28 秋の〆月 6 大夜会3
両親は会場の、壇に近い壁際で話しておりました。
わたくしたちが歩み寄ると、周囲の貴族の皆様がさっと避けてくださいます。
そこへ、お兄様がメアリー様を伴って合流されます。
おそらく、このタイミングでなければ、大夜会の席でメアリー様とゆっくり話すことは難しいとの配慮でしょう。そうでなくとも、義理の姉になる方ですから、なんの不思議もございません。お二人のことは公示されておりますしね。
まずはイングラム殿下から促されて、わたくしは両親のもとへ少し早足で歩み寄ります。
「お父様、お母様、お兄様」
三人とメアリー様は、さっと臣下の礼を取られます。
寂しさが募りますが、それは後ろの殿下のためのもの。わたくしがお声がけするのはその合図なのです。
「ジンカイイ侯爵、大儀。顔を上げてほしい」
殿下の言葉に、皆様が立ち上がられます。
「貴公にわたしから頼みがある」
「承ります」
「父王からの言葉のとおり、そなたらの宝をわたしが貰う」
このやり取りも、言い回しに差はあれど、お決まりのものです。
わたくしは家族と殿下の間で、そのやり取りを聞いております。はらはらしますわね。
「我が宝は、ジンカイイの宝にございます、殿下といえども、無条件には差し出せません」
お父様が! アドリブしてくるから尚更です!
「ほお? 条件か、聞こう」
殿下が面白そうに目を細められます。わたくしがはらはらしているのも込みで! きっと楽しんでおられます。
「誰よりも、幸せな花嫁に」
お父様がそう言って、わたくしに微笑み掛けました。
わたくしは目を見開いて、涙が出る前の、鼻の奥のツンとした感じを憶えながら殿下を振り返ります。殿下は、先ほどわたくしが、家族へ駆け寄った分の距離を大股に詰めて、わたくしの腰を抱き寄せました。
「条件にもならん。当たり前のつとめだ」
殿下が穏やかに仰って、わたくしは思わず、膝の力が抜けてしまいます。
殿下が抱き寄せる腕に力を込めて支えてくださって、殿下に寄りかかるようになってしまいます。
メアリー様が両手で口許をおおわれるのが見えましたから、まあ、とか、仰ったのかもしれません。たしかに、余り誉められた姿勢ではございませんものね。
「殿下、妹がご迷惑をおかけすることもあるかもしれません。ですが、我が兄妹の忠誠は殿下にございます。どうぞ、妹をよろしくお願いいたします」
お兄様が、臣下としてと、わたくしの兄としての両方の想いを伝えてくだされば、
「プリム様、わたくし、学園を卒業しましたら、ローズマリー様と共に、王城の女官の採用試験を受けることにいたしましたの。二人、プリム様への忠誠を職として示すつもりでございます。どうぞ、お仕えさせてくださいませ」
お二人が来てくださる! 何て嬉しいことでしょう!
