14 夏の暑月 7
区切りの良さを優先したらいつもより長くなりました。
そうこうするうちに、馬車は市街地を抜けて、都の郊外に参ります。
家屋敷が減っていき、草木が目立つようになると、不意に石塀に囲まれ、その内側に緑の生い茂る場所が見え始めます。
そちらが今日の目的地である、王立庭園でございます。
王立庭園は、その名の通り、王家直轄の庭園です。元々は迎賓館や離宮のように、おもてなしや催しごとのために整備されたものだそうです。時代が下って近年、一定の条件下で国民にも開放されるようになりました。条件のひとつは、予約申請を行い、許可を受けること。これは、公の予定や先約がなければ認可されますが、王家や国の予定が入り、許可が取り消される場合もございます。今回わたくしたちが得た権利はこちらのはず。もうひとつの条件は年に何度かある開放日。こちらはすでに国の予定として組み込まれているので、確実に中に入れますが、その分ものすごく混雑するそうです。花見の時期の皇居開放みたいなものでしょうか。
門扉に立つ門番兼係員に、お兄様が窓から許可証を呈示されます。すると、それを見た門番があからさまに狼狽えてから最敬礼をし、
「どうぞっ! お通りくださいっ!」
と声を上げました。ちょっと馬車で響いてキーンとしましたわよ。
門扉が開かれ二台の馬車はのんびりと中へ進みました。
馬車止めで馬車を降りると、すぐに青々とした緑の香りが…風にのって届きます。清々しいここち。リフレッシュには最適ですわね。良く晴れていますから、正午過ぎには暑くなりそうです。
二台目の馬車からエステルとトーマスが降りてきます。エステルがわたくしに駆け寄って、帽子を被せてくれました。
トーマスが口を開いて、
「どうぞ、閣下方は散策を楽しんでいらしてください。私はそちらの広場の木陰に、お休み場所を作っておきます。エステルに共をさせますから、ご不便はエステルへお伝えください」
エステルがそっと膝を折って礼をします。
お言葉に甘えて、お兄様とメアリー様とわたくしは、一歩後ろにエステルを連れて庭園の散策に出発です。
良く手入れされ整えられた庭園は、まず門から入ったところにわたくしたちが降りた馬車止め兼ロータリーがあります。ロータリーで乗客を下ろした馬車は、辻馬車──タクシーですね──ならそのまま外へ。自家用ならば停車場へ入ります。
そこから少し進むと開けた広場になっていて、芝生の広場を囲むように広葉樹が植えられております。その木陰で休んだり芝生に寝転がったりできる、休憩ポイントなのです。トーマスはこの木陰に、わたくしたちの休憩場所を作ると言っていましたから、おそらく、二台目の馬車に積んでいたパラソルなどを立てておいてくれるのでしょう。
さて。その広場から、庭園を見て回るための通路が4本出ています。それぞれ、春の庭、夏の庭、秋の庭、冬の庭、と呼ばれるエリアに通じていますが、各庭は横にも繋がっていますから、どちらかと言えば、各庭から広場に戻るための通路、でしょうか。
わたくしたちはそのうちの、夏の庭にむけて歩き出します。庭の名前の通り、基本的に、季節の盛りの庭はその庭になります。もちろん、他の庭が枯れ果てている、というわけではないのですけれど。
夏の庭に入ると、まず目に飛び込んでくるのは、蔓植物のゲートです。植物には詳しくありませんが、たぶん前世で見たことがないのではないか、と思います。白と黄色の小さな花が満開に咲いています。
わたくしたちは石を敷き詰められた歩道に沿って庭園の中を散策いたします。
わたくしはお兄様とメアリー様から一歩離れようとして、メアリー様に手を取られました。
「プリム様、さあ、参りましょう」
違うんですメアリー様、そこはお兄様と歩いていただきたく!
あっあっ。お兄様が微笑みながら一歩後ろに下がってエステルに並びそうです。ああん! でもメアリー様と散歩するの楽しいですぅ。
目当ての、盛りと言われた百合のエリアは、流石の満開。むせかえる程の百合の薫りです。ちょっと強すぎなほど。
ただ、全て雄しべが取られて花粉に汚れることはありません。さすがの手入れの行き届いた庭園です。でも香りが強い!
