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古市家の妖怪事情  作者: 岩月クロ
第四章 こんこんさまを、差し上げ候
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8.熱が灯る瞳の前で誓う

 ――何から話すべきか。

 無言で歩きながら、隣に並び歩く尊臣の横顔を盗み見る。頑なにこちらを見ようとはしないが、歩幅は私に合わせているのか、狭い。


「あ~……、根津埼とは上手くやってるか?」

「……それなりに」

「…………」

「…………」


 未だかつてない会話の続かなさである。

 私は覚悟を決め、本命の質問をぶつける。


「さっきの、あの目は――」

「なんのことでしょうか」

 私の言葉を遮る時点で、怪しさ満点である。急な敬語も気になる。いくらなんでも、無理がある。


「じゃあ質問を変える。あの日(・・・)、公園で会ったのは、きみか?」

「俺はあんなふりっふりな服、着ませんから」

「私は、そこまで服装の詳細を話した覚えはないけど」

「……妹です!」

「きみは四兄弟の末っ子じゃなかったのか」

「えっと、じゃあ隠し子……?」

「変な設定を盛るな、あほう」

「…………」


 苦しすぎる言い訳の続きを考えている頭を、小突く。


「言ってくれたら良かったのに」

 尊臣は、思い切り顔を歪めた。

「正気ですか。あの時の子どもです、実は女装してました、って? 勘弁してください、嫌ですよ。……ただでさえ意識されてないのに」

「似合っていたのに、勿体ない」

「似合っている自覚はありましたけど、嫌です!」


 あったのか。……まあ、余程壊滅的な美的センスを持ち合わせていない限りは、あれを前にして「似合ってない」と口にはできないだろうが。

 昔の話を出されて恥ずかしいのか、尊臣は頬を赤らめながら、早口で捲し立てる。


「そもそも、あれは母の趣味で……娘に恵まれなかったので、つい魔が差した、らしいですけど、夜通しで作ったとか言うし、期待しきった顔で見てくるし、一回だけって頼み込まれて断り切れなくて、たまたまあの日に着ていただけで……、俺が好きで着ていたわけでもないし、後にも先にもあれっきりですからね、本当に!!」

「それにしては堂に入って――」

「怒りますよ」

 目が据わっている。私は即座に口を噤んだ。



 尊臣ははぐらかすにも限度があると観念したのか、一度、ゆっくりと深呼吸をした後、当時のことをぽつぽつと語り始める。



「あの時はちょうど、ムゥが――葉月先輩には、真夜って言った方がいいのかな……、あの子が亡くなった(・・・・・)頃だったんです。家の中はバタついてるし、一兄は大泣きするし、死んだわけじゃないって事情を知っているのが、兄弟で俺一人だけで、……居た堪れなくて、なるべく家に居たくなかったんです」

「その目は、当時から……?」

「はい、生まれつきです。感情が高ぶると、漏れちゃうんですよね。今はほぼコントロールできてるんですけど」

「蛍原先輩からは、人間の家系だって聞いてたんだけどな」


 私が記憶違いだっただろうか。首を捻ると、「でしょうね」と尊臣は神妙に頷く。

「みんなには黙っといてもらえるようにお願いしたんです、俺が。うちの家系は、……ちょっと複雑で、人間含め、いろんな血が混ざってるんで。俺はその中でも、所謂、鬼の血胤ってのが色濃く出ちゃってるんですけど、その情報が出回ると、厄介なとこに目を付けられるっぽいんですよね。――あ、なので葉月先輩も内緒にしといてくださいね」

「そりゃあ、まあ」

 わざわざ言い触らすことではない。

 慎重に言葉を選ぶ彼の、その真意を見据える。偏に鬼といっても、下級から上級まで、様々だ。ただ、あの気配……あれは確実に、気位の高い鬼の気配だった。間違いなく、格上だ。私のような半端な妖怪だけではなく、血統主義の輩すらも唸るであろう。本当に半妖なのかと疑ってしまうほどの、圧倒的な格差。



