第十二話 コミュ障の決意
前回までのあらすじ!
立派な王と比べて自分の矮小なこと!
フラウに人間族の言語を教えるという、リンドウの授業が開始された。
魔王専用フロアの客室にこもり、紙と羽根ペン、そしてイラストを使用した授業は、毎日のように滞りなく進められた。
開始から数日後には、すでにフラウは片言で人間族の言語を口にし始めていた。
「ねえ、フラウ。ボクこんなことしてていいのかな? 魔王の仕事はまだ一度もしたことないような気がするんだけど」
「魔王、仕事、ない。ん……。常時? ん? いま、戦争、だから?」
片言のフラウが妙に可愛い。
「本来ならアリステン領と侵略戦争をしてるはずだったから、他の仕事の予定はしばらく入れてなかったってこと?」
「それ!」
夕焼け色の瞳で、花が咲いたように笑った。次に両手を右頬でパンと合わせて目を閉じて、首を傾げて見せる。
すやすやポーズ?
「みんな、ながく、お休み」
「戦争をしているはずだった期間は、配下に休暇を与えた」
「ん!」
うまく通じたことが、とても嬉しいらしい。パチパチと拍手している。
通じるに決まっている。どれだけ辿々しくとも、リンドウには無敵の翻訳アプリ『万能言語』があるのだから。
それにしても、と。リンドウは考える。
以前の自身からは考えられなかったことだけれど、彼女のこの笑顔を見ることが、ここ数日の楽しみになりつつある。楽しいのだ。不思議と。他人といることが。憧れ、そして恐れていた関係に近づいたことが。楽しい。
「リンドウ。ちょと待て。メモ。すた~っぷ」
文字は魔族言語だけれど、紙に羽根ペンでメモを取っている。すごく熱心だ。
「うん。スタップじゃなくてストップね」
「ストップ」
前世で外国語をおぼえる際、自分はこんなにも楽しめていただろうか。成績はよかった方だが、ずっと苦しんで詰め込んできたように思える。
誰かとコミュニケーションを取れるだけで、こんなにも違うものなのだろうか。いま、転生できて本当によかったと、初めて思えたかもしれない。
「もすこし」
「ゆっくりでいいよ。その間にボクはイラストを書いておくから」
「ん」
ちなみにリンドウは、魔族文字が読めない。『万能言語』は、あくまでも意思疎通。会話ができるだけのもののようだ。
ゆえに二人に共通して理解できているものは、『万能言語』による翻訳された言葉と、リンドウの描く拙いイラストだけだ。前者を使用してしまっては授業にならないから、主に使われるのは後者。
リンドウは山を描いて、海を描いて、空を描いて、パンを描く。ヒトを描いて、魔族を描いて、動物や魔物を描く。
これが教科書になる。
こうして毎日授業を続けた。
フラウの学習能力は、凄まじく高かった。というよりも、記憶能力の高さにはかなり驚かされた。
彼女は出逢ってから今日に至るまでの会話のほとんどを、音として記憶できてしまっているのだ。ヒアリング能力が高いのかもしれない。
ちなみに神村竜胆ではなく、リンドウ・マグダウェルもまた、幼少期は神童とされていた。誰に教わるでもなく、極めて早い段階から会話を始めたからだ。
種を明かせば、赤ん坊の時分から前世の記憶がぼんやりとあったからだ。
リンドウは言葉を形成する喉と舌が動かせなかった頃から、『万能言語』によって両親からの言葉を聞き続けた。喉と舌が自在に動かせるようになった頃には、すでにこの世界の言語の大半を理解できるようになっていた。
ゆえに、日本語を『万能言語』で翻訳して語っているわけではない。この世界の人間族の言葉をネイティブに使用している。
そして一歳を迎えた瞬間から、話し出す。
最初の言葉は、使用人に任せたりはせずに甲斐甲斐しくオムツの世話をしてくれた母親への感謝の言葉だった。
――お、お恥ずかしい……。い、い、いつも、あ、あ、ありがとうございます……。
コミュ障の記憶も残っていたから辿々しくはあったけれども、それでも両親は驚き、そして喜んでくれた。
その後、彼らから何度も「パパ」や「ママ」といってくれと懇願された。照れくさくてどうしても言えなくて「おとーさま」「おかーさま」などと返してしまったけれど。
いま考えれば、そりゃあ神童であると誤解されるに決まっている。
「……」
「……」
見た目通りの年齢であれば、フラウは十六かそこらだ。
リンドウが前世をまともに生きられていたとしたら、四十路過ぎ。すでにこのくらいの娘がいたとしても不思議ではない。
だからこそ、理解できる。