さささ、すすす、と風上を目指しましょう。
夏バラの庭園。通年草のガーデン。慣らされた道は歩きやすく、疲れにくく感じます。
「メアリー様」
夏の庭も終わりそうな頃、このまま秋の庭へ進むかも気になりますが、まずは、とメアリー様に囁きかけます。
「お兄様と歩かなくてよろしいの?」
ずっとわたくしの手を握っておられますけれど。
「ご、ご迷惑でしたか?」
「いいえ。ただ、せっかくのデートでしょう?」
デート、の言葉に、メアリー様はぼっと顔を赤くされます。
「そん! いえ! えっ! あの」
「違いますの?」
「だって……まだ、わたくし、答えておりません」
「お兄様のことは、お嫌い?」
「まさか」
足は自然と秋の庭へ向かいます。
「ですけれど、これが恋か、わからないのです」
わたくしと同じような悩みですわね。
わたくしはエステルが一刀両断してくれましたけれども。
「想像してくださいまし。
――シェイマス様に、口付けされ」
「殴るのを堪えねばなりません」
「申し訳ありませんシェイマス様。尊い犠牲でした。では、お兄様に──」
「ぴっ」
フィリィ様のような悲鳴とともに、顔が真っ赤に染まります。
「答え、出てらっしゃいますわ」
わたくしが少し笑いながら囁くと、メアリー様はそっと、頷かれます。
「ではわたくし、お兄様と交代しますわね?」
「ぷ、プリム様……」
メアリー様、なんだか泣きそうですね。これはですが、心を鬼にいたしましょう。
「せっかくの、デート、なのですから」
囁けば潤んだ目が見つめてきます。そーきゅーと。
わたくしは振り返ってお兄様を手招きいたします。
「お兄様、わたくし、エステルに頼みがありますの。メアリー様のエスコートを代わって頂けますか?」
「? ああ、分かった」
お兄様は首をかしげながらメアリー様の手を取られ、エステルはわたくしの方へ駆けてきます。
「お呼びで?」
「ええ。暫くわたくしの相手をしてちょうだい」
わたくしの言葉にエステルはなるほどと頷きます。
「かしこまりました。お嬢様のエスコート、勤めさせていただきます」
エステルは腕に下げていた日傘を広げ、わたくしに傾けてくれました。貴婦人みたいですわ。
踏み入った秋の庭は、青葉を繁らせて。足元の通年草はそのままに、植生を大きく変えています。樹木が多く、紅葉を楽しめる作りなのかもしれません。
木陰が多いので、夏の庭よりすこし過ごしやすいのはありがたいですね。とはいえ、日が高くなりました。そろそろ、お昼の頃合いでしょうか。
すこし先を歩くお兄様とメアリー様は時折見詰め合ったりして、完全にカップルですわ。善きかな。
ゆったり後を歩いていると不意にお兄様とメアリー様が揃って振り向かれます。
「プリム、そろそろ戻るか」
お兄様が仰り、メアリー様が頷かれます。
「かしこまりました。わたくしもそろそろお昼かと思っておりましたの」
腹ペコといえば腹ペコですわ。良く歩きましたし。とはいえ小一時間程でしょうか。
お兄様はそうだなと頷かれ、四人で秋の庭から広場へ戻りました。
広場の外れ、広葉樹の木陰に、トーマスがパラソルを二機とガーデンテーブルを広げてくれています。御者の手を借りたにしても大仕事でしたでしょうに。
さらに離れたところに焚き火台を置いてお湯を沸かしているようです。本格的が過ぎませんでしょうか。暖めるくらいならわたくしが、と思いましたがまだトーマスはわたくしの魔法を見ていませんでしたね。失念しておりました。
わたくしたちに気付いたトーマスが、背筋を伸ばして一礼。それからまた、焚き火に目を戻します。
お兄様が先にテーブルにたどり着いて椅子を引き、メアリー様を座らせます。
わたくしの椅子はエステルが引いてくれました。
お兄様は自分で椅子を引いて腰を下ろされます。
パラソルと木陰のお陰で、ここはずいぶんすごしやすいですね。日本より空気が乾いているのか、日陰に入れば焼かれるような暑さ、というのはあまり感じません。
エステルはトーマスの荷物と共に置いていたランチバスケットを開き始めました。
