鎮魂歌は無く
村下勝真の槍が大きく振るわれた。まだ、誰にも当てるつもりのない素振りだったが、その風圧は格の違いと死の予感を相手に感じさせるものであった。
「殿…お逃げ下さい。アレは無理です」
村下勝真の側近の1人が山中虎助に逃げるように言う。精鋭武士が多い川上家の中でも上位にいる程の実力を兼ね備えた武士達が20人いても勝てないと一瞬で察する事が出来るほど村下勝真の鬼人化した姿は圧倒的であった。
「俺の策略、謀略が通じなかった。ならば責任は俺が取るのが筋だろう。俺を舐めるなよ村下勝真!俺も愚かな武士の一員だ!その位の腹を、覚悟を決められずに国を取れるかっ!!」
「国を取る…か。それが貴様の野心であることは分かっておったぞ。貴様とは相容れぬ事もな。これは来るべき未来が今来た、それだけだ。もうじき俺は死ぬ…が、貴様も死ね。俺の死の道連れとして、そして川上家の為にも」
槍を構え、力を蓄える村下勝真。漏れでる妖気の量が跳ね上がる。力を使う分だけ死ぬのが早くなるが、もはやそのような事を考えてはいない。目の前の男を殺す、それのみに集中した。
「これは……殿お許し下さい。我々は殿の作った国が見たかった…生きているうちは見ることが出来なそうです」
「何を…っ!?」
「貴様ら!殿に一族の命運を賭けたのなら今が我々の死に時だ!命を捨てるぞ!川上家を滅ぼし!殿の国を!我らの国を!」
「「「「川上家を滅ぼし!殿の国を!我らの国を!」」」」
そう合唱した武士達の姿が変わり始める。皮膚が赤く硬化していき、小さい一本の角が生え、身体から可視化出来るほどの妖気が蒸気のように立ち上る。村下勝真と同じ鬼人化である。
20人が一斉に鬼人化を成功させた。しかし、皮膚の色は村下勝真に比べて赤が薄く、角の一本しかない。溢れ出る妖気の質も量も跳ね上がっても村下勝真に遠く及ばない。
だが、それでも村下勝真と同じ土俵には上がった。ここに来て初めて相対することが出来る。鬼人化している者には鬼人化した者でなければ勝負にすらならないのだ。
「命を捨てるか…良き家臣だな。仕える相手を間違えているようだがな!」
「ぐぁっ!」
一瞬で間合いを詰めて振るわれた槍をすんでの所で反応して止めようとしてあまりの膂力に身体ごと持っていかれる。宙を飛び、大木を数本貫通し止まる。生きてはいるが一撃で戦闘不能に近い状態になってしまった。
「川上家に仕えるよりは万倍良いわっ!」
槍を振り抜き一瞬動きが止まった村下勝真に一斉攻撃をしかける武士達。その動きは鬼人化した為に神速の域に至ってはいたが、村下勝真にとって見ればのろくて亀のようなものであった。
「川上家に取り立てて貰った恩を忘れた者共が!」
槍の穂先が刀を振り上げる武士の首を貫き跳ねた。その勢いで囲みを抜けて同じく槍を構える山中虎助のいる所に向かう。
「させぬ!」
「邪魔だ!」
山中虎助の護衛を務めていた2人の武士を真っ二つに斬り伏せた返り血が皮膚に付くが鬼人化の影響により身体が高熱を発している為にもすぐに蒸発する。
「殿は殺らせぬ!我々の悲願を!」
「川上家の滅亡を!」
「我が一族の栄光を!」
「国を!民を!救うために!」
すんでのところで山中虎助の肉壁になり次々に命を散らしていく。その動きには躊躇は無く、たった数秒の山中虎助の延命のために全てを投げ打っていった。
山中虎助は上級武士である。そのために今では城でのお勤めであるが、若き頃は己の領地で己の民を持って暮らしていた。今では非情で、酷薄な人物であるという評価であるが、昔は民を愛し民のために行動する領主であった。
それが、過酷な税の取り立てで次々に死んでいく民を見て、耐えて耐えて悔しさの涙を流し、血の涙を流し心は擦れ、蜂起した志を同じにした友の村を壊滅させた。
その心の傷が、川上家の怨みが、山中虎助を変えた。木板という男の話に乗り、裏から川上家を崩す役目をおい、徐々に策略家としての才を身につけていくうちに野心が芽生え、その野心に同調する仲間が増えてここまで来た。
