第三章⑩
枕木邸に帰宅して、ユウとキティは裸になって、部屋の明かりを小さくして、ベッドにごろんと横になった。
「ユウちゃんはフミカお姉さまの真似をして、」キティは強い口調で指示してきた。「私はお姫様の方になる」
つまり、それはユウに攻めて来いという指示だった。フミカがチカリコを滅茶苦茶にしたみたいに、滅茶苦茶にしろっていう命令だ。
「うん、」ユウは枕の位置をずらした。「分かった」
「けだものになって」キティは両腕を軽く伸ばしてユウの体に触れる。
ユウはフミカがチカリコに対してやったことをトレースしてキティのことを攻めた。
時折、キティは高い声を上げ、ユウの背中に爪を立てて、もっともっととせがんだ。
しかし結局、ユウはけだものみたいになれなかったし、よく分からなかった。
意味不明だったんだ。
終わりの合図もないまま終わって。
確認もしないままそれはいつの間にか終わってしまっていた。
ユウは目を瞑ってキティの柔らかい体を抱き締めてすべすべの背中に唇を押しつけて微睡んでいた。
キティもなんだか、ぼうっとしてしまっていて天井の小さな明かりを見つめている。
「未来圏から吹く風ってなんだろう?」キティは呟いた。
「え?」
「あの公園の文学者が言っていた、」キティは暗い部屋に声を響かせた。「未来圏から吹く風ってなんなんだろう?」
「ああ、それ、僕も気になってて、そう、気になったんだよね」
「ユウちゃんは感じた? 未来圏から吹く風を、感じましたか?」
「いいえ、特に」
「そう、そうよね、」キティは上半身を持ち上げて目の前の暗い空中に視線をさまよわせた。ユウはキティの端正な横顔を下から見つめながら彼女の言葉を待った。「……私も感じなかった」
「感じられるかもしれないって思ったの?」
「うん、思ったの、でも、」キティは体の力を抜いてユウの方に倒れ込んできた。「感じられなかったの、ユウちゃんとしたら感じられると思ったの、なんだろう、凄く、大きな変化が私にあるんだと思った、でもそれってないの、全然ない、どうして?」
「僕が、」ユウは正直に言った。「けだものにならなかったせいかな?」
「嘘、」キティは抑揚のない調子で言った。「信じられない、ユウちゃん、あんなに激しく攻めてきたのに、けだものじゃなかったの?」
「いや、お姉ちゃんの真似をしようって思ったら、変に冷静になっちゃって」
「実は私もよ、とっても冷静だったの、途中で新しい模様の絨毯が欲しいな、って考えるくらい冷静だった、でも今日は大事な記念日、」キティはユウの手をぎゅっと握って指先に唇を当てた。「忘れられない日だわ、未来圏からの風は吹いてこなかったけれど、うん、とっても大事な日になったと思うの、二人ともけだものにはなれなかったけれど、ええ、けだものになる一歩を踏み出したんじゃないかしら、未来圏からの風ってもっと先に進まないと感じられないのかもしれないわ、きっと、そう、そういうことにしておきましょう、とりあえず今日は、んふふっ」
キティは機嫌が良さそうだ。ユウは優しいキティといるのが好き。
「お邪魔しましたぁ」キティはジンロウの夕食の誘いを断って自宅に帰った。
「……また喧嘩したの?」玄関にユウと並んで立ってキティを見送った、エプロン姿のジンロウは扉が閉まったところで聞いてきた。チカリコとフミカとシノブは急遽、エクセル・ガールズのライブに行ったらしい。だからユウはリビングで暇そうにテレビを見ていたジンロウにエプロンを投げて料理を作らせた。キッチンからはいい匂いが香っている。
「違うって、」ユウはジンロウの背中を叩いて言う。「さ、ご飯にしよ」
「昔はすげぇ仲良かったのに」
「だから喧嘩してないってば」ユウは口を尖らせて言って、先にリビングに戻った。
喧嘩なんてしてないけどさ。
でも。
なんでしょう。
今日はちょっといちゃいちゃし過ぎて。
興奮しっぱなしだったので。
少し離れて。
冷静になる時間が必要だと思っただけ。
それだけ。
一人、冷静に相手のことを考える時間が欲しいと思った。
それだけなんです。
未来圏から吹いてくる風を感じるために。
さてしかし。
なかなか冷静でいられる時間、というものは続かないもので。
それはユウとジンロウが夕食を食べ終えリビングのソファでぐったりしていた、錦景市の午後八時だった。
ピンポーン、とインターフォンの音が響いた。
三人が帰ってきたのだろう。ライブの終わりには少し早い時間だと思ったけれど、ライブが早めに終わったか、あるいは途中で抜けて来たのだろう。
その音を待ちわびていたようにジンロウはむくっとソファから起き上がり、髪型を手で直しながら玄関に向かった。
ジンロウがシノブの帰宅を待ちわびている、というのは一緒にテレビを見ていてひしひしと感じていた。ずっと煙草を吸っていたし、珈琲を何杯もお代わりしていたし、スマホを手放さなかったからだ。それをからかうとジンロウは激怒してとぼけた。だせぇ、ってユウは思った。
「センリっ!?」
突然耳に飛び込んで来たジンロウの素っ頓狂な声にユウは飛び上がって驚いた。そして慌ててリビングを出て廊下に顔を出し玄関の方を見た。
「せ、センリちゃんっ!?」
ユウは叫んだ。
玄関に懐かしい人の姿があったから。
「おっす、ユウちゃん、」彼女は唇の端を持ち上げ笑っている。「チカリコは、いないよね?」




