19、遠い人
学園中にセルティスとアシェリの婚約の噂が瞬く間に広がった。
誰もが興味津々でその真相を確かめようとする。
だがその中で誰よりも真相を確認したかったのはアレクシスだろう。この噂を王宮で聞いたアレクシスは思考が停止した。
どこかアシェリは人間恐怖症だからいつまでも変わらずそこにいると思い込んでいた。それがこんなにも早く手の届かない人になるとは思ってもみなかった。
「セルティス、アシェリ・ガーランド公爵令嬢と婚約したと言うのは事実か?」
震える声を必死に抑えた。努めて平静を装った。
「はい」
『どうして君は彼女に踏み込めたんだ!?』
そう聞いてしまいたかった。
「そうか、彼女も納得したのか?」
「さあ、どうでしょう」
その返答はこれ以上答えるつもりはないと聞こえた。
「セルティス! 婚約おめでとう!」
「…有難うございます」
「ねえ、アシェリ嬢ってどんな人なの?」
「どんなって…」
おっとここで本当の事を言って興味を引くのは悪手だ。
「皆さんがお茶会で見かけたそのままですよ。臆病で物静かで部屋に一日中閉じこもってる。でも優しい方です。私は生涯あの方に捧げる覚悟があります」
「へぇーそうなんだ。公爵令嬢っぽくないね」
「ねえ、アシェリ嬢って家でもあの髪型なの?」
この機会にアシェリについて知りたい!
セルティスは無表情ながら周りの期待する目を見て、嘆息し口を開いた。
「ええ、そうですね」
短く切り、必要以上の情報を与えたくない。
「なあ! アシェリ嬢の顔を見たことあるのか?」
ゴクリと誰かの飲み込んだ唾の音が聞こえる。
これではいと答えれば、また根掘り葉掘り聞かれることは分かっている。
「次の授業に準備がありますので失礼します」
答えずにセルティスは行ってしまった。
「なんだよ、隠さなくったっていいのに なぁ?」
「………」
アシェリ 君は本当にセルティスと婚約したんだね?
本当だったらアシェリの横には私が居たかもしれないのに…何故 こうなってしまったんだろう…。あの時に巻き戻せるなら絶対に二度と彼女を傷つけたりしないのに!!
どうして君は私のものにはならないのだろう? 誰よりも近い筈だった君が今は誰よりも遠いよ。
マリアとカミラは裏庭で会って話をしていた。
「どう言うことなの!? 何故悪役令嬢アシェリがセルティスと婚約するのよ!」
「分からない、分からない! だってこんな筈じゃないのよ! アレクシスはアシェリに辟易としてそれをマリアが救うのよ! なんでアシェリがモブと婚約したんだか…。この場合 悪役令嬢は誰がやるの?」
「もう!! 全部カミラの言う通りにしてきたのに!!」
「なにか間違ったのかしら…? 見てないところで何か起きたとか?
ねえマリア、アレクシスとアシェリがどうして婚約してないのか調べてみて! それしかないよ! そこに鍵があると思う!」
「本当? でもなんでアシェリを陥れないといけないの?」
「もう! 何度も説明したでしょう! 悪役令嬢アシェリがマリアを虐めるの! それを断罪してアレクシスの婚約者のポジションを奪うのよ!」
「……だってぇ、アレクシスの婚約者の座って…、アレクシスは誰とも婚約していないのだから、誰のものではないわ。だから私がなればいいだけでしょう? アシェリを巻き込む必要あるの?」
「…分かんないわよ………でも、幸せになりたいんでしょう? アレクシスと結婚したいなら言う通りにして! いい??」
「分かったわ。その代わり絶対アレクシスと結婚させてね?」
「分かってる! そうだ、これ」
「なあに? これ」
「カップケーキよ。でもただのカップケーキじゃないの! これを食べるとカップケーキをくれた人の事が好きになってしまう、特別なケーキなの。マリアのために買ってきたの
上手くアレクシスに食べさせるのよ?」
「凄いわ! 有難うカミラ!! カミラ大好き!」
マリアは意気揚々と昼食時間を待った。
今日は昼食の前の授業が男女分かれる授業だったので食堂でアレクシスを待ったが、結局来なかった。アレクシスは王宮から呼び出しがあって帰ってしまっていた。
マリアは残念に思ったが勿体無いので、アレクシス以外のいつものメンバーに渡すことにした。だが気づいた時にはセルティスとドナルドはおらず、ハワードとヒューゴを見かけた気がしたが見失いその後会うことは出来なかった。
どうしよう! 折角カミラが用意してくれたのに!!
