シーン15 ノエル
シーン15 ノエル
その底に墨でも流し込んだかのような漆黒の夜、赤松はノエルを隠したマンションへ帰って来た。いまだキリキリと巻き上がる脳みそは思考を極め、赤松を休ませようとはしない。あの日決めた軸線に乗っている道を一つ選択すれば、横軸のパラレルワールドは千差万別の♾️となる。横槍に突き崩されないよう定めた着地点へとたどり着く為に、情報の遂を尽くして進む。確実に自制しながら一歩ずつ。それでも頭の中に地獄はある。発狂するほどに考察して最悪を黙らせる。覚醒した赤松の脳を沈静させられるのはノエルで、ノエルの面差しだけで、ノエルの発する匂いに満ちている巣穴のようなこの場所だけだった。
身体に染み入った絶叫と血と汗を洗い流す。いつものように限界まで温度を上げたシャワーの下に身を晒す。今日、大きな節目を踏んだ。計画通りタイミングを計って“染“を手中に収めた。今日を忘れさせないよう染矢の指を折った。何をするにも手は目に入る。完治しても思い出すように刻んでやった。“お前はこっち側だ“と。水沢の暴威、時子の絶望、青木の復讐、染矢の驚愕を思い出しながら、身体を丁寧に洗う。今日一日で溜め込んだ灰汁を洗い流す。流石に今日は疲れた。眠気に襲われている。
腰に巻いたバスタオルを解き放ち、ノエルが眠るベットへと潜り込んだ。気怠く伸ばした右手で引き寄せたノエルを胸の内に入れ、華奢な身体に手足を巻きつけて眠りへと落ちた。
いつの間にかに長く重い手足にフォールドされ、身動き1つできなくなったノエルの左耳を赤松の唇が探りあて「なんで、俺のそばにおらんの」と囁いた。その吐息にうっすらと目覚めたノエルが「ずーっと一緒だよ。ここに居るよ」と応えるが、その声は夢うつつの赤松に届くはずも無く、そもそも、赤松の囁きは自分に対するものではないとノエルは知っていた。
ノエルが自分は誰かの身代わりなのだと気づいたのはつい最近の事で、赤松の希望通りに✴︎印を左手の中指と薬指の間に入れてから、赤松は誰かに話し掛けているような明瞭さで寝言を言うようになった。時に現実は真実よりも残酷だ。ノエルには相手が誰なのかわからなかったし、そんなこと知りたくもない。うだるようにその生命力で自分を抱く赤松がたまらなく好きで、赤松のそばにいると呼吸していても、生きててもいいんだと安堵する。だから、誰の代わりだろうが、なんだろうが、そんな事はどうでもよくって些細でしかなく。
覆う赤松から這い出ようとするノエルの左腕を、右手で引ったくるように掴んだ赤松が「どこへ行くんや」と言う。ノエルは赤松の庇護欲を煽りたく、起きるとわかっていてわざと身を起こしたのだ。自分への執着を感じたくもあり、だが今夜、その扉はいつもより簡単に開いた。容易いって慣れちゃったからと不安を覚えつつ「おしっこ」と言ってみる。案の定、赤松は「ダメだ」と言った。何かを堪えさせながら抱くのが赤松の好みだし、その方が突破した時の艶が増すと、ノエル自身も赤松から教えられて知っていた。
夜鬼の赤松が仕組んだノエルを喰らいだす。ノエルは左手の薬指を赤松の口元にかざし「噛んで」と口にする。ギリリと犬歯を立てられる。
そして二人は互いに溺れ、境界線を無くして快楽だけを貪りあい、共に許し合う。