25、社交界デビュー−3
「お兄様と踊るのはいつ以来かしら?」
「ん? そうだな…もう50年近く経つかな?」
ウィリアムとの婚約が決まってからはウィリアムと踊る事が多かった。普通ならウィリアム以外とも踊れるのだが、ウィリアムが外交も社交もせずにバーバラに任せきりだったので、ウィリアムと踊った後は忙しく外交や社交をしていたのだ。
「うふふふ お兄様がおじさんになってしまったみたい」
「コイツめ、ああ、そうだよ私はおじさんになってしまったのだ」
「あ、このステップ覚えてるわ!」
「おっそうか? 昔のようなキレはないがな」
「嬉しい…凄く嬉しい。お兄様覚えててくださって、有難う…お兄様。お兄様がお変わりなくて凄く嬉しい。お父様とお兄様に会えて 覚えてくださって 今もこうして愛してくださって、こんな形ですが幸せです」
「当たり前だ。私たちの大切な宝を忘れるわけないだろう? 私たちこそ死ぬ前にお前に再び会えるなど…くっ、心にずっと蟠っていた重荷が、お前の幸せそうな顔を見るたびに解けていくよ、幸せを有難う」
2人は初めて踊ったとは思えないほど素晴らしい息のあったダンスを披露した。
ダンスを終えて名残惜しそうに見つめ合い挨拶をしていると、喧しい声がした。
だが2人は気にする素振りもなく、タングストン侯爵はアシェリをセルティスの元へ送り届ける為にエスコートする。
「彼は知ってるの?」
「いいえ、わたくしの中にいるわたくしのことは誰にも…今のところは」
「そうか、…分かった」
「お帰りアーシェ。タングストン侯爵有難うございます」
「いや、大切な宝をお借りしたのだからね、キチンとここまで送り届けねば、良からぬ事を考える身の程知らずが多いのでな。
こんなにも美しい人と踊れて寿命が伸びた気がするよ、こんなおじさんとダンスを踊ってくれて有難う。何か困った事があれば力になるから何でも言いなさい」
淑女の礼をとって、
「タングストン侯爵閣下、感謝申し上げます」
「うむ、ではな」
勿論ガーランド公爵家の者は既にタングストン侯爵とアシェリが面識がある事は知っている。つまりこれはこの会場に来ている者に見せつけているのだ。アシェリとタングストン侯爵家は懇意である親密である、アシェリの後ろ盾に自分たちがいると示しているのだ。アシェリはガーランド公爵家の令嬢で強大な権力と財力を持つ、その上にタングストン侯爵家の武力という後ろ盾まで得た。更に喉から手が出るほど欲しい女性となった、だが既にスタッド伯爵のもの。しかもガーランド公爵もタングストン侯爵もセルティスの存在を認めているらしい…迂闊に手は出せない存在でもあった。
アシェリにダンスを申し込む輩が後をたたないが、ガーランド公爵家の鉄壁のガードを打ち崩せないでいた。
見るとダンスフロアではアレクシス王子殿下とパトリシアが踊っている。
流石の王子然と言った感じで見事なダンスであった。
アシェリは何となくダンスフロアを見ていた。
ああ、良かった… アレクシス王子殿下との縁は切れたわね。ふヒィー
「セルお兄様」
袖をツンツンと引っ張り顔を向けるのでセルティスは少し屈んでアシェリの口元に耳を寄せる。
「これでアレクシス王子殿下は大丈夫よね?」
今度はセルティスがアシェリの耳元に囁く
「ああ、今の王室にとってはクーゲル公爵は逃せないだろうからね」
「はぁー、良かった…。ねえセルお兄様…セルティス様」
セルティスの首がグルンと回わりアシェリの顔を見ると鼻と鼻がぶつかった。お互いに鼻を押さえながら思わず笑みがこぼれる。
「凄くドキドキした…!」
「うふふ だって旦那様だから…もうお兄様じゃおかしいかなって」