「ステファン様、人が来ていますよ〜」
「ああ、悪い」
「セルティスか、どうした?」
「話がありまして」
「ん、移動しようか」
「それで話って?」
「はい、アシェリと婚約致しました」
「そうか、おめでとう。ん?何か思惑があるのかな?」
「私は幼い頃にアシェリを守ると誓った気持ちそのままです。ただ…、我が国の王族、貴族だけではなく他国王族からも、アシェリ個人ではなくガーランド公爵家の娘を手に入れようと画策する輩が多く、限界でした」
「ああ、そうだろうね。あの子を取り巻く環境は放って置いてはくれない」
「はい…。ステファン様、ステファン様の妹君と結婚させてください!」
「もう婚約したのにか?」
「すいません」
「ぷはっ! 嘘だよ! アシェリからも手紙を貰ってる。
もう どうにもならなかったらセルティスを巻き込んじゃうかもしれないって。私にも迷惑をかけたらごめんなさいってな」
アシェリにとって私は兄でしかないのか。この婚約は期待するようなものではないのか。
「でも、セルティスの人生を巻き込むことになったら 自分の人生をかけてたくさん愛して2人で幸せになるってさ!」
セルティスは顔がニヤけるのを自覚した。
「お前がそんな顔するなんてな…、嬉しいか? ふふ それにセルティスは伯爵だから虐める人がいたらお兄様助けてあげてね!だって。
この婚約は政治的要因が大きいだろうが、2人の絆は間違いないよ。
セルティス…、お前はガーランド公爵家のために生きる必要はないんだ。お前自身が幸せになるように生きるんだぞ?」
「はい、有難うございます。私は生涯アシェリの傍にいることが出来て幸せです」
「そうか、………我が家の姫を頼むな、おめでとう!」
「はい、これからも宜しくお願い致します…義兄さん」
「…バカヤロウ、泣かせるなよ。ははは 義弟か…」
「ふはは 義兄さん!」
2人は強く抱きしめあった。
セルティスにとって家族と呼べる人間はもういない。
セルティスが伯爵になったあの日、あの後 セルティスの両親を殺したのも叔父夫婦であることが証拠から証明された。
叔父は金に困っていた。ずっとずっと父に金の無心をしていた、だがその要求は止まるどころかエスカレートし過激になり麻痺していった。
叔父の思考は何故 兄だけしか爵位を継げない、弟である自分にも半分貰う権利がある!財産の半分は自分のものだ、これから兄さんが得る財産の半分も自分のもの、当然の権利だ。弟の不始末は兄が面倒見るものだ、次から次へと言い訳を並べ立て終いには実の兄の家族ごと殺し全てを自分のものにする事を考えた。そう 本来私自身もあの馬車に乗る筈だった、あの日急に熱が出て留守番となった。それ故1人この世に遺され…、この世の絶望を味わう事となった。実の両親の死に叔父からの迫害 その先の死…いっそ死んで仕舞えばこの苦しみから解放される、そう思った。
何もかもを諦めたあの日迎えにきてくれたハーヴェルさん、優しく迎え入れてくれたガーランド公爵家の人々、一生かかってもこの恩は返せないだろう。その方達の家族になれることが本当に嬉しかった。その中に入れて貰える…心の安住を手にした気がした。
アレクシス王子殿下を呼び出したのは王妃陛下だった。
そこには既に弟パトロシスもいた。
嫌な予感がした。
「ああ、来たわね。 2人ともガーランド公爵家のアシェリが婚約したのは聞いたかしら?」
「はい」
「えっ!?」
パトロシスは初耳だったらしい。
「パトロシス、情報は何よりも大事なことです。遅れを取るのは最悪の事態を招くことだってあるのです。情報をいち早く得るために何が必要かよく考えて行動なさい」
「はい、申し訳ございません」
「早速本題に入るわね、アシェリが婚約したので正式にあなた達にも婚約者を決めなくてはなりません」
「待ってください! どなたと婚約したのですか?」
王妃はパトロシスを睨んだ。
「パトロシス、セルティス・スタッド伯爵とだよ」
