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古市家の妖怪事情  作者: 岩月クロ
第四章 こんこんさまを、差し上げ候
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3.赤い瞳の少女への追憶

 今にして思えば、肩書きの無い自分自身の不安定さが、私を雑踏へと(いざな)ったのかもしれない。

 ふらりと家を出た私は、どこをどう通ったのかもわからないまま、気が付くと小さな公園の入り口に立っていた。枝垂桜が一本、公園の中央でゆらゆら揺れている。散った花びらは何の躊躇いもなく、地面に沈んでいた。

 その時に感じたのは、はて……、綺麗だな、だったか、怖いな、だったか。儚い花びらに、自身の不安定さを重ねていたのかもしれない。

 ただただぼんやりと阿呆(あほう)のように突っ立って、私は桜を視界におさめ続けていた。



 ――そんな折りだ。



「キモチワルッ!」

 反射的に、私の肩がびくりと震えた。自分に向かって罵られたのかと思ったのだ。幻想じみた世界から、一気に現実へと引き戻された私は、咄嗟に声がした方を睨んだ。

 一人の小さな少女を、複数の少年が取り囲んでいる。小学生の中学年か、あるいは高学年くらいの集団だ。


「なに下向いてんだよ」

「おい、早く顔あげろってば」

「気持ち悪いやつ~」


 きゃいきゃいと騒ぐ内容は、とても品の良いものではなかった。小学生に品を求めるな、という話かもしれないが、それにしても。

 中央で立ち尽くす少女は、ますます俯く。つと下方へ視線を動かすと、彼女の指には、桜色のワンピースが皺になるほどに強く力が込められていた。その指先の震えを確認し、私は咄嗟に声を張った。


「ねえ、ちょっと、そこのきみたち」


 突然聞こえた大人――実際には大人という歳ではなかったが、彼らにとっては十分に大きな身体をした“大人”みたいなものだろう――の声に、今度は彼らの身体がびくりと震えた。幸い、後ろめたいことをしている自覚はあるようだ。


「何をしているの?」

「べ、別に……」

「ちょっと遊んでただけだし」

「……ふうん?」

 私は、彼らに伝わるように、わかりやすく、視線を少女へと動かした。



「随分、楽しくない遊びだねえ」



 努めて出した冷たい声色は、男児といえども未だ小学生ばかりの子どもを怯えさせるには十二分だったようだ。顔を見合わせた彼らは、最後の悪あがきだとばかりに、「なんだよ! ジョーダンなのに、本気になっちゃって、つまんねぇの!」と叫ぶと、べえっと舌を突き出してから、だあっと走り出した。

「こぉら、前を見て走れよ! 車に轢かれるぞ!」

 さすがにこれで轢かれでもしたら気分が悪い。一応の注意をしてやったが、はたしてどこまで効果があることやら。あの様子だ、効果は全くのゼロだと言われても納得する。

 やれやれ、と肩を竦めてから、少女へと向き直った。


「きみ、大丈夫だった?」


 訊ねると、彼女は俯いたままこくこくと小刻みに頷いた。緩く結われた三つ編みが、その度にふよふよと揺れる。それきり黙り込んでしまった少女を前に、私は眉尻を下げた。未だに震える小さな手を見て、そっか大丈夫ならいいねじゃあサヨウナラ、と手を振って別れられるほど、薄情にはなれそうもなかった。

 ともすれば、それは私が、独り俯く彼女の姿に、行き先を見失った私自身を投影していたため、というひどく利己的な感情も含んでいた。


「えーと、お母さんか、お父さんは? きみ、ひとり?」

「……ひとり。でも、ぼ……あたし、ひとりで帰れる、から」


 頑なに顔をあげない彼女を見下ろし、ふと私が上から話し掛けるから怖いのかもしれないと思い当たる。小さいものに心を開いてもらうには、まずは視線を合わせることから始めるべし、とどこかで聞いたことがあるような気がしないでもない。