「とても心強く思いますわ、メアリー様。何卒、合格してくださいましね」
「はい! プリム様!」
力強く頷くメアリー様。
わたくしは応援することしかできませんが、来てくださるならとても嬉しいことです。
とはいえ、わたくしには選ぶ権利などないでしょうから、ちらり、と隣の殿下を見上げます。殿下は肩を竦められて
「採用については、贔屓はできない。ただ、合格し、研修を終えた者なら自分に仕える者として指名できる。励め」
わたくしに答えてから、イングラム殿下はメアリー様に一言仰います。メアリー様は、深い臣下の礼で応えました。
それからまた二言三言殿下とお父様がお言葉を交わされて。
殿下に促されて、家族とメアリー様とわかれました。
「しばらくはつまらない時間だ。よろしく頼む、相方殿」
あの日の答えを茶化すように殿下が仰るので、わたくしも、
「かしこまりましたわ」
と軽くお答えします。
ここからは、殿下による貴族腹の探り合いタイムでございます。社交、ともいいます。
わたくしの顔見せも兼ねますので今回は隣に居なければなりません。覚悟を決めて、紳士たちの談話の輪へ向かう殿下について行くと、突如、眼前に先ほどの令嬢が現れました。
隣国の令嬢。
セインゴナコマチェスカ・エルイルフ様。
扇で口許を隠しながら、見覚えのある侍女を従えて。
わたくしと殿下、二人を阻むように現れたものの、何も仰いません。
上の者が口を開くまでは口を開けないのがマナーといえばそうなのですが、それ以前に道行きを阻んだマナー違反の方が大きい気が致しますし。
殿下も何も仰いませんから、わたくしが口を開くのも不敬ですわよね。
殿下はいつもの笑顔を貼り付けて、マナー違反させないために声を掛けられました。
「ご令嬢、何か用かな」
令嬢は目を細めて殿下とわたくしを交互に見据えると、一つ、息を吐かれました。
「ごめんあそばせ。ご挨拶に来ていただけないものですから、わたくし、待ちきれなくて来てしまいましたわ」
これは、なぜ私に真っ先に挨拶に来ないのか、という抗議、でよろしいのでしょうか。
確かに、ご令嬢が、イルフニンシ王族エルイルフ家として陛下からご紹介されていたのならば、最高位の賓客となられましょう。ですが、陛下は、『隣国の貴族令嬢』としてご紹介されました。たとえ、全員が気付いていたとしても、この場ではその立場こそが真となるのです。そして、隣国の爵位継承もしていないただの令嬢ならば、この場で優先してご挨拶するお相手として扱ってはなりません。
ここは、イルフカンナ最大の夜会。シーズンの最後を締め括る、大夜会の場。そんな場所で、身分的を飛び越える特例など、あってはならぬことです。国の仕組みに関わる部分でございますから。大体の乙女ゲームでこういうシーンで断罪や婚約破棄が行われるのは、その仕組を飛び越えてなお、というアピールでもあるのでしょう。前世と今生の知識が今一つに!
殿下とお話しさせるのも問題がありそうな気がしますが、どうしましょう。ここは殿下に紳士の皆様のもとへ行っていただき、わたくしが残ってご令嬢とお話しをするのがよろしいのでしょうか。
そう致しましょう。身分的にも『令嬢同士』なら、まだ咎めはないはずですし。
「殿下、わたくし、あの方とお話しをさせていただきたいですわ」
扇で口許を被って、殿下に耳打ち致します。
殿下はわたくしをちらりとご覧になってから少しだけ困った顔をされました。それから、またいつもの笑みに戻ると、頷いてくださいます。
なので、ひとまずわたくしが声を上げることに致しましょう。
「セインゴナコマチェスカ様、ご挨拶が遅れたこと、申し訳ございませんわ。わたくしの両親と話し込んでおりましたの。
わたくし、先ほど陛下からご紹介いただいた、イルフカンナ王国ジンカイイ侯爵家次女プリムと申します」
すっとカーテシーをして名乗りを上げてから姿勢を戻します。
ご令嬢は扇で口許を隠したまま、わたくしに頷かれます。
上からの扱いですわね、これ。
爵位を言われておりませんが、公爵級として考えればよろしいのでしょうか。
「イルフカンナ王陛下からご紹介いただきました、セインゴナコマチェスカ・エルイルフですわ。どうかチェスカとお呼びになって」
チェスカ様がそう仰いますので、わたくしは頷きます。イルフニンシの貴族はミドルネームで爵位を表さぬ代わりに、名前が長くなる傾向があるのです。王家ともなればさもありなん。ですから、呼び名を別に名乗られることが多いと聞きます。
「かしこまりましたわ、チェスカ様。せっかくご挨拶に来てくださったのですもの。少しお話しさせてくださいまし。ただ、殿下はほかの方へのご挨拶がありますから、席を外されますけれど、女同士気の置けないお話しをさせていただきたいですわ」
わたくしの言葉に、チェスカ様は目を細められ、頭のてっぺんから爪先までという感じでわたくしを眺められました。それから溜め息一つ。
「まあ、良いでしょう」
上から! なんという上から!
