第十四話 コミュ障は思い知る
前回までのあらすじ!
魔王の視線たるや。
フラウの口調が変わった。
それまでふつうの女の子のようだったというのに、いまや物語に登場する魔王そのものになってしまっている。前世でいえば中二病というやつだ。
リンドウはメリエには聞かれぬように視線すらフラウには向けず、なおかつ人間族語で声を潜めて尋ねた。
「……フラウ? 何その話し方……?」
「う、うっさいわねっ。ハッタリでもなんでも、魔王は威厳が大事なのっ。君が舐められないようにしてるんじゃないっ。わ、わたしだって、こ、こ、こんな偉そうになんてしたくないわよっ」
フラウの真っ白だった肌が、カァ~っと赤く染まっている。
そっか~、と気づく。
これはあらためて尋ねたらダメなことだったんだな、と。誰だって今後黒歴史になるであろう行動を、それも現在進行形で行っているところを指摘なんてされたくないよね、うん。
キュバスのメリエは、未だ腰砕けのままだ。
フラウが咳払いを一つして、メリエに視線を戻した。
【して、メリエ。何用か】
【は、はい】
メリエはフラウではなく、律儀にリンドウの方へと視線を向け直してから、緊迫した声を上げた。
【隣国のエルグリア魔王国より、使者ライデン様がお見えになっておられます】
【ライデンが……!?】
「……」
ライデンは知らない。でも、エル…………エルグリア魔王国から……!?
たしかこの小国家ガリアベルは、魔族大国エルグリアの侵略に備えるために人魔の緩衝地帯を挟んだ位置にあるアリステン領を奪おうとしていたんだっけ。
は……? 敵の……使者……? なんで……!?
嫌な予感がする。
玉座からフラウの横顔を盗み見ると、あからさまに顔をしかめていた。舌打ちでもしてしまいそうなくらい険しい表情だ。
まさか……宣戦布告……か……?
ぞわっと両腕の皮膚が粟立った。頭が真っ白になる。
「リンドウ」
「……か、帰ってもらいたい……。……お、お腹痛いから……」
「だめ。魔王の使者を理由なく追い返すなんて、攻め込む口実にされちゃう。わたしがやりとりをするから、君は人間族語でわたしと相談をしているフリをして」
「い、いきなりそんなこといわれても、ちょっと待……」
「それが難しいなら、ここで何があっても黙ったままふんぞり返ってていいから」
「う、うぃ」
「何があっても、だからね?」
「何かあるみたいな言い方……」
フラウが表情を戻し、メリエに命じる。
【通せと魔王様は仰っておられる】
魔王さんはそんなこと仰っておられませんし!
なんてことがいえるほどの勇気はない。なぜならリンドウはコミュ障だからである。
【承知いたしました】
メリエが立ち上がり、スカートを摘まんで頭を下げてから、背中を向けた。しかし彼女が謁見の間を退出するより先に、開け放たれたままだった大扉から一人の男性が堂々と入室してきた。
身長はかなり高い方だが、体型は一般的な成人男性よりも幾分細くさえ見える。澱んだ黒の鎧を纏い、ヘルムは脇に抱えている。やや猫背なのが不気味だ。瞳の色は、頭髪と同じく灰色。それも、白に限りなく近い灰色だ。
ゆらり、ゆらり、一歩進むたびに全身が左右に揺れていた。
その様子を見ればまるで力なき存在のように思えるが、皮膚の粟立ちは収まるどころかいまや全身を包んでいる。
寒い。そう思った。この男を見た瞬間からだ。
死の臭いがする。死が近づいてくる。
使者ライデンが、呆然と絶句するメリエの横をフラフラと通っていく。玉座のリンドウへと向けてだ。
【!】
メリエが慌ててライデンの側方と回り込み、鎧の手甲をつかんだ。
【い、いけません、ライデン様! 魔王様に無礼ですよ!】
しかしライデンはメリエの存在がまるで見えてなどいないかのように進み続け、それどころか彼女の腕を逆に使用人服の上からつかみ、そして乱暴に振り払った。
【あ……!】
メリエがよろけて足をもつれさせ、赤絨毯に転がる。けれどもメリエはまるで猫のような素早さですぐに膝を立てた。
ライデンが地の底から響くかのような低い声でつぶやく。
【小間使い風情が、俺に触るな】
一瞥すらなく。まるでもう、勝負は決したかのように。
だが、事実。
【あ、あ……う、あああっ!】
メリエがライデンにつかまれた左腕を、もう片方の手で抱えて顔を歪めた。じゅう、じゅう、音と煙が立ち上っている。
熱ではない。腐臭が強くなった。発酵、あるいは腐敗だ。
