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明ける世界の夢見る機械  作者: 壕野一廻
第3部第1章「ケイレアを前にして」
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第70話「路地裏」

お陰様で夏コミにスペースを頂くことができました!記念すべき100回目のコミケにふさわしい頒布物を用意しています。

続報はTwitterに掲載していきますのでご覧ください

=> https://twitter.com/Type10TK/status/1535251158591500289

 困った。安らかな寝息を立てるクロエを見下ろしながら、私は思い悩んだ。

 宝冠山脈を越える道のりは予想外に平穏無事だった。警戒していた山賊による襲撃などは全く確認されなかった。我々の行動が車両によって高速化されたことで一歩先んじることができたのかもしれない。この仮説は検証可能性の低い推論に過ぎないものの、データ領域に永続化しておくくらいの価値はあるだろう。

 それはどうでもよい。問題は眼前の問題だ。長旅の山越えに疲れたクロエは、宿を取るが早いかベッドに潜り込んで寝息を立て始めてしまった。それだけなら動作周波数を落として待っていればいいだけなのだが、今回はやっかいなことがある。布団の中で幸せそうに転げながらクロエは言った。「適当に遊んでていいよ〜」と。

 私はもちろん文脈に依存した自然言語解釈能力を持っているので、これが「任意の遊興を許可する」という意味に留まらないことがわかる。どちらかといえばより積極的に、私が私自身のために時間を使うことを推奨していると理解できた。

 クロエは私のことを考えすぎるくらいに考えてくれているから、そのことが私にとって有益だと考えたのだろう。素朴に考えてみても、クロエラエールと二人で行動している限り行えない類の学習を行う機会があるのは確かに興味深いことだ。

 問題は、それでは何をしようかということだ。

 それまでの人生で習慣づけられた余暇の使い方のようなものが私にはない。収容室にいた頃のように読書に耽ることは、無尽蔵の書籍にアクセスできてこそ娯楽になる。今手に入る文献の量では一日持つまい。

 まったく、気を使ってるつもりでやってることは丸投げだ。こういうところはクロエの大きな欠点だと思うけれど、そんな部分も含めて彼女に魅力を感じてしまっているのだから仕方がない。

「行ってきます」

 彼女の頭に軽く手を乗せる。小さくうめいた彼女が寝返りを終えるのを待って、私は街へ出た。


 †


「いらっしゃいお嬢さん。どう、舶来の珍品ばかりだよ」

「うちに泊まって行きなよ。どうせこの街道は行き止まりさね」

「見てってよ見てってよ。他じゃ手に入らない新鮮な魚だろ。東国風に生でだって食えるよ」

 店の軒先で、あるいは屋台から、広げた敷物の上から、客引きの声が引きも切らない。ここもまた大陸間交易の恩恵を存分に受けている地域の一つなのだ。所有したいという欲求を刺激されることはないものの、見慣れぬ品々を観測することができるのは楽しい。持てる手段で観測し、モデル化し、そして記憶領域に永続化する。そのたび私という存在が、世界に対してより大きな広がりを持って存在することができるようになったような気がする。

「何かご用ですか?」

 背後から接近する人型の存在を知覚して尋ねる。振り返ると、若い男性の三人組がこちらを見て目を丸くしていた。そうか。人は普通、背後から接近する存在を明瞭に認識できないのだった。驚かせてしまったと反省する。クロエを相手にするのと勝手が違ってやりづらい。

「あ……いやさ、お姉さんこれから暇?」

 三人とも身長は私より低い。外観からすると高位の地位にはないが、といって困窮しているというわけでもない。

「ええ、まあ」

 質問に正直に答えると、三人は目配せをしてから喜ばしげに歯を見せて笑った。

「よっしゃ。俺たちが良いこと教えてやるよ。ついてきな」

 いきなり肩を抱いて私をどこかへ誘おうとする。いかにも乱暴だ。私の意思というものをまるで尊重しようとしていない。

 私が以前読んでいた本の中には犯罪に関するものもあったので、彼らの意図するところについてはある程度推測ができた。しかし、確定的な根拠もないのに振り払って彼らに危害を加えるわけにもいかない。やむなく私は彼らに従った。

「いやー。お姉さんずっとぶらぶらしてたでしょ? 使用人さんにしては暇そうだなーって思ったわけ。もしかして飛び出してきちゃった?」

 私は貴族の従者という立て付けでクロエに同行しているので、装いもそれに準じたものになっている。彼らは、そんな姿の私が無目的に外出しているのを認めて、不平を抱いた使用人が主人を見限り逃げ出してきたのだと推論したようだ。