ちょっとイラっといたしましたわ。ビークールですわよわたくし。殿下も! 殿下は微笑みながら少しイラっとしてらっしゃいそう。
「またあとで、プリム嬢」
微笑みのまま仰いますから、わたくしも頷きました。
「かしこまりました、殿下。
では、参りましょう、チェスカ様」
殿下とわかれて、わたくしとチェスカ様は、ひとまずテラスへ出ます。
灯り少ない城下と、晩秋の星空は、初めての大夜会でのわたくしの思い出の一つです。
テラスにはわたくしとチェスカ様、それからチェスカ様の侍女の皆様も。侍女の皆様は遠慮するのが作法ではないかと思うのですが、他国にお一人、ですから護衛も兼ねておられるのやもしれません。
「わたくしとお話しとはなんですの?」
人の気配が遠ざかったからか、すぐさま、チェスカ様が口火を切られました。
攻撃的に感じるのはわたくしが苛立ちつつあるからでしょう。穏便に。わたくし。びーくーる。
チェスカ様はクラシックなドレス姿。隣国は特に伝統や伝承を重んじると聞いておりますし、設定にも書かれておりました。それが、隣国の自分達の正当性を保つ寄る辺なのです。
その伝統を重んじる国の姫君が、伝統を破ってここにおられる意味。
ゲームのシナリオに基づくなら、イングラム殿下との結婚──婚約のためです。
わたくしはまず、姿勢をただしてから、チェスカ様に深く淑女の礼を致しました。背後の侍女の皆様がわずかに息をのんだ気配を感じます。礼から姿勢を戻し、わたくしは口を開きます。
「この度は、遠路はるばる、ようこそお出でくださいました。ご挨拶が遅れましたこと、改めて謝罪致します」
この場で謝罪を口にできるのは、爵位も持たないただの令嬢同士であるわたくしだけです。イングラム王太子殿下の婚約者の立場もございますが、殿下が口にされたわけではないのですから、いくらでも言い様はございます。
「わたくしを、国の賓客と理解してくださるならよろしいわ」
チェスカ様が仰るのでわたくしはにこりと微笑みます。ホールから漏れる光だけで、どれほど見えるかは分かりませんが。
賓客とご自身でお口になさるのはいかがかと思いますが、生まれながらの王族であられれば、当然受けるべき扱いというのがあったのでしょう。
実際、背後の侍女の方々も当然と言いたげにしておられますし。
では、わたくしも本題に移らせていただきましょう。
「わたくしがお話しさせていただきたいことというのは、本日の入場前のお話なのです」
後ろの侍女の方々。化粧直しをさせていただいた時に『イングラム王太子殿下がお待ちだ』と呼びに来られた方々と同じなのですから。
問い質す、のは難しいかもしれませんが、気付いていることはお伝えしておきましょう。
「侍女の装いをした不審者が見られたそうなのです。チェスカ様は、大事ありませんでしたか?」
「まあ。王城でそのようなことが? イルフカンナはそこまで治安が悪いのですか?」
チェスカ様は何も知らないようにそう仰いました。
わたくしは頷きます。
「ええ、王太子殿下の名を語って、連れ去られそうになりましたの」
その言葉に、チェスカ様は、目を細められます。
「そのような不敬なことを?」
「左様ですわ。すぐに騎士様方にお願いしましたが、捕らえられなかったのです。ただ──」
「ただ?」
「わたくしが見たお仕着せと、チェスカ様の侍女の皆様のお仕着せが似通って見えましたものですから、もしや着替えを盗まれたりなどされておられぬかと、心配になりましたの」
ここで、だからお前たちが犯人だ、などと名指ししては国家間の問題になりかねません。ですからあくまでも被害がなかったかと気遣うように振る舞わねば。
わたくしの問いかけに、
「んっふふ」
チェスカ様は、
「ふふふふふふふふ」
耐えられぬというように笑い出しました。
「チェスカ様?」
さすがにそんな風に笑われるとわたくしも戸惑うのですが。
わたくしとしては釘を刺すというか匂わせられればそれで満足な訳でして。
「予想よりも賢くらして安心しましたわ。ですけれど、それでわたくしが認めるとはお思いにならないで」
チェスカ様が急に悪役みたいな台詞を口にされます。
ちなみにゲームでも設定資料集でも、チェスカ様については、ヒロインと結ばれなかったイングラム王太子殿下が政略によって結婚する相手としての記載にとどまり、性格や嗜好までは明らかにされておりません。
ですから、わたくしも事前情報も先入観もない、つもりなのですが。
印象だけで申しますとこれ、悪役令嬢ムーヴでは?
