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古市家の妖怪事情  作者: 岩月クロ
第四章 こんこんさまを、差し上げ候
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5.本音と対抗心の妥協案

「――尊臣、探したぞ」

「……葉月先輩」

 事務所の外階段で座り込んでいた尊臣に声を掛けると、彼はぼんやりとした顔で私を一瞥してから、すっと俯いた。私は顎を伝う汗を拭いながら、彼に近付く。

 夕暮れ時の春といえど、休憩室から出て行った尊臣を探し回ると、少しばかり息が上がった。この事務所は、メンバーの総数に対して無駄に広いのが難点だ。……保管しなくてはならない資料が多いので、致し方ないのだが。全く、そろそろ一部のデータだけでも電子化対応することを真剣に検討してほしいところだ。


 気まずさから現実逃避しかける思考を呼び戻したのは、他でもない尊臣の沈んだ声だった。


「仕事さぼってすみません。あ、タイムカードは押したので、給料泥棒ではないですよ。蛍原さんにも休憩の許可ももらいましたし。仮病ですけど。……あとちょっとしたら、戻るつもりだったんです。本当に」

「だから、誰もそんなことは疑っていないって」

「他の誰かはどうでもいいんです。でも葉月先輩は、ちょっと疑っていそうじゃないですか。俺がちゃらんぼらんだとか、そういうの」

「そんなことは……」


 全く無いと言えば、嘘になる。


 目が泳いだ私を横目で見た尊臣は、ふう、とため息を吐いた。

「俺だってちゃんとしてるんだ、って葉月先輩に見せたかったんですよ。……今、主張するとこが小さいなって思ったでしょ」

「お、思ってないよ」

 尊臣の発言が、いつもよりも卑屈だ。いつもはへらへらと笑って、先輩を揶揄ってくるような青年だったのに。年下のくせに生意気で、――まるで背伸びをするように。



「……尊臣、その、違ったら……な、申し訳ないんだが、――もしかして、きみ、本気で私のことが好き、なのか?」



「……今更?」

 ハッ、と鼻で笑われた。これまでのどんな揶揄よりも、心にぐさっと刺さって、私は思わず一人呻いた。

 だがしかし、正直に言って、好かれるようなことをした覚えもないのに、何故自分なのか、という疑問が頭をもたげている。私自身はあまり意識しないが、他者から見ると、私の態度はつっけんどんと捉えられることが多い。そのため、敬遠されることはあっても、好意を向けられた経験はあまり無い。



 尊臣は両手で頭を抱え、しばらく静止してから、勢いよく顔を上げた。その顔は、見ているこちらが驚くほどに、耳の先まで真っ赤に染まっている。若干強張った表情で、しかし、過剰なほど真摯に向けられる視線に、自分が思っていた以上の熱が見え、慄く。


「好きですよ、最初から、ずっと。だからペアは絶対に葉月先輩が良かったし、これからも外れたくない。ちょっとでも構ってもらえたら、自分でも馬鹿じゃないかってくらい嬉しいし、でも先輩が俺を構うのは、俺が子どもだって思ってるからでしょ。それは、むかつく。でも、――実際、俺は子どもで」


 そこまで言って、尊臣はようやく言葉を堰き止めた。はあ、と荒く息を吐く。

 視線が逸らせない。言葉が詰まる。その瞳の端に、丸い水滴が溜まっていくのを、黙って見ていることしかできなかった。彼はもう一度、息を吸った。


「それでも自分では、俺だってちょっとは大人なんだって、思ってたけど、思ってたのに、今日、根津埼……さんと、話して、ああいう人が大人なんだな、って。ああ確かに、葉月先輩とお似合いだな、って……お、思っ……」


 ぶわ、とダムが崩壊するように、その両眼から涙がぼろぼろと零れ落ちた。尊臣が小さく、「うわ」と呻き、袖で乱暴に顔を擦る。

「あんまり擦ると痛くなるぞ」

「こんな時まで一兄みたいなことするのやめてください。っていうか、見ないでくださいよ!」

 急に反抗期めいたことを言ってそっぽを向く尊臣の頭を、ついうっかり撫でようとして、寸でのところで止める。こういう行動が機嫌を損ねる原因かもしれない。いや、でもさっき嬉しいとか、なんとか、言っていたような気も……。


 我ながら、どつぼに嵌っている自覚は、ある。


 そうこうしている間に、尊臣はすっくと立ち上がり、片手を上げたポーズのまま固まっている私をじとりと睨んだ。

「……顔、洗ったら戻るので」

「え?……あ、うん。うん?」

 戸惑う私を置いて、尊臣は早々に踵を返し、事務所へ戻っていった。

 戻る。戻る? え、仕事に?

