『一日一回肘から唐揚げが出る能力』
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人生で一番困惑した瞬間を問われたら、田中ソウタは迷わずこう答えるだろう。
「右肘から唐揚げが出てきたとき」と。
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事の始まりは、七月の蒸し暑い火曜日だった。
ソウタは実家の六畳間で、へそを出したまま寝ていた。就職活動に三度失敗し、バイトは「雰囲気が暗い」という理由でシフトを削られ続け、現在の肩書きは「無職(25)」である。将来の不安より眠気が勝るのが、ソウタという人間の数少ない長所だった。
午前七時五十九分。
右肘が、ズキンと疼いた。
虫刺されかと思い、寝ぼけ眼でひじを見る。とくに異常はない。赤くもなっていない。ただ、なんとなく肘の先端が、じわりと熱を帯びている気がした。
そのまま二度寝しようと目を閉じた、そのとき。
ぽん。
乾いた小さな音がして、ソウタは反射的に目を開けた。
枕の横に、唐揚げが三個、並んでいた。
ソウタはしばらく動けなかった。
唐揚げだ。疑いようもなく唐揚げだ。衣はきつね色でカリッとしており、湯気がほんのりと立ち上っている。揚げたてである。どこからどう見ても、唐揚げである。
問題は、さっきまでそこになかったという点だ。
「………」
ソウタは上体を起こし、自分の右肘を見た。次に唐揚げを見た。また肘を見た。また唐揚げを見た。この往復を六回繰り返したのち、ひとつ手に取った。
温かい。
においを嗅ぐ。にんにく醤油の香りが鼻をついた。食欲をそそる、正統派の唐揚げのにおいだ。
ソウタは、食べた。
うまい。
外はカリッ、中はジューシー。下味がしっかりついていて、レモンなんてなくても十分うまい。というかこれ、下手な唐揚げ専門店より全然うまい。なんだこれ。
二個目も食べた。うまい。三個目も食べた。うまい。
食べ終えてから、ソウタはようやく冷静になった。
いや、冷静になれるわけがない。
「……俺の肘から唐揚げが出た?」
声に出してみたら、余計におかしくなった。意味がわからない。物理的に意味がわからない。肘から唐揚げが出る人間が、この世にいるわけがない。でも現に食べた。腹の中に入った。消化されつつある。
ソウタは部屋の隅に置いてあった手鏡を引っ張り出し、自分の肘を観察した。何も変わっていない。ただの肘だ。傷もない。穴もない。唐揚げが通り抜けた痕跡ゼロ。
「夢か?」
自分の頬をつねった。痛い。起きている。
「じゃあ……なんだ?」
答えてくれる者は、六畳間には誰もいなかった。
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翌朝。
ソウタは七時五十分から右肘を見つめ続けた。
意地でも見届けてやる。そういう気持ちだった。
七時五十九分になると、また肘がズキンとした。昨日と同じ感覚だ。
ソウタは肘をテーブルの上に置き、顔を近づけて凝視した。
午前八時、ちょうど。
ぽん。
また音がして、テーブルの上に唐揚げが三個、現れた。
今度は出現の瞬間を見ていた。ソウタの右肘の先端が一瞬だけオレンジ色に光り、虚空から唐揚げがぽとりと落ちてきた。それだけだった。魔法陣も、煙も、謎の呪文も何もない。ただ肘が光って、唐揚げが出た。
「……出た」
ソウタは震える手で唐揚げを掴んだ。今日も揚げたてだ。うまい。
三日目も出た。四日目も出た。五日目も出た。
毎朝八時ちょうどに、右肘から唐揚げが三個。例外なし。
一週間経ったころ、ソウタはようやく現実を受け入れた。
俺には能力がある。肘から唐揚げを出す能力が。
これが超能力や異能に目覚めた若者なら、ここで大きな使命や運命を感じるのだろう。しかしソウタが感じたのは、一点だけだった。
「毎朝八時に起きないといけないじゃないか」
唐揚げを食べながら、ソウタは深刻な顔でそう呟いた。昼過ぎまで寝るのが日課だったのに。これは、地味につらい。
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能力発覚から十日後。
ソウタは一つの法則に気づいた。
唐揚げは必ず三個で、必ず八時で、必ず揚げたてだ。しかし、一日に一度しか出ない。試しに午後に肘を壁に押し当てたり、気合を入れて念じたりしてみたが、何も起きなかった。八時のぽん、以外は沈黙を守る肘。真面目というか、不器用というか。
そして唐揚げは、三個が限界だった。
食欲旺盛な日に「もっと出てくれ」と念じても、三個でぴたりと止まる。過不足ない三個。融通の利かない三個だ。
「……俺の能力、地味すぎないか」
テレビで異能力バトルものアニメを見ながら、ソウタはぼやいた。主人公は炎を操り、空を飛び、世界の命運を握っている。翻って自分は、毎朝肘から唐揚げが三個。スケールが違いすぎる。
ただ、一つだけ言えることがあった。
唐揚げは、うまい。
毎日食べているのに飽きない。むしろ、八時が近づくと楽しみになってきた。不思議なことに味も毎日微妙に違う。月曜はにんにく強め、火曜は生姜が効いている、水曜は塩味であっさり系、という具合に。まるで曜日ごとに誰かが味を考えているような、几帳面さがあった。
ソウタの朝は、唐揚げとともにあった。
問題は、三個では一人で食べるには少し多く、二人で分けるには少し足りない、絶妙な個数だったことだ。
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そして十四日目の朝。
食べきれなかった唐揚げを一個、皿に乗せてぼんやりしていたとき、玄関のチャイムが鳴った。
出てみると、隣に住む白髪のおばあちゃん、八重子さんが立っていた。回覧板を持っている。
「ソウタくん、これ次お願いね。あら、いいにおい。唐揚げ?」
八重子さんの鼻がひくりと動いた。
ソウタは一秒だけ迷って、言った。
「食べますか。余ったんで」
八重子さんは目を細めた。
「いただこうかしら」
縁側で、八重子さんは唐揚げを一口食べて、静かに言った。
「おいしいわねえ。どこの?」
「……自家製です」
嘘はついていない。
八重子さんは「まあ上手ね」と笑い、残りをきれいに平らげて帰っていった。
ソウタはその背中を見送りながら、初めて思った。
三個、ちょうどいい個数かもしれない。
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