小舟は人生という凪の海で
方向性定まらずまま
書いているので
次はなにを書こうかとか
どのようにバラバラになりがちな話を
繋いでいこうかとか
ただ、あるがままに
波の上
小舟は重油の燃えるような排気の匂い
慣れないとすぐに船酔いしてしまいそうだ
兄弟の父は舟から離れ
しばらく帰ってこない
待つことに飽きた兄は
浅瀬になった干潟を歩いて
陸まで行こうと悩んだ
ひとりにできない弟を巻き添えにしてしまった
干潟に棲むアサリなどが
泥を歩く足を傷つける
陸に着くまでは
もう引き返せない
泣きたくなるような気持ちを我慢して
流れる足の血は泥だらけ
(泥だらけの足と流れる血)
ただ後悔しかない思い出
そんな遠浅の干潟の海も
水没した湾岸の都市と共に
ありきたりな海に変わった
祖父の遺した日記のようなもの
文筆を目指していたのか
中途半端な小説みたいだった
わたしが生まれ
物心つく頃は
海上での生活があたりまえで
むしろ干潟での潮干狩りとか
失われた古代文明への憧れと同質のような感傷を誘う
でも、なにも変わらない
人類はこうやって歴史を越えてきたんだと思う
きっとあと100年もしないうちに
この海上に浜辺を作ったり
遠浅の干潟のような環境を再生したりするだろう
浮遊する島の上に都市を建設したり
湧水に遊べる山河や
もしかすると温泉みたいなものまで
作りあげるかもしれない
人は絶望さえしなければ
天寿をまっとうできる
まったんの草のような生き様でも
時代という壁画に肖像を残せるかもしれない
難しいことだけれども
自分の生と命とを上から
神の目線で見れたら
満点の星の1つのように
わたしの生命は輝いているに違いない
長女の出産を間近に控えた綾子は
ベッドに横たわり
口述のアプリを起動したまま
結局なにも語らずに
眠りについてしまった
結局、うまく纏めましたね。
なんて自分で言ってますが、仮に多くの都市が、このまま温暖化が進んでしまって水没したとして、どれくらいの陸地が残るのか、どの程度の文明文化が残せるのか。
それでも、けっして不幸ではないんですね。
信仰ある人は理解すると思いますが、人類は失われたエデンに帰ろうとしているんでしょうね。
キリスト教に限らずなので、そこを話しとして広げはしないんですが、すべては希望の中にあるんじゃないでしょうか。