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恋の縁術師(the Secret Affair)  作者: 枕木悠
第五章 忘却のための機械(the Machine)
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第五章⑦

 ジンロウが送ると言うのを強く断り、シノブはムーブに乗り込み錦景市駅の方向に走らせた。ジンロウの運転を断ったのは彼の運転技術をシノブが認めていないということもあるし、それ以上に一人になって冷静になる時間が必要だと思ったからだ。緊張は自覚している。ハンドルを握る手には汗が滲んでいる。

 けやき通りの入り口の交差点で赤信号に捕まる。シノブは煙草に火を付けた。煙を吐きながら珈琲が飲みたいと思った。信号が青に変わる。シノブはアクセルを踏む。

 南口の方から北口に迂回し、そのロータリィ脇にある立体駐車場の四階にシノブは車を停めた。一本の煙草を吸い終えてから、外へ出る。すでに夜だが粘り着くような暑さを感じる。熱がコンクリートに閉じ込められて保温されている感じ。この立体駐車場は錦景ターゲットビルという、円柱型のビルと隣接している。シノブはターゲットビルに入り、レストラン街を進んだ先にあるエレベータで地下に降りた。

 地上よりもシノブは地下街の方が詳しかった。それに案内看板の数も多い。シノブはターゲットビルを出て近い、中心に天使の像が立つ円形広場に向かった。そこは六つの道が交差する場所で、つまり円形広場からはどの方向へでも行くことが出来るのだ。

 シノブは天使の像の傍に立ち、一度天井を見上げた。円形広場の天井はガラス張りで夜空が見える。星は強い光を放つものだけが裸眼で確認出来た。この天使の像の周囲にはいつも待ち合わせている人たちが集まっているけれど、今はシノブしかいなかった。日曜日の夜だ。地下街を歩く人も疎らだった。

 シノブはスマホを手にしダイヤルした。カナデが働く店、ピンク・ベル・キャブズに掛けた。先ほど掛けたときとは違う女性が出た。お店の場所がよく分からない旨を告げ円形広場からの道案内を頼んだ。即座に返ってくる説明は簡潔で明瞭。「円形広場からでしたら錦景第一ビルの方に進んでもらって、右手に見える十四番出口を上がっていただきまして、前方のG銀行の隣の中古レコードショップの二階が当店になります、左側の階段を上がってお越し下さい」

「ありがとう」とお礼を言って通話を切り、シノブは彼女の説明の通りに歩いた。五分ほどで中古レコードショップの前に着く。レコードショップはすでに営業時間外のようでシャッタが降りている。その左側の階段は明かりに照らされていた。シノブは二階を見上げた。ピンク・ベル・キャブズとある、平成の初頭を感じさせる、ピンクのネオンサインがチカチカしている看板があった。

 シノブは時刻を確認する。夜の十時の少し手前。ふぅっと大きく息を吐き、階段をゆっくりと登った。幅が狭くて急な階段だった。駆け足では登れない階段って人生のうち何度か遭遇すると思うけど、この階段はまさしくそれだった。

 階段を登りきると、踊り場で二人の女性とすれ違った。一人は茶髪で、服装も派手な感じの美人。もう一方は黒髪で眼鏡をかけていて、ブラウスにロングスカートという地味な出で立ちの、どことなく研究者風の女性だった。こちらには目もくれず、二人は親しげに会話をしながら階段を降りていく。二人の手はぎゅっと繋がっていた。

 さて、シノブは二人を見送ってから踊り場のすぐ横、解放されたドアの中に足を踏み入れた。左手すぐにカウンタがあり、ここが受付のようだった。カウンタの隅には小さなサボテン。受付に人は立っていなくて、シノブは取り合えずカウンタの前で誰かが現れるのを待った。カウンタにはお店のシステムと料金表があってシノブはそれを確認する。店内のBGMは騒がしく、聞いたことのないロックンロールだった。いい曲だったから、そのフレーズを覚えて後でフミカに聞こうと思ったら、カウンタの奥から女性が「はぁい、いらっしゃいませぇ!」と元気溌剌という感じに飛び出してきた。シノブが覚えたフレーズはそれで吹き飛んでしまった。

「ご予約の方ですか?」

 女性は満点の笑顔、甲高い声でシノブに尋ねる。この声質は最初に電話で応対してくれた甲原という人だ。彼女は女性にしては背が高く、スタイルが抜群だった。シノブよりも彼女の方が数センチほど背が高いだろう。顎が細く、切れ長の瞳が麗しい美人だ。彼女はピンク色のワンピースの上に黒いミリタリィ・ジャケットを羽織り、頭には提督が被るような帽子を乗せていた。帽子からはうっすらとシルバに染まった長い髪が伸び、煌めいていて、彼女が着ているどこか風変わりな服装に拍車を掛け、まるで舞台上のキャラクタと接している気分になった。

「はい、えっと、カナちゃんを予約したものなんですけど」

「はい、お待ちしておりました、」彼女は満点の笑顔を崩さずに言う。「すぐにご準備させていただきますので、こちらでお待ちいただけますか?」

 シノブは甲原に奥のカーテンで仕切られた待合い室に案内された。六畳ほどの部屋で入って右手にテレビが設置され、左手には漫画や雑誌が並べられていた。中央に小さなガラステーブル。そこに数本の吸い殻で汚れた灰皿とティッシュが乗っている。その奥にソファがあり、シノブはそこに腰掛けた。

「それでは少々お待ち下さいね」

 甲原はカーテンをさっと閉め、待合室の隣にある部屋に向かったようだ。何やら会話が聞こえるがBGMの音量が大きいため、その会話の内容は聞こえない。BGMはロックンロールから、アイドルソングに変わっている。この曲もシノブが知らないものだった。シノブは本棚をじっと見つめた。漫画を読む気分にはなれなかった。見知らぬ空間にいるので警戒しているようだ。

 何に?

 それは分からないけど。

 カナデに会えば、おそらくこの気持ちは解放されるだろう。早くカナデに会いたいと思った。カナデに会ってからが、本番なんだけど。

 数分待たされ、甲原の足音がして「失礼しまーす」とカーテンが開いた。彼女は電卓を持っていて、それに金額が表示されていた。シノブはジンロウから頂いた二万円をそのまま渡す。甲原は一度下がり、すぐにお釣りを持ってきた。「はい、準備が整いましたので、どうぞいってらっしゃいませ、カナちゃんは受付の前でお待ちです」

 待合室を出て、受付の方に歩く。

 甲原と同じ格好をした、ピンク色のワンピースに黒いミリタリィジャケットの、カナデがこちらを向いて立っていた。

 いつもよりもカナデの化粧は濃い。

 魔女モード、という感じ。

 カナデはシノブを見るなり表情を変え、口元を両手で隠した。

「わっ! びっくりっ! え、どうしてっ、なんでっ!?」

 シノブはカナデに手を軽く振り、微笑み彼女の手をぎゅっと握り、体を寄せた。踊り場ですれ違った二人を真似したんだ。

「久しぶりじゃないか」言いながらシノブはなんだか照れていた。


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