28、アシェリ入学
あの舞踏会の後マリアは学園を休んでいた。あれだけの騒ぎがあったので皆納得していた。
学園内は何事もなかったかの様な平穏そのものだった。
アレクシス王子殿下とパトリシア公爵令嬢は理想のカッポーとして認知されている。
マリアがいなければ至って平和な学園生活だった。
そしてとうとうアシェリの入学。
今年の代表はペトローシス第3王子、アシェリは顔を出して入学式を迎えた。
ここにいるアシェリは伯爵夫人として立つので、ペトローシス王子殿下のお相手に並び立つこともなかった。(ペアを組むと言う意味でだ)
女性代表はアーノルド公爵家のルチアーナ様がご挨拶をされた。
正式に入学するとアシェリの気品が際立つ。
そこにいるだけで花が匂いたつ大輪の薔薇、座る姿は優美なカトレア、歩く姿は可憐な桜の様な完璧な令嬢だった。そこには前髪で顔を隠す怯えたアシェリの姿はなかった。
ただ物静かで控えめに佇んでいた。ただ皆は神々しくて声がかけづらく盗み見して惚けていた。
そこに取り巻きになりたい者たちが束になってやって来た。
家で質疑応答を勉強してきた。でも、何か揚げ足を取られ失敗したらと思うと結局何も話す事ができない。顔は固く無表情になりずっと『口数の少ない無口な令嬢』となり黙りを貫いた。
頭の中ではイベントの復習。裏庭注意、 廊下ですれ違う時は正面見て相手をメンチ切る真似をしてはいけない、取り巻きを引き連れてはいけない、王子に近づかない目を合わせない、攻略対象・マリアには近づかない! これ大事!
セルティスお兄様…旦那様が傍にいてくれれば心強いけど、側近としての仕事があるのであまり一緒にいる事は出来ない。
そこで『権力』使いました。
魔術の指導として王宮魔術師を特別教官として召喚!
勿論 対外的には関係者と知られない様に王宮魔術師 特別教官として赴任し、結界魔法の特別授業としてアシェリを指導している体である。本来は王宮で制御を学ぶことになっていたが、王宮を毛嫌い ケフン 王子たちを恐れ短期間でマスターしたのでその後は参加しなかった。(バーバラちゃんはタングストン侯爵家の優秀な魔術師だからね)
授業と授業の間も休み時間と言う休み時間はその教官 レナード・クラウン卿とサフォル・バーナム卿の指導を受ける。教室は特別室で魔力漏れ、魔法緩衝効果がある部屋で特訓をしている…ことになっている。
実際は魔法談義をしているだけ。人見知りのアシェリも興味深くお話を聞いている。
教室の出入り口には記録の魔道具で本人確認がされる。2人の教官は部屋で仕事をし、アシェリが来るとアシェリを指導する体だ。王宮の優秀な魔術師なので、一般の生徒も勿論指導を願うこともあるが、指導自体は指導教官からしか受けられない。ただ、稀に王宮魔術師はどんな仕事をするのか、王宮魔術師になれない場合はどんな就職先があるのかなど具体的な話が聞けるとあって、教室を訪れる者もいた。すると、同じ教室で魔法訓練を行なっているアシェリを見る事ができた。話すことは叶わないが、横目で垣間見るくらいは出来た、それもあってひっきりなしに来る生徒、その者たちもアシェリのアリバイに一役買っていた。
これで善意の第三者の証言を確保。
クラウン卿とバーナム卿はどちらかが必ずアシェリに付き添う様にした、結界魔法の解明と無意識下で制御できなかった場合の保護のためと名目をつけ警護した。騎士としても優秀らしい。
パパンがアシェリを心配してつけてくれたのだ。まあ見つからない様にハルクとグレンもいるけど、あっちはアシェリ専属だからアリバイの証人には出来ない、身を守るために存在している。
こうしてアシェリは相変わらず存在感を消し沈黙した。
驚いた事が起きた。
マリア・ダラス男爵令嬢が復学した。