その仲間達も川上家を怨み村の事を思い、しかし木板には従いたくない武士が山中虎助に従い、己の家の栄達を民の安息を願い命を散らしていっていた。
「グッ!」
己の築き上げたものが目の前で次々に崩されていくさまにすぐさま飛び込みたい衝動に駆られる。が、それを必死に抑える。山中虎助には分かるのだ、武士達が何の為に命を捨てているのか。せめて、死ぬにしても山中虎助は最後でなければならない。それが、武士達の願い。
「……ヌッ…」
12人が斬り殺され、5人が吹き飛ばされ、3人が武器を構えて備える。その時、僅かに村下勝真の動きが鈍くなった。その瞬間を逃さずに1人が全身全霊の突きを村下勝真に繰り出し硬化したはずの皮膚を突き破り肉の中に埋まった。
次の瞬間、首から上が無くなった武士。槍から手が離れて地に倒れる。村下勝真は己に刺さった槍を抜き去り構える。その動きは鈍く、溢れ出る妖気は小さくなっているのが分かる。
確実に村下勝真は弱体化して死に向かっていた。それを感じ取った武士達は正念場だと思ったのだろう。戦闘不能レベルになった身体を引きずり無理矢理村下勝真の元へ向かい刀を槍を向ける。
「……………」
もはや言葉を発する余裕も無いのだろう。無言で槍を構え山中虎助を見据える。それを、冷や汗を流しながら受け止める。
蹴られた地は揺れ地響きすら起こし、神速を越して引き絞った槍を山中虎助に突き立てようと、ただの一矢になる村下勝真。
「ヌグァッ」
それを止めたのは満身創痍の身体で山中虎助の前に出た武士達2人。それらの胸を深々と突き刺した為にも止まった動きを見逃さずに刀を次々に深々と突き刺す。
死が急速に近づいてくるのが分かった。身体にはもう力が入らない。槍を落とし、串刺しにした武士が倒れて現れたのは目の前に刀を大きく振り上げた山中虎助だった。
「俺の勝ちだ。村下勝真ッ!」
少し左に回り込み首を斬り落とす山中虎助。その顔は勝利者の愉悦ではなく、家臣を犠牲にしたことに対する涙が流れていた。
「殿…ご無事ですか?」
「あぁ、生きている。お前らのおかげでな。お主はいつまで生きられる?」
「私は…もう無理です」
「…………そうか」
何故鬼人化は禁忌の術とされているか。鬼人化は才あるもの、または長い修行の末に身に付けるものである。それを、才もなく鍛錬の足りない者は、その対価を命で払うことになる。
川上家の武士の中でも上位に立つ武士達ですら、対価を命で支払っている。山中虎助でもどうなるか分からない。生き延びたとしても数ヶ月、下手したら数年も力が戻らないかもしれない。そのような術であるのだ。
そして、ごく短時間しか鬼人化は発動出来ない。あまりにも妖力の消耗が激しいのだ。いまの攻防とて、時間にすると10分に届くか届かないかだ。一時的に数倍、数十倍の力を手にすることが出来るがそのリスクは凄まじく大きい。
もし、鍛錬の足りない者で鬼人化に成功しなお生き残った者がいるとすればそれは鬼人化の才が顕著にある者。だが、そんな者は殆どいない。ある家系の一族以外は。
普通の武士では知ることが出来ない禁術を知ることが出来たのは、武門の名家と言われる川上家の秘密の地下倉庫の存在を知る山中虎助がいるから。その危険性を十分知らせたのちに己の家臣にのみにその存在を伝えたのだった。
「……殿…いえ、山中殿。我々は何故山中殿に付いてきたと思いますか?」
「…川上家に恨みがあったからだろう?」
「それもあります。あと、私達の一族の繁栄や村の民の事なども。しかし、一番はそれではありません」
「…なんだ?…それ以外にはまだあるのか?」
ポタポタと流れ落ちるものがある。雲が出て雨も降って来た。それが死にゆく武士達の熱い身体を冷ましていく。雨と一緒に落ちていくソレを横目で見て口角を上げる。
「…それですよ」
