第五話 伝説への旅立ち
鍛錬場の中がにわかにざわめいた。居並んだ塾生たちはそれぞれ隣近所の者たちと顔を見合わせ、ああだこうだと話し始める。そのざわめきは次第に大きくなり、やがて最前列に居たウィクが塾生たちを代表するかのように声を上げた。
「どういうことだ? 説明しろ!」
「どういうことも何も、塾を継いだら旅に出られないじゃない! それに私、人にものを教えるのとかあんまり得意じゃないもの。塾長としてやっていく自信がないわ」
「でもなあ……!」
身を乗り出し、文句を言おうとしたウィクをルルカの手が制した。彼女が黙って首を横に振ると、ウィクはしぶしぶと言った顔をしながら座っていた場所へと戻る。リズはルルカに頭を下げると、話を再開した。
「私、気が短いからルルカ先生みたいに優しく教えることなんてできない。頭も悪いから、ウィクみたいにわかりやすく説明することもできない。はっきりいって、このまま塾長になったって何にも出来ないの! だけど……」
リズはここで調子を整えるためか、深呼吸をした。ルルカやウィクは固唾を呑みながら、リズが何を言うのかと耳をすませる。塾生たちも周囲の者と話をするのをやめ、リズに注目した。にわかに場が水を打ったように静かになる。
「この塾を『賢者の育った塾』として有名にすることはできる!! だから、旅に出るの!!!!」
その場にいた全員が、一瞬、リズがどんな意味の言葉を行ったのか理解できなかった。鍛錬場を静けさが走り抜ける。遠くから聞こえる鳥の鳴き声が、馬鹿に大きく聞こえた。その場に居たリズ以外の人間たちは、しばらく何も言葉が出ない。ただ黙って口を半開きにするだけだ。
しかしすぐに彼らが彼女の言わんとしていることを理解すると、鍛錬場の中が騒然となった。塾生たちは皆、青い顔をして「本気なのか?」や「ありえない」といった否定的な言葉を矢継ぎ早に交わす。鍛錬場の中はガヤガヤと収拾がつかないほどの騒ぎになっていった。
そんな中、ルルカは一人笑みを浮かべた。彼女は塾生たちの反応にむっとした顔をしているリズの方を見ると、大口をあけて笑い始める。
「ははは、いいじゃないか! 塾を継がないんだったら、それぐらいやってもらわなくては困る!」
「先生!?」
「み、認めるんですか?」
前列に座っていた塾生たちが一斉に声を上げた。彼らは今にも立ち上がり、ルルカの方へと詰め寄ってきそうな勢いだ。しかし、ルルカは彼らを手で制すると「静かにしろ!」と一喝する。
「一度決めたんだ、何を言ったってもうリズは聞きやしない。それなら文句言うより、気持ちよく送り出してやろうじゃないか。なあ、次期塾長?」
「えッ!?」
ルルカに話を振られたウィクはとっさに言葉が出なかった。しかしすぐに彼女の言葉の意味を理解すると、額に汗をしながらわたわたとし始める。
「いや、俺はリズに負けましたし……」
「じゃあお前以外にだれが居るんだ。リズは居なくなるんだぞ。うろたえてないで、しっかりしろ!」
ルルカはウィクの前へと移動すると、その肩に手を置いて彼の顔をじっと見据えた。それからしばらく、ルルカは何も言わずにウィクの顔をじっと見続ける。そのまなざしは決して脅迫するようなものではなかったが、ウィクは頷かずにはいられない。もとより、気心塾を継ぐのは彼の夢だったのだ。少し形は変わってしまったが、ルルカの話を今更断る理由もない。
「わ、わかりました! 務めさせていただきます!」
「よーし、決まった! 今夜はリズの旅立ちとウィクの次期塾長就任を記念して宴をやるぞ! 準備をしろ!」
「は、はいッ!」
ルルカの指示に、塾生たちは慌ててそれぞれ宴の準備へと取りかかった。ある者は村の商店街へ買い物へ、あるものは会場の設営へ。それぞれが機敏に動きまわり、たちまち大宴会の準備が整っていく。これだけの規模の宴は、気心塾始まって以来の規模であった。さらに宴会の噂を聞きつけた村人たちまでもが、酒や食材を手土産に次々と塾へやってくる。
そうして日が暮れる頃には、試合場のあった場所に即席の宴会場が完成していた。長いテーブルの上にはめったに見られないような御馳走と酒が所狭しと並んでいる。ほこほこと湯気を立てるそれらに眼を奪われたリズは、たちまち口からよだれをあふれさせた。
