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追記1 血を流す貢献

2026年4月11日、「イランの敷設した機雷がアンコントローラブルになっている」という報道があった。

機雷は、国際条約では「敷設者(国)が1時間以内に無力化できなければならない」ということになっている。しかし係留が外れて流されたり海底に沈んでしまった機雷は所在が不明になり、処理の難易度が格段に上がる。また機雷によっては最初から海底に敷設し、通りかかった船舶を磁気その他の方法で感知して、浮上して触雷を図るものもある。

このようなアンコントローラブルな機雷の処理を、敷設した国が処理できなくなった機雷を、国際貢献の名の下に日本の掃海部隊が再び除去することになる日が、近づいている。

◎「軍艦」は演奏されていた


 平成3年の海上自衛隊掃海部隊のペルシャ湾派遣において、出発式(4月26日・横須賀)/帰着後の歓迎式典(10月30日・呉)において行進曲「軍艦」が演奏されたことを確認できた。前話「だれかがこれを やらねばならぬ」の前提が崩れてしまったが、修正せずに残す。


 <参考資料>

 ①谷村清次郎;「軍艦マーチ」の誤解と真実.産経NF文庫、2022年11月24日第1刷.

 ②[平成3年6月] 中日ニュース No.1644_2「自衛隊初の海外派遣」;中日映画社.

  https://www.youtube.com/watch?v=zV5S6PY0DSw


 上記資料②において、出発前の乗り組み時に行進曲軍艦が演奏されている様子を見ることができる。また、政府からは大島官房副長官(当時)が海部俊樹総理大臣(当時)のメッセージを代読している様子、中曽根康弘元総理大臣が列席している様子が見て取れる(この映像では、出航時に演奏された曲は明らかではない)。

 ただし別資料には出発式で行進曲軍艦を演奏したことに対しマスコミの反応が強かったため、帰着後の歓迎式典には「行進曲軍艦を演奏するな」と官邸からの指示があった(自衛隊側の猛抗議により撤回)とされる。


 この段階では「宇宙戦艦ヤマトの演奏はなかった」と、私は考えている。第一に海上自衛隊の最高の儀礼曲は「軍艦」であり、この派遣において最も演奏されるべき曲であること、第二に「大和」を冠した曲をこの場で演奏する理由がなかったこと、をあげる。



◎血を流す貢献


 ペルシャ湾派遣の前段の湾岸戦争、日本は多国籍軍支援として130億ドル以上(当時のレートで1.2〜1.3兆円)を拠出したが、国際社会では「金だけ出して人的貢献がない、血を流さない」と揶揄されたとされる。国内では「人的貢献をすべきでは」「血を流す貢献をするべきだ」との論客や政治家が威勢が良かった。ただし多国籍軍によるイラク攻撃の前段、日本人を含めた各国人が「人質」になっていた時期にそれら威勢の良い「愛国者」は働かなかった。この時に唯一行動したのはイラクに乗り込んだプロレスラーのアントニオ猪木(猪木寛治参議院議員)だけであり、結果として日本人人質を解放、ついで各国の人質も解放され、その後の多国籍軍による軍事行動が可能となった。


 人的貢献、血を流す貢献として想定されたのは、自衛隊だった。最初は陸上自衛隊を多国籍軍の支援に派遣しようとしたが法の制約でできず、停戦後、イラクが武装解除後に海上自衛隊の掃海部隊が派遣されることとなった。しかしイラク軍の組織的な軍事活動が停止していても、小規模な勢力からの攻撃を受ける可能性、何よりも処理対象の「生きている、または眠っている」機雷を処理する際に触雷する危険性は、確実にあった(製造した国、敷設した国が機能停止できない機雷を、海上自衛隊掃海部隊は無力化しに行くのだから)。自衛隊を派遣しろと叫ぶ「愛国者」は、仮に触雷して自衛隊員が死傷したとしても、いや死傷してくれれば「血を流す貢献ができた」と意気揚々となる。しかし派遣される自衛隊員は人、任務のために死傷する可能性があっても、「だれかがこれを やらねばならぬ」と任務に赴いた。

 だからこそ最高の儀礼曲である「軍艦」を以て送り出し、また(官邸海部俊樹の指示に海上幕僚監部が猛抗議をして指示を撤回させて)迎え入れた。結果として任務を全うし、511人欠けることなく帰国した。しかし「死ななかった」ことを「戦わない奴ら」に責められる謂れはない。



◎戦艦大和こそがアンタッチャブルな存在だった


 この時代、軍歌全般に対する一般国民の抵抗感はそれなりにあった。太平洋戦争であろうと大東亜戦争であろうと、戦争で被害に遭った、家族を失った記憶が強い人は50歳かそれより上、1990年頃だったと思うが「老人施設で懐メロは好まれるが軍歌は女性入所者を中心に嫌がられる。辛かった戦時中の記憶(80歳ならば20〜30歳代)を呼び起こすためと示唆される」という文献があった。

 ただし「軍艦マーチ」はパチンコ屋でかかる曲、というイメージが一般国民には強かったこともあり、行進曲「軍艦」への風当たりはマスコミほどではなかったと考える。


 一方、アニメとしての「宇宙戦艦ヤマト」はともかく、「戦艦大和」は1991年頃(平成3年頃)においてはまだアンタッチャブルだったと考える。「戦艦大和」が出てくる作品は架空戦記もので1980年代からいくつかあるが、一般人の目に触れる実写映画では1981年の「連合艦隊」(東宝)、1990年8月10日の「戦艦大和」(フジテレビ)くらいで、どちらも大和の最後が描かれた。大和は「沖縄特攻」の任務を課されて沈んだ船であった。自衛隊内の主任務は仮想敵国からの防衛であったので結局は命のやり取りを行うことになるのだが、「目的のために死ね」「死んでも目的を達成しろ」とあからさまに命令できない/しない自衛隊にとっては、「大和」は鬼門であった。

 この状況で、任務上の死をヒロイックに描く「宇宙戦艦ヤマト」はアニメの曲であっても演奏する動機が弱いと考える。



 これが変わるのは、「阪神淡路大震災」を経て「災害から人を守りたい」という想い・動機を個々の自衛隊員が表出できるようになった1995年、海上自衛隊に「歌姫」が採用された2009年、そして多くの日本人が「東日本大震災」で大きな喪失を体験した2011年。生きてこそ、生き残ってこそ、国を国民を被災者を要救助者を、人を守れるのだ、と。


 人は、海上自衛隊は、物語(ストーリー)を求めた。

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