 混乱する最中で、今日、この後に外回りの予定が無いことに安堵を覚える。今の心理状態で、助手席に彼を乗せて運転するのは……ゴールド免許が遠退く気がする。

 ――結局、私は今の話をどう受け止めたらいいのだろうか。

 無意識に、自分の指先を頬に沿わせる。どことなく熱を帯びている予感がして。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 自分のデスクに戻る途中で、ちょうど蛍原先輩と根津埼に遭遇した。……どうやら、あちらも“お話し”が終わったところらしい。珍しく蛍原先輩がしょげている。

「ごめーん、葉月。修羅場見たさで暴走しちゃった」

「それ、ほんとに反省してます?」

 つい、険のある言い方になってしまったのは、先程までのやり取りがあったためだろうか。ごしごしと顔を擦る尊臣の姿が、思考の端を掠めた。

「してる、してる。本当に、今回だけは」

「……万が一、次回があったら、今度は私が焼きます」

 指先で、ぼわりと炎を揺らめかせる。無論、幻だ。物理的な攻撃力は持ち合わせない。けれど、生き物の脳とは不思議なもので、「熱い」と思い込んだら熱く感じる。それくらいの所業なら、妖狐の落ちこぼれでも十分可能だ。

 蛍原先輩はにこっと笑って、無言で両手を上げた。降参のポーズだ。


 すごすごと部屋に入っていく蛍原先輩を見送ると、根津埼が探るような目つきで私を見やった。

「彼と話はできた?」

「……どうかな」

 話はできたが、結論どころか、方向性さえ行方知れずだ。

 肩を竦めた私から何かを感じ取ったのか、根津埼は思案顔で、ふむ、と顎を触る。

「じゃ、こういうのはどうだ。俺が古市くんとペアを組む」

「は、なんで?」



 ――タイミングが良いのか、悪いのか。



 濡れた髪を拭いながら現れた尊臣が、あからさまに不機嫌そうな声で乱入した。目元は多少赤みを帯びているが、さっき別れた時ほどではない。とはいえ、直前のやり取りを知っている根津埼には、何かしら見当がついているのかもしれない。おくびにも出さないのは、さすがと言うべきか。


「きみの評判は聞いているし、一緒に回ってみたかったんだよね」

「隠す気のない嘘って、一番腹立つんだけど」

「はは、嘘じゃないんだけどな」


 妙にフレンドリーな笑みを見せる根津埼は、その笑顔を保ったまま、毒を放った。


「それとも、大好きな先輩とべったり一緒にいれないと、不安になっちゃう?」

「はあ?」

「おい、根津埼!」


 言葉が悪い。意図的に煽るような物言いを咎めると、わかってるよ、とばかりに目配せされた。

 彼はそのまま身体を傾けると、尊臣に何かを耳打ちする。直後、尊臣は身体をびくりと震わせ、弾かれたように根津埼を見た。呆けた顔でぱちぱちと瞬きする尊臣の姿に、根津埼は微笑みながら彼の肩を叩く。


「ま、考えといてよ、候補のひとつとして。俺が異動してくるまでには、あと一か月はあるんだからさ。――じゃあ、俺はそろそろ失礼するよ」


 根津埼はまるで何事も無かったかのように笑いながら、気楽な様子で手を振った。蛍原先輩に挨拶をしなくていいのだろうか。……いいんだろうな。今日のところは顔見せ目的だと言っていたし、そもそもこんなに長居する予定では無かったのだろう。

 神妙な顔で見送る尊臣を横目に、私はこめかみを揉んだ。いったい何を言ったのやら。訊ねる暇もなく去ってしまった。あれも大概、自由人だ。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 それからは、表面上は普通に過ごしている。

 最初こそどうなることかと不安だったが、尊臣はあの一連の出来事が無かったかのように振る舞い、今日も今日とて助手席から、道案内と称したちょっかいをかけてくる。私としても、軽い気持ちでほじくり返せる話題ではないため、正直助かっている。


 ……さすがにあれが冗談だったと抜かすほど、あほうにはなれないが。


 変わったことがあるとするなら、もののついでのように会話に差し込まれていた好意を示す言葉を、尊臣が口にしなくなったことだろうか。それがまた、あの日の言葉が彼にとっていかに重要なものだったのかを表しているようで、ふとした拍子に思い出しては、心がもぞもぞして、落ち着かない気持ちにさせられる。


 そんな調子がしばらく続いたある日、尊臣がいつになく落ち着き払った様子で、私の目を真っ直ぐに見つめた。


「葉月先輩、――俺、根津埼さんとペア組んでみようと思います」

「根津埼と?」


 どういうわけか、彼の提案を受け入れるつもりになったらしい。本人が希望するなら、私に止める権利は無い。

「はい、俺も少し……冷静になろうかと」

 冷静、というワードに、心臓がどきりと跳ねる。それは、つまり。

「あ、好きじゃなくなるために距離を置くとかじゃないですからね。俺はこれまで通り、葉月先輩のこと好きなので、そこんところは勘違いしないでくださいね」

「う……」

 盛大に釘を刺された。いつもより裏が無さそうな爽やかな笑顔が、妙に怖い。


「だから先輩も、いっぱい俺のこと考えてください」


 尊臣はそう言いながら、私の手をぎゅうっと握った。涼しげな顔をしているのに、私の手を包む両手は熱くて、少し湿っぽい。縋るような手が、離すことを惜しむかのように一度、力強く握られた後に、ぱっと離れた。

 ……考える、というのは。

 急に冷えた自身の手に、すっと視線を落とす。

 たとえば、それは、彼の口から「冷静になりたい」という言葉を聞いた時に、反射的に、もやっと沸き上がった、この感情に目を向けろということだろうか。



「……それは、難易度高いな」



 口から零れ落ちたのは、年上としてはなんとも情けない独白だった。




なるべく根津埼に敬称をつけたくない尊臣くん。

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