まあ、それはともかくとして人が変わった様だった。いや、戻ったと言うべきか…アレクシスに固執していたマリアは消え、普通の明るく元気な聖女マリアになっていた。休学の間に教育されたらしく所作も貴族のそれとなり、アレクシス王子殿下を追いかけ回すことも無ければ、『悪役令嬢アシェリ!』と呼び捨てにすることもなかった。
だが本当に驚いたのは周りの反応だった。
皆まるでマリアを忘れているみたいだった。あんなにも拒否反応を見せていたのに、以前のマリアには会ったこともないように『聖女マリア様』と呼びかけ有り難がるのだ。
これは一体どう言うことなのだろうか?一抹の不安に駆られた。
「クラウン卿、バーナム卿 セルティス様にお会いしたいのですが、宜しいでしょうか?」
「承知致しました、参りましょう」
「あの、不躾ではございますが、お2人は休学される前の聖女マリア様に面識はございますか?」
「一度だけお茶会でご挨拶をしたことはあります。でも、お話はしておりません。セルティス様は殿下にお会いに来るマリア様にお会いしたことはあると仰ってました」
「そうですか。正直言って以前はあまりいい噂を聞きませんでした…今の彼女とは別人の様ですね」
「ええ、私も魔法訓練で見かけたことがあるのですが、最初の印象から日ごと変わっていきました。今はどちらかと言うと、最初の印象に近いようです」
「あの〜、何故か皆さん以前のマリア様をお忘れの様なのです、何故休学していたかや、どんな性格だったかなど、まるで何も無かったようにお忘れになっているのが不思議でなりません」
「…確かにそうですね。……少し探ってみます」
「危険なことはなさらないでくださいね」
「ええ、お嬢様も」
「スタッド伯爵、アシェリ・スタッド嬢がお見えです」
「えっ!? ああ、有難う。殿下、すみません、少し席を外します」
「良かったら、そこのテーブルを使っても良いよ?」
「はい、有難うございます。ですが、用件がわからないので…少し出てきます。では失礼致します」
そう言うとセルティスは部屋を後にした。
なんだよ、部屋で話せばいいじゃないか、少しでも会いたかったな。
別室に行くと結界を張った。部屋の外でクラウン卿とバーナム卿が待機している。
「どうしたの? 珍しいね?」
「セルティス様〜!」
思いきり抱きついた。
「ん? どうしたの?何かあった? アーシェ?」
「セルティス様 …わたくし怖いの」
「怖い?」
「聖女マリア様にお会いした?」
「ああ、何だか別人のようだとか。それで?」
「周りの方たちがね、皆以前のマリア様をご存知ないようなの。あからさまに嫌な顔をしていた方達までも、『聖女マリア様』って歓迎されるの」
「ええ? 彼女を!?」
「まるで皆さん以前の記憶がないように…過ごされているの。だからセルティス様もマリア様にお会いになったら好きになってしまうかもしれないと思って」
「そうか…それが不安だったのだね? アーシェ…会いに来てくれて有難う、 ちゅ 思っていることを教えてくれて有難う、大丈夫、大丈夫だよ。きっとアーシェが思っているようにはならないよ。もし 怪しくなったら何もかもを投げ捨てて一緒に逃げればいいんだから、ね?」
「本当? セルティス様が頑張ってきたものを私が奪っても…私の傍にいてくれる? マリア様に会っても私のことわすれたりしない?」
「うん、ずっと一緒にいる。それに私は心からアシェリを愛している、それを誰かの手で捻じ曲げられるなんて耐えられないよ。絶対にこも思いだけは忘れたりしない、それが私の意思だ」
「すんすん…有難う ふぇ〜ん セルティス様ぁぁぁぁ」
「ん、よしよし、愛しているよ ちゅ 私のアシェリ」
落ち着いてから今後について対策を考えることにした。
パトロシス王子殿下は王宮で軟禁されていた。
元から問題行動が多くあの舞踏会が決定的となり、国王陛下自ら王子の資格を停止し軟禁された。よってパトロシス王子殿下が権力を使い軟禁を解かせようとしても無意味だった。
王妃陛下も流石に庇いようもなく沈黙した。