使用人服の袖が腐り落ちて、なおも何かはメリエの腕を蝕んでいく。
【あああああああああっ!?】
その段に至って、リンドウはようやく気づいた。
魔法である、と。人間族が未だ習得どころか知見すらしていない、新たなる属性魔法。腐蝕や侵蝕とでも呼ぶべきか。
血が逆流し、カッと脳内が熱くなった。
「何を……ッ」
ほとんど無意識に『万能言語』による暗示を自らにかける。
自己防衛のためではない。頭にきたからだ。会話に対しては引くほど臆病なコミュ障だが、殴り合いならば会話よりはずっと気楽だ。
だから、こいつを殴ろう。そう思った。
しかしリンドウが玉座から腰を浮かしかけた瞬間、フラウがリンドウを片手で制した。夕焼け色の視線がリンドウの行動を押しとどめる。
何があっても……。
うなずいて見せた瞬間、フラウが動いた。
ライデンの側を通り抜けてメリエの腐り落ちそうな腕を躊躇いなくつかむと、黒色の魔力を流し込む。バン、と何かが弾けたような音がした瞬間、侵蝕され続けていたメリエの左腕から灰色の魔力が散った。
フラウの魔力で、ライデンの魔力を追い出したのだ。メリエの肉体から。
フラウがメリエの肩に両手をのせて、その顔を覗き込む。
【平気か、メリエ? リンドウ様より、謁見の間での戦闘許可をいただいた。下がっていろ】
メリエの悲鳴が止まった。
顔中から汗を絨毯へと滴らせ、すでに切れて落ちそうになっている腕をもう片方の手で支えて。
【は、はい。ありがとうございます、魔王様――あ、いえ、いまはフラウ様、ですね】
【治癒は自身でできるな?】
【はい。ですが、少々時間がかかりそうです。腐蝕と治癒がせめぎ合っています】
メリエもまた力持つ魔族。かろうじて繋がっていた腕が、少しずつだが確実に修復されていく。
立ち上がったフラウとライデンがにらみ合った。
【いまのはいったいなんのつもりだ、ライデン殿。使者としての礼を欠いたのは貴殿の方であろう。事と次第によっては――】
【おお、これは失礼。魔王フラワリィ様。あなたと戦う意志はありません】
大仰に、ひょろ長い腕を振って胸にあて。しかし、わざとらしくその手を下ろす。
【ああ、そういえばフラワリィ様はすでに魔王位を奪われたのでしたな】
力なき人間族の、それも子供であるリンドウを一瞥して。
【それも、あのような矮小なる者に。いやまさか真実であったとは。魔族の王の一角であられたフラワリィ・フォスターが、劣等種である人間族などに魔王位を奪われただなどと、ただのくだらん与太話だと思っておりましたが】
【そんなことをたしかめに、わざわざガリアベルまでやってきたのか? ふ、くく、笑わせる。かの不死種ライデン伯爵ともあろう者が、大国エルグリアではまるで小間使いのように使われているのだな。同情を禁じ得ないところだ】
フラウの挑発に、ライデンの不自然なほどに青白い頬が微かに引き攣った。
一触即発の剣呑な空気だ。冷たく、鋭く、そして張り詰めている。
リンドウは玉座の肘起きにもたれ、ただただハラハラしながらやりとりを眺める。
あんまり挑発しないで、と。
もう魔王位変わったのたしかめたんだから、早く帰って、と。
【この魔族伯爵である私が小物だとでも?】
【それはご自身が好きに名乗られるがよかろう。ただ、一度も魔王位を得たことなき貴殿の心境を慮るに――ん、いや、いまのは失言だ。早々に去り、そして忘れるがよかろう】
フラウが目を細めた。ライデンからは張り付いた笑みが消失し、隠しきれない怒りが滲み出ているように見える。
もうやめて、そのヒト怒ってるでしょ!?
やることやったんだから帰ってもらおうよ!?
【それに……】
しかしフラウは止まらない。
他者の前では決して止まらないのだ。NOとはいえない弱気を隠すため、必要以上に見栄を張ってしまう。弱味を見せられない配下の前では特にだ。
そう、フラワリィ・フォスターもまた、ある種のコミュ障なのである。
ゆえに、フラウは口にする。その言葉を。
【それに、真の大物とは、この一連の騒動を目にしてなお、眉一つ動かさず泰然と玉座に君臨し続けておられる我が君のような、冷徹なる御方を示す言葉ではなかろうかと、わたしは考える】
【~~ッ】
ライデンの怒りに満ちた眼が、玉座の少年に向けられる。
顔で嗤って心で泣いて、リンドウ・マグダウェルは思った。
やつあたりはやめてぇぇぇぇぇ!!
簡単な仕事などないのである。




