12.溶けるくらい熱い愛を
ううんと眉を八の字にした私を見た彼女は、少し落ち着きを取り戻したようだった。
「今に見てなさい、必ず尻尾を掴んでやるんだから」
どうやら、彼女の中で私は、相当の悪女設定になっているようだ。探られて痛い腹は……残念ながら、ある。雪女は、つまりは妖怪だ。国の支援機関があるとはいっても、それはあくまで秘密裏のものであって、一般に周知され、受け入れられているものではない。ばれたらきっと、「どうして私達の税金で、妖怪なんて得体の知れないものを支援しなければならないのか」「人間に害は無いのか」「それより何より気味が悪い」などと世間を賑わせ、場合によっては迫害されるに違いない。
でも言わせてもらえば私達妖怪は、昔話になるくらいには昔から地球に住んでいるし、人間に対して可能な限り気を遣っているし、害があれば既に出ているだろうし、あと一応私も納税者です。ちゃんと税金納めてるよ! 給料からも天引きされてるよ。なんでこんなに、と思うくらいには!
……話が逸れた。
とにかく、だ。
さてこの状況、どうするべきか。
再び眉を下げた私を見て――正確には、私の背後を見て、勝木さんが「あ」と声を漏らした。ぱちくりと瞬きした私の頭に、ぽんと手が乗る。
「――そこまでにして頂けますか」
手の主から放たれたのは、雪女の手よりもひんやりした声だった。
「私は、妻にあらぬ疑いを掛けられ、温厚にしていられる程、大人ではないんです」
「ぜ、善さん!?」
なんでここに。フロアが違うのに。
驚いて見上げるが、視線は絡まなかった。傍目から見ても明らかにいつもより鋭い眼差しが、真っ直ぐに前方を向いている。
先程までの怒りの衝動はどこへやら、勝木さんはいつもの余裕のある笑みではなく、慌てて取り繕った笑みを彼に向けている。
「古市さん、私は別にそういうつもりは……」
「では、どういうおつもりですか」
彼女の言葉を遮った善さんは、しばらく待っても返事が無いことを確認すると、「何か、勘違いをされているようですが」と続けた。
「私は別に彼女に騙されていたっていいんです。それでも満足なんです。だから、勝木さんが気にする必要はありません。どちらにせよ、システム提供のお話には支障は出しませんので。……そのことが心配であるなら、担当変更も致しますので、遠慮なく仰ってください」
声を失っている勝木さんから視線を外した善さんは、私の耳元に顔を寄せると、「遅くなってごめん。部屋に土屋さんがいるから、行って」と囁いた。
わざわざ、勝木さんの目の前で。見せ付けるように。
これの意図は、さすがの私でもわかる。挑発か、あるい牽制か。ちょっと大人げなくないですか、と思わないでもないけど、嬉しいと感じてしまったのも事実なわけで。
どちらにせよ、お陰様で耳が溶けそうなので(無論、文字通りの意味で)、私は撤退する他ない。
勝木さんと善さんが二人きりになるな、と思ったけれど、それほど動揺しなかった。
多分、彼を心から信じられるようになったからだ。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
給湯室で氷水の準備し、耳に当てながら部屋に戻ると、おどおどした土屋さんが駆け寄ってきた。
「松雪さ〜ん、大丈夫でした? あ、ちょ、それ、どうしたんです? まさか殴られたとか……!?」
青褪める土屋さんに、「ち、違うの。これはちょっと……そういうのじゃないの」と訴えると、私の赤い顔を確認した彼女は、ナルホド、と何をナルホドしたのかわからないが、得心したようだった。
お茶飲みますか? と訊かれたので、丁重に断る。
湯気が揺蕩うマグカップに口を付けながら、土屋さんは、むう、と眉を寄せた。
「私、修羅場ってる場面に遭遇して、ビックリしたんですよー。慌てて森山さんに連絡取りましたけど、間に合って良かったです」
