42.女教皇の画策と共犯者の憂鬱
(……どうして連絡なんかしちゃったんだろう)
閉じたコンパクトに指先を触れさせたまま、エリオスは小さく溜息をついた。
今朝方、「大変大変!」とうるさく騒ぎ立てる小鳥をリーネが送ってきたのが発端だ。小鳥はこちらが聞いてもないのにシュタールベルク家のメイド長が事故で死んだことを知らせてきた。
そのメイド長とやらがロレナの復讐相手の一人だということを聞いた瞬間、呼吸が止まった。
昔、自分の見た光景が蘇った。
名ばかりの家族が仲良く首を吊る姿を――。
気付けば、小鳥を介してリーネに彼女が通信機器を持っているかどうか聞いて、彼女に連絡をしていた。
(彼女が俺みたいに無気力になってないか確認したかっただけだけど……我ながら、らしくない行動だった。
本命にはまだ手を出してないみたいだったから、よかった、かな)
そっとコンパクトから手を離して机の引き出しにしまう。
エリオスが持っているコンパクトは少し大きめの小物入れか薬入れ程度にしか見えない。どうせ魔女か、魔女に関わる人間にしか使えないのだから他の誰が触れても問題はなかった。
シンプルながら質の良い椅子にどっかりと腰掛け、天井を見上げる。
朝から夜に移り変わる様を描いた天井壁画が視界いっぱいに広がった。
――仲間がいたようで嬉しいんです。
――エリオス様のおかげで伸び伸び復讐ができます。
「……ぷっ。復讐を伸び伸びって……伸び伸びやるようなもんじゃないのに」
ロレナの言葉を思い出して笑ってしまった。
ショックは受けていたようだが思いのほか元気で良かったと思う。自分の過去まで話すつもりはなかったのに、ついつい話してしまった。彼女はひどく驚いたようだったし、聞いても良いのかと戸惑っていた。
自分でもどうして話をしてしまったのかよくわからない。
ただ、彼女にはどうしても自分のようにならないで欲しかった。
相手が自死を選んだことに対するやるせなさ、苛立ち――そして、今もエリオスを蝕む虚無感は、深く胸に根を張っている。突然、生きる目的、やりたいことがなくなって、今日まで生きてきてしまった。
――心の準備ができたら、お見せしたいと思います。
「彼女はどんな復讐をするつもりなんだろ。……楽しみ」
期待せずに待ってるなんて言ってしまったが、本当はとても楽しみにしている。あまり期待を匂わせるのも彼女へのプレッシャーになると懸念したからだ。ひょっとしたら隠しきれなかったかもしれないけれど。
これまで無為に時間を過ごしてきたが、珍しくワクワクしている。
その日が待ち遠しい。
そんなことを考えながらそっと目を閉じ――。
「エーリオース様ー。用事はもう終わりました~?」
ドンドンドン。
無遠慮かつ乱暴に扉が叩かれる。
折角のいい気分は一気に台無しになり、エリオスは苛立った表情を扉に向けた。
「……。……終わったよ」
「あー、良かった。んじゃ入りますね」
あからさまにホッとした声を出した後、入ってきたのは聖騎士シャディクだ。
そしてもう一人。
長い金髪に深く青い目――教会内で唯一白と金の高位法衣に身を包むことが許されている存在。
「……セレスティアーヌ、様」
不愉快さを押し留めて彼女の名前を呼ぶ。セレスティアーヌはにこりと笑みを浮かべてから、シャディクへと顔を向けた。
「シャディク、ありがとうございました。わたくしはエリオスと話がありますので下がって結構ですよ」
「はっ! 承知しました!」
シャディクは元気よく返事をして一礼をするとスススっと部屋を出ていってしまった。
残されたのはエリオスとセレスティアーヌの二人だけ。
にこにこしているセレスティアーヌに対し、エリオスは彼女を見て不愉快さと面倒くささを露わにした。リーネと旧知であり、友人同士でもある二人。セレスティアーヌも食えない人種だ。
「全く……何の用?」
「まあ! エリオス大司教、教皇に対しての言葉遣いがなっていませんよ」
「そういうのいいから。早く、用件」
セレスティアーヌはわざとらしく怒って見せるが、エリオスは意に介さない。