フラウを見て感じるこの気持ちが、きっと、最初の言葉を聞いた今世の両親の気持ちだったに違いない。
産まれてきてくれてありがとう。
ボクと出逢ってくれてありがとう。
そしてリンドウ・マグダウェルは、アリステン領と、そこに住まう人々をも間違いなく愛している。だからこそ、人魔戦争を回避するためのこの最初の一歩こそが肝心なのだと、理解していた。
※
授業を開始しておよそ三十日が経過する頃には、フラウはすでに日常会話が可能なレベルにまで人間族の言語を理解していた。
その成長は嬉しくもあり、授業の終わりが近づいたことで、少し寂しくもあった。
イラストを大量に束ねたテキストの、最後のページをフラウが閉じた。
「終わったね」
「うん。手間をかけてくれてありがとね、リンドウ。でも、結構楽しかったよ」
フラウが横髪を指先で巻きながら、ちょっと照れくさそうに唇を尖らせる。
「う、うん……ボ、ボボ、ボ――」
いまやフラウは前世今世合わせて唯一まともに会話のできる相手になったけれど、口に出すことが照れくさい言葉というのは、まだうまく吐き出せない。
「ボクも楽しかった? なら、わたしだけじゃなくてよかったわ。ふふ」
「う、うう」
フラウがテーブルに両肘をついて、顎をのせた。
いちいち可愛い。
「で、これからのことなんだけど、わたしは軍の将軍や宰相、それと学園の教師を魔王城に招聘して人間族の言語を教えればいいのね?」
「うん。なるべく早い方がいい。リーシュ王が動き始める前に、ガリアベル魔王国とアリステン領の共同歩調をたしかなものにしておきたい。魔族と人間族がともに生きられる可能性を、リーシュ王に示しておきたいから」
夕焼けの色の瞳が見開かれた。
「どうかした?」
「……驚いた。そんな大それたことまで考えていたなんて。領土を増やすためにアリステン領一つを掠め取ろうとしていたのが、まるでバカみたいだわ」
「あ、それ、ちょっと聞きたいんだけど」
「何?」
「どうしてアリステン領が欲しかったの? 領土拡張を狙ってたのはなんで?」
フラウが眉をひそめる。
「そっか。リンドウは魔族の事情を知らないんだったね。魔族は戦国時代なの。数体の魔王が覇権を争ってる。ガリアベルは魔族領域では小さい方の国家だから、常に隣国のエルグリアに領土を狙われてるのよ」
「……えっ!?」
「だから緩衝地帯である禁忌の森を挟んだ位置にあるアリステン領が欲しかったの。最悪ガリアベルが攻め滅ぼされたとしても、アリステン領に移住できれば森の恵みもあるし、今度は緩衝地帯を挟んでいるから大国のエルグリアだってそう簡単には攻めてこられない」
リンドウの顔色が青ざめていく。
「統一王リーシュのいるランドール王国の王都のことはともかくとして、ガリアベル魔王国にとって大概の領地の人間軍は脅威にはなり得ない。でも、エルグリア魔王国は本当に脅威だった」
そこまでいってから、フラウは両手をテーブルについて頭を下げた。プラチナブロンドの髪が静かに流れる。
「だからリンドウには謝らないといけない」
「……」
「ごめんなさい、リンドウ。……わたしにはガリアベルの自軍がアリステン領に侵攻しようとしたことも、エルグリアの魔王軍を止める力も――ううん、力じゃないな。挑むだけの勇気がなかったの」
フラウの頭は上がらない。
しばし呆然とした後、リンドウはゆっくりと長い息を吐いた。
「……わかるよ、その気持ち……」
自身とて、魔王になればアリステン領や家族を確実に救えると理解していながら、すぐにでも魔王職に就く勇気がどうしても出てこなかった。
魔王職など、三食個室完備プライベート保証があってこその承諾だ。
もしその条件がなかったなら、自身はきっと、アリステン領の一兵士として魔王軍か領兵軍のどちらかが殲滅されるまで戦って、そして勝敗に関係なく後悔していただろう。
どうしてフラウの話を引き受けなかったのだ、と。
義に殉じる覚悟や勇気はあっても、不特定多数の他人と関わる勇気だけはどうしても持てなかった。
臆病なのは生まれつきだ。
だから強引にいまの立場にしてくれたフラウには感謝しかない。
「同じだよ、ボクも。だから謝らないで」
「……ありがとう……」
けれど、ここから先は違う。
フラウという大切な存在を得た。似た苦しみを持つ彼女となら、何かを変えられるかもしれない。配下にNOと言えなかった彼女が、リンドウという主の意を得て、言えるように変わったのと同じく。
コミュ障、決意を新たにする――!
イチャイチャするな。