「ありがとう、存じます?」
どう答えたものか、一応誉められたようですから首をかしげつつお礼を申してみますと、不機嫌に眉が寄りました。
「貴女、立場を理解しているかしら。これから貴女は婚約を解消されるのよ」
そうなのですか!?
発表即解消とかどんなルートですの!?
と視線をさ迷わせると。
あ、チェスカ様が得意気に仰ってはおられますが、これ、確定では無いですわね?
後ろの侍女の方々は澄ましてはおられますが、少し緊張されているようですし。
おそらく。
「──そして、殿下の婚約者にチェスカ様が成られるのですか?」
チェスカ様は得意気。とても得意気です。
「お兄様に嫁ぐのはわたくし以外にありません。側近たちの婚約が成ったと聞きましたから、わたくしから、わざわざ、足を運んだのです。終戦百年の節目、この意味を知らぬお兄様ではありません。ここでわたくしと結ばぬ理由もなく、国交の正常化と両国の永久の平和の証として、わたくしとイングラムお兄様の婚姻は末永く憧れをもって語り継がれるのです」
そうなのですか!?
「僭越ながらお伺いしてもよろしいでしょうか」
「あら、立場を弁えたのね。良いわ。許します」
チェスカ様が鷹揚に頷かれます。
一応下手に出ておりますが、わたくし、やられっぱなしは性に合いませんの。
「チェスカ様がおいでなのに、わたくしとイングラム王太子殿下との婚約が王命によって公表されましたのは、どういったご事情でしょうか」
そう。チェスカ様のお言葉が事実ならば、そもそも今日の、わたくしとの婚約発表などしなければよいだけなのです。
だけれども、それを、陛下が、なさった。王命をもって。
その意味。
おそらくですが、チェスカ様から確かに打診はあったのでしょうが、陛下はそれを良しとされなかった。簡単に言えばお断りされたのはチェスカ様の方なのではないでしょうか。
チェスカ様の顔が暗がりでもわかる程歪められました。
ビークール、ですわよ、王女殿下。
「予定を狂わせることを厭われたのです。改めて破棄されるのですわ」
「この大夜会の場の王命を、陛下が覆される、と?」
「わたくしと結ぶ価値を考えれば当然でしょう。ですから、貴女の務めはわかりますね?」
「務め、ですか」
「察しの悪いこと。貴女はイルフカンナとイルフニンシ、両国のためにイルフカンナ王陛下に婚約の解消を申し出なさい。そうすれば、陛下は王命を覆さずに済みます。全て丸く収まりますでしょう」
ぱーどぅん?
