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古市家の妖怪事情  作者: 岩月クロ
第三章 目立ちたくない座敷童
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1.圧倒的、存在感の無さ

 高校二年生、春。友人と、初めて見る顔が絶妙な比率で混ざり合った新たなクラスの教室は、妙な高揚感に溢れていた。お祭りにでも繰り出したかのように、全員が少しずつ、テンションが高い。

 そんな中で、ある一角――更に限定するのであれば、教室前方、黒板の横に設置された掲示板前――そこだけが、やけに薄かった(・・・・)

 古市(ふるいち)(じん)は、自分の席に座って頬杖を突きながら、その一点を眺めていた。傍目から見たら、ただぼんやりしているだけにも見えたかもしれないし、寝ているようにも見えたかもしれない。どちらでも構わない、というのが本音だ。


 その場所には、一人の女子生徒がいた。名前は鈴木(すずき)鈴子(すずこ)。ぱっと見た時に印象的に残るのは、やはり艶やかなストレートの黒髪を腰まで伸ばしていることだろうか。長いのは後頭部の髪だけではない。真っ直ぐ横に切り揃えられた前髪は、彼女自身の目をほとんど隠してしまっている。ただ仁は、隠れている瞳の方こそ彼女の特徴といえるものではないかと思う。

 髪の隙間から稀に覗く瞳は、まるで黒曜石のように妖しく輝いて見えるのだ。

 一目見た瞬間、ふ、と吸い込まれそうになるほどに。

 だから彼は初めて彼女の双眸を見たその時から、これを隠すなんてなんともまあ勿体ないことだ、と思っている。前髪を切るか、そうでなければピンで留めてしまえばいいのに、と。



 ――ただ、ここでひとつ、強調しておこう。



 これは別に、惚れた腫れたなどという甘い話ではない。単なる印象の話である。せっかく綺麗なのに、と。純粋に、残念に思うだけだ。

 それに、今現在、仁が彼女に注目している理由は、容姿ではない。行動の方だ。生態、と言い換えても良いかもしれない。


 仁は軽く頭を振ることで、ぐるぐると落ちていった思考を引き戻す。次いで、視線を再び、掲示板の方へと――つまりはくだんの彼女がいる方へと向けた。

 視線の先で、鈴子は、仁が思考の波に呑まれる前と変わらないポーズを取っていた。両腕を全力で上に伸ばし、見事なまでの爪先立ちを披露している。足と腕は限界を感じているのか、ぷるぷると震えていた。新手のエクササイズ――などではないだろう。そもそも、そんなことを教室の、それも掲示板の前で一人黙々とやる人間があろうか。

 彼女が挑戦しているのは、指先からあと二十センチばかり上方に貼られているポスターの交換らしかった。が、明らかに届かない。なんなら、自分の席から椅子まで持ってきているようだが、それでも届かない。椅子の高さを含めての、残り二十センチだ。あと少し、というにはだいぶ距離があった。現在進行形で頑張り続けているが、努力が報われる可能性はまずゼロに近い。


(なんで挑戦しようと思ったんだろうな……)

 わかるだろうに。見るからに。無理だと。


 仁は珍獣を眺めるような視線を、鈴子に送った。

 とはいっても、ここで見捨てるような真似は仁にはできなかった。一度見てしまったそれを見なかったことにするほど、自分は非情な人間ではないと自負している。

 仁はおもむろに立ち上がると、彼女の横に並んだ。身長差はいかばかりか。さすがに椅子に乗った彼女の顔は、自分の顔の位置よりも上にあるが、そう離れているわけでもない。近くに寄ると一層、彼女の小柄さが目立った。


「手伝おうか?」

「――っ!?」


 声を掛けると、突然のことによほど驚いたのか、彼女は言葉にならない悲鳴を上げながら、びくーん、と身体を大きく跳ねさせた。その拍子に背凭れに足をぶつけたようだ。椅子がバランスを失って、ぐらりと傾く。

「っ、と」

 仁は椅子の背凭れを右手で掴み、左手では彼女の背中を押さえる。がたがたん、と椅子の脚が床を踏み鳴らす音が響いたが、結果的に椅子が倒れることも、鈴子が椅子から落ちることもなかった。間一髪だ。はふ、と聞いている側まで気が抜ける声が彼女の口から漏れる。仁もまた、ふう、と息を吐いた。

 肩越しにおずおずと振り向いた鈴子と目が合う。とはいっても、彼女の長い前髪は未だご健在だ。本当に目が合ったのか、はたまたそのように感じ取れただけか、いささか自信が無い。


「怪我は?」

 ふるふる、と小刻みに首を横に振る。

「ならよかった。交代するから、降りて」

 ふるふる、とまた小刻みに首を横に振る。

「届かないんだろう?」

 彼女は少し躊躇ってから、今度は、こくん、と頷いた。

「なら、ほら」

 交代を促せば、彼女は肩を落とし、見るからにしょげ返った。届かないなら仕方ないだろうに、何故そこで無意味に張り合おうとするのか。しょげたと思えば、今はまた気合いを入れ直したような顔をして、対抗心を剥き出しにしている。正直、されたところで、といった心境だが。


