3話 落ちこぼれ魔術師と疑惑の教師
演習場へ戻った頃には、他の生徒たちはとっくに帰還していた。
「悪いな、ルロイ」
「喋る余裕があるなら足を動かせ」
「怪我人に対して厳しすぎない!?」
俺の肩に腕を回したヴァンが、脇腹を押さえて顔をしかめる。
制服にはまだ血が滲んでいた。
予定では、D級魔獣を何体か倒して帰るだけの討伐任務だった。
それが――
「ルロイ!」
人垣の向こうから、リアが駆けてくる。
「ロックゴーレムが出たって聞いたけど、本当!?」
「ああ」
十メートルを超える、A級魔獣。
本来なら、この演習で遭遇するはずのない化け物だ。
そして――あの洞窟で起きた異変は、ロックゴーレムだけじゃない。
「怪我は!? どこか痛めたところはない?」
リアが俺の身体を確かめるように視線を走らせる。
「俺は大丈夫だ。それより――」
肩を貸しているヴァンへ目を向ける。
「こっちを頼む」
ヴァンを示すと、リアの表情が変わった。
「すごい怪我……すぐに治すね」
「ようやく俺の存在に気づいてくれたの?」
「喋らないで。そこに座って」
「はいっ」
さすがのヴァンもリアにはとても素直だ。
壁際に座らせると、リアが脇腹へ手をかざす。
「《アクアヒール》」
淡い水色の光とともに水が浮かび、裂けた傷を包み込む。
滲んでいた血が止まり、傷口がみるみる塞がっていった。
「すげぇ……傷が塞がっていく……おぉ……痛くない!」
「これで大丈夫。でも、まだ動いちゃ駄目だからね」
「はいっ」
「……なんでちょっと嬉しそうなんだ」
「え……? き、気のせいだ!」
リアは不思議そうに首を傾げると、今度は俺へ向き直った。
「次、ルロイ」
「俺はいい」
「よくない!」
強引に腕を取られる。
「ヴァンほどじゃない」
「だからって治さなくていい理由にはならないでしょう?」
こうなったリアに何を言っても無駄なのは、長い付き合いでよく知っている。
大人しく治療されることにした。
裂けた制服から覗く傷へ淡い水が流れていく。
傷が塞がると、リアは俺の額へ手を伸ばした。
「ここも切れてる」
「放っておけば治る」
「駄目。本当に無茶ばっかりするんだから。動かないで」
残っていた痛みがゆっくりと引いていく。
「はい。これで大丈夫」
「……助かる」
「どういたしまして」
リアがいつもの明るい笑顔を浮かべる。
けれど、すぐにその表情を引き締めた。
「それにしても……あの洞窟にロックゴーレムなんて」
「ああ。どう考えてもおかしい」
そこでリアが、ふと俺を見る。
「……もしかしてルロイが倒したの?」
「……」
「もしかしなくても、こいつ一人で倒したよ。マジで凄かったんだぜ!」
黙っている俺の代わりに、壁際のヴァンが得意げに答えた。
「……なんでお前が得意げなんだ」
リアは驚いたように目を見開いたあと、何も言わずにしばらく俺を見ていた。
少し離れたところからも、ざわめきが聞こえてくる。
「あいつが倒したって……本当か?」
「A級のロックゴーレムを一人で……?」
騒ぎを聞きつけて集まっていた他クラスの生徒たちだ。
だが、そのざわめきが不意に小さくなった。
人の輪が割れ、その向こうからシュプリムが歩いてくる。
――任務の途中で姿を消した男。
シュプリムの姿を見た途端、暗闇の奥からこちらを窺っていた気配を思い出す。
あの視線の主は、間違いなくシュプリムだ。
俺たちの前まで来ると、シュプリムは足を止めた。
「随分と遅かったな、ハーヴェス」
何事もなかったような口ぶりだった。
「……先生」
「なんだ」
「洞窟で、何をしていた?」
リアが俺を見る。周囲からも、俺たちへ視線が集まった。
「……何のことだ」
「とぼけなくていい。俺たちを遠くの岩の陰から見ていたのは、あんただろ」
僅かな沈黙。
「ふん、気づいていたか」
「ああ」
シュプリムはそれ以上答えず、背負っていた槍へ手を伸ばした。
「なら、話は後だ。俺と戦え、ハーヴェス」
一瞬、頭が真っ白になった。
こいつは一体何を言ってるんだ。
「ちょっと待ってください!」
俺より早く、リアが前へ出る。
「なぜルロイと先生が戦うんですか!? それにルロイは魔獣と戦って戻ってきたばかりです。傷は治せても、疲労までは消せません!」
