49、崩壊の始まり−3
「陛下はこれに関し何も引き継ぎはなかったのですか?」
「ひ、引き継ぎ?」
前陛下、父上はタングストン侯爵家について何と言っていたか…?
タングストン侯爵家は代々魔力の強い家柄で、強大な軍事力を保持し、圧倒的なカリスマ性で兵士たちに絶大な信頼を寄せられている。
『タングストン侯爵家を敵に回してはならない』
前タングストン侯爵家の愛娘 バーバラと兄上 ウィリアム第1王子との婚約はタングストン侯爵家の人気と軍事力を取り込むために政治的判断で締結された契約だった。それを一方的に破棄しただけでなく殺害は王家の重過失、クーデターを起こされてもおかしくない事件だった。それを何とか収めるためにこの書類は作られたのだろう、タングストン侯爵家が望めば国から独立しても良いとの極秘の契約…、クーデターを起こされるくらいなら独立を認めるというもの。いやそれだけではないだろう、これには書かれていない約束事があったはずだ。
私は父上から何か聞かされただろうか? 思い出さねば!
何故、タングストン侯爵は今までこの権利を行使しなかった?
出来なかった? そんな訳ない。
そう、出来なかったのではない、しなかっただけだ。
父上は他にどんな条件を付けたのか? どんな条件を飲まされたのか?
「特に引き継ぎはなかったようですね。
………前陛下は我が父に懇願されました。
元凶であるウィリアム第1王子とアリランを処刑し、陞爵するとも、更に広い領地を下賜するとも、条件を提示すれば大概の事は叶えるとも、その代わりこの国を護って欲しい、戦乱の渦に民を巻き込みたくないと。ですが父は沈黙を続けた、いや何も言えなかった。
私たち家族にしてみれば、バーバラを失った悲しみ苦しみは何かで置き換えられるものではなかった。頑なに沈黙を守る父が不気味で生きた心地がしなかったのでしょう。
そこで………前陛下はこれをお作りになった。
『タングストン侯爵家がこの国を護るに値しないと判断した時、無条件にタングストン侯爵が所有する領地を譲渡し独立する事を認める。その際に武力による解決は双方行わないものとする』そしてその後の話し合いで追記された一文、『タングストン侯爵に賛同し、スターチス国を離脱しタングストン侯爵と志を共にすると申し出た者に対しても同様に武力行使などは行わず認める事とする』 こうして父と前陛下の間でタングストン侯爵家独立許可の契約が締結したのです。だから我々はウィリアム第1王子の命もアリランの命も求めることはしなかった、これが経緯です。
そして今その権利を行使します!」
「待て! 待ってくれ!! 何故、そんな…こんな時に何故そのような事を申すのだ!!」
「陛下をこれまで側で見て参りましたがこれ以上お護り出来ないと確信したからです。これは前タングストン侯爵の意志でもあります。
スタッド伯爵夫人に対する仕打ちはこれ以上許容出来ませぬ。
スタッド伯爵夫人、どうか私と共に新しい国を造って欲しい! どうだろうか?」
ああ、お兄様がこれまで『何かあれば私が何とかする、とはこの事だったのだ! お兄様、わたくしの為に…ごめんなさい』
「はい、宜しくお願いします!」
タングストン侯爵に力強く答えると父ガーランド公爵にも視線をやった。父ガーランド公爵は静かに頷いた、その瞳は未だ怒りの炎が灯っていた。
「タングストン侯爵、是非我がガーランド公爵家も共に歩ませて欲しいが、宜しいか?」
不敵な笑みで応える。
「ええ、勿論です。是非お力をお貸し頂きたい!」
これによりこの国を武力で護っていたタングストン侯爵家とこの国の経済を支えていたガーランド公爵家がスターチス国から独立する事が決まった。しかも両者が所有する領地は広大だ。
「我々も共に!」
「我々も!」
次々に挙げられる声に、たじろぎながら拳を握った、国を二分するどころか有力貴族がタングストン侯爵につく可能性があった。つまりグランシス国王陛下は目の前で繰り広げられる無血のクーデター、王位簒奪を見ている状態なのだ。
「ふざけるな! ふざけるな!! 何が独立国家だ!! 許せるはずがないだろう!!