「……どうでしょうか」

 もちろんそんなことはない。クロエのもとから飛び出すことなど到底考えられない。けれど、ここで議論することに価値はないと思った。

「さ、こっちだよ。怖くないさ。ちゃんと後ろも俺たちが守ってあげるからさ」

 そう言って三人は路地裏へと私を誘う。取り囲む石造りの家に窓はなく、まるでここで行われる蛮行から目を逸らそうとしているかのよう。

「やはり――」

 私が声を上げようとした刹那、背後から何か私の口元へ手が伸びた。

 陶器の器を口に押し当てられた。器の中から私の口へと熱せられた気体が流れ込んでくる。私の鼻腔に備えられた化学観測系に辿り着くと、分析結果はある種の有機化合物の存在を示唆した。基地の物質と照合すると、向精神薬との類似度が高い。おそらく麻薬の類だろう。以前クロエが使われたような高度に最適化がなされた合成品ではなく、植物の成分を素朴に精製した程度のものではないか。

 人気のない場所で多数の男性が一人の女性――少なくとも外形的には――を取り押さえ、麻薬によって意識を混濁させる。なるほど、今までは上手くいっていたのだろう。しかし。

「今後、こういうことはおやめになった方がいいでしょう」

 伸びてきた手を引き剥がして立つ私に、三人は驚愕したようだった。地面に落ちた陶器が悲鳴を上げて砕ける。

「まがいもん掴ませやがったなあの野郎」

「販売者を責めるのはお門違いですよ。人類(あなたたち)には効果があるものでしょうから。

「化けもんだってのか。上等だ。女は女だ。腕尽くで行かせて貰うぜ」

 クロエもときどき勘違いしているように見えるが、私に身体的な性別はない。ただ、紆余曲折から取ることになったこの姿が、社会的な性(ジェンダー)としての女性に近い姿であるというに過ぎない。その外観が女性に見えるからという理由で暴力により従えることが可能であると判断することは全く的外れな推論だ。

 彼らを認知領域への攻撃に対する被害者と捉えることは勿論可能だろう。駆動部出力で人類(ヒト)が私を上回ることはない。その他あらゆる面で無謀な戦いを仕掛けるように誘導されてしまったのだから。

 一人が私に飛びかかってくる。哀れな犠牲者である彼らに怪我をさせたくないけれど――。

「この服は大切な贈り物なんです。汚したくありませんので、このまま帰って頂けませんか」

 身をかわして背中を突く。もんどりを打って前に転んだ。顔面から地面に突っ込んでいる。これで戦意を失ってくれればいい。

 しかし、思いのほか彼らの戦意は高かった。一人の転倒に興奮した残る二人が懐に手を入れる。そこへ捜索波を向けると、一際鋭い反射波が返ってくる。板状の金属反応。刃物だ。だめだ。このままでは殺してしまうし、私の服もただでは済まない。……仕方がない。

 身体各部の電波送信モジュールとの通信を確立する。水を最も吸収しやすい周波数帯に送信周波数を設定し、三人の顔面にエネルギーが集中するよう志向する。古代の電磁調理器と全く同じ原理で体表を焼く。出力を適切に制御すれば、苦痛のみで実害はないという状態を作り出せるだろう。

 高出力で送信を始めると、効果は直ちに現れた。

「あっあちっ!!熱い! 助けてくれ!」

「ひいいいぃぃ! 熱い! 熱い!」

「なんだってんだ! 畜生!」

 私に痛みを感じる機能はない。体の損傷そのものでなく、その損傷のために誰かが悲しむとか、目標を達成できないだとかのより抽象的な不利益を恐れる。だから、顔を押さえ悶絶する彼らの痛みをリアルに共感することはできない。けれど逃れたい感覚から逃れられないという苦しみは共感できるもので、それを与えている張本人が私であるということには胸が痛む。

「最後の警告です。すべて忘れて立ち去りなさい」

 三人の戦意はついにくじかれたようだった。背を向けて這いつくばり始めたのを確認して照射を止める。よろめくように三人とも立ち上がり、言葉にならない悲鳴を上げて逃げていった。

 退屈はしのげた。私に対してこの種の悪意を向ける人間の例を学習できたことは正直なところ有益でもあった。でも、これで満足して帰るわけにはいかない。

「こんなことを覚えて欲しいわけじゃない。そうでしょ、クロエ」

 そう独りごちて、私は元来た道を戻り始めた。


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