「俺はハーヴェスに聞いている」
シュプリムは槍を下ろさない。
洞窟で俺たちを見ていた理由は話さず、今度は俺に勝負を仕掛けてくる。
断って終わらせるには、引っかかることが多すぎる。
「一つ聞いていいか」
「なんだ」
「俺と戦って、何を確かめるつもりだ?」
「……洞窟で見せた、あの雷だ」
シュプリムの視線が鋭くなる。
「お前が何者なのか、この目で確かめさせてもらう」
「……それを聞いて、素直に戦うと思うか?」
「判断するのはお前だ」
肝心なことは話す気がないらしい。
「ルロイ、相手にしなくていいよ」
リアが俺の袖を掴む。
「先生が何を考えてるのか知らないけど、こんなの受ける必要ない」
「そうだな」
「じゃあ、帰ろう?」
リアの言う通り、こんな勝負を受ける義理はない。
だが、あの洞窟でシュプリムは俺たちを見ていた。
ヴァンが命を落としかけたときも、姿を現さなかった。
その理由を聞かずに、引き下がるわけにはいかない。
「俺はこいつの真意を知りたい」
「ルロイ……」
リアが不安そうに俺を見る。
「大丈夫だ」
俺はリアの手をそっと外した。
「その勝負、受ける。ただし、俺が勝ったら、洞窟で何をしていたのか教えてもらうからな」
「ふん……万が一にも、俺に勝てたならな」
リアはしばらく俺を見つめ、小さく息を吐いた。
「……無茶しないでね」
俺は小さく頷いた。
「みんな、離れて」
リアの呼びかけに生徒たちが演習場の端へ下がっていく。
俺は刀を抜いた。正面では、シュプリムが槍の穂先をこちらへ向けていた。
僅かに腰を落としただけなのに、一歩でも踏み込めば喉元を貫かれそうな圧力がある。
「準備はいいか、ハーヴェス」
「ああ」
先に動いたのはシュプリムだった。
鋭い突きを刀で流し、懐へ踏み込む。
だが、すかさず石突きが横から襲いかかってきた。
身を捻ってかわすと、今度は穂先が喉元へ迫る。
……厄介だな。
長い槍を自在に操り、懐へ入っても隙を見せない。
正面からの斬り合いでは分が悪い。
「どうした? ロックゴーレムを倒した力は、その程度か」
「……期待外れで悪かったな」
槍を受け流し、横へ抜けようとする。
「《ウィンドカッター》」
進路を塞ぐように風の刃が走った。
「っ……!」
足を止めた瞬間、穂先が胸元へ迫る。
刀で弾くと、今度は石突きが脇腹を狙ってきた。
身を捻ってかわし、どうにか距離を取る。
……なるほど。
槍の動きに合わせ、こちらの逃げ道へ風魔法を放っている。
攻撃を避けても、その先で次の一撃が待っているわけだ。
性格はともかく、戦闘技術は本物らしい。
正面から付き合っていたら、こちらが先に削り切られる。
俺は足元へ魔力を集中させた。
「《雷瞬》!」
青白い雷が脚を駆ける。石畳を蹴り、シュプリムの側面へ回り込んだ。
槍の穂先がこちらを追う。だが、その動きより俺の方が速い。
脇腹へ向けて刀を振り抜く。
「《風影》」
シュプリムの輪郭が陽炎のように揺らいだ。
「なっ……!」
捉えたはずの身体が、刃の前から消える。
空振りした直後、脇腹へ重い衝撃が走った。
「ぐっ……!」
槍の柄に打ち抜かれ、身体が横へ弾かれる。
石畳を滑りながら刀を突き立て、どうにか踏みとどまった。
「悪くない速度だ」
シュプリムは数メートル先で槍を構え直していた。
「……そりゃどうも」
脇腹を押さえながら、先ほどの動きを思い返す。
風で姿を揺らし、斬撃の狙いを外したのか。
……速度だけでは崩せそうにない。
再びシュプリムが踏み込んできた。
突きを受け流し、槍の柄を刀で弾く。
その反動で距離を取りながら、足元の石畳へ魔力を流し込んだ。
シュプリムは間を空けずに追撃してくる。
「今度は逃げるだけか?」
「まともに戦っても、勝てそうにないからな」
振り下ろされた槍をかわし、身体を横へ滑らせる。
シュプリムの足が、先ほど俺の立っていた場所を踏んだ。
「《伏雷》」
石畳に潜ませていた雷が、一斉に弾けた。
青白い稲妻がシュプリムの脚を駆け上がる。
「うっ……!」
シュプリムは槍を石畳へ突き立て、倒れるのを堪えた。
その隙に懐へ飛び込み、脇腹を狙って刀を振るう。
しかし、シュプリムは痺れた身体を強引に動かし、槍の柄で刃を受け止めた。
……《伏雷》を受けて、もう反応できるのか。