こんなもの無効だ! 無効だ!!」
手元にあった書類を破り捨てようとした。だが保護魔法のかかったその書類は破く事どころか汚すことも出来なかった。
「くそっ! くそっ!!」
ムージマハル国のブリースト王太子殿下が助力を求めたが故にスターチス国が内部崩壊を始めてしまった。一刻も早く自国に帰って国を救いたいのに、それどころでは無くなってしまった。身の置き所がなく見ているしか出来なかった。
アシェリはパパンに耳打ちをした。パパンは目を見開いて娘を見ていたが、優しい瞳になりそっと娘を抱きしめた。こうしている間にも次々タングストン侯爵の下に志を共にしたとと望む者が後を立たない。
「国王陛下、我が国への支援の話はどの様になるのでしょうか?」
ブリースト王太子殿下が口を挟んだ。
「ええい煩い!! 貴様のせいでこうなったのではないか!!」
「そんな国王陛下はお約束下さったではないですか!!」
「ブリースト王太子…ブリースト殿、残念ながらムージマハル国は滅亡しました。現在のところ生存者は確認できておりません。ですから…戻っても国があったところには何もありません。今は焼け野原と死体の山があるだけです」
「う、嘘だ! 嘘だ!! 嘘だーーーー!!!」
カラバスクが叫ぶ。
「それは確かなのですか? 今ムージマハル国は危険な状態ですよね? ではそれを誰が確認したって言うのですか!! 何かの間違い…間違いではないのですか!? うぅぅ」
「事実ではありますが、信じるも信じないも自由です、お好きになさってください」
2人は膝から崩れ落ち慟哭を上げていた。
「申し訳ないが我々は退城させて頂く」
「そうですな、ここにもう用はない、この書類は返して頂く。建国の際はご連絡させて頂く」
そういうと、ゾロゾロと部屋から出て行ってしまった。残った者は少なくどちらに付くべきか思いあぐねていた。
「ま、待て! ムージマハル国が滅亡したと言うことは次はこの国であろう? 誰が私を護るのだ? タングストン侯爵戻ってくるのだ!! タングストーンー!!」
陛下の声が虚しく響いていたが振り向くことはなかった。
「ガーランド公爵、宜しければこれからの事を話し合いませんかな?」
「ええ、いいですね。アシェリ、先に帰っていなさい」
「はい、お父様。 タングストン侯爵閣下、お助け頂き感謝申し上げます」
深く感謝の礼をする。それを目頭を熱くしながら見つめる。
「私はどうしてもアシェリ伯爵夫人には幸せでいてもらいたいのだ。私の妹もただ一生懸命だっただけなのに、悪役令嬢と罵られ辛い思いをしていた、アシェリ嬢も同じだろう? だから紛争の地に行かせることなど絶対に許しはしない!」
「はい…、タングストン侯爵閣下のお心遣いに感謝申し上げます。このご恩をどうお返しすればいいのか。 第二の父としてお慕い申し上げます」
「笑って幸せでいてくれれば、それだけで良いのだ。さて、敵も迫っている事だ、愛する者たちが不安なく生きる事が出来る世界を守る為にもう一踏ん張りしようではないか」
「ええ、そう致しましょう」
タングストン侯爵、父と別れ、アシェリは1人屋敷へ戻った。
センダラーハン国では宿願を果たしムージマハル国を滅亡させたことに祝杯をあげ国中がお祭り騒ぎとなっていた。そんな中、不穏な状況を生み出すモノがあった。最近 急に出回っている冊子だ。この国にはない手法で絵がセリフと共に描かれ、その状況がありありと伝わる絵本のようなもの。そこには実在の人物が描かれている。
初めて見た時はあまりの恐ろしさに見る事を恐れ、躊躇いすぐの処分しようと思った。だが、誰かにその現場を見られていたとしたら、処分されるのは自分だと思うと燃やす事も出来なかった。いや、実際に燃やそうとした者もいたが、魔法を使っても油を使っても燃やす事ができない。それが誰かの怨念のようで更に恐ろしかった。その冊子を目にする者が増え続けると、頭に中で囁く声が聞こえ始め次第にその本の内容を同僚と話すようになっていった。
その冊子にはこの国の王 ラウゼス三世陛下の淫らな秘め事が描かれていた。登場人物は全員顔がそっくりで名前も一致している為、嫌でも脳内で映像がリアルに広がる。