 だが、正体が広まると困るというのなら、何故わざわざ妖怪に関連するバイトを選んだのだろうか。木を隠すなら森の中? いや、それにしたってリスクの方が大きいだろう。

 妖怪とは全く無関係の環境下で、知らぬ存ぜぬで生きていった方が、おおよそ楽に違いない。



 私の疑念は、しっかりと顔に出ていたらしい。尊臣が目を細める。

「俺がここで働いているのは、葉月先輩に会いたかったからです」

「私?」

 思いがけずに自分の名前が出て、驚愕する。


「はい。俺、感覚が鋭い方なんです。だからさっきも、路地の方から先輩の気配がするなあ、って気付いたんですよ。公園で会った時に見せてもらった“狐火”の気配は記憶してたので、それを辿って、ここで働いてる葉月先輩を見つけたのが、三年前です。あ、今は先輩本人の気配を辿ってるので、狐火経由じゃなくても探知できますよ!」


 やけに自慢げに胸を張る尊臣に、なんか粘着質なストーカーみたいだな、という感想を抱いたことは、伏せておくことにした。

 ただ、ひとつ問いたい。おい根津埼、優良物件か、これは? 特に危害は加えられていないとはいえ、行動がアウトゾーンに両足を突っ込んでないか?


「高校入学前はコントロールも万全じゃなかったし、妖怪とは関わらないでいなくちゃっていう意識が強くて、葉月先輩の気配も、追わないようにしてたんです。そのくせ、忘れないように反復したりして、どっちつかず、でしたけど」

 存外に上機嫌な尊臣は、素敵な思い出を懐古するように語る。顔を引き攣らせて黙り込む私には、気付いていない様子だ。しかし、おそらく、私の感覚の方が正常ではないかと思う。あまりにも堂々としているため、ついうっかり、そのまま受け入れそうになるが。

「俺が中学の頃に、仁兄――次兄に彼女ができて……あ、去年その人と結婚したので、今は奥さんなんですけどね。その人も妖怪なので、あえて俺だけが我慢する必要なさそうだなあ、と思い直したんです」


「……思い直しちゃったか」

 ぽろっと本音が零れた。

 いや、こちらの与り知らぬところで延々と探りを入れられるよりは、真正面から来た方が、私としてはわかりやすく、楽でいいが。……いいのか?


「あと、一番ネックになっていた、血が濃い俺が妖怪に関わることで、他の兄弟に危害が加わるんじゃないかっていうのも、結局のところ、単なる思い上がりだったので。……仁兄の頑丈さと眼の良さは、あれは絶対血筋だろうから。今わかっていないだけで、他の兄も“そう”かもしれないし。――もしそうなら、どの道、もう俺の手には負えない」

 後半はほとんど独り言に近かった。次第に曇っていった表情を、尊臣は努めて明るいものへと変化させる。



「ま、要するに、葉月先輩が好きって話です」

「無理やりそこに落とし込むの止めないか?」

「え、すごく順当な流れじゃなかったですか?」



 どこがだ。論理が破綻してるぞ。いったいどこを要約したらその結論に至るんだ。

 ここ最近の気まずさはどこへやら、平常運転で――いや、前以上に好意をぶつけてくる尊臣に戸惑いを隠せない。全てを暴露して吹っ切れたのだろうか。こっちは全く吹っ切れてないのに。むしろ根津埼に無理やり自覚を促されて、絶賛混乱中だ。

 それに――


「私に会いにきた、と言ったって……その頃の私と、今の私は違うだろ? それに、きみの気持ちも」


 幼い時分に抱いた淡い感情は、変化して然るべきだ。何故、今も好きだと言い続けられるのだろう。尊臣は、再会(・・)した時から、今と変わらぬ好意を私へ向け続けている。それは、淡く純粋な初恋の気持ちが、ただ残滓のように残っているだけではないのか。

 ――好かれる理由がわからない、と考えていたくせに、いざ判明すればこれだ。全くもって、私も身勝手である。

 私がはっきりと、彼の気持ちに対する不信を表したというのに、彼は不快感を示すでもなく、あっけらかんと「そうですねえ」と口にした。尊臣の足取りが、ぴた、と止まる。数歩分遅れて、私も立ち止まった。気付けば、事務所の前まで戻ってきていた。