押し込もうとしたところで、シュプリムの左手がこちらへ向いた。
「《ファイアーボール》!」
「っ……!」
至近距離で炎が膨れ上がる。
攻撃を諦めて横へ跳ぶと、火球が脇をかすめ、背後の石畳で炸裂した。
「……雷のトラップ魔法か。いつ仕込んだ?」
「さあな」
シュプリムは追撃してこなかった。
代わりに、俺たちの間に広がる石畳へ視線を落とす。
「なるほどな……」
その左手に、淡い緑色の魔法陣が浮かび上がった。
「《エアブラスト》!」
放たれた風圧が石畳へ叩きつけられる。
砂埃と石片が一斉に巻き上がり、その中で青白い光が次々と弾けた。
……見つかったか。
移動しながら仕込んでおいた《伏雷》が、まとめて潰されていく。
しかも、今の《エアブラスト》は風の中級魔法だ。
それを詠唱すらせずに発動させた。
「なかなか厄介なものを仕込んでくれたな」
「……全部潰されたけどな」
シュプリムが槍を構え直す。今度は不用意に踏み込んでこない。
代わりに、その左手が俺へ向けられた。
「《エアドロー》」
風の流れが反転した。
「――っ!」
強烈な気流に身体が引かれる。
咄嗟に刀を石畳へ突き立てるが、靴底が滑り、じりじりと引きずられていく。
そこへシュプリムが踏み込んできた。
刀を引き抜こうとした瞬間、風に体勢を崩され、槍の穂先が脇腹へ迫る。
「ぐっ……!」
穂先が脇腹を切り裂いた。
焼けるような痛みとともに身体が石畳へ転がる。
刀を支えに起き上がると、制服の脇腹が赤く染まっていた。
シュプリムは槍についた血を一瞥し、再び穂先を向けてくる。
……まいったな。
《雷瞬》による攻撃は《風影》でかわされ、《伏雷》も見破られた。
ただ、《エアドロー》の性質は分かった。
強引に引き寄せる風なら、逆に利用できるかもしれない。
「そろそろ本気を見せたらどうだ、ハーヴェス」
「……これでも結構、必死なんだけどな」
「そうか。ならば、もう少し追い込む必要があるな」
シュプリムが踏み込んできた。
槍を受け流し、後方へ跳ぶ。
脇腹の傷が痛み、着地した足がわずかによろめいた。
追撃の槍を刀で弾く。衝撃に押され、背後の壁へ左手をついた。
すぐに身体を捻って横へ抜ける。
シュプリムは逃がすまいと槍を振るうが、俺はその穂先を避け、距離を取った。
先ほどと同じように、後退する俺を見てシュプリムの目が細くなる。
「……また何か仕込んだか?」
「どうだろうな」
「小細工ばかりだな、ハーヴェス」
シュプリムは足元を警戒し、追撃を止めた。
そして、左手を向ける。
「《エアドロー》!」
待っていた魔法が発動した。強烈な風が身体を捉える。
今度は刀を突き立てない。
足元へ雷魔力を集中させ、引き寄せられる力に合わせて地面を蹴った。
「《雷瞬》!」
青白い雷が弾ける。
風に引かれる勢いへ《雷瞬》の加速を重ね、一気にシュプリムへ迫った。
「なにっ……!?」
シュプリムが目を見開く。
予想を超える速度で接近されたためか、槍を引き戻す動きが一瞬遅れた。
俺は刀の柄を握り、鞘の中の刀身へ魔力を流し込む。
「《牙狼》!」
抜刀とともに、雷を纏った刃が走った。
シュプリムは咄嗟に槍を引き戻し、その柄で斬撃を受ける。
甲高い音が響いた。
しかし、風と雷によって加速した勢いまでは殺しきれない。
刃が槍の柄を滑り、そのまま肩口を切り裂いた。
「がっ……!」
シュプリムが大きくよろめく。
肩口を押さえた指の隙間から、血が滴り落ちた。
……浅いか。
あの速度でも、致命傷は避けられた。
シュプリムはしばらく傷口を見つめていた。
「……なるほど」
低い声が漏れる。
ゆっくりと顔を上げたシュプリムの目には、先ほどまでとは違う鋭さが宿っていた。
「……俺の風を利用したか」
「おかげで、ずいぶん速く動けた」
「……ふん。なかなか面白い戦い方をする」
シュプリムは肩口の傷を一瞥すると、槍を握り直した。
「だが、洞窟で見せたあの雷……あれが、お前の本当の力ではないのか?」
「……何のことだ?」
「とぼけるな。俺はこの目で見ている」
シュプリムの視線が鋭くなる。
「どうやら、少し本気を出す必要がありそうだな」
そう言って槍を石畳へ突き立てた。
「天を駆ける風よ――」
……詠唱?