「――そっか、でも」

 腰を屈め、心配だから、と続けようとした言葉が止まる。

 私が突然しゃがんだことで驚いたのだろうか、少しだけ顔をあげた彼女と、真正面から目が合った。

 ひとつひとつのパーツが、位置といい、大きさといい、絶妙だ。それらが組み合わさった顔立ちは、いっそ人形のように精巧なものだった。


 ――何よりも人目を引くのは、その瞳だろう。


 整っているが故に一層際立つ、赤い双眸。おおよそ通常では人間が持ちえない血の色。それから、微かに香る、同類の気配。

 見開かれた赤が、一拍を置いてから、さっと伏せられた。

「あの、ほんとに大丈夫、だから……ほっといて」

 これ以上傷つかないための、必死の自衛を前にして、我に返る。いや別に気持ち悪いと思ったわけではなくて、むしろ――と口をついて出かかった言葉を、飲み込んだ。今更言葉を重ねたところで、それがなんの救いになるだろう。……ならなかったことを、知っているくせに。



 私は無言のまま立ち上がると、公園内に設置してある自動販売機で、小さいタイプのペットボトルを購入した。ガタン、ガタン、と商品が落下する音が今や静まり返った公園に響いた。

 取り出した二本のペットボトルを手に、彼女のもとへ戻る。

 再び膝をついた。前髪の隙間から、赤い瞳がこちらの様子を窺っているのがわかる。

「お茶とジュース、どっちが良い?」

 揺らめいた視線が一瞬、ジュースの方を捉えて、しかしすぐに逸れた。


「……し、知らない人から、物をもらったら、だめだって、習った」

「おお、しっかりしてるなあ。でも、そうか、それなら一人で二本飲むしかなくなってしまうな。お腹がたぷたぷになりそうだ。ああ、困ったなあ。困った困った」

「こ、こまっちゃう、の?」


 彼女は、口先だけの私よりもだいぶ困った顔をした。うん、と頷くと、うようよと視線が泳ぐ。


「だから、……どうかな? 人助けだと思って」

「…………」


 それならば、という親切心か、あるいは姑息な手段を使ってくる私に流されたのか、彼女はこっくりと首を縦に動かした。

 ひとつのベンチの端と端に腰を下ろして、私は彼女にジュースを手渡す。


「はい、どうぞ」

「お姉さん、お茶でいいの?」

「私はお茶の方が好きなんだ」


 その言葉に納得したかどうかは知らないが、彼女はペットボトルに口づけると容器を傾けた。



「きみは、何かの妖怪なのかな」

 途端に怯えた表情をした彼女に、微笑みかける。

「ああ、危害を加えるつもりは無いよ。私もなんだ。ほら」

 指先に、小さな青い炎を灯してみせると、彼女は目を見開いた。その新鮮な反応に、あれ、と首を傾げる。

「こういうのは見たことがなかった?」

「うん。妖怪、って……あんまり、見たことない」

「そっか」

 他の種族との接触を()っている妖怪も、少なくはない。彼女の家はそういう方針なのだろう。それならば、これも見せない方が良かったか、と反省する。


 じいっと炎を見ていた女の子は、「あの」と初めて自分から私に話し掛けた。

「これ、さわっても大丈夫?」

「え?」

 どうしようか。先程の件も含めて逡巡し、しかしせっかく自分から興味を持ってくれたのだから、と思い直す。

「いいよ。見掛け倒しだから」

 恐る恐る伸びた指先が、ちょん、と炎に触れる。

「熱くない……」

「驚かせることが目的の炎だからね」

「すごい。不思議。……きれい」

「綺麗?」

 これが? と首を傾げる。

「初めて言われたな。周りからは、笑われてばかりだから」



「どうして?」



 何も混ざっていない純真な質問。刹那、息を呑んだ。少しの躊躇を切り捨てて、私は笑う。

「私は、“仲間”とは比べ物にならないくらい小さくて脆い炎しか作り出せなくてね。所謂落ちこぼれってやつだよ」


 人間でもないくせに、妖狐にも程遠い。


 語ってから、失態に気づく。つい、自分の感情に乗せて、卑屈なことを言ってしまった。