男同士で尻の穴に×××!! これは禁忌だ! これを陛下がご覧になれば多くの血が流れるだろう。
そう言えば国王陛下は女性を寄せ付けないと有名であった。
お立場上、妻を娶り子を儲けはしたが夫婦仲が良いとは聞いた事もない。陛下は冷たい目で他者を寄せ付けない。一説には女性が陛下に取り入ろうと媚薬を使ったり争ったりする事にうんざりして毛嫌いしていると言う話だった。王妃陛下とも医官が排卵日などを確認して一発必中で2ヶ月後妊娠していなければまたセックスする日を決めると非常に淡白な夫婦関係だった。
それが冊子の中では男同士で互いを求めまぐあい愛を囁いている。
しかも何と国王陛下が受けであった!! 相手は侍従!あの侍従なのだ。
普段陛下は非常に冷徹な方で、その侍従アゼルバインに対しても厳しい物言いをしているのに、ベッドの中では『アゼルごめんなさい、あんな言い方をして許して』と泣きながら許しを懇願している。アゼルバインにしても普段は物静かに甲斐甲斐しく陛下に付き従い無口なのだが、ベッドの中では卑猥な言葉を浴びせ国王陛下をヒーヒー啼かせている。
その赤裸々な性生活に絶句していた。魔術師としても名高い、冷静沈着で冷徹な完璧主義者の国王陛下が、実は恋人アゼルバインに対しては甘えたゴロニャン系で、極まると赤ちゃん言葉で話し、羞恥プレイで責められて喜んでいる姿は衝撃であった。そこに記載のある会話も実際に起きた事件やイベントとも一致しており事実と思えた。
それともう1種類、冊子は2本立てで、バトラス軍事参謀のものもあった。
こちらはバトラス軍事参謀の小児性愛が描かれていた。年は5歳〜8歳位までの男女、自分の寝室に引き込み、共にオムツをしたりおしゃぶりをしたり身体中を舐めまわし、子供たちの排泄するところを見ていたりとこちらもかなりの変態っぷりだった。
そこには部屋の調度品など、これも見る者が見れば間違いなくバトラス軍事参謀の屋敷である事がわかった。
2人の絶対的カリスマの人物に思い描いていた理想がガタガタと崩れ落ちて行った。
女性に対してストイックと思っていたのがまさか、性的対象者では無かったからとは思いもよらなかった。
最初に反応を見せたのは王宮内の女性たちだった。汚いものを見るかのように軽蔑した眼差しを向けた。女性の噂話は瞬く間に広がりとうとう陛下たちの耳にも入ることになった。
そしてその冊子を取り寄せて愕然とした! それは疑いようもない事実だった。当然その場にいたのは恋人同士である2人、あの部屋に除き部屋があったのか、魔道具などの仕掛けがあったのか必死に探したが何も出てこなかった。
絶対的カリスマ性の仮面が剥がれている頃、予定通り作戦はムージマハル国からスターチス国へ向かう道へと移っていた。
何としてもこの作戦を成功させ国内に蔓延る良くない噂を払拭したかった。
手筈は整っている、ムージマハル国で何度も行ったように魔鉱石に沢山の魔力を込め魔法陣により強大な魔法をぶっ放す!
明日には話題はすり替わる、そう信じていた。
空に現れた魔法陣は見慣れたものであった。凶悪な魔法の雨となり一帯を火の海と化す魔法陣。
何故それがここから見えるのか、そう思った瞬間空から魔法弾が無数に降り注ぎ轟音と爆風と地響きと地震を感じた。何が起こったのか全員がパニックになり逃げ惑うが、足元もおぼつかず怪我人や死者が続出した。空には次々魔法陣が出現し、魔法弾が雨霰と降り注いで行く。街はあっという間に業火に包まれて人々だけではなくあらゆる命を奪って行った。
「おい、これは何だ!?」
「分かりません!」
「どこからの攻撃だ!? 我が国に戦争を仕掛けてきているのか!?」
幸いにも王宮には魔法弾は落ちてこない。
密偵などを使いどこからの攻撃か調べさせている。だが密偵が戻る前に妙な噂が広がる。
『今回の魔法弾は我が国の攻撃が目標地を間違えて 自国を攻撃してしまったらしい』
『魔術師として名高い陛下も男の恋人の事で頭がいっぱいで手元が狂ったってか!』
『バトラス軍事参謀もあんな厳つい顔してバブバブがいないとやる気が出ないって?』
『家が無くなっちまった! どうしてくれるんだ!!』
『家族が死んだ! 誰のせいだ!!』
『秘密が暴露されて動揺した結果!?』