「う、凄い……」
「こら、汚いぞ!」
リズの隣に座っていたウィクはたちまち顔をしかめると、すぐさまリズにナプキンを差し出した。彼女はごめんごめんと頭をかきながらそれを受け取ると、ささっと口元を拭く。ウィクはやれやれとばかりに方をすくめた。相変わらず、リズは見ていて将来が心配になってくる人間である。
そうしていると、ルルカが壇上に立った。彼女はビールジョッキを手にすると、それを高々と掲げる。
「それでは、リズの旅立ちとウィクの塾長就任を祝って……乾杯!」
◇ ◇ ◇
その夜、日付が変わる頃になると宴の会場は死屍累々たる惨状となっていた。酔いつぶれた村人やそれに巻き込まれた塾生たちが、そこかしこでテーブルや椅子にもたれていびきをかいている。みな麗らかな春の夜空を仰ぎながら、酒びんと酒樽に埋もれて気持ちよさそうだ。
そんな中、三人だけ無事な者たちが居た。一人は病のため乾杯の時の一杯しか酒を飲まなかったルルカ。彼女は宴が盛り上がってきたころに会場を抜け出して、一人部屋で休んでいた。そしてもう二人はリズとウィク。二人は宴の会場とはちょうど母屋を挟んで反対側の表門の付近で、何やらこそこそと話をしていた。
「話って何? 私、もう眠いのに」
リズは口を押さえると、背中を反らしてふああと大あくびをした。ウィクはそれを見て「静かに」と指で口を押さえると、懐から一本の杖を取り出す。それは昨日彼が試合で用いていた、白銀の杖であった。先端に翠の玉石をあしらったそれは、唸りを上げる怒涛をそのまま固めて作ったかのような躍動的で見事な造形の杖である。
「リズ、お前にこれを渡したいんだ」
「これ……あんたが大切にしてた杖じゃない! どうしてこんなもの……」
リズは驚きを隠せなかった。この杖は、ウィクが何よりも大切にしていると言っても過言ではないほどの杖なのだ。普段は白い布に包んで自室の壁に飾り、使うのは特別な日だけ。掃除担当の塾生がそれに触りでもしようものなら、普段は温厚な彼が大声で怒鳴るほどである。とても人に譲るなんて考えられなかった。
「実はな、この杖はある人の落としものなんだ。押しつけるようで悪いんだけど……俺の代わりにこの杖を返してくれないか? これから旅に出るお前にしか、出来ない相談なんだ」
「うーん、わかったけどある人って誰? それがわかんなきゃ、渡せないわよ」
「その人の名前は、俺の記憶が正しければロギかロキ・スタノーツ。居るのはたぶんスカイピークのどこかだ」
リズの眼の色が変わった。彼女は杖を食い入るように見つめながら、震える唇を開く。
「そ、それ……十年前に消えた私の父さんよ。間違いない、どこで会ったの!?」
リズはウィクの肩に手をかけると、ぶんぶんと勢いよく揺さぶった。ウィクはリズの手をつかんで、ストップストップと声を上げる。しばらくしてリズが落ち着くと、彼はフラフラになった頭を押さえながら話を再開した。
「え、そうだったのか!? こんな偶然って……」
「いいから、早く教えて!!」
「わ、わかったよ。えっと、あれは俺が村に引っ越してきた時だから……そうだな、八年ぐらい前かな。俺は叔父さんに連れられて飛行船に乗ってたんだけど、その時出会っちまったんだよ。クラゲに」
リズは思わず息を呑んだ。クラゲ――この世界の生態系の頂点に立つ、最悪の怪物だ。直径数百mの傘とそこからのびる数kmにも及ぶ長く強靭な触手を誇り、大型の船や果ては戦艦までも絡め取って食べるという悪食極まりない空の王者である。真海類と呼ばれる彼らは普段、魔海と呼ばれる魔圧――アクアの密度を表す指標である――が高い危険地域に潜んでいるのだが、たまに外界に出ては甚大な被害をもたらすまさに災害級の存在だ。
――真海類に出会ったらひたすら天国に行けるように神に祈れ。そんな格言すらある真海類たちの中でも、頂点に立つクラゲを見たことがある。リズはそれだけでウィクを驚きの眼差しで見ざるを得なかった。それほどクラゲをはじめとする真海類は恐れられているのだ。
「あんた、良く生きてたわね……」