「ごめん、今のは――」

「あたしも!」

 私の言葉を遮って、少女が叫んだ。

 炎から指を離した彼女は、きゅうっとペットボトルを両手で握り締める。

「兄弟で、ひとりだけなんだ」

 とつとつと、言葉を選ぶようにゆっくりと、彼女は話し始めた。

「兄ちゃんたちはね、フツーの人間なのに、あ、あたしだけ、ちがうの」

 他の兄弟は人間、ということは、もしかするとこの子は半妖なのだろうか。


 半妖――もしそうだとしたら、人間としても妖怪としても、非常に曖昧な立ち位置の存在だ。

 妖怪の存在を絵空事だと考えている人間には、到底受け入れられない奇異なものに映るだろうし、妖怪も……特に「我こそは生粋の妖怪だ」という強い自負を持つ血統主義派の者は、半妖という存在を否定し、迫害するという。


「なんで、ひとりだけこんな目なんだろ。こんなの、みんなから、からかわれるし、怖がられるし、……怖がらせる、し。どうして、ぼ……あ、あたしだけ、目、赤いんだろ」

 ぐす、と鼻を鳴らす音がした。張り詰めていた糸が解けたように。……きっとそれは本来なら、大勢の少年に囲まれた時に流していてもおかしくなかったものだ。それだけではない、おそらくこれまでに我慢してきたそれらだ。

「そ、それにね、兄ちゃんたちに、うそ、ついた。つかなくちゃ、いけなくて。だって、ほんとのことは言っちゃいけないから」

「うん」

「でも、でもね、泣いてるのに、悲しそうなのに、ほんとのこと、言えなくて。ほんとはちがうの、兄ちゃんたちは知らないのに、あたしは知ってるのに」

「……うん。辛かったね」


 話の内容は、よくわからなかった。ただ、血が止まっていない傷口だけが見えた。


 ひっく、と嗚咽を漏らした彼女は、次の瞬間、うああああん、と大口を開けて泣いた。泣き声の合間、合間に、ごめんなさい、という言葉が紛れる。

 ――私が、なんともいえない気持ちを持て余してふらふらと歩いていたように。

 この子も、吐露できない想いを抱えて、彷徨っていたのだろう。


「偉いね。頑張っているんだね。偉い、偉いよ」

 そう言いながら頭を撫でた。撫でながら、私は私自身にも言い聞かせていたのかもしれない。自分自身が、こうやって誰かに寄り添って欲しかったのかもしれない。

 頑張っているね、頑張ったね、と言って欲しかった。甘やかして欲しかった。それがどんなに子どもっぽいことだと詰られても。


「私は、綺麗だと思うよ。赤い目も、きみ自身も。きみが私の炎を褒めてくれたのとおんなじ気持ち」


 撫でながら、私は自分ができる精一杯で、言葉を紡いでいった。何かひとつでも届くように。その心に寄り添える何かになるように、祈りながら。

 遠い空から、夕方五時を報せる音楽が流れてきた。長閑な音の運びが、胸に沁みた。

 しんみりとした気持ちになった私とは打って変わって、少女は弾かれたように立ち上がる。



「たいへん、時間だ! 帰らないと!」



 確かに、そろそろ空も暗くなる。早めに帰らないと両親も心配するだろう。

 配慮が足りなかったな、とひとりで脳内反省会を開催していると、彼女は突然「あ!」と声を上げ、自分の顔を手で覆った。その慌ただしい動きに、目をぱちくりさせる。

「見ないで!」

「えっと……」

 色の話なら、何も気にする必要は無いのだが。これ以上、どう伝えればいいだろう。思案していると、指の隙間から彼女がこちらを見やった。

「ち、ちがうよ。泣いてる顔、見られたくないの。恥ずかしいもん」

「そういうものか?」

「そういうものだよ!」

 少女は乱暴に自分の顔をごしごし拭くと、私に向き直り、にこっと笑った。


「お姉ちゃん、ありがと!」


 桜色のワンピースを翻した彼女の背中を見送りながら、私は、こんな私でも誰かの手助けになれたことをじんわりと実感した。その頃、自分の力不足ばかり感じていた私には、そのことが、泣きたくなるくらい嬉しかった。