夏のランチということで、今回は瓶詰めのディップがメインです。
パティシエが季節ごとに果物で作り置いてくれた甘いジャム。
シェフとわたくしで試行錯誤したランチョンミートにレバーパテ。
作り置きのトマトソース。
沢山の夏野菜のピクルス。
煮沸消毒した瓶に詰めてから、もう一度瓶ごと湯煎して脱気して封をしましたから、多少のことでは腐らないはず。
フレッシュさはありませんが、お腹を壊すよりはましというものです。わたくしが氷の魔法でも使えれば話は別なのですけれど、属性が違う魔法は難しいのです。真逆だし。
かぽん、かぽんと音を立てて、エステルが瓶詰めを開き、ディップ類はココットに盛り直してからテーブルに並べられます。
本当はこういう給仕を別に連れてくるのが正式で、目の前で用意させるものではないのでしょうが、ちょっとしたピクニック、と思えばその人数はやりすぎと言えますし、気心知れた者たちで出掛ける方が気楽です。
その分、エステルとトーマスには、苦労をかけてしまいます。もちろん、もう一人二人連れてくることも考えましたし伝えたのですが、トーマスがにこにこと笑って、
「馬に蹴られても平気なのは我らだけですので」
と答えたのでした。何故馬に蹴られることを想定するのでしょうか。馬には御者がついておりますのに。
そんなことを考える間に、エステルがディップとピクルスを並べ終え、テーブルの上には何種類ものパンが揃えられました。
「お好みのものをお切りします。どうぞ、仰ってください」
全粒粉のカンパーニュ。カリカリモチモチでクープの美しいバゲット。ドライフルーツたっぷりのライ麦入りのパン。我が家のパン職人が今日のために用意してくれた数々です。
エステルがパン切り包丁片手にオーダーを待っていますから、わたくしは早速──
「リバート、やはり来ていたか」
エステルにバゲットの耳をもらおうと思ったわたくしの願いを打ち砕く声。低くて耳に残る美声。でも、ここで聞きたくなかった!
「殿下」
お兄様が立ち上がり、簡易な礼をしたので、わたくしとメアリー様も急いで立ち上がってカーテシーをいたしました。
トーマスが、予備なのでしょう、もうひとつのウッドチェアをテーブルに備えました。こうなったからには、こちらでお休みいただくことになるでしょうから、まあ、そうなりますわね。
トーマスが引いた椅子に、当然のように殿下──イングラム王太子殿下が腰を下ろされます。
わたくしたちも合わせて腰を下ろしますと、殿下は楽しげに
「会えて良かったよ」
と仰います。
「殿下は、お兄様に会いに来られたのですか?」
殿下のご様子から話しかけてもよろしいかと判断してお尋ねすれば、そうだね、と頷かれます。
「庭園の申請と休暇の申請が出ていたから、きっと、夏休みのプリム嬢を誘うのだろうと思って」
「殿下」
咎めるようにお兄様が声を上げられますが、殿下はどこ吹く風といったご様子。
「だから、何としても会いたくなって、急いで仕事を終わらせてきたんだ」
この平日の昼下がりに、お忙しいことなど簡単に予想できるのに、造作もないことのように殿下は仰います。
ちょっと頭が痛くなって参りました。
「仕事を終わらせられたのですか?」
「ああ。私が決裁したり、決めなければならない分はね。検討事項は担当者に返してきたし、それについてもすでに私の方で指示を記して来ている。セマニが残って割り当てをしているよ」
セマニ様が前倒しされた分の書類に埋っておられる様な予感がいたしますが。
「そもそも、送り出してくれたのはセマニだしね」
と殿下は続けられます。
「そうなのですか?」
メアリー様が驚きを口にされるうちに、エステルがそっと四人分のお茶と、適当に切り分けたバゲットとディップソースを乗せた皿をそれぞれに配ります。要望に応じてスライスするタイミングを失いましたわね。
「うん。あの日の指先を忘れられなくてね」
殿下がわたくしを見詰められました。あの日の指先、とは──?
「もうグラムとは呼んでくれないかな?」
──っ!