 数秒の間に見事な百面相を披露した彼女は、しかし観念したのか、渋々といった様子でようやく椅子から降りた。仁はひょいと椅子に乗ると、先程まで彼女が格闘していたポスターを難無く剥がす。

「代わりに貼るのは?」

 仁が訊ねると、彼女は完全に落としていた肩に力を入れ直し、ぱたぱたと自分の席へ駆けていった。そして、筒状になったポスターを手に取ると、また駆け足で戻ってきた。鈴子の手から引き抜くようにポスターを奪った仁は、広げたポスターが今まで貼っていたポスターと同じサイズであることを目視で確認した上で、内側にくるんと丸まった形状を戻すべく、逆向きにぐるぐると巻いた。

 外側と内側、両方の巻きぐせが影響し合っているのだろう。ポスターは真っ直ぐになったとは言い難い、ぐねぐね具合だった。

(ま、留めてるうちに直るだろ)

 仁は楽観を決め込むと、新しいポスターを掲示板に貼り直した。まず、右上隅と左上隅を画鋲で固定する。次に、ポスターをなるべくしっかり伸ばしながら、左下隅の場所を決めていく。そして最後に右下隅に画鋲を刺し込む。完成。



 ――ものの一分だった。



 随分とタイムに差が出たな。そう思ったのは、どうやら仁だけではないようだった。これでいいか、と声を掛けようと下を見れば、鈴子はしょんぼりと項垂れていた。その状態の彼女に声を掛けることはなんとなく躊躇われ、これでいいだろう、と自己完結させる。椅子から降りると、仁は彼女の椅子をもとの場所に戻しておいた。

 はて、他に何かあっただろうか、と掲示板の方を見ると、そこには既に彼女の姿は無かった。たまにあることだ。彼女はまるで空気に溶け込んだかのように、自然に――あるいは不自然に――消えてしまう時がある。



「おー、古市、どこ行ってたんだ?」

 席に戻ると、星崎(ほしざき)に話し掛けられた。一年生の頃から同じクラスで同じ部活、接点も多くよく一緒にいるので仲が良い友人だ。髪はすっきりとしたスポーツ刈りにしており、清涼感がある。目力の強さと相俟って、周囲からは熱い(・・)男だという印象を抱かれているが、事実性格もそこから然程離れてはいなかった。それとは対照的に、仁は周囲から良く言えばクール、悪く言えば冷たいという印象を持たれているらしい。クラスの女子から、静と動って感じで正反対だよね、などと言われている話を小耳に挟んだことが何度かある。星崎は聞いた瞬間に「古市がクールボーイとかウケる」と腹を抱えて大笑いしていたが。

 にこにこ笑っている星崎を横目で一瞥してから、彼の質問に答える。


「鈴木を救出しに」


「鈴木? どの鈴木?」

 星崎が首を傾げた。

 うちのクラスには、現在鈴木が三人いる。うち二名は男子生徒だ。

「女子の鈴木」

「あ~……。……あー?」

 ぴんときていないようだった。

「他のクラス?」

「違う。同じクラスだ。鈴木鈴子だよ」

「鈴木鈴子……ねぇ。いたっけか、そんなネタみたいな名前の女子」

「いるだろ」

 クラス名簿にも載っている。そう告げたが、案の定(・・・)星崎は、首を捻っていた。これもまた、よくある反応だった。



 ――彼女は、異常と思えるほどに、他人から記憶されない体質である。



 新学期となって、早二か月。その間、誰に彼女のことを訊ねてもこのような反応が返ってくるのだ。それゆえに、仁は『鈴木鈴子』という人物が、幽霊か、もしくは狐が化けているのではないか、つまりここに実在する人物ではないのではないかと疑ったくらいだ――仁自身は、特別幽霊も妖怪も、おおよそ現実的ではないと考えているし、なにひとつ信じちゃいないのだが、ここまでくると、いっそその方がしっくりくるような気さえしたのである――。

 幸い、クラス名簿には名前は載っていたし、担任教師に確認したら「いるわよ。当たり前じゃない」と笑われたので、ちゃんと実在してはいるらしい。

(……だけど、なあ)

 ふう、息を吐いた。すっきりしないことがあるのも確かなのである。


 存在はあるのに、認識されない。


 そんなことが、本当にあり得るのだろうか。クラス全体が自分一人を騙しているのではないか。普通に考えれば、そんなことをするメリットも理由も無い。しかしそんな考えが浮かんでしまうくらい、あの存在感の無さは異常なことだと思った。

 そうこうしている間に授業開始のチャイムが鳴る。鈴子は席に戻ったのだろうか。気になってちらりと目を向けると、彼女は何事もなかったかのように着席していた。




 徹底して、存在感が無い。

 それにしては彼女は、小動物のように走ってみたり、跳ねてみたり、目立つことばかりしているような気がする。

 これでいったいどうして、みんな注目しないのだろう、と疑問に思うほどに。

 仁にとっての鈴木鈴子とは、そういう不思議な存在であった。――少なくともその時は、それだけの存在だった。






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