 公園の出入り口で、彼女は一度振り返る。ぶんぶんと大きく手を振る姿に、小さく手を振り返しながら、私の心に炎が灯った。

(もっと、私にできることを、増やしたい。もっと、たくさんの笑顔を見送りたい)



 そして、その時に灯った炎は、絶えることなく、今も私の胸で燃え続けている。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 こほん、と咳払いをひとつ。夢中で話してしまった後に、真面目に話した自分に、多少の気恥ずかしさを覚えた。夜の桜、というのは感傷的な気分にさせるものなのかもしれない。


「――という感じだよ。特別おもしろい話でもなかっただろ。我ながら、単純だとも思っているし」

「そんなことないですよ。訊いた身ですしね、俺」

「……なんか、棘がある言い方だな」

「気のせいですって」


 尊臣が笑いながら立ち上がる。桜の時期とはいえ、まだ夜はほんのり肌寒い。あまり外で長居するのも身体によくない。歩きながら、ついぞ名を知ることもなかった少女のことを想う。

「それにしても、あの子、可愛かったな。今はきっと中学か高校くらいか。美少女っていうのは、ああいう子のことを指すんだろうな」

 年頃になり、ますます綺麗に育っているのであろう姿を想像する。昼間に会った真夜も美しい少女だった。真夜が月の精だとするなら、あの少女はさながら桜の精といったところか。

「どうでしょうねえ。どう成長するかなんて、わからないですよ。もしかしたら、ほら、俺みたいになってるかもしれませんし」


 にこにこ笑いながら自分を指差す尊臣を、じっと見る。確かに、彼も綺麗な顔立ちをしている。している、が――


「それはない」

「言い切られた」

「きっと天使のように育っているはずだ」

 尊臣は小悪魔だ。悪魔でもいい。とりあえず、天使ではない。


「俺はそれより先輩の方が可愛いと思いますよ」

 こういうところである。


「あほう、そうやって心にも無いことを言ってると、そのうち誰かしらに刺されるぞ、きみ」

「いやいやいや、俺、そんなに軽薄そうに見えます?」

「見えなかったら言わない」

「それもそうか」


 意外にもあっさり引かれた。横目で様子を窺う。耳の先が赤くなっている。尊臣の格好は私と比べても軽装だから、思ったより寒かったのかもしれない。

「ちょっと待って」

 通路の端で自販機を見つけ、走り寄る。事務所では珈琲を飲んだから、それ以外の温かい飲み物……これでいいか。ガチャン、と音がして、取り出し口からココアの缶を引っ張り出す。缶を通して、手の先がじんわりと温まる。

「ほら」

 缶を投げると、突然のことにも関わらず、尊臣は難無くそれを片手でキャッチした。


「おっ……と、ありがとうございます。あの、お金……」

「要らん。花見に付き合ってもらった礼だ」

「……なら、また今度、何か奢ります」

「高校生にたかるほど、私の財布は寂しくないよ」

「そういうことじゃないんだよなあ」


 尊臣が口を尖らせる。それはそうと、その台詞、さっきも聞いたな。大人ぶりたいお年頃なのだろうか。

「でも、なんで突然、ココア」

「お茶の方が良かったか?」

 ガチャン、と再び音がする。

「……いえ、別に」

「寒かったんじゃないのか?」

 お茶を片手に、視線をちらりと彼の耳へと移す。彼はそれを辿り、ぱっと自分の耳に手を当てた。


「いや、これは、違っ……、…………や、寒い、かった、です」

「どうして急に日本語が下手になったんだ」

「…………別に」


 急な反抗期に遭った親の気分になった。不貞腐れた態度を取る尊臣に、「ほら、もう帰るぞ」と声を掛けると、ひと一人分の距離を開けてついてくる。素直なのか、反抗的なのか。

 最後に一度だけ、枝垂桜を肩越しに見やる。

 緩やかに桜が散るその風景に桜色のワンピースをした少女の姿を重ね、どうか今は、去り際に見た時のような明るい笑顔で過ごしていますように、とひっそり祈った。




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