わたくしはカッと耳に熱が集まるのを感じます。殿下はわたくしを、からかっておられるのです。そうに違いありません。わたくしが狼狽えるのを楽しんでらっしゃるのだわ。
「お戯れを」
なんとかそう答えると、殿下は目を細められました。悔しい。ただしイケメンに限る、をイケメンがやるから狡いのです。顔がいい。声がいい。流石は正ヒーロー。
ですけど、何故こんなにわたくしに、ご興味を持っていただいているのでしょう。翻弄されるのも面白くありませんから、わたくし、すこし駆け引きを頑張りますわよ。
スライスされたバゲットに、レバーパテをたっぷり乗せてから一口。ん。上出来。こくんと飲み込んで、お茶で口を流してから。
「わたくしなどより、素敵なご令嬢はおられますでしょう? 光栄ですが、わたくし、分を弁えておりますわ」
わたくしの毒味に気付かれたのか、殿下もレバーパテをバゲットに乗せてお召し上がりになります。すこし目を見開いて、一気に食べきられました。早いのに優雅で品があるとか、育ちが良いってこういうことですのね。
「私もね、最初はそう思ったよ。興味深い、才ある令嬢が現れたなと。本当にただの興味で、この国の、私の利になるかを考えた。リバートから話を聞いたし、母からも社交界からの話を聞いた。君の輪郭が私のなかで形作られて、君と話すたびに色付くのを、なら、君は戯れと呼ぶかい?」
***
彼女がわたしを意識してくれているようだ、というのは、内心喜ばしい。
ムジーク殿に対して抜け駆けした様で多少心は痛まないではないが、あちらは毎日学園で会えていたのに、と思えばいまのわたしの行動はどちらかといえばフェアプレーだろう。
プリム嬢へのわたしの執着は、自分でも思いもよらないものだ。
わたしは、良き王子だったと思う。それなりに、優秀だったと自負している。
取り潰されたイルワを始め、悪心を持って近付かれれば分かったし、証拠を掴んで、芽を摘むことなど容易かった。
そもそも、大体の出来事は予想通りに進んでいく。予測できないことは少なく、優秀で信頼の置ける部下、友人にも恵まれた。
わたしはただ、円滑に国を動かす機構であれば良かった。
社交の場を微笑みですり抜けて、悪鬼羅刹を正論で捩じ伏せて、為すべきことを、ただ淡々と為せば良かった。
それを、友人らが心配してくれていることも知っていたが、機構以外の必要性を、わたしはわたしに感じていなかった。
彼女は。
あの夜会で言ったのだ。
自分を実りにする、と。
令嬢がそのようなことを口にするとは思いもよらなかった。
そして彼女は確かに多くの実りをジンカイイにもたらしているようだった。
あんなに、普通に笑うのに。
わたしのように、機能と機構に徹しているわけでもないのに。
リバートも、己の妹がなぜああなのかは分かりかねるようだった。
ただ、彼女は。怖がるように楽しんでいるようだったから。楽しみながら、恐れているようだったから。
それは、白と黒しかなかったわたしの世界に、確かに彩りとして咲いていた。
「そんなことは」
わたしの問い掛けに、プリム嬢は首を振る。意地悪な問い掛けだったと理解しているが、これだけ口説いても駆け引きを仕掛けてくるとは、まだわたしの心が伝わっていないからだろうか。
「ただ、信じられないだけですわ」
プリム嬢はそう答える。
わたしは肩を竦める。リバートが睨んできて、わたしはバゲットにまたレバーパテを乗せて口に運んだ。
***
殿下がぱくぱくとレバーパテをパンに乗せてお召し上がりになります。
わたくしが、信じられないとお伝えすると、殿下は肩を竦められました。
「信じてもらうまで伝えるだけだけれど、君は、どうしたら信じてくれる?」
殿下が切なげに問い掛けられると、わたくしは何も言えなくなってしまいます。
「殿下、プリムをあまり追い詰めないでいただきたい」
お兄様がそう助け船を出してくださいます。
わたくしはまた首を振りました。
「光栄に思っております。もちろん。とても、その、嬉しく思います。
ただ。ただただ、わたくしが、選ばれるなんてと、わたくしがわたくしを信じられないのです」
殿下はわたくしがそう感じることを理解してくださって、待ってくださっていることも分かります。分かっているのです。ただ。
「身も世もなく、お慕いしておりますなんて、言えるわけないではないですか」
わたくしはそうこぼします。
そう。
溢しました。だばっと。
殿下とお兄様とメアリー様が目を真ん丸にして。
エステルが紅茶を芝生に溢しております。ステイステイ。
わたくしは顔に熱が集まるのを感じます。お許しくださいお許しください!
