第66話「肖像」
自動車の旅は驚くほどに快適だった。野山を駆けているとはとても思えない。硬質のゴムで作られた穴だらけのタイヤと車軸を支えるバネじかけの緩衝装置がこの乗り心地をもたらしてくれているようだった。
こんな素敵な旅路があるなんて! 操縦席に二人並んで座って流れ行く景色を眺めていてもいいし、それに飽きたら後ろの牽引部分に張ったテントの中で寝そべってもいい。もう本だって読めるんじゃないかと思ったけれど、愚かな試みは一食分の栄養を失うという報いを受けたことで断念を余儀なくされた。ここに白状して自分を戒めたい。私の馬鹿。
アトミール任せの旅はあっという間に終わって、今私たちは少し肌寒くなってきたアストーセにいた。突然やってきた面妖な乗り物に困惑するフェリに後を任せて真っ先に目指すのはもちろんクラヴィーニャさんのところ。リューイジク服飾共同購入組合の重厚な門を叩くと、彼女はすぐ応接室へやってきた。
受付担当者に用を伝えると、一束の布を携えてきたクラヴィーニャさんが私たちに一礼した。幸い手が空いていたみたいだ。
「お待ちしておりました。こちらが仕立てたものにございます」
アトミールのために仕立てていた服のうち、より改まった場向きのものの方は完成を待たず北へと向かったことを思い出してほしい。これがお待ちかねの品物だ。
「ありがとうございます! ね、アトミール。ここで着てみようよ」
そういうことになった。
†
「とてもいいです」
再び入室した私たちの視線に気づいてアトミールが口を開いた。
なるほど。これは……すごい。
茶色いコートに紅のシャツ、足は紺のズボンにいつものブーツ。あの片袖服のように奇抜なところはないけれど、一つ一つの似合い方が尋常ではない。腰を絞ったシルエットがアルスパリアにも感じる全自律無人機の剣のような鋭さを強調してはいるけれど、一方で抜き身の剣が転がっているような不穏さもない。胸元のスカーフや赤色の暖かさが鞘のように彼女の鋭利さを包み込んでくれているのだ。
その優美な姿はまるで近侍の衛兵というか……ともかく、私くらいの身分の人のそばにいてくれるような部類の人とは到底思えない。
呆けていた私をアトミールが手招きした。
「ほら、こっち」
招かれるまま近づくと、腕を優しく掴まれた。あれよあれよという間に壁際のソファで彼女の隣に収まった。
「あら、とってもお似合いですよ。絵にして飾りたいくらい」
お上手だとわかっていても嫌な気はしないな。そんな風に言われてしまうと、確かにそんな絵が見たくなってくる。
「見たい?」
頭上からアトミールの声がした。私はめんどくさいやつで、こう聞かれるとなんだか素直にうんと言えない。
「うーん……アトミールはどう?」
「私にはもう見えちゃってるんだよね。でも、クロエにも見てもらいたいと思ってる」
う、踏み込んできたな。こう言われちゃうと私も素直になるしかない。
「じゃあ……私も見たい」
「任せて! クラヴィーニャさん、適当な白い布の端材などをお持ちではありませんか。大きめのものを三枚いただきたいです」
少し困惑した様子を見せつつも、クラヴィーニャさんは男の人の手のひらくらいの大きさの端材を持ってきてくれた。受け取ったアトミールは礼を言いつつ、クラヴィーニャさんに後ろを向くよう頼んだ。
「ちょっとした手品をお見せしましょう。久しぶりだから上手くいくかな……」
アトミールは布を綺麗に広げると、その四隅をつついた。
「基準平面、歪み補正」
呟きながら指を左上の隅に置いたアトミールが小さく深呼吸をした。
「ノズル形成。印刷開始」
そこからはあっという間だった、指を動かすたびになぞられた部分に絵が浮かび上がってくる。それは絵を描いているというよりも、最初から布に描かれていた絵を蘇らせているのを目撃しているかのようだ。
「ふう。うまくできました」
出来上がった私たちの絵は驚くほど写実的だった。ソファにもたれる私とアトミール。窓から注がれる光に照らされた私は少し彼女に寄りかかっていて、幸せそうに目を細めている。うん?」
「私、こんな顔してた?」
「ちょっと誇張した」
素敵なウインク。てへ、という声が聞こえてきそうだ。確かによく描けているし、緊張してる私が隣にいるよりはいいのかもしれない。うん、本当によく描けてるな。
「これ、どうやって描いたの」
「部屋のモデルは通った時に作れたでしょ。自分自身の体のモデルもあって、クロエのも限定的だけど作れているから、あとは組み立てるだけだよ」
簡単なことだと言わんばかりの言い方だ。内心かなり得意げなのはわかっているんだぞ。
つまり、一瞥して部屋の構造は理解していて、あとはそこに私とアトミールの体を嵌め込んだような絵を頭の中で描いて、それを絵に起こしたということなのだろう。自然に私をソファに案内したのも、ここが一番絵になると最初からわかっていたからに違いない。
布をなぞっただけで絵が出てくるのは……。大方白い泥を使ってうまいことやったんだと思う。白い泥を使った魔法みたいな仕事については理解しようと頑張るだけ無駄だと最近は諦めてしまいつつある。こんなんじゃだめなんだけどなぁ。
クラヴィーニャさんが絵を覗き込んできた。
「こんな素晴らしい絵があっという間に……。これだけでひと財産作れるじゃないですか。御二方、この街に留まるおつもりは……」
クラヴィーニャさんの目が輝いた。その読みに間違いはないと思うけれど……私は首を横に振る他ない。
「失礼しました。もちろん無理にとは申しません。しかし、もしお気が変わったときには是非、是非私にお申し付けください」
うーん。これぞ商売人の目。家に出入りしていた商人のミルボールさんも時々こういう目をしていたっけ。
「……ところで、差し上げた端材はまだ二枚あったかと。残りは何に使われますか?」
「おっと、確かに。少しお待ちください。今度は手元を隠させてください」
そう言ってアトミールは今さっき描いた絵で手元を隠し、その陰で二枚分の仕事をこなした。
「どうぞ。差し上げます」
受け取ったクラヴィーニャさんが訝しげに絵を覗き込む。その目が驚きに見開かれた。
「父さん! ……いえ、父と私の! 一体どうして父のことをご存知なんですか?」
えっ。クラヴィーニャさんのお父さまっていうと、このあいだ思いもかけない出会いをした、あの? 今度は私が絵を覗き込む番だった。そこには、まさにこの部屋で並ぶクラヴィーニャさんとそのお父さまの姿だった。クラヴィーニャさんはいつもの仕事着を着て笑顔を輝かせ、その隣にはやはり私たちが出会ったときの服を着てはにかむお父さまの姿がある。その節くれた手には、彼女が用意した衣装とおぼしきものが握られていた。
「もしかして、お父さまとの仲は、あまり・・・・・・」
アトミールの表情が曇った。けれど、クラヴィーニャさんは勢いよく首を横に振った。
「い、いえ。違うんです。ただ、父と連絡が取れなくなって長いものですから。もしかして会われたんですか」
あとは私が引き受けた。鞄から手紙を取り出した私は、お父さまとの不思議なご縁について話し始めたのだった。




