1話 落ちこぼれ魔術師と隠された雷
真っ暗な空。
燃える街。
崩れ落ちた建物の隙間を、人々が逃げ惑っていた。
「逃げろ!」
誰かが叫ぶ。
「災厄だ!」
轟音とともに、夜空を巨大な雷が引き裂いた。
白い閃光が世界を覆う。
建物が砕け、石畳が弾け飛び――街が消えていく。
その光景を前に、一人の少年が立っていた。
雷に照らされた横顔は、まだ幼い。
「呪われし魔術師だ……」
誰かの震える声だけが、雷鳴の中に消えていった。
◇
「Cクラス三組の生徒は、第一演習場に集合してください」
学院内に設置された拡声魔道具から流れる呼び出しが、遠く離れた旧塔の屋根裏にまでかすかに届いていた。
……聞こえない、ということにした。
俺は目を閉じたまま、古びた壁へ身体を預け直す。
開け放した小窓から吹き込む風が前髪を揺らし、王都の喧騒をかすかに運んできた。
ここは魔法学院エルブランシュ。その旧塔の屋根裏。
元は王族の居城だったという学院には、使われなくなった部屋や通路がいくつも残されている。
その中でもここは、生徒はもちろん教官さえ滅多に近寄らない。
五年かけて見つけた、お気に入りのサボり場だ。
俺の名前はルロイ・ハーヴェス。
十八歳。魔法学院エルブランシュに通う、万年Cクラスの落ちこぼれ魔術師である。
「Cクラス三組の生徒は、第一演習場に――」
二度目の呼び出しも、やはり遠くから聞こえてくる。
Cクラス三組は俺の所属するクラスだ。
もっとも、だからといって行く気にはならない。
呼び出しが何度あろうと、俺の安眠を妨げる理由にはならなかった。
そうして再び眠りにつこうとしたところで、今度はすぐ近くから声がした。
「……ルロイ」
同時に、頬へひやりとした感触が触れる。
無視する。すると冷たい何かが頬から鼻先へ移動した。
「起きてるの、知ってるからね」
仕方なく目を開けると、鼻先に小さな水球が浮かんでいた。
その向こうで、青髪の少女がいたずらっぽく笑っている。
「おはよう!」
「……起こし方間違えてないか」
「普通に起こしても、起きてくれないでしょ?」
――彼女はリア・レーヌ。
長い青髪を見慣れた髪飾りで束ねた、いつも明るく笑っている幼馴染だ。
胸元にはAクラスを示す徽章がある。
水魔法を得意とする学院でも指折りの優等生で、明るく人当たりがいい。
そして、俺が五年かけて開拓したサボり場所をことごとく発見する、非常に困った特技の持ち主でもある。
「やっぱりここにいたね」
「よく分かったな」
「ルロイのサボり場所なら、全部把握してるよ。今はここが一番のお気に入り」
「……怖いこと言うなよ」
「ん? なにが?」
本気で分かっていなさそうなのが、余計怖い。
リアとは学院へ入る以前、スラム街の孤児院にいた頃からの付き合いになる。
俺が一人になろうとすると、昔からこいつだけはなぜか見つけてしまう。
「それで、何しに来たんだ」
「ルロイを呼んできてほしいって頼まれたの」
「誰に?」
「教官に。Cクラス三組の招集に、ちゃんと参加させてくれって」
「……そこまでして俺を呼ぶのか」
少し妙な気もしたが、普段の素行を考えれば信用されていないだけかもしれない。
「だから、そろそろ行かない?」
「面倒だ」
「私、ルロイを連れていかないと怒られるかも」
それを言われると、無視するのも気が引ける。
「……分かった」
「ほんと? よかったぁ」
リアが嬉しそうに笑う。
俺は小さく息を吐き、壁際に立てかけていた刀を手に取った。
鞘ごと腰へ差すと、リアの視線が刀へ向く。
「やっぱり持っていくんだ、その刀」
「まあ、雷が効かなかったら斬るしかないからな」
「そっか……あまり無茶はしないでね」
「刀でも駄目なら逃げるさ」
「ふふっ。それなら安心かな」
そう言って笑ったあと、リアの視線が一瞬だけ俺の横顔に止まった。
「……何だよ」
「ううん。何でもない」
それ以上は何も言わず、リアは先に屋根裏を出ていった。
俺もその後を追う。
廊下へ出ると、すれ違った男子生徒がリアを見て顔を明るくした。
「おはよう、リアさん!」
「おはよう!」
リアも笑顔で手を振り返す。相変わらず人気者だ。
魔法学院エルブランシュでは、扱える魔法の種類や実力によって生徒の評価が大きく変わる。
リアは水魔法を中心に複数の魔法を高い水準で扱える、Aクラスの優等生。
一方、俺が扱える属性は雷だけ。
初級程度の雷魔法しか使えない万年Cクラス――