「当時は、憧れとか、尊敬とか、眩しいものに惹かれるみたいな、そんな感情だったと思いますよ。でも、実際にまた会って、話して、それで今度は、恋に落ちたんです。初めて会った時よりも、再会した時よりも、――今が一番、あなたのことが好きです」



 素面で口にできる台詞じゃない。なのに、言った尊臣よりも、言われた私の方が、顔から火が出るほど恥ずかしかった。

 熱を宿した目を柔らかく細めて微笑む尊臣は、元々綺麗な顔立ちをした青年であったが、それを差し引いても、とびきり輝いて見えた。


「それはそれとして、葉月先輩、次の予定時刻、大丈夫ですか? 間に合います? 俺、話がしたくてついゆっくり来ちゃいましたけど」

「きみは本当に強心臓の持ち主だな!?」

「いや、仕事できるアピールは継続的にやった方が効果ありそうだし。それにほら、待ち合わせ時刻の厳守は、社会人として信用問題に関わるでしょ?」


 急に正論で攻め込んでこないでほしい。

 これの手綱を握る? 私が? 無理だろ。振り回される未来しか見えない。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 結局、その後は時間に追われ、気持ちの整理どころではなくなった。事務所に戻った時に、いつも以上の疲労感が襲ってきたのは……決して、業務が慌ただしかっただけ、ではない。

 デスクに突っ伏していると、尊臣がマグカップを二つ手にして戻ってきた。


「どうぞ」

「ありがとう。……なんだこれ」

 珈琲の色ではない。甘い匂いに首を傾げる。

「カフェラテです。根津埼さんの」

「き、きみな……」

「大丈夫です、根津埼さん、怒らないので。貰ったけどあんま飲まないから持ってきた、って前に言ってましたから。あの人、絶対、減ってることにすら気付かない」


 ……信頼関係が築けているようで、何よりである。

 ただ、親しき中にも礼儀あり、という諺を学んだ方が良いような気もする。仮にそう口にしようものなら、「親しくないんで」などと可愛げのない言葉を吐きそうではあるが。



 舌に優しい温度になったカフェラテを傾けていると、尊臣が(おもむろ)に口を開いた。


「――昼間のことなんですけど」

「んぐ」


 噎せた私の背中を、「葉月先輩、大丈夫ですか?」と尊臣が笑いながら(さす)る。

 いったい誰の所為だと思っているのか。咳き込んだためか、あるいは別の理由か、顔が熱い。


「今度ああいう厄介ごとに巻き込まれたら――巻き込まれないのが一番ですけど――、そしたら、俺を呼んでくださいね。どこからでも、何してても、真っ先に飛んでいきますから」

「あ、ああ、そっちか……。問題ない、次は警察を呼ぶ」

「えー。でも公的機関が絡むと、脅し難いし、隠し難いんだよなあ……。目撃者は少ないに限るっていうか」

「…………」


 ひょっとしたら、これまでの自分の言動は、後輩にしっかりと悪影響を与えていたかもしれない。自分と同じ場所に着地した尊臣を見て、反省する。

「心に留めておくよ」

「そうしてください」

 絶妙に嚙み合わない会話を終えたところで、マグカップの中身も空になった。

「さて、そろそろ帰るか」



「え、俺の本題、ここからなんですけど」



 ぎい、と古いオフィスチェアが、錆びた音を上げた。尊臣の手が背凭れに触れたためだった。立ち去ろうとするとする私を制するように。背中越しに、声がする。


「返事が欲しいです。葉月先輩は、俺のこと、どう思っていますか?」


 ――どう、思っているのだろう。

 小突きたくなるほど生意気で、時折びっくりするほど気遣いができて、こちらが赤面するほど真っ直ぐで、無邪気で、それでいて捻くれた言動もする。大人びて見えて、子どもっぽくて、私はそれらに振り回されてばかりで、だからなのか、目が離せなくて、――一言ではとても言い表せない青年。