「…不味いや 泣きそう。あれ、本当に…どうしよう!」
胸あたりの服を鷲掴みにして必死に泣かないように耐えてる。
「大丈夫セルにーに?」
「ぷはっ! はは…はは懐かしいな。 抱きしめてもいい?」
「勿論よ! 旦那様ぁ〜。むぎゅー」
「あはは 奥様、いきなりの名前呼びは心臓に悪いよ。でも凄く嬉しかった。
ねえ アーシェ、今度2人の時に名前で呼ばれたら きっと抱きしめてキスするけどいい?」
意地悪い顔で意趣返しをするつもりだ。
真っ赤になって恥ずかしがるアシェリを想像した。ふふん、年下に負けっぱなしはない。
「本当? 嬉しい! お兄様にとってわたくしはいつまで経っても妹だったら嫌だなって。
嬉しい! やったー! 楽しみだわ!!」
ピョンピョンと跳ぶ。セルティスは膝に力が抜けて後退りした。
「完敗です。 …お手柔らかにね奥様」
アシェリはガーランド公爵家の周りを侍女・侍従・護衛で囲まれているので人に見られていないと思ってまたぎゅーっと抱きつく。
「緊張は取れたの?」
「皆がいるこの中は大丈夫みたい」
「そう、これからどうするかもアーシェの好きにしていいからね。アーシェの希望に沿うように私は頑張るから」
「もう、セルお兄様だけが頑張るんじゃなくて…私ももう少し頑張るから2人で幸せになろうね。だから1人で無理はしないでね」
「うん、有難うアーシェ」
正直 楓は恋愛経験ないし、バーバラちゃんも恋愛経験なし寧ろ婚約者との苦行がトラウマ、だからここはアシェリちゃんにお任せしている。アシェリちゃんは素で可愛い。イタズラな表情が小悪魔風だけどやっぱり天使。おばちゃんは遠くで見守るよ、戦力外だしね。だからね、セルティスお兄ちゃんにもっと甘えたいってくっつくのはアシェリちゃんの素直な心情なんだよ、可愛いね。
見られてないはずが周りはずっとガーランド公爵家を見ているのだ。
だから陰気な幽霊令嬢がその実 1人の男に見せる様々な表情に魅せられた。美しいだけではない生きてそこにいる生身の人間だと感じ俄然欲しくなる。
そしてその様子をダンスを踊っていたアレクシスも目の端で捉えていた。
目の前にはパトリシアがいるにも関わらず…。
『アシェリはいつも私の前では怯えていた。幼い頃無意識にあの結界が張られた時の恐怖に怯えていた顔がこびりついている。それから何度か見かけた彼女はいつも髪で顔を隠していた。身を翻した時に垣間見えた顔には恐怖と怯えが見えた、だがその姿さえも美しくあの日以来、私の心を掴んで離さない。
残念だが私は誓ってしまった、必要以上に近づかないと、悔やんでも悔やみきれない。
マリアに執拗に追いかけ回されて 訳の分からない言葉を浴びせられるたびに、自分の中に恐怖が広がっていった。その時になってアシェリの苦悩を理解できた。
ああ、こう言う事だったのだ、理性では如何にもならない、ただ目の前の存在に怯え恐怖する。放って置いてくれ捨て置いてくれ近づかないでくれ…。
あんなにも美しい女性が『陰気な幽霊令嬢』と呼ばれ馬鹿にされてもジッと耐えていたのは心がそう叫んでいたからなのだと…。ひどく悲しかったが、せめて彼女が静かに暮らせるように見守るつもりだった。
アシェリはセルティスと顔を寄せ合い、笑顔で会話をし、抱きついてまた笑顔を見せる。
会話の内容までは分からないが、目が離せない。
パトリシアの言葉が頭に入ってこない。
ああ、彼女が心に棲みついて離れない、いや離したくない! 側に置いて彼女を見ていたい、そうか、これが恋というものなのだな。
「アレクシス様ったら ずっとどこを見てらっしゃるの?」