それが、この学院での俺の評価だ。
別に不満はない。期待されないというのは、案外楽なものだ。
Aクラスの優等生と、万年Cクラスの落ちこぼれ。
学院に入ってから、俺とリアを取り巻く環境はずいぶん変わった。
それでもこいつは、孤児院にいた頃と何も変わらない顔で俺の心配をする。
「また、なるべく目立たないようにするの?」
「目立つと後が面倒だからな」
「もう……相変わらずだね」
リアは困ったように笑う。それ以上は何も言わなかった。
旧塔を抜け、第一演習場へ向かう分かれ道でリアが足を止める。
Aクラスの彼女は、Cクラスの招集対象ではない。
「じゃあ、私は戻るね」
「ああ」
数歩進んだところで、背中から明るい声が飛んできた。
「ルロイー!」
振り返る。
「気をつけてね」
リアはいつものように笑顔で手を振っていた。
◇
第一演習場に着くと、すでにCクラス三組の生徒たちが集まっていた。
「おっ、来た来た。珍しいな!」
その中から一人の男子生徒が手を上げる。
ヴァン・トニー。
炎と風の二属性を扱う魔術師で、Cクラスの中では比較的優秀な方だ。
明るく人懐っこく、こちらが放っておいても勝手に話しかけてくる。
「お前が時間通りに来るなんて、明日は槍でも降るんじゃないか?」
「俺が来ただけで天変地異を起こすな」
ヴァンが笑う。俺を落ちこぼれ扱いして遠巻きにする連中が多い中、こいつだけは最初からこんな調子だった。
性格は俺とは正反対。よく喋るし、よく笑う。
それでも妙に馬が合って、学院では一緒にいることが多かった。
「ところで、何の招集なんだ?」
「お前、知らないで来たのか?」
「寝てた」
「……魔獣討伐だよ。活躍すれば評価も上がるだろうし、俺は今回こそBクラス昇級を狙うぞ!」
相変わらず昇級に熱心らしい。
俺にはよく分からない感覚だった。
そのとき、演習場の扉が開いた。
入ってきた男を見て、それまで騒がしかった生徒たちが自然と口を閉じる。
緑がかった金髪を後ろへ流した長身の男。
学院指定の制服を隙なく着こなし、手には一本の槍を携えている。
シュプリム・ローディ。
風魔法を得意とするAクラスの魔術師で、実戦任務では教官も務めている。
ここへ来たということは、今回の討伐任務を引率するのもこの男なのだろう。
シュプリムは集まった十人をゆっくり見渡した。
その視線が、俺のところで止まる。
「……お前も来たのか、ハーヴェス」
「呼ばれたからな」
露骨に眉をひそめられた。
以前から俺の態度が気に入らないらしく、顔を合わせるたび似たような反応をされる。
「相変わらず、口の利き方を知らんようだな」
「すみません先生。こいつ、寝起きなんです」
なぜかヴァンが頭を下げた。
「お前が謝るのか」
「お前が謝らないからだよ!」
ヴァンの声に何人かが小さく笑う。
シュプリムは呆れたように息を吐くと、俺から目を離した。
「……まあいい。任務の説明をする」
その一言で、演習場の空気が切り替わった。
「下町付近の洞窟に魔獣が出現した。確認されているのはD級が数体。お前たちには、その討伐を行ってもらう」
D級なら、Cクラスでも討伐は容易い。
ヴァンなんかは、むしろ物足りなさそうな顔をしている。
「D級程度と侮るな。洞窟内では勝手な行動を取るな。必ず俺の指示に従え」
生徒たちがそれぞれ返事をする。
シュプリムはそれを確認すると、踵を返した。
その直前、もう一度だけ俺を見る。
一瞬、目が合った。
だが、シュプリムは何も言わず、そのまま演習場を出ていった。
◇
王都を出てしばらく歩くと、目的の洞窟が見えてきた。
この辺りは学院の生徒が実地訓練にも利用する区域で、強力な魔獣はほとんど生息していない。
洞窟へ入ってからも、特に変わった様子はなかった。
「《ファイアーボール》!」
ヴァンの掌から火球が放たれ、正面から迫っていたゴブリンの胸元で炸裂した。
爆ぜた炎が薄暗い洞窟を赤く照らし、ゴブリンが地面へ転がる。
横から飛びかかってきたスライムへ、ヴァンが今度は腕を振り抜く。
「《ウィンドカッター》!」
鋭い風の刃が地面すれすれを走り、スライムの身体を両断した。
どちらも初級魔法だが、炎の方が威力は一段上に見える。
ヴァン自身も炎魔法を得意としていた。
「よし! 七!」
「何が?」
「俺が魔獣を倒した数!」
「いちいち数えてたのか」
「当然だろ。評価に関わる」