「なにいってますの?」
あらやだ、思わず心の声が。
「つまりわたくしが陛下に逆らったと言う汚名を被ってイングラム王太子殿下との婚約を辞退せよ、というのですか。いたしません」
ということで一言でお断りさせていただきます。
口にすれば明解に、わたくしに利点が全く無いどころか、むしろ不利です。王命に逆らった侯爵家の次女、なんてもう使い途も嫁ぎ先も絶望的ではないですか。
そんなの、お断りです。
だって。
この婚約は。
確かに願って、願いあったものなのですから。
「無礼な。このわたくしの頼みなのです。両国のためなのですよ」
「それが人にものを頼む態度ですか。念のため申し上げますが今のチェスカ様のお立場は貴族の令嬢です。おそらくは真のお立場を皆悟ってはおりますが、陛下がそう紹介されたのですから、そう、なのです。ですから、今のわたくしとチェスカ様の間には地位の差はございません。
あまり言いたくはございませんが、王太子の婚約者であるわたくしの方が、準王族としてこの場での立場は上です」
チェスカ様が明らかに苛立っておられます。
「無礼にして不敬です。陛下に敬意を払ってわざわざ立場を口にしなかったわたくしの心遣いをそのように受け取るとは。そこまで立場が欲しいのですか。ならば申しましょう。わたくしは──」
名乗りを、挙げるおつもりでしょう。
望むところです。
「ご令嬢、その辺にしておいてくれ」
ですが、不意に聞こえた声にチェスカ様の口上が遮られます。
テラスとホールを仕切る大きな窓扉に、一組の男女が佇んでおられます。
「ラーシュ様、サーエ様。ご機嫌麗しゅうございます」
声を掛けられましたから、わたくしはお二人に淑女の礼で挨拶をいたします。
姿勢を戻すと困ったように微笑むラーシュ様とはらはらした顔のサーエ様。そしてそのお二人を睨み付けるチェスカ様ご一行。まあ、そうですわよね。
「セインゴナコマチェスカ嬢、ここでそれを口にされるとどうなるか、お分かりいただけますね」
ラーシュ様がチェスカ様に問い掛けの形で断定します。
令嬢だから、ここにこうして自由にしていられるのです。もしも、ここで隣国の王族と口にしてしまったら、警備の面、そしてお立場、その両方でチェスカ様はこの場を去らねばならなくなります。
わたくしとしては、それを狙いたかったのですけれど。
だって、イングラム王太子殿下との婚約希望を堂々と仰る方ですもの。お立場を名乗られなくても火種にしかならないと思うのです。
わたくしの視線に、ラーシュ様は肩を竦めて応じるに留めました。
「先に身分のことを口にされたのはこちらのご令嬢ですわ。イルフカンナでは、身分でお話しをされるようですから、わたくしもそれに則ろうとしたまで」
散々わたくしに無礼だ不敬だと仰ったからなのですが!
「セインゴナコマチェスカ嬢、貴女の身分は『隣国の高位貴族の令嬢』でらっしゃいます。そうですね?」
念を押しに掛かるラーシュ様。
「そのように紹介されましたわね」
決して、はい、と言わない呪いでも掛かってらっしゃるのでしょうか。ああ、もしかすると隣国においては、我がイルフカンナは謂わば『下』の扱いなのかもしれません。ですから、たとえ我が王の言葉であっても、隣国の王族から見れば下なのでは。
そう考えれば、チェスカ様が『両国のために』わたくしに引けと仰った理由も、納得が行く気がします。
まあ、嫌な予想、ですけれど。
ですが、チェスカ様が何故そこまで拘るのかも、凡そ見当が付きました。
ラーシュ様はまだチェスカ様の説得に当たられているご様子。
後ろの侍女の皆様もだんだん顔色が悪くなってきておられます。
わたくしの予想が外れてくれれば、と思いますが、ゲームのシナリオと現在との差分を考えれば、予想されるのは一つなのです。
そしておそらく、ラーシュ様とチェスカ様はお互いそれを知った上でお話しされている。
そもそも、何の前触れもなく、大々的な歓迎もなく、チェスカ様がイルフカンナにおいでになった理由。
イングラム王太子殿下との婚約が目的なのは、それが手段だから。
イングラム王太子殿下とチェスカ様が婚約することで得られる結果こそ、チェスカ様が本当に欲しいもの。
だからこそ、わたくしにも強く仰ったのでしょう。
だからこそ、彼女は今、立場を口にしてはいけないのです。
