36 秋の〆月 14 大夜会から4日 2
「プリム嬢がたとえ拒んだとしても、この決定は覆らぬものとして聞いてもらおう」
やっぱり、破棄ですね。
そうなりますと、わたくしは家を出たほうが良いと思います。お兄様にメアリー様が嫁がれると思われますから、お兄様夫妻のお邪魔をするわけには参りません。わたくし、小姑にはなりたくないのです。
家を出て独り立ち……は、エステルが付いてきそうですから二人立ちするしかないでしょう。幸い、商会などは個人事業ですし、個人資産の蓄えもそれなりにありますから、当面困ることはないと思うのですが、それでも侯爵家という後ろ盾なしに動くことになるのはなかなか厳しい道になるでしょう。
「プリム・ラ・ジンカイイ侯爵令嬢と、我が息子、イングラムとの婚約は、このまま維持とする。仮に『刺された』と世に流布されたとしても、それを娶った、という名声が勝つ。イングラム、できるな?」
市井で暮らすのであればメアリー様から手ほどきを受けると良いかもしれません。前世日本の自炊の記憶はあれども、そもそもレンチンありきの知識、更に今生ではお嬢様ですから、料理というか、生き延びるスキルが足りません。わたくしが魔法を使ってコイン乾燥機でもやればいいでしょうか……。
「勿論です」
そんな事を考える間に、なにやら陛下とイングラム様が某か同意され、お父様とお母様が深く頭を下げられました。
ああ、やはり、わたくしの不手際を謝っておいでなのですね。当然と思います。それでも放逐せずに治療し、車椅子にまで乗せてくださっているのですから、すでに温情は十分に与えられたということでしょう。
「謹んで、お受けいたします」
わたくしも、答えて頭を下げました。
陛下は満足そうに頷かれます。イングラム様も、穏やかに微笑まれて。
だから、ちょっと、傷付きます。
好きだったのは、わたくしだけだったのかも知れません。
イングラム様は王太子。瑕疵のある令嬢よりも、世の平らかなるを選ぶのは当然のことです。残念ですが、わたくしの恋はここまで。悪役令嬢に成らずに済むのだけは、喜ぶべきでしょう。名前で呼んで頂けただけで。名前で呼ばせて頂けただけで。
「プリム?」
不思議そうに尋ねる、イングラム様の声がします。
顔を見たら泣いてしまうかもしれませんが、そんな顔は見せられません。
辛い時こそ、笑うのです。
わたくしは顔を上げて、イングラム様に微笑みます。
するとイングラム様は突然立ち上がって、わたくしの車イスの隣に跪くと、両手で恭しく、わたくしの手を捧げ持ちました。
「プリム、わたしと、結婚して欲しい」
今、破棄されたのではなかったのですか?
わたくしが何も言えないでおりますと、イングラム様は重ねておっしゃいます。
「こんな場ですまない。けれど、あの夜の約束を果たさせて欲しい。
わたしの心臓は、プリムに差し出そう。わたしの心臓に、なってくれないだろうか」
ひうっ。
乙ゲーヒーローの運命なのでしょうか。後光が差すようにキラキラして、声がつやつやして、なんだか、涙が出そうなほど嬉しくて。
だって、王命で結ばれた婚約を、王命で今破棄されたはずで、それをわたくしは、自分から受け入れた、はずで。
なんて幸せな夢なんでしょうか。
こんなことってありますか。きっと幻聴です。
「いんぐらむ、さま」
わたくしは溢れる涙を止める方法を知りません。
「わたくし、きっと、傷があります。そんな、瑕疵のある者を、イングラム様のお側におかれては、お立場を、悪くしてしまいます。でも、今の、お言葉が、嬉しくて。離れることが、きっと正しいのに、わたくし、わたくし」
なんて。なんて幸せで強欲なのでしょう。
イングラム様はわたくしの手にそっと、唇を寄せてくださいました。
ちゅっ、とリップノイズを残して。
ああ、もう。
手の熱が伝わります。脈拍が伝わります。
見詰めてくる蒼い、サファイアブルーの眼差しが、熱をもって揺れています。
離れるのでは、なかったのですか? 陛下は今、それをお決めになられたのでは?
わたくしは、その目に映っていてよろしいのですか。
「仮に、父王が婚約の撤回を申し出たとしても、私は、プリム、君を選びたい」
「はい……はい、イングラム様。わたくしの秘密も心臓も、イングラム様に捧げます」
もし一緒にいてもいいと言われるなら、絶対に。
「プリム嬢は勘違いしておるな。余は破棄など申しておらぬ。むしろそう思い詰めるでない。三公爵すべての後見を受けた令嬢を放逐するなど余のクビが飛ぶわ」
わずかに苦笑を浮かべた陛下のお言葉に、わたくしは顔を上げました。そう、ここは衆人環視の場でした!!!
おは、お恥ずかしい!
両親どころか陛下や妃殿下にまで泣いているところを見られてしまいました! しかも、好きな人と離れたくないと泣いているところです!
急激に羞恥心が溢れ出して、顔に熱が集まります。
イングラム様はわたくしの手をにぎにぎしておられます。嬉しいけど、恥ずかしい……。
「プリム嬢は目を覚ましたばかりであったな。イングラム、リバートと共に部屋へ連れて行ってやれ。誤解も、きちんと解いて置くが良い」
念を押すように陛下がおっしゃるのへ、イングラム様は頷きます。
「部屋へ戻ろうか」
イングラム様がおっしゃって、車椅子のハンドルを取られました。
お兄様を従えて、イングラム様に車を押させる。この部屋の頂点がわたくしになったかのように錯覚してしまいますわね。
「よく休め。
ジンカイイ、我らは今後の話だ」
「は、陛下」
わたくしを視線だけで見送って、両親と国王夫妻が話し合いを始められました。
わたくしは車椅子の上から簡単な黙礼をいたします。
それを認めてから、イングラム様が車椅子を押してくださって、三人で部屋を出たのでした。