「えっ!? 伯爵!! あれ、どこかで聞いた気がする…」
「パトロシス、あなたは少しボヤッとしすぎです。王子と言う立場を理解しているのですか? そんな事では簡単に騙されて酷い目に遭いますよ!」
「はい、申し訳ありません」
「セルティスは私の側近だ、私たちが謝罪した時 傍にいた者だ」
「あー!! そうだった! ヤケにアシェリにくっついてて気に食わないと思った奴だ!」
「パトロシス! あなたは牢に入って反省したのでしょう! 少しはまともになったかと思ったのに相変わらず分別にかける…いい加減にして頂戴! 大体あなたがアシェリを突き飛ばしたりしたからこんな事態になったのよ!」
そう、今まで敢えて口にはしなかったが、アシェリを突き飛ばしたのはパトロシスだったのだ。アレクシスもそれらを一緒になって面白いと思っていたし、暴言も吐いた だから同罪だし、今まで弟の行動を止めたこともない、心の底では同じ行動をしていた、だけど実際に行動したら叱られることは理解していた、だからいつも誰にも気づかれない方法、証拠が残らない方法を取っていただけだった。
母が口にした事で明確に仄暗い気持ちが宿った。『お前のせいで!』
パトロシスの短慮な行動のせいでいつまで経っても自分たちは悪童としての幼少時代を払拭できない、いい加減なんでも思ったことを口にするのも、迂闊な行動にもうんざりした。
「はい、申し訳ありません」
「話を戻します。本来はアシェリをアレクシスの妻にと望んでいましたが過去の件があり上手くいきませんでした。ですがアシェリも公爵家の娘としていつかは結婚する時が来る、その時まで様子を見るつもりでしたが、アシェリがあなた達に対する警戒を解くとこはなかった。そして前回のお茶会でも見ていましたが、貴族の嫌味も上手くあしらうことも出来ない…あれでは王妃はとても務まりません。ですから出来ればパトロシスにと思っていました。間違ってもペトローシス殿下との縁組は避ける必要がありましたが、侍従にしていた伯爵を婿に迎えるようなので、結局は自分の手駒をあてがったって訳ね…コホン、これを機にあなた達のお相手を決めました。
アレクシス、あなたはクーゲル公爵のパトリシアを、パトロシスは聖女マリアと婚約させます。そのつもりでいなさい、いいですね?
アレクシスはゼウストリア国のスーフォニア王女殿下の話もありましたが、国内でガーランド公爵に対抗するにはクーゲル公爵家の力を頼るしかありません。
いいですね、くれぐれも粗相がないようにしっかりと対応して頂戴」
なんで私があのパトリシアなんかと! ああ、でもマリアよりは百倍マシだ。
……あの事件がなければ アシェリと私は結ばれていたのだな。
胸が苦しくなって鼻がツンとした。胸が締め付けられて声が震えそうだ。
ああ、私はアシェリに恋をしていたのだな、そしてその思いは永遠に届くことはなくなった。
「私の相手は聖女マリアですか…兄上は学友なのですよね? どんな方ですか?」
「…そうだな、昔は献身的な聖女に相応しい人格な気がしたが、最近は異常にアシェリを敵視している。思い込みが激しい…被害妄想タイプ」
「何それ、私はハズレと分かっていて引かなければならないのですか? はー、面倒だな」
「問題を起こしそうなの? それは本当にアシェリは関係していないの?」
「アシェリは無関係です。私とアシェリが婚約していると勘違いしていて、私やセルティスが執務に行くと言うと、『アシェリに叱られるから言い訳していくのね』とか、兎に角理解し難い言動ばかりです。
正直 聖女と言うポジションの娘を手に入れたいお気持ちは理解できますが、マリアを取り込むのはかなりのリスクがあると思います」
「そう、……もう一度検討し直してみましょう。でもあなたの婚約は決定です、いいですね?」
「はい、承知致しました」
アシェリとの未来はないが、マリアが纏わりつかなくなるのは有難いな、そう思った。ああ、もう何もかもが面倒だ。