パトロシス王子殿下は最初こそは『聖女マリアは正しい! 彼女こそが正義だ!』と言い続けていたが、次第に大人しくなっていった。大人しくなった後は部屋でボーッとする事が多くなった。落ち着きを取り戻すと部屋で勉強もするようになった。それはもう憑き物が落ちたように変わった。他にすることもなく部屋で物思いに耽った。
パトロシス王子殿下にも学友は選定され王宮から共に学んできた者が3人いる。
その者たちもパトロシス王子が謹慎されて3日後には解散された、また王子の身分を停止すると言うことで王宮からも居を移された。そこは王宮の煌びやかな佇まいとは違い人の寄り付かない幽閉場所と言ったところだ。1人だけ侍従を伴うことが許可された、それ以外は扉の外と屋敷の至る所には兵が立ち、食事の時間に食事が提供されるだけで身の回りの世話を焼く者は他にいない。パトロシス王子殿下に付いていた護衛も今はいない。
頭の中にあった凶暴な思考は徐々に晴れていった。
そうすると残ったのは虚無感だった。
パトロシスは小さい頃からアレクシスに対抗心や劣等感を抱えていた。
年子の2人は多くの時間を共に過ごし多くのものを共有していた。競い合いながら成長していった。だが決定的に違うものもあった…。アレクシスは第1王子でパトロシスは第2王子、その扱いは明確に違った。それは物心がつくようになると明確に大きく変わっていった。
母親代わりに自分たちと常に一緒にいた乳母マーガレットは兄上の専属、私にも乳母モンタナがいたがマーガレットは特別だった。私たちは普通の家族というものは知らないが、マーガレットが与えてくれる愛は慈しんでくれる母親がいない私たちの癒しであった。共に走り、共に笑い、共に泣き、時に叱り常に寄り添い本音で話してくれた。そして私たち2人を分け隔てなく接してくれた。私のモンタナは幼い私の顔色を伺ってどこか空々しかった。
そんな大好きなマーガレットも半年経つ頃には兄上を優先させるようになった。大好きなマーガレットの愛は全て兄アレクシスだけのもの。
人の目のないところで、共にいる時はパトロシスにも平等に接してくれたが、乳は決して飲ませてくれなかったし、どんなに寂しい夜も一緒に寝てくれることもなかった。だから私が優秀になれば私のものになってくれるかもしれないと思い、幼いながらに努力した。年子の私たちは競い合い切磋琢磨し追い抜いた!そう思っていた、だが成長するにつれてその差はすぐに埋まり追い越された。そしてその兄上の成長をマーガレットが誰よりも喜んだ。
ショックだった。
私はマーガレットに褒めて欲しかったのに!!
だから何としても気を引きたかった。傍若無人に振る舞うと皆が僕を見てくれた。
だけど牢屋に入れられた後、兄上は変わった。
今までは私と一緒に何でも競い合い面白がって悪戯もしたのに、表面上は優等生になってしまった。そうすると周りの反応も目に見えて良くなっていく事がわかった。だからパトロシスも良い子になろうと努力したが何をしても前ほど僕を見てくれなかった。兄上との差は埋まらないばかりか開いていくばかり…。
周りの者の興味はアレクシス1人に集中した。
『流石は第1王子殿下 優秀でいらっしゃる! これでこの国は安泰ですな』
その頃になると兄上はバレないように悪戯するようになった。うっかりバレても優等生の兄上がそんな事をする訳がないと思われた、そして悪戯をすると周りの者は私の仕業と思った。だから私も思いっきり悪戯をしてやった。
『アレクシス王子殿下がパトロシス王子殿下のせいでタチの悪い悪戯をするようになった』
兄の悪戯はすぐにバレた、マーガレットの手によって暴かれた。
『2人揃って大人の関心をひこうと悪戯をしているのです』
マーガレットは私たちを同じように叱った。
だが周りはパトロシス王子殿下がアレクシス王子殿下に悪影響を与えていると言い、何もかもを私のせいにする。
どうせ自分のせいにされるなら、もっと思いっきりやってやる。
