追記2 人は、物語を求めた
◎記憶の容れ物から物語へ
「宇宙戦艦ヤマト」は1974年に第1作TV版が放送された。宇宙のどこかにあるガミラス星から攻撃され、防衛艦隊はほぼ壊滅、地球は放射能汚染によりあと1年で可住エリアがなくなり滅亡する。極秘裏に建造されたヤマトはしかし、ガミラスへの反抗を諦め、人類を他の星へ逃すための船であった。そんな折、「片道14万8千光年離れた大マゼラン星雲のイスカンダル星にくれば放射能除去装置を提供する」とのメッセージとワープ航法を可能とする波動エンジンの設計図がもたらされ、ただ一隻で受け取りに行く。波動エンジン起動のためのエネルギーを地球各地のわずかに残った地下都市から提供(国際協力)され、人類の最後の希望としてヤマトは旅立ち、多大な犠牲を払いながら任務を完遂する。第1作の宇宙戦艦ヤマトは、そんなアニメであった
「宇宙戦艦ヤマト」シリーズは1974年〜83年で一旦終了し、2009年の復活編まで空白がある。この間、アニメとしてはともかく、野球応援のレパートリーとしては一般化した。最初の吹奏楽譜が出版されたのは1977年のミュージックエイト。甲子園で演奏したのは市立習志野高校(千葉)が最初であるとの説もあるが習高が甲子園に出場したのは1976年春(2回戦敗退)の次は1980年夏(優勝)であり、不明である。ただし、1980年代後半にはメジャーなレパートリーとして認知されており、智辯学園(奈良)や智辯和歌山(和歌山)など強豪校も使っているとの記録がある。この時代は野球の応援曲として世間一般に認知されていた、と考えるのが自然であろう。
なお、メジャーな吹奏楽譜シリーズであるニューサウンズインブラス(ヤマハ)では、2007年の第35集「ジャパニーズ・グラフィティXII 」と2017年の第45集「宇宙戦艦ヤマト・ハイライト」で出版されている。またロケットミュージックでは2015年に出版されている。
アニメではなく実写映画ではどうか。「男たちの大和/YAMATO」(2005年・東映)や架空戦記である「アルキメデスの大戦」(2019年・東宝)、アニメ実写化では「SPACE BATTLESHIP ヤマト」(2010年・東宝)があるが、アニメの「宇宙戦艦ヤマト復活編」(2009年)と合わせ、2005年までは著名な作品はない。呉市海事歴史科学館(通称;大和ミュージアム)の開業は2005年であり(なお松本零士は大和ミュージアムの名誉館長の一人であった)、太平洋戦争/大東亜戦争の語り部が80歳代以上の超高齢で経験を発信しなくなっていく。この頃になってやっと世間一般が「戦艦大和」また「宇宙戦艦ヤマト」を「記憶の容れ物」から「物語」として捉えられるようになった、と言える。
◎「宇宙戦艦ヤマト」は「軍歌」である
宇宙戦艦ヤマトの歌詞は二番まである。近年、「幻の三番四番」の歌詞が紹介されることがあるが、作詞家が認めなかったのは習作かボツか、作品にならなかったものであるのでYouTubeのネタ以上の意味合いはない。
海上自衛隊は護衛艦の出航時などに宇宙戦艦ヤマトを演奏する理由として歌詞の「かならずここに かえってくると 手をふる人に 笑顔で答え」にあやかって「任務に赴く隊員の無事を願っている」としているが、この部分の二番の歌詞は「誰かがこれを やらねばならぬ 期待の人が 俺たちならば」である。自衛隊に限らず公共セクターの業務任務は、「これがないと国民の生活が止まる」「これがないと国民の生命が脅かされる」業務任務である。文字通り「だれかがこれを やらねばならぬ」のである。できるのは、一例として掃海業務だったら海上自衛隊の掃海部隊しかない。一番で「無事に帰ってくるよ」と家族には説明しているけど、触雷して死傷するかもしれない任務を「俺たちにしかできないんだ」と鼓舞する。
「宇宙戦艦ヤマト」は、1974年に書かれたアニメ曲であり、「軍歌」である。
◎人は、物語を求めた
Youtubeで自衛隊が演奏する宇宙戦艦ヤマトを探すと、2010年6月の横須賀音楽隊の野外演奏がいちばん古いようである。演奏曲はニューサウンズインブラス版の「ジャパニーズ・グラフィティXII(TV版銀河鉄道999〜宇宙戦艦ヤマト〜映画版銀河鉄道999)」であった。当然このアレンジにはヴォーカルはないし、曲前のアナウンスが確認できないため、自衛隊内での「宇宙戦艦ヤマト」の立ち位置はわからない。次いで2010年8月、これは「宇宙戦艦ヤマト」単独でミュージックエイト版と思われる。なお、「ジャパニーズ・グラフィティXII」は2011年2月、陸上自衛隊東北方面音楽隊が宮城県松島で演奏した動画が存在する。少なくともこの時点までは、よく知られた曲の一つという位置づけであったと考える。
2011年3月11日。
発災から72時間で自衛隊は3万人、最終的には10万7千人の人員を投入する。定員25万人、実数22万4千人の自衛隊が組織として安定して派遣できるのは1万人、しかしそれを遥かに超えてリソースを投入。殉職者3名(これ以外に公務災害を認められなかった者もいたと聞く)、多数のPTSD患者、除隊者を出す。確かに阪神淡路大震災やその他の災害での自衛隊の活動を見て自衛官を志した者、そう公言する者も多かったが、無力感に捕らわれ自分の立ち位置を失うものが多数発生した。新規任官者は長期減少が止まらない。特に海外派兵の可能性が嫌われた。このままでは自衛隊の組織と活動に支障をきたす可能性がある。
人は、自衛隊は、物語を求めていた。
2011年の自衛隊音楽まつり、「無限に広がる大宇宙〜宇宙戦艦ヤマト」がスキャット/ヴォーカル付きで演奏される。これがウケた。メディアに露出し、ヴォーカルをフューチャーしたCDが発売される。海上だけでなく陸上、航空もニコニコ超会議に出演する。サブカル層にも存在感を示す。
2016年4月の橿原神宮トワイライトコンサート。海上自衛隊は「宇宙戦艦ヤマト」を演奏する理由を、歌詞の「かならずここに かえってくると 手をふる人に 笑顔で答え」にあやかって「任務に赴く隊員の無事を願っている」と説明する。家族に国民に帰還を約束して任務に赴く。帰ってきて、その経験を次に繋げる。英霊になるのではなく帰ってくればこそ、家族を国民を助けることができる。隊員自身も、自らの立ち位置を取り戻す。
そして「物語」が生まれた。
諸々あって疎遠になっているが、親戚が海上自衛隊にいる。平成3年のペルシャ湾は行っていない。南極には少なくとも3回行っている。掃海艇部隊単独から護衛艦とドローンで掃海する体制になった今年、ホルムズ海峡に向かうかどうかは、わからない。
何を言ったらいいか、わからない。