足元の砂が浮かび、シュプリムを中心に風が渦を巻き始めた。
「我が声に応え、その荒ぶる力をここに示せ――」
「この詠唱って……」
演習場の端で、ヴァンの顔色が変わる。
「A級魔法! 《テンペスト》だ! 離れろ!」
「みんな、私の近くに! 《アクアヴェール》!」
リアが展開した水の膜が、生徒たちを包み込む。
……本気か、あの男。
生徒相手に、こんな魔法まで使うつもりなのか。
「すべてを呑み込み、砕き、吹き飛ばせ――」
渦巻く風が一気に膨れ上がった。
「《テンペスト》!!」
轟音とともに暴風が解き放たれる。
正面から押し寄せる風圧に刀を構えたものの、抵抗する間もなく身体が浮き上がった。
「ぐっ――!」
背中から壁へ叩きつけられる。
肺の空気が一気に押し出され、身体が石畳へ崩れ落ちた。
……息ができない。全身が軋み、脇腹の傷から再び血が流れ出す。
握っていた刀も手を離れ、石畳を滑っていった。
霞む視界の向こうで、シュプリムが槍を引き抜く姿が見えた。
「ルロイ!」
暴風が収まると同時に、リアが駆け寄ってくる。
俺は右手を上げ、彼女を制止した。
「……ルロイ?」
リアの足が止まる。
俺は右手を上げたまま、シュプリムを見据えた。
シュプリムは槍を下ろしたものの、その視線は俺から離れなかった。
「……まだ隠しているんだろう? 本当の力を」
「……しつこいな」
どうにか声を絞り出す。シュプリムの背後には、演習場の壁があった。
先ほど槍に押し込まれた際、左手をついた場所だ。
シュプリムがさらに近づいてくる。
「……先生」
「なんだ?」
俺は上げていた右手を、ゆっくりとシュプリムへ向けた。
「……これで、終わりだ」
「なに……?」
シュプリムが槍を構え直す。
その視線は、俺の右手に釘付けになっていた。
「《サンダーボルト》!」
シュプリムが槍を引き、正面からの雷撃に備える。
しかし、俺の右手から雷は放たれなかった。
次の瞬間、シュプリムの背後で青白い光が膨れ上がる。
「――っ!?」
振り返ったシュプリムの目に、壁へ浮かび上がった魔法陣が映った。
そこから圧縮された雷が一気に解き放たれる。
「ぐああああっ!!」
轟音と閃光が演習場を埋め尽くす。
シュプリムの身体が弾き飛ばされ、手を離れた槍が甲高い音を立てて石畳を転がった。
数メートル先へ叩きつけられたシュプリムは、そのまま動かなくなった。
……何とかなったか。
演習場が静まり返る。俺は壁にもたれたまま、大きく息を吐いた。
先ほど左手をついた壁には、雷魔力を仕込んでおいた。
正面から撃てば、あの男なら防ぐだろう。
ならば、意識の外から撃つしかない。
「先生が……負けた……?」
誰かの呟きをきっかけに、演習場がざわめき始めた。
「ルロイ!」
リアが駆け寄ってくる。
「大丈夫!? すぐに治すから!」
「……悪い。頼む」
これでようやく、シュプリムから話を聞ける。
そう思ったときだった。
「……そうか」
掠れた声が聞こえた。倒れていたシュプリムが、わずかに顔を上げていた。
……嫌な予感がする。
シュプリムの唇が、ゆっくりと動いた。
「やはりお前が……呪われし魔術師か」