これは、ゲームではお兄様とメアリー様が結ばれる場合のルート。
個別ルートでのヒロインに突撃させた方が早く済む大冒険の、その前段。その裏側。
「婚約解消はいたしかねますが、チェスカ様が『本当に欲しいもの』については、協力できると思いますわ」
不意に口を開いたわたくしに、ラーシュ様とチェスカ様がそろってわたくしに怪訝な視線を向けられます。
「とりあえず、今宵はここまででいかがです?」
わたくしの問い掛けにラーシュ様はがしがしと頭を掻かれ、サーエ様はおろおろとなさり。
チェスカ様は、ただわたくしをじっとご覧になっております。
「まあ、良いでしょう」
そのお言葉に、テラスの空気が一気に緩んだのは、言うまでもありませんでした。
「明日の朝一番に、イングラムお兄様との面談を望みます。そちらの方、確かお兄様の護衛についてらしたわね。日程を押さえて頂戴」
断られるとは微塵も思っておられないご様子にまた空気が少し張り詰めます。おそらく、お断りにはならないとは思いますが、一国の王太子がそう簡単に予定を開けられるものでもないと思うのです。
あと、なんでお兄様なんでしょうか。そこも気になって仕方がないのですが、もうお訪ねするタイミングを失いましたわね。
ラーシュ様は一つ息を吐かれてから
「ご要望は承りました。殿下からの正式なお答えをお待ちください。お泊まりのお部屋に、城の侍女を今夜のうちに向かわせます」
チェスカ様はお城──おそらくは主城ではなく迎賓館でしょう──にお泊まりなのですね。
そこへラーシュ様が伺うのも時間から考えて問題でしょうから侍女を向かわせる、と応じられたのは正しいかと思います。
「わたくしの侍女を一人お貸しします。この者に回答をお伝えになって。でなければ、『本物の使者かどうか』確認をとらねばならなくなります」
確かに、チェスカ様にとっては、知らぬものしかいないお城の、その誰かが来ます、では信頼には足らないのでしょう。
ここで書面で回答、というのも、チェスカ様からの依頼が口頭である以上、なんというかやりすぎになる気がいたしますから、チェスカ様の提案は落としどころとして正しいかと。
あとは侍女の方をお城の一室で護衛兼見張りを付けさせていただけば相互に安心、というところでしょうか。
「貴女も明日は同席するのよ」
そして水を向けられるわたくし。予定を聞かれませんでしたから、わたくしは対象外なのかと一瞬期待してしまいました。
協力できると申したのはわたくしですから、呼ばれるのは当然と言えば当然。ですが、話の主題は殿下でなくわたくしの提案かと思いますから、まずはわたくしの予定を訪ねたりなさらないのでしょうか。
ステークホルダーのネゴ取りは社会人の基本ですわよ。
「イングラム王太子殿下のご下命に従いますわ」
ですから無難にお答えすれば、チェスカ様は大きく頷かれました。
もしかすると、まだわたくしの提案はチェスカ様の中では重みが無いのかもしれません。それはそうですね。わたくしったらうっかりしておりました。
わたくしを同席させるのは、あくまでも『婚約の話』をするためなのでしょう。
わたくしからのご提案は、むしろおまけかついでなのですね。
わたくしったら恥ずかしい。自意識過剰にも程があります。これが婚約ハイとかそういうものなのでしょうか。脳内お花畑ですわね。いきなり婚約を解消される、と言われて、気が立ってしまったのでしょう。
ビークール。わたくし。
怒りたいときこそ笑うのです。前世のおばあちゃんの言葉を改めて心に刻みます。
「では、また明日」
言って、チェスカ様は侍女を一人ラーシュ様に託されてテラスから離れて行かれました。
残るのはわたくしとラーシュ様、サーエ様。
「まあ、よくやったよ」
とラーシュ様がおっしゃるので軽くお礼を申し上げます。
残った侍女の方がわたくしをご覧ですが気にしないことにしましょう。
「サーエ、すまんが侍女殿を控えの騎士と侍従に預けてくる。
プリム嬢、申し訳ないが暫くサーエと居て貰えないか」
「もちろんです。サーエ様が宜しければ」
「わたくしもプリム様とお話しできるなら願ってもないことですわ。
ですけど、ラーシュ様、お早くお戻りくださいませ」
サーエ様とラーシュ様は、殿下の側近の中では早く婚約されていて、とても仲睦まじくらっしゃいます。