国民の不満は国でありラウゼス三世陛下やバトラス軍事参謀に集まっていた。
そしてまた空に魔法陣が現れた! 街は阿鼻叫喚、逃げ惑う姿に発狂する人間、王宮以外は魔法弾により穴がボコボコ空いて今なお燃え盛る、最早無事なところはなかった。追い立てられるように国民は唯一無事な王宮へと押し寄せた。押し戻す兵もいて陛下に対する不満は更に膨らんでいった。
見上げると空一面に魔法陣が浮かび上がる、人々は恐怖し震え上がる。
ラウゼス三世陛下やバトラス軍事参謀も必死で解析するが何も分からない。
送っていた密偵が戻ってきた。
「どうであった! どこが我が国を攻撃しているのだ!?」
「申し上げにくいのですが、どこでもありません。我が国がスターチス国を攻撃する為に組んだ術式の攻撃目標がここになっていたようです」
「そんな馬鹿な!! あり得ない! あり得ない!!」
立ち上がって机を叩いたものの力が抜けて椅子に崩れ落ちた。
「研究室へ行く!」
力の入らない膝に気合を入れて向かう。研究室で魔法陣を確認するも間違いはない。魔鉱石にこれまでの魔力を極限まで集めて向かわせた。今回の一発で大国スターチスの半分が吹っ飛ぶ計算だった。それだけの威力のモノを持たせて向かわせたのだ。
成功の報せを今か今かと待った。
その間にも国中からラウゼス三世陛下に対する不満が膨れ上がる。
軍を使って民衆の不満を抑えるが兵の家族も随分被害に遭っている、気持ちがわかるだけに強硬手段も取れないでいた。苛つくラウゼス三世陛下は魔法を使って無理やり押さえ込んでいた。尊敬すべき類稀なる天才魔術師ラウゼス三世陛下とバトラス軍事参謀の人気は地に落ち、今や国民と王家とは対立していた。
空が一際輝いた!
ズズズズズズ、ゴォォォォォォォォ!!
眩い光に外に目をやった、尾骶骨に響く地響きの後 目にした光景は…地獄だった。
今まで見たことのない光景に人々は呼吸する事も忘れた。
巨大な魔法陣が空に浮かび上がり文字一つ一つが光りが漏れ出して眩い輝きを放つ、太いレーザービームの様な光が縦横無尽に走る、強大な魔法が発動すると一瞬で見渡す限り見晴らしの良い何もない荒廃した世界に変わった。
言葉が出なかった……。
何が目の前で起きているか脳が理解する前に全てが終わっていた。やっと脳が再起動すると、眼下には恐怖する者と憤怒した者が現れ、人々を阿鼻叫喚の地獄に落とした。
『こうやってムージマハル国を滅亡に追い込み1人残らず殺してあんなに喜んでいたではないか、人の死が好きなのだろう?』
『ムージマハルの民たちが見た絶望を見られて良かったな』
『お前たちは人々の絶望を見る事が好きなのだろう?』
『もうすぐだ、もうすぐお前たちの番だ』
『この世の終わりを見せてやろう』
『お前たちの死も誰かがきっと喜ぶ くふふふふ』
センダラーハン国で今生きているのは王宮にいる者たちだけだった。
生きている者たちの頭の中に繰り返し響く声。耳を塞いでも鳴り止む事がない。数日前までお祭り騒ぎしていた自分たちを呪う。悍ましい何かがヒタヒタと近づいてくる音が聞こえる気がする。城の敷地に避難している普通の平民は発狂した、王宮で働く者たちも同じだった。
次の日になっても次の日になっても何の攻撃もない。この緊張感に誰もが限界だった、何かをしていなければ耐えられない。王宮の中でもラウゼス三世陛下を責める声が日々大きくなって抑えられなくなってきた。
「陛下、如何致しますか?」
「どこからか進軍の兆しはあるか?」
「いいえ、ありません。やはり今回も陛下の魔法陣の目標地がこの国となったようです…」
「何故だ!! あり得ない! 特に今回は何度も確認した! 研究所のメンバーだって確認したのだ! な、何故なのだ!!」
「そうです! 陛下の魔法陣は完璧でした、間違ってなどおりません!! 一体どう言うわけなのか…全く理解出来ません!」
「そうです! 我々が証人です! 何度も確認したのです、間違いなどない!!」
ガシャーーーン! ドガーン!
「敵か!?」
「いえ、王宮にいた兵士たちです!」
「何!?」
絶望の果てに憤りの矛先をラウゼス三世陛下に向け、味方であるはずの王宮内の兵士たちがラウゼス三世陛下を殺す為に武器を持ち向かってきていた。