「肝心の教官は見てないけどな」
「え?」
ヴァンが振り返る。俺も足を止めた。
最後尾を歩いていたはずのシュプリムの姿が、いつの間にか消えている。
「……先生?」
ヴァンが洞窟の奥へ呼びかける。返事はない。
「どこ行ったんだ?」
「分からない」
任務中、しかも「勝手な行動を取るな」と言った本人が、生徒に何も告げず姿を消した。
……妙だ。
それだけじゃない。
さっきまで断続的に聞こえていた魔獣の鳴き声が、いつの間にか消えている。
静かすぎる。
「ヴァン」
「ん?」
「一度戻った方が――」
地面が揺れた。
腹の底まで響く低い振動に、全員の動きが止まる。
ズシン、と洞窟の奥から何かが近づいてきた。
暗闇の向こうで、巨大な影が動く。
最初に現れたのは腕だった。
人間の胴ほどもある岩塊がいくつも連なり、その先に巨大な拳を形作っている。
やがて全身が姿を現した。
十メートルを優に超える巨体。
幾重もの岩盤に覆われた身体。
その一歩ごとに洞窟が震え、天井から砂埃が落ちてくる。
ロックゴーレム。
討伐難度――A級。
「……おいおい」
ヴァンの声から、それまでの軽さが消えた。
「D級魔獣の討伐任務だろ? どうなってるんだ!」
周囲の生徒たちも息を呑み、じりじりと後ずさる。
A級魔獣は、俺たちCクラスがまともに戦って勝てる相手じゃない。
本来なら、こういう事態こそ同行している教官が対処するはずだ。
後方を見る。シュプリムは、まだ戻ってきていない。
D級しか出ないはずの洞窟に現れたA級魔獣。その直前に姿を消したAクラスの教官。
……どうにも引っかかる。
「全員、下がれ」
何人かが俺の声に反応する。だが、ヴァンだけが動かなかった。
ロックゴーレムを見上げたまま、拳を握りしめている。
「こいつを倒したら……」
「おい、ヴァン……」
「A級魔獣だろ? だったらこいつを倒せば――」
嫌な予感がした。
「待て!」
「今度こそBクラスに――!」
俺が止めるより先に、ヴァンは地面を蹴った。右手に炎が集まる。
「《ファイアーボール》!」
放たれた火球がロックゴーレムの胸へ直撃した。
炎が爆ぜ、巨体が煙に包まれる。
「よし――!」
ヴァンの声が途中で止まった。
煙の向こうから現れた岩の身体には、ほとんど傷がない。
ロックゴーレムの腕が動く。
巨体からは想像できない速度だった。
振り抜かれた拳がヴァンを捉えた。
鈍い衝撃音とともに身体が吹き飛び、背後の岩壁へ叩きつけられる。
「ヴァン!」
衝撃で砕けた岩が降り注ぎ、ヴァンはそのまま地面へ崩れ落ちた。
ロックゴーレムは倒れたヴァンへ向き直り、一歩、また一歩と距離を詰めていく。
巨大な拳が再び持ち上がった。
次の一撃を受ければ、ヴァンは死ぬ。
相手がA級だろうと、考えている暇はなかった。
俺は魔力を足元へ集中させる。
「――《雷瞬》!」
足裏に雷を発生させ、その反動で地を蹴った。
弾かれたように身体が加速し、一瞬でロックゴーレムとの距離を詰める。
振り下ろされる拳の真下へ滑り込み、倒れていたヴァンを抱えて再び地を蹴った。
直後、背後で轟音が炸裂する。
岩の拳が地面を粉砕し、飛び散った石片が背中を叩いたが、足を止める余裕はない。
そのまま一気に距離を取り、岩壁の窪みへヴァンを横たえる。
「おい! ヴァン! 大丈夫か!?」
「うぅ……クソっ、なんて速さだ……」
ヴァンは苦痛に顔を歪めながら、それでも俺を見るなり目を見開いた。
「それより、お前……! 今の動きなんだ!? 魔法か!?」
周囲が静まり返っていた。
振り返ると、クラスメイトたちもヴァンと同じ顔で俺を見ている。
初級程度の雷魔法しか使えないと思われていた俺が、いきなりこんな動きをすれば当然か。
ズシン――と再び地面が揺れる。
説明している暇はない。
ロックゴーレムがこちらを向いていた。
土属性の魔獣は雷への耐性が高く、ただでさえ雷魔法が通りにくい。
そのうえ相手は分厚い岩盤に全身を覆われたA級魔獣だ。
雷しか使えない俺にとって、相性は最悪。
こんな相手、逃げるが勝ちだろう。
しかし、後ろには傷ついたヴァンがいる。
周りにいるのも、A級魔獣とまともに戦えるはずのないCクラスの生徒たちだ。
案の定、固まってしまって誰も動けない。
逃げるという選択肢はなくなった。
ロックゴーレムが巨大な拳を構える。
俺はその巨体を見上げた。
さて――どうやって、こいつを倒す。