「……引き出しが多いな、と思っている」

「うん、俺が聞きたいの、そういうことじゃない」


 だろうな。

 内心で同意しながら、尊臣の腕をするりと避け、椅子から立ち上がる。


「じゃあ、もしきみが大学生になっても気持ちが変わらなければ、付き合おうか」

「それもう付き合ったも同然ですね。余裕ですよ、余裕。だから今じゃだめですか」


 縋り付くような彼の視線から目を背け、私は、自分の狡さを実感する。

 先延ばしにして確かめたいのは、彼の気持ちではなく、私自身の気持ちだ。待ってもらうのは、私の方。私の気持ちが、彼の気持ちに応えるに値するものなのか。彼の熱に、相応しいものなのか。……自信が無いだけだ。


「学業優先。焦る必要も無いだろう?」

「焦りますよ! その間に、変な虫が湧くかもしれないし」

 それは杞憂だ。尊臣以上の変な虫が現れることなど想像もできない。

「根津埼さんだって怪しい人物の筆頭だし」

 あれこそ、きみを玩具にして遊んでいるだけだぞ。よく思い出せ、あのあくどい顔を。

 尊臣は対抗心を剥き出しにして、うー、と唸る。


「俺はまだまだガキだけど、でも、他の誰よりも、葉月先輩のことが好きだっていう自信はありますから」

「それはもう知ってるよ」

 しつこいくらいに主張してくる尊臣の頭に、自然と手が伸びた。彼の柔らかい髪に指を通し、そっと撫でる。

 尊臣はきょとんとした顔をすると、一転、ぼっと赤面した。ともすれば、苦しげなほどに眉を寄せ、彼の髪に触れる私の手に、自身の手を重ね合わせる。



「――俺、ちゃんと待ちますから、これくらいは許してもらえますか」



 顔に影が掛かる。あ、と思った瞬間、唇に、震えたそれがそうっと触れた。カフェラテの甘い香りがする。

 たった一度、控えめに重なったそれは、名残惜しむようにゆっくりと離れ、代わりに、苦しいほどに力強く抱き締められる。人の肩に顔を埋めながら、尊臣は深々と息を吐いた。


「……はー、不意打ちはずるい」

「いや、それは私の台詞じゃないか!? というか、ここ事務所……!?」

「大丈夫です、飲み物淹れるついでに全員退勤済みなのは確認してきたし、戻ってきたとしても入り口を施錠しといたんで、誰かが入ろうとしたら音でわかります。……ばれなきゃ目を瞑る、念には念を入れて行動しろ、って根津埼さんに教わりました」

「あいつはいったい何を教えてるんだ、仕事中に」


 まさか根津埼のやつ、私では手綱を握れない、と早々に見限ったのではあるまいな。――有り得る話だ。なお、実際、握れる予感もしない。

「と、りあえず、そろそろ離せ」

「嫌です。俺、今、すんごい締まりのない顔をしてるから、見せたくないです」

 余計に力が強まった。これまで散々赤面ものの発言を繰り返してきたくせに、それが恥ずかしいのか。基準がわからない。

 置き場に困り、宙にうろうろと彷徨わせていた自分の腕を、仕方なく、尊臣の背に回し、ぽん、ぽんとリズムをつけて撫でる。


「……子どもをあやすみたいなの、やめてもらえます?」

「離れたらやめるよ」

「…………」


 しばらくすると、尊臣はようやく身体を離した。目を合わせることなく、ふいっと背けられた横顔は、未だに紅潮している。

 赤い頬を冷ますように、ぱたぱたと手で扇ぎながら、尊臣はへにゃりと破顔した。

「いやー、でも、よかったよかった」

「何が」

「俺、なんならこのまま魔法使いになる覚悟までできてましたからね!」

「まほ……? いや、だから、なんの話だ」

 わけがわからない。ひたすら首を捻る私に、尊臣は手を動かすのをやめ、向き直った。



「あなたが大好きだって話です」



 屈託なく向けられる笑顔に、これは絆されない方が無理だと悟る。

 それから一年後、私たちがどういう関係に変わったのかは、推して知るべし、だ。




尊臣はそのうち、「上手に“待て”できたんで、ご褒美ください」とか言い出しそう。



これにて第四章、閉幕です。

最後までお付き合いいただき、ありがとうございます。

次回、最終章です。がんばるぞー!

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