教皇と大司教。教会内の序列では当然教皇の方が上である。なのに、エリオスは気安い口調で受け答えをしていた。無論、室内に彼女と二人しかいないからである。
エリオスに急かされたセレスティアーヌは一度溜息をつき、気を取り直して話をしだす。
「聖女選抜の件です」
「はあ? 何、急に? 選管が準備してるでしょ。
俺の管轄じゃないし、あんただって例年通り全部任せるつもりだって言ってただろ。なのに、急に何?」
「以前とは状況が変わりました。相応しい存在が現れたのですから」
エリオスを真っ直ぐに見つめて言い放つセレスティアーヌ。何となく嫌な予感を感じつつ続きを待った。
彼女はこほんと咳払いをしてから、爽やかな笑顔を浮かべる。
「タイミングにもよりますが、今年はロレナ・シュタールベルクを選出したいのです」
「……は?」
間抜けな声を上げるのと同時に目が点になった。
ロレナ・シュタールベルク? 今さっき話をしていたロレナのことだろうか。そんなことも咄嗟に判断できないくらいに驚いたし、脳みそが停止するくらいの衝撃だった。
セレスティアーヌはそんなエリオスの様子など気にした様子もなく続ける。
「彼女の学園での噂は聞いてますか? 全く酷いものですよ。侯爵家での扱いも酷いと聞きました。リーネからの情報ですけど。
彼女の復讐が叶った暁には、汚名を濯ぐために更なる名誉によって――」
「ま、待って待って待って。なにそれ本気? っていうか正気?」
正気に戻ったエリオスは慌てて口を挟んだ。
確かにロレナの学園での噂や、侯爵家での扱いについては多少なりとも聞いているが――だからと言って聖女? 突然のことでさっぱり話についていけない。
ノルニア教には『聖女』という役割がある。
遠い昔は女神の代理人或いは預言者であったと記されているが、現在においては単なるお飾りの役職だ。選ばれた際には教会の『聖女』としての『お役目』があり、生活は聖女の役目中心となる。
そういう面倒事があるにしても『聖女』のネームバリューや教会の後ろ盾には凄まじいものがあり、選抜の際には対象の女性たちが浮き足立つ。
聖女選抜は三年に一度。十五歳以上二十歳未満の未婚の女性が対象である。選抜に出られる機会は一度だけで、ロレナは前回出ていなかった。だから、今年の選抜に出る権利はある。
「? もちろん正気ですし、本気ですよ」
「けど――」
「エリオス大司教。昨今、ノルニア教の教義を軽視する方や自分の都合の良いように曲解する方が多く、頭の痛い問題になっていることは理解しておいででしょう? これにはシュタールベルク家も当て嵌まります。
ノルニア教の当初の理念を今一度知らしめるためにも、ロレナさんの力が必要なのです」
セレスティアーヌは笑顔のまま、まるで演説をするかのように淀みなく朗々と語った。力のある言葉にエリオスが黙り込むと、彼女は満足気に頷く。
「先ほども言った通り、彼女の復讐が優先です。邪魔などは決してしませんので安心してください。
――エリオスは彼女と親しいでしょう? 聖女選抜に出るように促してください。選抜はこちらで対応します」
「以上が用件です」と言うと、セレスティアーヌはあっさりと踵を返す。ツカツカと靴音を立てて扉の方へと歩き出した。
何も言えず、その背中を見つめていると扉に手をかけたところで彼女が振り返る。
「何か不都合があるなら申し出てください。検討させていただきます。では、失礼しますね」
最後までセレスティアーヌは笑顔だった。「検討させていただきます」なんて言っているが、何を言っても「検討しましたが駄目でした」と返されるのが目に見えているので溜息しか出てこない。
(……そういう復讐方法もある、って納得してしまったのが少し悔しいな……。
シュタールベルク嬢に聖女選抜の話をして、彼女が乗り気になってしまったら……仲間じゃなくなってしまう)
再度溜息が漏れる。
今度の溜息はセレスティアーヌに対してではなく、自分に対してだった。




