。満月ではなく、三日月でもなく、見知っている月でもなかった。あおく寒々しい晦日月みそかつきだった。その月に染矢は「ああ、そうだな」と呟く。眠れぬ夜、染矢はこうして街を歩く。月は人の隠、影にたとえられて語られるけれど、そうではないと染矢は思う。月は決して悲しくもあわれでも暗くも無い。月は太陽よりも人の輪郭りんかくを鮮明にうつし出す。容赦無く降り注ぐ、他人の眼のように。




 今日の昼過ぎ、染矢に「代行に今夜、夏月でお会いしたい」と青木から連絡が入った。電話を切るや、かん子の執務室に出向でむいた染矢が「昨晩、今後の是枝組の事を話し合ったばかりです。連日とはどういう要件だと思われますか?」と尋ねると、かん子は眺めていた書類から視線を上げずに「不満に思った時子はんが青木に頼んだんやろ」と言った。染矢が「違うと思います。時子さんは抗体検査で陽性反応が出て自宅隔離しているそうです」とこたえると、意にかいさず「難儀なんぎなこっちゃな」と呟いたかん子は「見舞い金はらんからな」と釘を刺すような目で染矢を見た。



 神妙な声で「はい」とこたえた染矢は考える。皆が代行からの“見舞い金がなかった“と知れば、時子は立場を失ったと知る。是枝組以外は、いや、おそらく是枝組さえも時子にかまわなくなるだろう。かん子の時子に対する態度はもっともな話で自業自得だとは思うが、あれほど可愛がっていた時子に、どうすればむちよりもはるかに残酷な罰をくわえる事ができるか知っているかん子は、やはりこの世界の統率と制裁を熟知していて、そのやり方は無言なればこその辛辣しんらつで、残忍が魂の底にひっそりと住み着いているからこその悪義でと、そう考えている染矢もまた育ての母であるかん子と、同じ思考回路を持つこの世界の住人で、平然と同じ事が出来る男である。人は“目“で見て学ぶ。



  「18時に行くと青木に伝えてくれるか」と言ったかん子は書類へと意識を戻した。




 言葉はまやかせて、態度は無関心をつらぬけば乱れず、記憶は自分が傷つかぬよう脳が勝手に改ざんしたもので、行動だけがその人物の人格を明瞭にしめす。




 かん子が夏月に到着すると玄関先で青木が待っていた。後部ドアを開けた青木は深々と頭を下げ、かん子は頷き「ご苦労さん」と声をかける。三和土で正座する夏月の女将・紗子はかん子に頭を下げながら「おいでやす」と胸のすく、香り立つような声で出迎えた。紗子はかん子の父、大河原組3代目大河原朱鷺おおかわらときの愛人だった女で、紗子が見習い芸妓だった時に二人は出会い、一本立ちする前に置き屋の言い値で水揚げするほどに、朱鷺は紗子に入れ込んだ。




 紗子の案内で個室に入ると、青木は下座の座椅子を横にずらして正座し、居ずまいを正してゆっくりと畳に手を付いて平伏した。その姿を見たかん子が眉間にしわを寄せる。青木から重くのしかかってくるような威圧を感じたからだ。今も変わらず静寂が響くようなたたずまいではあったが、以前の青木は圧を持ってはいなかった。是枝の死が青木をきわめさせたとかん子は思う。




 そんな青木は頭を上げぬまま「今日もお時間を頂きましてありがとうございます。本来ならば姐の時子から代行にお話せねばなりませんところを、申し訳ありません」と通夜の日のような声で口にする。そして上着の内ポケットから封筒を取り出して両手をえてテーブルの上に置き、昔気質の男の目でかん子を見ると「姐の時子から手紙を預かってきました」と言った。かん子は置かれた手紙には目もくれず、「是枝組はあんたに任せると言ったが、時子はんは不満なんか?」とよどみ無くくだけた調子で聞いた。「いえ、姐の時子は不満を抱いてはおりません。昨夜も申し上げましたが、微力ながら組長のお話慎んでお受け致します」と言った。




 「ほな、今日は何の話や?」とかん子が聞くと、青木は「実は8億と聞いておりましたプール金が24億ありまして」と話し出したその直後、不意にふすまが開いた。




 かん子の左後ろに座る染矢は神速で立ち上がり、襖とかん子の対角線上に進み出て眼光鋭く見据えた先に、紗子に伴われた目白が立っていた。廊下に正座した紗子は臆する事なく「お話がお済みの頃ではないかと思いまして、お連れしました」とニコニコと笑みを浮かべ、かん子はかん子で「丁度ええタイミングでおました」とのびのびと返す。二人は化かし合いを演じていた。かん子は父を腑抜けにした紗子を忌み嫌い、そんなかん子の感情を読めぬ紗子でもなかった。