「ああ、もちろん死にかけたよ。俺が乗ってた船は千人ぐらい乗れる大きな船だったんだけど、そんな船を丸ごとバリバリ喰っちまうんだ。それで船が船尾から半分ぐらい喰われたところで、お前の親父さんに助けられたんだよ。あの人、逃げていく俺たちのためにたった一人でクラゲに立ち向かったんだ」
「そ、それで父さんはクラゲを倒したの!?」
「さあ、倒したかどうかまではわからない。俺たちは避難船で逃げちまったから……。事故が起きた場所の下でこの杖が見つかったことを考えると、死んじまった可能性が高いだろうな。だけど俺は信じてる、あの人はまだ生きてるって。だからこの杖は『預かり物』なんだ。必ず返さなきゃいけない!」
ウィクはグッと力強く杖を差し出した。リズは一瞬、神妙な面持ちをすると杖を両手で受け取る。そして改めてウィクの方を見ると、二カッと花が咲いたような笑みを浮かべた。
「わかった、これ必ず父さんに渡すよ。大丈夫、親子だもん。生きてたら必ず会える」
「ありがとう! 恩に着る」
「うん! にしても、父さんが生きてたなんてな……」
リズはそうつぶやきながら、遥か西の空を眺めた。濃紺の夜空の中には今日も、スカイピークの島々が浮いている。この無数に連なる島々のどれか一つに、きっと父さんが居る。その事実が何ともリズには意外だった。
十年前、リズの父のロギは突然姿を消した。ある朝、リズと母が目覚めるとロギだけが家から居なくなっていたのだ。家にはそれなりの蓄えもあり、生活に困窮しての夜逃げということはなかった。また、ロギが母のほかに女を作っていたという話も全くなかった。幸せだったはずの父が、文字通り蒸発してしまったかのように消えたのである。
以来ずっと、リズは父のことを考えないようにして生きてきた。彼女の中で父は死んだのである。そう、ロギは十年前に死んだはずだったのだ。しかし実際は……生きていた。
――空に行かなきゃいけない理由が、また一つ増えちゃった。
リズは心の中でそうつぶやくと、あくびを噛み殺しながら自室へ歩き始めたのであった――。
◇ ◇ ◇
一週間後の早朝。まだ朝靄に煙っている気心塾の門の前に、リズ、ウィク、ルルカの三人が立っていた。いよいよ、リズが塾を旅立つ日がやってきたのである。リズは山のように大きなリュックサックを背負い、切妻の門を意気揚々とくぐり抜けようとしていた。ルルカとウィクは、門の脇から外へ出ていくリズの背中を揃って見守っている。
「なあリズ、みんなに知らせなくて良かったのか?」
「うん、騒がれても困るしね。心残りができちゃうから」
リズはそういうと、一気に門をくぐり抜けようとした。するとここで、後ろから何かが飛んでくる。空中で上手くキャッチすると、それはガラス玉の中に風見鶏が入ったような妙な物体だった。さらにそれに持ち運びしやすいようにベルトが付いている。
なんだろうと思ったリズが振り向くと、ルルカがニッと笑い返してきた。どうやら、この物体を投げたのは彼女の様である。
「先生、何これ?」
「それは魔方鶏だ。これ以上のことは言わん。お前は、これを使いこなせる仲間を自分で見つけ出すんだ! 空の旅は厳しい。一人でスカイピークの果てへ行くなんて、絶対に無理だ。だから、信頼できる仲間を集めろ。そうすればお前は、あの空に勝てる!!」
「わかった、いっぱい仲間を集める。先生やウィクの負けないぐらい信頼できる仲間を、必ず作ってみせるよ! じゃあ先生にウィク、長い間楽しかった! 他のみんなにもよろしくね!」
リズはそういうと、塾の門を跨いだ。そして改めて塾の方へと振り返ると、大きく手を振る。満開の笑顔を浮かべている彼女の顔には、大粒の涙が滴っていた。それを見たルルカやウィクも、思わずもらい泣きをしてしまう。
「いってきます!!!!」
「いってこい。私がもし生きてたら……また逢おう」
「またな、凱旋するのを期待して待ってるぞ!」
リズはルルカとウィクの声を背に受けながらも、それきり振り返ることもなく歩き始めた。いよいよ、彼女の長い長い冒険と伝説が始まる――!
少し駆け足になってしまいましたが、第一章が無事に完結です。
第二章はリズと最初の仲間が出会い、飛行船が手に入るまでの予定です。
出来るだけ早く投稿しますので、是非ご期待下さい。