第6話
王都のはずれにある、小さな小さなレストラン。
そこでは、まだ若いコックが、従業員を雇わずに一人で切り盛りしていた。
昼も、夜も。人が多い時も、少ない時も。
最初の頃は閑古鳥が鳴いていたレストランも、今では常連客を獲得し、赤字にならない程度にはやっていけている。腕の方よりも、コックの気さくな人柄によるところが大きいのかもしれない。
お昼のピークを過ぎ、そろそろ休憩に入ろうかと言う頃、店の扉が開いた。コックは振り返り、嫌な顔一つせずに出迎える。
「いらっしゃ――」
しかし、入って来た女性を見て、コックは動きを止めた。
徐々に目が見開かれる。思いがけない光景を見た、といった風に。
無言で立ち尽くしていたのは、女性客も同じだった。コートを着たまま、コックの姿を見つめる。肩に積もった雪を払おうともせず、コックだけをその目に映していた。
「……こちらへどうぞ」
先に動いたのは、コックの方だった。女性を席に案内し、席についた頃を見計らって水を持っていく。
この店では、昼には日替わりランチしか出さない。種類は一種類。だから、注文も聞かない。
コックは、無言でパンとサラダ、そしてメインの魚料理を皿に並べた。ワンプレートにすると、洒落た雰囲気になる。かつて働いていた大衆食堂では、大皿に料理を盛り付けるという手法だったが、自分の店では、こじんまりしたレストランの雰囲気に合わせて料理の出し方を変えていた。
「お待たせしました」
プレートを女性客の元へと運ぶ。彼女は小さく頭を下げてから、目の前に置かれたプレートを見た。
湯気が、狭い店内の一角から細く漂う。それは低い天井に行き着く前に、すっと消えて見えなくなった。
コックがストーブの火を強めに向かうと、女性はやっとフォークを手に持った。
まずはサラダを口に運び、控えめに咀嚼していく。そして次に、メインの魚料理へ。辛うじて残っている湯気が、甘辛い味付けを伝えてくれる。
「おいしい……」
女性はゆっくりと、味わうように料理を口に含んでいく。最初に一言「おいしい」と言った後は、無言で手と口を動かし続けた。
最後にナプキンで口を押えた女性は、最後の一滴まで水を飲むと、静かにグラスを置いた。
頃合いを見計らって、コックが皿を下げにやって来る。終わりが近付いて来たことを、彼は感じていた。
テーブルの傍まで来ると、ふいに女性がコックを見上げた。身体をややずらし、首を横に向けて。その姿に、コックは懐かしいものを覚えた。
「あの」
先に声をかけたのは、女性の方だった。
皿を下げようとしていたコックの手が止まる。
「今度、わたしの料理を食べに来ていただけませんか?」
「まさか、店を?」
コックの問いに、女性は首を振る。
「いいえ。今は、レストランで働いています」
コックは「そうですか」とだけ言って、黙った。
カタカタと、ストーブの音が強くなっていく。他に音のない空間で、コックは女性の言葉を待った。
「それで、」
コックの身体が固くなる。女性の声に、わずかな緊張を感じ取ったからだ。
「もしもわたしの料理を、少しでもおいしいと思って下さったなら――」
視線が絡み合う。
女性はたっぷりと時間をかけて、次の言葉を口にした。
「こちらで、雇っていただけないでしょうか?」
そんなお願いに、コックは二つ返事で応えた。
「喜んで」
王都のはずれにある、小さな小さなレストラン。
そこでは、まだ若いコックと、彼の妻が二人で切り盛りしていた。
小さいながらも、今ではすっかり隠れた名店となりつつあり、遠くからわざわざ訪れる客も少なくない。
昼のメニューは、開店当時と変わらず、日替わりランチの一種類のみ。但し、一つだけ変わったことがあった。
「今日は、あのスープはないのかい?」
出されたコンソメスープを見て、客は尋ねる。
「すみません。妻が体調を崩しておりまして」
「そりゃ大変だ。奥さんにお大事にって言っといておくれよ」
「ありがとうございます。伝えておきます」
ここ最近、客が増えた理由の一つでもある、『真っ赤なスープ』。今や看板メニューともなっているスープを担当するのは、彼の妻である。
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