わたくしの読みではサーエ様がラーシュ様に惚れ込んで居られるとみました。
ラーシュ様をお待ちする間に、コイバナなんて、できたら楽しいかもしれません。
「すぐ戻る。待っていてくれ」
ラーシュ様はサーエ様に告げて、わたくしには目礼してから、侍女を伴ってホールの出口へ向かわれました。
「プリム様、ご婚約おめでとうございます」
二人になると、サーエ様がまずそうおっしゃってくださいました。
「ありがとう存じます、サーエ様」
お答えすると、サーエ様は気遣わしげな表情で
「わたくしどもは、皆、プリム様の味方ですわ」
「皆様?」
「はい。わたくしの友人たちです」
サーエ様のご友人方、が、なぜわたくしのお味方なのでしょう? 公爵家の方々は、先程後見を申し出てくださいましたけれど、そちらのご令嬢方だけ、という口ぶりではないようです。
先ほどのやり取りの励ましならば、皆様、がひっかかるというか。
素直に喜べないのは、少なからずショックだったということでしょうか。
「皆様が、なぜわたくしなどにお味方くださるのかは、分かりかねますけれど、心強く思います」
サーエ様は一つ頷かれて、それから、と続けられます。
「正直に申しますと、ラーシュ様との婚約と結婚も、殿下次第でしたから。昨年の大夜会のあと、殿下が意思を示されたことで、婚約が進んだ家は多くございます。わたくしも、婚約は早くから内々に結ばれてはおりましたけれど、こうして公に二人で出歩けるようになったのは、昨年の大夜会のあとからですわ。ですから、プリム様にはその意味でも、お幸せになっていただきたいのです」
なるほどー。
お兄様とメアリー様の婚約もそうですし、王太子の側近たちの婚約はギリギリまで秘されるというならわしは、広く影響していたのですね。狙われない、狙わせないためだけでなく。もしかすると、我が家の娘が選ばれるかも、という貴族の野心などもあるのかもしれません。わたくしが知る方々は、野心家、という様子はありませんが、表と裏というのはどこにでもありましょうし。
そんな風にサーエ様と話しておりましたら、ラーシュ様がイングラム王太子殿下と共に戻られました。
「待たせた」
とラーシュ様がサーエ様に歩み寄ると、サーエ様は花が綻ぶように微笑まれて、わたくしも心がほっこりしてしまいます。婚約者同士ならああありたいものですわ。
「話しはできたかい?」
イングラム王太子殿下もやって来て、そう問われます。
「チェスカ様と、ですね? ええ、それで、ラーシュ様にお助けいただきました」
「入場前の話はわたしのところにも上がっていたし、ラーシュも知っていたことだからね。君を何もなく一人では残さないよ」
つまり護衛がついている、と。
殿下と分かれる時にはそんな仕草も合図もなかったと思いますから、入場前、または直後には既に決まっていたということなのですね。
自分の今の立場をひしひしと感じてしまいます。
わたくしが変わらずとも、肩書きだけで色々なものが変わっていく。それを怖いと思うと共に、それでも、嬉しいと思ってしまうのは、わたくしも恋に浮かれているのでしょう。
「複雑ですわ」
ぽろりとこぼした言葉に、イングラム王太子殿下は耳聡く反応されました。
「何がかな」
「……お笑いになりませんか?」
「勿論」
「すこし、嬉しいと思ってしまいまして。浮かれているみたいで、自分はもう少し大人だと思っていたのですけれど」
中身アラサー魂でスタートですから、もはや魂はアラフォー、下手したらアラフィフのはずなのに、こんなにも、落ち着きがないなんて。
そう申しますと、イングラム王太子殿下の顔が目に見えて赤らみます。表情は取り繕えても、顔色は難しいですものね。
わたくしばかりが恥ずかしいのも悔しいですから、少し、スッキリしましたわ。
「殿下?」
「嬉しいものだね──わたしも、浮かれているみたいだ、プリム嬢」
ですわよねー。
殿下が照れ隠しのように肘を差し出されましたから、そっと手を載せて。
そうして、わたくしたちの立ち話は終わりを告げたのです。
その後は、特に騒ぎも起こらず。
懸念だった男爵令嬢は、特に関わることもなく。心配は杞憂だったのでしょうか。頭のすみにはとどめておきましょう。
そうして大夜会は終わりを向かえたのですが。
わたくし、お泊まりになりましたの。