「いえ! 現実的に考えまして、仮に、仮にですよ、そのようなことになったとして、絵物語ではあるまいし、めでたしめでたしみんな幸せに暮らしました、なんてそんなことあるわけないではありませんか。ならば必ず、共にある努力とか、立場に置ける責任とか、為すべきことが、必ずありますでしょう例え血の繋がった家族であったとしても家族であり続けるための、良い関係でいるための努力のようなものは必要だとわたくしは思うのですならば為すべきことはなにかとかわたくしにそれが為せるのかとか考えますでしょう考えずにおられますか? 人は考える葦であるとか仰った哲学者もおいでなのですよ未来に不安を憶えぬわけがありませんですからわたくしはわたくしが信じられないのです」
ふーはー。とわたくしは言いきります。
勢いに飲まれたお兄様と殿下がぽかんとわたくしをご覧です。
これで見切ってくださいまし。ほんと、お願いですから。
モブだと思っていたわたくしが、なんとかこの世界で自分として生きようと思えたのです。表舞台に引き上げられることは、生まれから仕方ないとも理解しておりますがそれでも。
それでも、と言わせてくださいまし。
それでもわたくし、お姫様なんて柄ではないのです。根が社畜。問題解決で滾るタイプ。
「うん。まあ、わたしもわたしが良くわからないんだけれどね」
一口紅茶を飲んでから、殿下がお応えになられます。
「だから一緒に、共にいる未来がどんなものか、考えて欲しい。わたしはわたしの未来に君にいて欲しいと思うけれど、だからと言って具体的にどうあるべきで、何を為すべきかなんて、信じられないことに見えていないし想像もつかない。今までこんなことなかったのに。
だからわたしは、君と、知らない未来をみてみたい」
重ねて、嫌なら嫌でわたしの有責で解消すれば良いよ、などと仰って。
わたくしは。
もう、どうしていいか、わからなくて。
するとメアリー様がきりっと顔を引き締めて、それから、お兄様に向き合いました。
「リバート様! わたくしと、婚約を前提にお付き合いしていただけませんでしょうか!」
は!?
メアリー様!
えっ!?
思わずがばっと二人を見てしまいました。
殿下もきょとんとしてご覧ですし、エステルとトーマスが、もはや呆然としております。
夏空の下で行われるカオス。ええ、もはやこれはカオスです。
「殿下とプリム様のやり取りを見て、わたくし、やっぱり、きちんとお答えしなくてはと! リバート様、あの日のお言葉が真実なら、どうか──」
メアリー様、戦闘スタイルと同じく一撃必殺なのでしょうか。ちょっと何が起こってるのか理解いたしかねるのですが。
「メアリー嬢、プリムと殿下のやり取りで何を感じられたかをわたしは計り知れないが、どう答えたものか。
まず、その申し出は嬉しく思う。近々、養父殿に改めてご挨拶に伺わせていただく。それから、そういうことは、わたしから言わせて欲しかった。
メアリー嬢。どうか、わたしとの未来を選んで欲しい。今はまだ指輪も何も用意できていないし、そもそもこんな勢いで言うものではないと理解しているのだが今言わなければ男が廃るのも事実であるゆえに。
メアリー。わたしと、生きてくれ」
お兄様も大分混乱しておられますが、メアリー様の手をとって仰いました。メアリー様が、その大きなエメラルドの眼差しを潤ませて頷きます。
拍手喝采、あの身辺警護映画のメインテーマが脳内に流れ出します。
と。
殿下が。
わたくしを。
ご覧になって。
これでうやむやになってくだされば良かったのに。
「君は、どうする?」
殿下がじっと見詰めてきます。
わたくしは、肩を落としました。ええ。エステルと話して分かっていたのです。
わたくしはきっと、未来を見たくなるのだと。選択肢の無くなった先の、何が起こるか分かりかねる未来。
これは恋でしょうか。好意ではあるでしょうが。これは愛になるでしょうか。
きっとこれはその『選択』です。
「そうですね。まずは、一緒に考える相方、でいかがでしょう?」
はっ、と我に返ったエステルが、四人分の紅茶を改めて入れ直します。トーマスは焚き火で沸き立つ薬缶に水を足しました。
殿下はテーブルの上のわたくしの手を取って。
お兄様は同じように、メアリー様の手を取ります。
「「どうかよろしく」」
流石幼馴染みでしょうか。やることがキザに揃ってますわ。
わたくし思わずうわぁって顔をしてしまいました。ただしイケメンに限る、が連発です。
「お気に召さなかったかな?」
殿下が悪びれもせずに問い掛けるので、わたくしはそうですね、と答えます。