 襖が閉まるや、かん子の前に座した目白は「ここにいらっしゃると聞きまして」と告げ、居場所がれていた事に不愉快を放ったかん子は「誰から聞いた」と目白に豹の目で聞き、無を通したのも束の間その眼力に根を上げた目白が「赤松から」と絞り出す。目白を見続けていたかん子が「お茶を」と際立きわだつ平坦さで染矢に言った。




 “亮治はこちらの動向を誰に探らせた?“と考えていた染矢は出遅れ、妙な間を開けてしまい「承知しました」と小さく返してしまう。かん子がチラリと染矢を見る。その顔を見返した染矢は“濃茶“にしようと決めた。お茶が飲みたいのでは無く、静寂と茶葉の香りをほっしていると察せられたからだ。




 左手薬指の包帯が鬱陶うっとうしくも染矢の作法をさまたげ、ズキズキとする痛みが無を邪魔する。病院には行っていなかった。なぜ、目白は来る前にメールを寄越さなかったと考えれば腹立たしくもあり、煩悩ぼんのうにまみれた染矢のお茶は茶道からおおいにはずれていた。




 思い描いた香りを引き出せていないと感じつつも染矢がかん子の前にお茶を出すと、目白は用意してきたかのように今井と是枝の事を朗々と語り出し、それは染矢が赤松から聞かされていた通りで、ゆっくりとお茶を口にしながら聞いていたかん子は、目白が息つくのを待って「あんたはそれを赤松に言われるまで気づいとらんかったんか?」と聞く。「是枝の金回りがここ数年良くなっているとは思っていましたが、姐の、時子さんがビットコインに投資していると是枝から聞いとりまして、不思議には思いませんでした」と答えた目白に、かん子は「あんたも投資しとったんかいな?」と鋭い洞察力で聞く。一瞬、黒目をるがした目白は「はい…。ですが、何の口もはさまず是枝に一任してました」と言い訳する。




 目白の右隣に座り、話を聞いていた青木が「お預かりしていたのはいくらだったんでしょうか?」と尋ねた。目白は「7億」と簡潔に答え、わずかに目を見開いたかん子を気にしつつの青木が「俺が責任を持ってお返しします」と言った。目白が安堵の息を静かに漏らす。その吐息がかん子の憤りに油を注ぐ。




 「わての知らんとこで!あんたらは何をしとったんかいな!組同士の金を混ぜたら抗争の元になると常々言っとったはずや。3代目からの方針でもある!それを大河原の若頭でもある!あんたらが破っとったとはどういうこっちゃ!!」とかん子は怒気を十分にふくらませてそう言い放つ。




 ピリリと目白の身体にヤバい電流が走る。かん子はその姿を目にしてもおさまらず、感情にからめ取られて「あんたは執行部からはずれてもらう。今井につけとる弁護士先生も外す。あんたが今井に説明するんや、ええな!」とはなった。




 一部始終を見ていた染矢は密かに思う。赤松は代行自身に大河原の力を削がせたと。代行はまんまと赤松にハメられた。実力者の目白、今井、是枝は月々の義理ごとのトップ3だ。目白が忍んで夏月に来たのは7億の返済を代行の目前で青木に確約させたかっただけで、赤松の話は報告という名の建前で同席する手段でしかなかったはずだ。その手段が目白の足を引っ張った。今井の逮捕と是枝の死で動揺している組内に目白の降格は更なる混乱を呼び、憶測を孕んだ噂は波紋を拡げる。収拾には時間が掛かる。是枝という血兄弟を亡くして降格が決まった今、目白は離反者をつのり、今井をかつぎ出して反旗をひるがえねない。大河原の屋台骨を支えるのは自分だと自負していただろうに、目白は赤松に踊らされた。




 今井を売り、是枝を殺した赤松の狙いは見事にぜた。




 それにしても代行の判断は性急過ぎる。もう少し待つべきだった。目白の降格は“今“ではなかった。俺らの世界は一度吐いたツバは元には戻せないのを知っているはずなのに、代行は冷静さを欠いている。こういう時こそ自分を上手く使ってくれと染矢は思う。代行の限界、、という考えが染矢の脳裏をよぎる。いや、待て、代行は本気で組を畳もうとしているのか……、だから、目白をはいした…か……。高橋が吐いた邪推に惑わされてどうする。




 闇夜をそぞろ歩く染矢は、淡い夕闇ゆうやみのような今夜の出来事に思いをはせせていた。染矢の頬に影がさす。見上げると夜風に吹かれた黒雲が月を隠そうとしていた。亮治あかまつはいつから…、この絵を描いていたの…だろう……か。



 月に問いかける。「お前は何がしたいんだ?」




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