言い終えてから、彼女はほにゃりと頰を緩めた。
「にしても……松雪さん、愛されちゃってるんですねえ」
「え!?」
「だって聞いてくださいよー、森山さんと電話してる時、後ろですっごい音がしたんですよ。森山さん曰く、古市さんが、これまで見たことないくらいの慌てっぷりで出て行ったみたいで」
「……えー」
その割には息、全然乱れていなかったけど。
などと言いつつも、むにゅりと顔が緩む。
「はあ……いいなぁ、私も良い人と結婚したーい」
後輩のぼやきを聞きながら、私は始終にまにましていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「……――あれ?」
会社のエントランスで、壁に背中を預ける善さんの姿を見掛けて首を捻った。
小走りで近寄る。
「どうかしたんですか?」
「いや、……偶々早めに上がったから」
「そうですか」
嘘だ。偶々、なんて。今時期、偶々では帰れない。わかっていたけれど、言わずに甘受する。
「じゃあ、一緒に帰れますね。……ところで、なんで私の帰る時間を……」
「土屋さんが、俺に連絡をくれた」
「直接!? 森山さんが飛ばされてる!」
「ショートカット」
まあ、敢えて二人を経由する必要は無いけれど。
「それなら、直接訊いてくれても良いのに」
彼は、ちら、と私を見た。
「……今度からそうする」
よく聞くと上擦っている声に、私もちらりと彼を見る。これまたよく見ると、耳の先がほんのりと色付いている。変なところで照れる人だなあ。と思いつつも、私もつられて赤くなる。以前よりも、距離が近い気がして。
会社を出ると、するりと指が絡んだ。
「……溶けてる」
「いっ……わないで、ください!」
「じゃあ、心の中で思っとく」
それもちょっと、恥ずかしい。
水滴が溢れる。ぽた、と地面を濡らしていく。
「冷たかったら離してくださいね」
「千佳も、熱かったら離して」
身動ぐ。熱い。それは、手が、というよりも、自分の身体が。……心が。
善さんの手は、熱いというよりも、温かい。
「えっと、熱くないです、し、熱くても離さないで欲しい、です」
ぎゅっと握れば、より強く握り返される。
「俺も、冷たくても離したくないな」
「あ、やっぱり冷たいんですね」
「そりゃあ……だから多分、俺じゃなくてもさすがに気付いたと思うよ。冷え性ってレベルでもないし」
「え!」
「俺で良かったね」
「えっ! はい!」
元気よく返事をしたら、ふっと笑われた。レアな笑顔に見惚れる。
――そういう、いろんな表情を、この先も、私が見たい。一番近くで。
「千佳、好きだよ」
「……う」
「あ、全身溶けた」
「楽しんでる、この人……! 意地悪!」
「千佳限定」
「うっ」
その時、後ろからぬっと人が現れた。
「会社の駐車場でいちゃいちゃすんのはやめろ」
「ぎゃー! むむむ村岡さんっ」
「古市、お前も面白いからってイジメてんなよー。お松、汗だくじゃんか。こいつ照れ屋なんだから」
「照れ屋……確かに」
事情を知る善さんが、肩を震わせて笑っている。珍しいこともあるもんだ、と村岡さんが目を見張る。
私が善さんの手の甲を抓った。痛、と小さな抗議を含む悲鳴。
「仲良いねぇ」
「おしどり夫婦を目指してるんで」
「よく言うよなー、前に俺が結婚の良さを教えてやった時は、そんなの考えられないって一蹴だったクセによ」
はー、とわざとらしく大きなため息を吐く。
ていうか、村岡さん、そんなことしてたんですか。
「したくなっちゃったんだから仕方ない」
「結局惚気んのかよ」
あついねー。
村岡さんの呆れた眼差しに、私は善さんと顔を見合わせ、笑い合った。
これから私たちは、散々惚気ながら生きていく予定だ。
その熱さに、身を溶かしながら。
それでも手を離さずに、握り合いながら。