「相方から格上げされてからになさって」
殿下は、それは嬉しそうに笑いました。
「そんな風に、対等に話してもらえるようになるなら、わたしは相方で満足だな」
なんて。心から楽しそうに。
この方はきっと、ずっと硝子の向こうにいたのかもしれません。わたくしと、ある意味同じように。
わたくしは、前世の記憶、という硝子。
殿下は、自身の才覚による隔絶、という硝子。
自分でも割り様のない硝子の壁が、ずっと目の前にあったのでしょうか。ならば、それは、寂しいですね。
わたくしにはエステルがいて。
殿下にはお兄様たちが居たとしても。
「お楽しみいただけるなら、光栄ですわ」
わたくしはなんだか穏やかな気持ちになって微笑みます。
殿下が、ぴし、と音を立てるように固まりました。
「お嬢様、その辺りで」
エステルが殿下の手をわたくしから外しました。不敬、と言われかねませんが、まだ婚約も何もない男女ですから、主人の護衛の範囲として赦されるでしょう。
殿下はまだ固まったままです。
放っておきましょう。こういうのは迂闊に触れてはならないのです。
わたくしはランチョンミートを、ナッツ入りのパンに乗せて口に運びます。強めの塩気がナッツの油分に溶けてとても美味しい。
「エステル、支度ありがとう。せっかくセッティングしてくれたのに、すぐに食べられなくてごめんなさいね。お茶のおかわりを貰える?」
わたくしの声に、お兄様とメアリー様が二人の世界から帰ってきました。お帰りなさい。
「プリムが用意したのだろう?」
とお兄様がジャムを乗せたパンを食べながら問われます。メアリー様の目がきらっきらです。
「ええ。暑くなっても腐りにくいものをと思いましたら、瓶詰めばかりになってしまいましたから、せめて味の種類は多くしたのですが」
ピクルスをお口直しにぽりぽり。ほどよい酸味が箸休めにぴったりです。お箸文化ではないので、箸休め、と言うのもおかしいのですが。
「選べるのが楽しいです。ジャムを混ぜても楽しめますし」
メアリー様はシトラスのジャムとベリーのジャムをブレンドしておられてそーきゅーと。ヒロインのランチって感じですわ。
隣の殿下が、ゆっくりと現実に戻られ、パンとディップとわたくしを三角形に順番に見詰めてきます。
「プリム嬢が作った?」
呆然と呟かれますので
「シェフとパティシエと一緒に、わたくしは希望をのべて手伝わせて頂いただけですわ」
答えると、殿下の目からはら、と涙が墜ちました。ええー!? 何事! 様になってらっしゃいますけど何事!
「いや、すまない。気持ち悪いだろう。感動してしまったんだ。庶民は、母の味とか、家庭の味、と言って家族の味を持つのだろう? こういうものを、わたしは守るのだなと、実感できてね」
こういう味を知りたかったとか、こういう家庭を築きたい、だったら幻滅したと思うのですが、こういうものを守るのだと実感した、とか言われますと、なんというか。
尊敬せざるを得ない、というか。
浮わついたことを言っていながら、立ち位置を動かさないところは素直に、称賛してしまうというか。
「そんな、大層な品ではございません」
思わず謙遜を口にしてしまいます。ここは大人しく称賛を口にすれば良いのでしょうけど。
「大層な品ではないというなら、尚更だよ。わたしには、まだまだ見るべきものがたくさんある」
殿下がしみじみとおっしゃり、次々とディップを口にされます。これ単純に腹ペコなのではと思う食べっぷりです。いえ、お兄様がおっしゃっていたので余分はあるのですが、とまで考えて、はたと、思い至ります。
ぎぎぎ、とまるで油の切れたぜんまい細工のように視線をお兄様に向けますと、さっと反らされました。
あっこれ!
お兄様の仕込みですわね!!
殿下が現れるのは織り込み済みでしたのね!?
くっ、お兄様、妹を売りましたね。おそらくはメアリー様を誘うため、この庭園の優先利用あたりを餌にされたのでしょう。なんたる! なんったる!!
悔しいですわ。お兄様の企みを見抜けなかったことがとても悔しいですわ。思わず力一杯ピクルスを噛み砕いてしまいますわ。
はたから見れば情緒不安定に見えるでしょうが、そりゃあ不安定にもなるというものです。
とは、いえ。
お兄様を締め上げるのは帰ってからです。エステルに視線を向けると強く頷かれました。恐らく、エステルも察していたものの、わたくしとお兄様の板挟みだったのでしょう。
わたくしの視線を殿下に戻します。と、殿下と目が合いました。ぴっと背筋が伸びます。まさかじっと見られておりましたの?