パトリシアも視線の先に気づいたのだろう。
「ごめん。アシェリの髪の下はあんな顔だったのだなって、それにいつも無表情なセルティスがとても表情豊かなのだ。セルティスが笑ったり困ったりましてや照れたりしているところなんて見た事がない」
「ああ、なるほど。確かにそれは珍しい事ですわね」
「そうなんだ、恋とは人をあの様に変えるのだな…と思ったら目が離せなくてね」
「まあ! …私たちの恋は始まっておりませんの?」
少しむくれたパトリシア。
「すまない、正直よく分からない。パティの事は好きだよ、でも立場上個人的な感情を抱くなと小さい頃から教わってきた、過去の前例もあるからね。『理性的であれ』そう叩き込まれて、どこかブレーキがかかるみたいだ。だからあの2人を見ていたらなんだか眩しくてね」
「そうでしたのね、確かにアレクシス様の置かれている立場は彼女たちとは違うかもしれませんわね。
アレクシス様、彼らの様な赴くままの自由な感情は許されないかもしれませんが、私はどんなアレクシス様でもお支えする覚悟ですわ、それにアレクシス様がわたくしに対しそう言った感情を持ってくださると嬉しく思います」
「そうだね、そうなれるといいな」
パトリシア…すまない。私は既に恋というものに落ちた、それを自覚もしてしまった。
この気持ちを君に向けることはないだろう。でも、この気持ちを強引に実らせようとはしない、それは私も彼女も不幸せになるだけだと頭では理解しているから。ただ、心の片隅にこの気持ちを置くことだけは許して欲しい。報われる事はなくとも見つめていたいのだ。
2人は向かい合いお辞儀をし席に戻ろうとすると呼び止められた。
「待ってよ! アレクシス王子殿下 次は私と踊ってください! アシェリあなたは1人で帰って!」
皆ポカンとして意味が分からなかった。
パトリシアに向かってアシェリと呼びかける、しかも敬称もない。
「驚いているようね、ちゃーんと分かっているんだから! 皆あなたをパトリシアだって言うけどアレクシス王子殿下の婚約者はアシェリって決まっているんですもの、ちょっと考えれば分かるわ。あなた名前を偽っているでしょう! そんな事しても無駄なんだから! 悪役令嬢はさっさと退場して正ヒロインに王子殿下を返しなさい!!」
何を言っているか理解できずに言葉が継げない。
そこにやって来たのはクーゲル公爵。
「お前は誰だ?」
「そう言うあなたは誰ですか? 名前を聞くなら先に名乗ってください!」
自信満々に胸を張るマリア。
「お父様、この方は聖女マリア様です。マリアさんご自分のお名前は言えますか?」
「え? アシェリのお父さん? じゃあ腹黒公爵てやつなのでしょう? 私に何もしないでくださいね!」
「殿下、私はこの者の言っている意味が理解できません。説明頂けますか?」
それは威厳たっぷりに威圧をかけてくる 静かな怒りだった。
「お父様、わたくしからご説明致しますわ。彼女は妄想に囚われて少々心を病んでおりますの、恐らく突然平民から貴族になったプレッシャーで現実と妄想の区別がつかない…コホン。
わたくしたちの言葉を理解できないようなのです。何故かアレクシス王子殿下の婚約者を1度見かけただけのアシェリ様と思い込んでらして…、ですから今はわたくしをアシェリ様だと思い込まれている様です。
何度注意されても理解できないらしく、パードック侯爵も呆れられて養子縁組を解消されたそうです。殿下も迷惑されていて今では護衛を配して会話もしておりません。
ですからお父様、アレクシス王子殿下とアシェリ様に何かある訳ではないのです」