それが、最後の言葉になり山中虎助の家臣としてこれから活躍していくだろう20名は村下勝真を討つために命を散らして消えていった。
「野心など……持つべきものでは無いのかもしれんな。ここまで肩が重くなるなど…想像もつかなかった」
肩を震わせて泣く暇など無い。すぐさま、この場を離れて次の局面を考えて動かなければならない。何より、それを望むのは己の為に死んだ家臣達だと思うから。
「ハッ!」
生き残った馬に跨り走り出す。木板則平の元へ合流し任務を完了したことを報告しなければならない。そして、川上家を滅ぼし、木板則平すら手玉にとり国を手中に収める。それを為すために生き残ったのだ。
野心が使命に変わり始めていた。酷薄で非情、策略と謀略に長けた山中虎助は更なる進化を遂げようとしていた。
「村下勝真は死んだ!!川上家最強の男は死んだぞ!敵の騎馬隊も全滅した!流れは完全に変わったぞ!今こそ、殺された者の恨みを晴らす好機!進め!敵を皆殺しにするのだ!」
激戦を繰り広げていく中、勢いに乗る川上軍は徐々に押し込んでいた。しかし、ある時2度目の轟音が鳴り響き川上家の足軽が一気に数十人が吹き飛ばされて即死した。あまりにも突然の事に両軍の動きが止まった。その止まった瞬間に速水智頼による上記の宣誓である。
士気が砕けた音が聞こえたのは、直家達だけでは無いはずだ。あれだけ逃げ腰であった敵の目の色が変わり、味方の顔から血の気が失せていくのが分かる。
これはまずいと思ったのは長貴だけでは無い。生き残った武士達も叱咤激励の言葉を叫ぼうとした瞬間。
「ひぃ!」
1人が逃げ出した。その恐怖の伝染の速さは凄まじく、次々に背を向けて逃げ始めた川上軍は、一瞬で崩れた。
「追えっ!敵を1人も逃がすな!敵は疲労の激しい寡兵!潰せ!」
速水智頼の声がよく響く。そして、スゥと息を吸う息遣いが大きく聞こえ
「「「「「オオオオオオオオオオォォォォォォ!!」」」」」」
今までの鬱憤を晴らすかのような声が地を揺らす。踏ん張り、残って戦おうとしていた足軽達の士気を吹き飛ばした。
「やべぇ!やべぇ!これは、マジでやべぇ!」
野生の勘が働く猿吉などは、今までに無いくらいの濃厚な死の気配に語彙力が壊滅し逃げる足軽隊の中をすり抜けて走る。
「うわっ!クソッ!」
「えぐっ…」
直家と蛍もその後ろを走りながら長貴を探す。その時並走していた足軽の上半身が消滅し返り血が直家の目にかかり煩わしそうに目を強引に擦る。
「何なんだよ!あの轟音は!なんか鳴ったと思ったら味方が死んでくぞ!」
「知るかよ!」
「残念ながら僕も知らないね…」
「うおっ!長貴いたのか!」
「今、合流したよ」
「我々もいるぞ!」
走る猿吉と直家の元へ同じく敵に背を向けて走る長貴と岩蔵達も合流した。目の前には、負傷兵を多く抱える義元様が羽白山に退いていくのが見える。青海達妖術隊は確か今あちらの方にいるはずなのでまだ安心して良いだろう。
「羽白山で築いたあの砦まで退くつもりだね。村下勝真が討ち取られてもまだ総大将である義持様がいるからそこまで退いたら何とか立て直せるはず…」
「アイツにそんな能力あるかねぇ…」
「それを信じないとここで死ぬしかないよ…本当」
士気に壊滅的な打撃を受け、足軽隊の殆どが疲労が濃く、騎馬隊は討ち取られ、武士達も少ない。そして何より数が絶望的に敵と比べて少ない。
砦に立て篭もっても守りきれるか怪しいのが実際だ。
「うぎゃぁ!」
また、近い位置を走っていた足軽の1人が何かに撃ち抜かれて絶命した。ふと、後ろを見ると負傷して走るのが遅い足軽が次々に敵に捕まり滅多刺しにされていた。
「………………」
皆無言で走る速度を上げた。顔に浮かぶ必死さは誰もが嘘が無く、速度が比較的に襲い直家や岩蔵達などは若干涙目であった。
砦に立て篭もるも何も生きて羽白山に入れるかどうかすら怪しくなってきたのだった。
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