「プリム嬢は、たくさんのものを見ているのだね」
殿下がしみじみと仰います。
「いえ、そのようなことは。大夜会を覚えておいででしょうか。わたくしはまだ、ただの本ですわ」
実践がなければ、それはただの本と変わらない。頭でっかちで、何も成せていないのがわたくしです。
ただ、これからは、ポリィやオルトが願ってくれたような道を――選びたいことを選べるよう目指したいと、やっと思えるようになったのです。
殿下は目を細めて、優しげに応じます。
「ならば、わたしの本は、まだ薄い」
それを否定することも、肯定することも、わたくしにはできませんでした。
それからの時間は、とても穏やかなものでした。
タブルデート、というよりは、友人とお茶会、のように。
殿下を見送り、メアリー様をお送りして家に帰ってから、お兄様と二人で、御父様に手紙を書きました。
好きな人ができました。
なんて、書くことになるとは思いませんでしたわ。
そうして夏休みがあと一週間を切った頃、ジンカイイの街屋敷には馬車が並んでおりました。
はい。わたくしとお兄様の手紙を受け取った両親が、予定を繰り上げて都入りしたからでございます。挨拶も早々に、家族四人で御父様の執務室に集合です。議題は、あの手紙について。
「早馬を飛ばしても解決するわけではないからね、急いできたよ。荷物がまた後追いで届くくらい急いだよ」
口火を切ったのはお父様。わたくしとお兄様は並んで両親の向かいに座っております。ちょっと冷や汗が出ますわね。
「まずはリバート」
「はい」
「コンツェルト伯爵家の令嬢だったね」
「はい。プリムの友人で、プリムに個人の忠誠を捧げています。真っ直ぐで、気持ちの良い女性です」
「うん。ならいい。話を進めよう」
お父様はそう言って頷かれました。それからわたくしをご覧になります。
「それから、プリムだけど」
「はい」
「好きな人ができたと」
「はい」
「それが、イングラム殿下だと」
「左様です」
改めて頷くと照れますわね。少し顔が火照ってしまいますわ。
「そうかぁー」
お父様はがっくりと首を落とされました。
「旦那様はね、もしプリムちゃんが誰も選ばなければ、リバートとジンカイイ領地を盛り上げてくれるんじゃないかと期待していたのよ」
お母様がうふふふと笑います。
「浅はかよねぇ。プリムちゃんはこんなに良い子なんだから、絶対に貰われていってしまうって言っていたのよ、わたくしは」
「うん、まあ、そうだね。殿下かムジーク殿か他の誰かかって話でしかないからね。ムジーク殿には気の毒だが」
そう。ムジーク様の『番』問題はまだ解決しておりません。まずはわたくしの気持ちを誠心誠意お伝えするところからとは思いますけれど。
「王家への返事はしておくよ。決定はまだ先になるだろうけれど、中途半端は気持ちが良くないだろう」
お父様がはぁと深く息をはきました。
「お手数をおかけします」
わたくしはただただ頭を垂れるばかりです。お父様は弱々しく微笑まれました。
「いや、良いんだよ。子どもたちが大人になっていくんだと思って、しみじみしてしまっただけだよ」
「何よりあなたたちの幸せを願っているのよ」
お母様が穏やかに微笑まれました。
「ありがとうございます」
とお兄様がおっしゃり、
「ありがとう存じます」
わたくしが続きます。
前世から通じて恋人らしい恋人、というものに縁が無かったものですから、両親からこんな風にしみじみと言われるのも、初めてのこと。特に今のわたくしは、このやり取りがすぐ結婚に直結するものですから尚更感じるものがあるのでしょう。好きか嫌いか無関心かでお付き合いをしたり結婚したり別れたり離婚したり、なんで彼氏作らないのと聞かれる前世はなんて窮屈なのだと思ったこともございますが、それに比べれば今の方が制度の上ではもっと『窮屈』なはずですのに、むしろ、幸せに感じるなんて。
まあ、愛が全てを解決するなんて言いませんが、愛が寄り添うものもある、ということなのでしょう。多分。きっと。おそらくは。
そもそも、なぜわたくしがここで好き勝手にやって受け入れられるのかが不思議と言えば不思議ですわね。
「それで、プリム」
わたくしがぼんやりと考えておりますとお父様が声をかけられます。
「あれほど怯えていたのに、殿下の何処が良かったんだい?」
雑談のようにお尋ねになりますが目が笑ってらっしゃいませんわね。
これは、なんというか、迂闊なことを言うと拗れそうな気配。
「ちゃんと、お話しさせて頂いて、その、未来は見えませんけれど、一緒に考えることは、出来る方だな、と」
顔が良いのも、ズルいんですが。
こんなに自分が面食いだとは思いませんでしたわ。いえ、乙女ゲームするんだから面食いですわね。お兄様で目が肥えておりますし。
わたくしの言葉に、お父様はまた深く息を吐きました。がっくりと脱力しております。
「未来、未来かぁ」
そうしてしみじみと呟かれます。それはなんだか噛み締めるように。
「顔が良いとか口説かれたとかなら現実を見ろと言いたくなるのだけど、未来かぁ……」
お父様は遠くを見つめておられます。お母様がにこにこと笑って
「プリムちゃんったら、気が早くてよ」
なんて仰います。
当にただ先のことを共に描けるんじゃないかって、そう思うだけで! 思うだけなので!