そして気づいた、周りは第1王子が大切なのだ、第2王子は第1王子のスペア、だから第1王子より優秀でも目立ってもいけない、影武者のように過ごさなければならない。第1王子には最高のものを取り揃える、第2王子は2番手があてがわれる。だからマーガレットも私のものにはならない。どんなに望んでも自分にはお下がりのような出涸らししか集まらない、全ての一流は第1王子のものになっていく、兄上のものにならなかった溢れた余りしか手に入れることはできない、それが私の人生。
あの日、アシェリを初めて見た。
今まで見たこともない可愛らしい女の子だった。一生懸命練習しただろう言葉を並べ笑顔を振りまいていた。周りの大人とは違い純粋な目で見つめ返してくれる存在。こんな純粋な目を向けてくれる人はいなかった…だから自分のものにしたくなった。
兄上の相手に選ばれたであろうことは周りの反応で分かった。
つまり彼女もまた一流なのだろう。でも譲りたくなかった、だから彼女を貶して兄上が興味を失えばいいと思った。だけど事態は思うようには動かなかった、動かないどころか思わぬ方向へ転がってしまった。噛み合わなくなった歯車はいつの間にか外れて落ちて元には戻れなくなってしまっていた。
牢屋に2人とも入って不安だったが、兄上も一緒に牢屋に入れられたことにどこかでホッとした。もしかしたら自分だけ処罰され兄上は免除されるのではと思ったからだ。
牢屋の中は恐怖の箱、そのものだった。大いに反省し、それからは王子として普通に生きてきた。
だけど…学園に入るとまた劣等感と第1王子贔屓と疎外感に苛まれた。誰も自分に期待する人もいない。兄上の側近は見るからに優れていそうだった、特にセルティスという奴は他の奴のように兄上に媚び諂う様子もなく純粋に仕事をしていた。私の側近とは全然違った。そう感じると兄上の持つものと私のもつものを比べてばかりいた。バランスよく選ばれた側近たちは兄上の即位後役立つように選ばれた、一方私は身分で選ばれた者の気がする。
そんな中声をかけてきたのは『聖女マリア』だった。
最初は王子と言う名に釣られたのかと思った、周りはマリアを嫌っていたし、我々には接点もない。だけど、マリアは私の目をまっすぐ見て共感し『何でこんなに何でもできるのに自分を卑下するの? 身分や能力が高くても使わなければ持っていないのと同じだわ。それにみんな持っているものをフルパワーで使っている訳ではないでしょう? 自分が持っているものを出来る範囲で活用させればいいんじゃないかしら? 私なんて出来ないことだらけよ? だからこそ補い合える! 私たちは1人きりで生きている訳じゃないのだから、みんなで協力すればいいじゃない! 持っていないものばかりに目を向けないで持っているもので何が出来るか考えてみたら?』
その言葉に確かに救われたのだ。
どうせ足掻いたところで人生が変わるわけでもない、なるようにしかならないのだ。
肩の力が抜けた。あの時やっと劣等感に苛まれ所詮スペアと蔑んでいたのは自分自身だと気づいた。
それから気持ちが軽くなっていたのに、いつから周りを憎むようになってしまったのだろうか………。普段と変わり映えのしない生活に何か変化はあっただろうか?
……………………………………カップケーキ!
そうだ!カップケーキが余ったからとマリアに渡されたのだ。
あれを食べてから不思議な事に感情の制御ができなくなっていった!!
あれに何か含まれていたのだろうか…?
アレを3週間〜1ヶ月に1回貰う事が楽しみになっていた。
今は食べていないから薬が抜けたのか? 確証はないがそんな気がする。
私はマリアに謀られたのだろうか?
ああ、情けない! 情けない! 情けない!
馬鹿だなぁ〜、苦しいなぁ〜、私は結局1人ぼっちなんだなぁ〜。
誰もいない部屋を見回して、その場に膝から崩れ落ちたパトロシス王子だった。