「そうなのですか、アレクシス王子殿下?」
鵜呑みには出来ないが、娘が把握しているようなので言葉を飲み込んだ。
「私から言える事は、私はマリア・ダラス男爵令嬢ともアシェリ・ガーランド公爵令嬢とも何の関係もありません。私にしてもアシェリ嬢にしてもマリア嬢の妄想に巻き込まれて迷惑しています」
「なるほど…ではそれなりの」
「お待ち下さい!」
そこに現れたのはパトロシス王子殿下だった。
「パトロシス王子殿下、どうなさったのですか?」
「何故 皆は聖女マリアの言葉が嘘だと断ずるのです? 彼女は正しく聖女だ! 聖女マリアが真実を語っているとは思わないのですか!? 何故聖女マリアが嘘をつかなければならないのです? 聖女マリアの言うことこそが真実なのです!!」
「やめなさいパトロシス、お前は何を言っているのだ。クーゲル公爵 真に受けないでください。お前たちパトロシスを連れて行け」
「お待ち下さい、パトロシス王子殿下は何が真実だと仰っているのですか?」
「ですから聖女マリアが言う アシェリ・ガーランドこそが悪女だと言う話です! あの女は王子である我々と婚姻を結びこの国を乗っ取るつもりなのです! ガーランドがこの国を!王室を乗っとるのだ!ですから早く排除せねばなりません!!」
ああ、やってしまった……。
この場は舞踏会のダンスフロアだ、多くの者が聞いている。誤魔化すことも訂正することも難しい。
アレクシスは咄嗟にパトロシスの顔を平手打ちした。
「黙れ! 事実無根をお前が口にすれば真実となる、嘘を真実にするなど許されないことだ! 今すぐアシェリ嬢に、ガーランド公爵家に謝罪しろ!!」
「くっ! 嫌だ! ふざけるな! 真実だ! 聖女マリアが真実なのだ!!」
「黙れ!!」
そこに現れたのは国王グランシス陛下だった。
「「父上」」
「陛下」
「ここにいる者たちにはっきり告げる。アシェリ嬢は3歳の時 ここにいるパトロシスに暴言・暴力を振るわれそれ以来 王子たちを恐れ家に籠った生活を強いられて来た。王家は謝罪と婚約を何度も申し入れして来た。だが心の傷が深く辞退して来た。だから今、パトロシスが言ったことは真実ではない。恐らくその当時 牢屋に入れられ反省させられたことに対する腹いせなのだろう。
私はここに宣言する、パトロシス・フォン・スターチスから王子の身分と資格を停止し謹慎とする。
そして、事実無根で再び傷付けたアシェリ・スタッド並びにスタッド伯爵及びガーランド公爵家に対しここに謝罪する」
国王陛下が臣下である伯爵、公爵に公式に謝罪したのだ、これは前代未聞なことなのだ。
国が非を認めた、つまりパトロシス王子殿下と聖女マリアに非があると認めた。
「陛下! あんまりです! 何故いつもあの女の味方なのですか!? 私は王子ですよね?貴方の息子ではないのですか!? 何故いつも私の味方にはなってくれないのですか!!」
「パトロシス! お前は間違っている! 王子だからって何でも許される訳じゃない! 権力とはその様に使うものではない! あの時牢屋に入れられたのだって私たちが過ちを犯したからだ、誰かのせいにするなんて間違ってる!」
「いいよな兄上は…、頑張れば評価され王位だって継げる。だけど! だけど私は…私は何をしても2番目の存在で1人では何も出来ない駄目な王子でいつまで経っても馬鹿で粗暴な半端者…、駄目な人間なんだ。誰も評価してくれない。
でも! 聖女マリアだけが私の話を聞き、優しくて良い人だって言ったんだ! 聖女マリアだけが…私を認めてくれる…。聖女マリアが真実なんだ!!」
パトロシスの訴えになんとも言えない気持ちになった。