「でも、そうね。具体的な将来像なんて、描ける方が不思議だわ。本当は何が起こるか分からない。起こっても、この人となら、と思える方を、わたしは選んで欲しいわ。プリムちゃんにとって、殿下はそういうお方?」
お母様が首をかしげて問い掛けられます。わたくしは、ひとつ、頷きます。
「はっきりとは、分からないのですが、守られたいわけでも、守りたいわけでもなく、一緒に解決していける方だと思います」
お母様はその答えに、満足そうに頷きました。
「なら、いいわ。ね? あなた?」
お母様に話を向けられてお父様はしぶしぶと頷きます。
わたくしはもう一度お礼を申し上げて頭を下げました。
おそらく、今年の社交シーズンのお父様は鬼のような忙しさとなるでしょう。それが分かるので、大変申し訳ない気持ちになります。
それでも。
わたくしは今自分から、未来をひとつ選んだと思うと、なんだか、面映ゆい気持ちになるのでした。
***
メアリーは、迸る思いに委せてペンを取った。この日を記さねばならぬと思った。
プリムが己の目の前で、イングラム王太子殿下に選ばれたのはとても嬉しい。己の信じる彼女が認められたような気持ちになる。ただ、そのために彼女が無理をするのではないかと思う。
そういうことを、書いた。
書いてから、暖炉にくべて燃やした。
嬉しいし、知らせたい気持ちはあるのに、それはダメだと思う自分がいる。
殿下の婚約に関わることは、直前まで秘されるというのは、貴族教育で学んだ。その知識ゆえの忌避感だけではない。
これは。
──プリム様の、心の一番柔らかいところを暴くことになるからだわ。
夏の暖炉で不自然に燃える火を見つめながら、メアリーは嘆息した。
プリムに幸せになって欲しい。
プリムにこの国の女性の頂にすら立って欲しい。
プリムを見上げ憧れていたい。
個人の忠誠だけではなく、国中の人々にプリムを知って貰いたい。
プリムが否と言うなら、メアリーは王子だって殴り飛ばして、違う国にだって逃げるだろう。
プリムの幸せを願うなら、躊躇わずにそうする。
だから、このことは、知らせてはいけないのだ。誰にも。当事者以外の口から語られるべきではない。
消えていく暖炉の火に安堵しながら、メアリーは改めてペンを取る。
プリムが実は刺繍は得意でも意匠をデザインするのは苦手なこと、お昼のディップが絶品だったこと。夏の庭の百合は薫りが強く、プリムの好みではなかったようだ、ということ。
当たり障りなく彼女の好みと新たに知れた側面を書いて、封をした。ジンカイイ令嬢を盛り上げる友の会──ジン友会の会報宛の記事はこれで濁すことにする。
代わりに、メアリーは今日のことを、今暖炉にくべた自分の思いも含めて全て、日記に認めることにした。いつか、公表しても良いときに、そっと口に乗せられるように。忘れたくない一日として。
何より。
リバートと、手を取り合った日を、自分の後悔で苦い日にしないために。
己の思考が自己中心的に思えて、メアリーは苦しげに顔をしかめた。
プリムに全部打ち明けて、大丈夫と微笑まれたくなったけれど、この苦さは、自分の背負うものだ。自分の欲だ。
日記の最後の一行は、好きでごめんなさいプリム様、だった。
長かった夏休みもようやく終わります。
次回から秋のはず。




