第65話「老兵」
薄暗く天井の高い倉庫の中。差し込んだ朝日の中を舞う埃の煌めきがデューリスさんの無垢な笑顔を飾る。私は彼女への評価を改めなくてはいけないと思った。
「どうだ。これなら連邦領内まであっという間なんじゃないか?」
巨大な金属の塊を背にしたデューリスさんは得意げだ。謹厳実直だがユーモアも解する。私が抱いていたデューリスさんへの印象はそのようなものだったけれど、厳格に締まった顔立ちの向こうに隠れていたのは思った以上に……大胆な人格であったようだ。
そこにあったのは地虫のように車体が前後に分かれている乗り物で、アミリス隧道群を抜けるときに乗った列車を彷彿とさせる。長さの印象はだいぶ違って、前半部分の長さはアトミールの背丈で二人分、後半部分が一人分くらいだ。
「ええと……」
「質問してもいいですか」
私が言葉に詰まっているうちにアトミールが話を始めた。
「これ、動くんですか?」
きっと手入れを欠かさず行っているんだと思う。見た目はとても綺麗だ。けれど、前崩壊文明の機械は見た目が綺麗なら動くというほど単純なものじゃない。
「前任者の前任者が赴任したころまでは動いていたそうだ」
開放された正面入り口から吹き込んだ冷たい風が反対側へ吹き抜けていった。
「いや……ほら、君たちなら直せるんじゃないか? 聞いた話では、人が歩けば日が暮れるような道でもあっという間に走り抜けたそうだ。監視が甘い地域については我々の情報を提供できるから、そこを一気に突破するわけだ」
「目立ちません?」
「その点は心配いらない」
デューリスさんは胸を張った。
「君たちは最初から大変に目立っている。今更奇妙な乗り物に乗っていたって大した差はないさ」
いやいやいやいや。思わず異議を唱えそうになったけれど、アトミールの方が速い。
「ふむ……。確かにカバーストーリーは必要ですが……」
あれ、なんか流れが変じゃない? そんなに真面目に検討すべき話? もう黙ってはいられなかった。
「そんな目立ってないですよ。ねえ、アトミール」
アトミールは怪訝な顔をする。
「気づいてなかったの?」
「え?」
アトミールは小首を傾げて人差し指を立てた。なんだかユーモラスで可愛い。じゃなくて。彼女の話を聞こう。
「旅をしている私たちの状況を外型的に検討してみて。服装などからそれなりの社会的地位があることは類推できます。にもかかわらず、私たちは護衛も連れずに長旅してる女二人連れ。前崩壊文明なら不思議でもなんでもないけど、現代の治安からすると相当に疑問の余地がある。しかも私はあちこちで異様な身体能力を発揮している。クロエはもう慣れっこかもしれないけど、傍目に見ると異様だよ」
我が身を顧みるとぐうの音も出ない。自分が反射的に反論していたことに気づいて自分の知性について大変情けない気持ちになった。
「そ、そうだね……。でもほら、あっちは一応言い訳が効くって話したじゃない」
「噂話には尾鰭がつく。情報伝達に大きな制約がある現代においては多少常識外れな身体能力を発揮しても、そのことが示す異常性の解釈には大きな幅がある。私がただの人並み外れた力持ちですと断言すれば、反証できる人は確かにいない。……というような風にしてあらかじめ疑問に対する回答を用意しておくことは確かに必要だと思う。それがカバーストーリー」
うーん。
「なーんかアトミールの想定内って感じ」
アトミールは心底嬉しそうな顔をした。
「対象を正確にモデル化できたと評価されることは、私にとって大きな喜びの一つです」
何がモデル化だーっ。私は愉快な敗北感に打ちひしがれた。ちなみに、このモデル化という言葉は彼女が好きな言葉であるようで、結構な頻度で出てくる。フェリなら、リミーなら、あるいはミューンならこういうときこんな風に動くよね、というような推測のことをいうようだ。
「こほん」
デューリスさんの咳払いが聞こえた。またやっちゃった。このまま醜態をお見せし続けるわけにはいかない。
「それで、アトミール。直せる?」
「試してみないとわからないけど、可能性は高い。制御系が原因だったら私が代わりに制御すればいいし。エネルギー源もまあ、ね」
彼女はぽんぽんと自らの胸を叩いて見せた。彼女自身が電気で動いているんだから、なんとでもなるよね。それにしてもーー。
「デューリスさん。本当に頂いてもいいんですか」
「我々にとっては活用不能な資産だからな。使えぬ道具の手入れを日々求められる兵卒たちにとってはいい厄介払いだろう。それに……」
デューリスさんは言葉を選んだ。
「私も見てみたいのだ。古の乗り物が自由に大地を駆け巡るのを。その願いを託すのに、おそらくあなたたちほどの適任は2度と現れないだろう。むろん、これは私の願望だ。あなたたちが旅の計画上この乗り物を捨てることは構わない。その代わり、誰かの手に渡る場合は再使用できないようにして欲しい」
前崩壊文明への素朴な憧れ。私の大きな部分を占めているものが、他の人の中にも少なからずあることを感じて嬉しい気持ちになった。
「わかりました」
そうして、目の前の機械は私たちのものになった。
†
昼食を済ませて奇妙な共同調査が始まった。
私は車両について古術学者の立場で調べ、アトミールは再び動かせるかどうかどうかという視点で調べる。案の定アトミールの方が圧倒的に仕事が早く、車両を譲り受けた日の陽が傾くころにはアトミールの仕事は私の手伝いに変わっていた。
「続きは明日にしようか」
私の声にアトミールが頭を上げたとき、背後から私たちに近づく足音がした。
「少し、よろしいですか」
声の主は年老いた白髪の男の人だ。身なりは見かける兵士たちのものに近いけれど、仕立てはずっと立派なものに見える。名誉ある老兵といったところだろうか。
頭をとっさによそゆきに切り替えて、うやうやしく野外の礼をした。
「あら。どうかなさいましたか」
彼の答礼は私のものが霞んでしまうくらいに立派だった。目をぱちくりさせていると、老兵は気後れしたような顔をする。
「何かお困りですか。私にお手伝いできることなら喜んで」
まさか外国からの客人にお金の相談ということもなさそう。何かしら真剣な相談なのだろうけれど、私に何の用事だろう。
「その……。実は、手紙を届けていただきたいのです」
なんだ、そんなことならーー。まてまて、これはこれは容易に応じるべきでない種類の頼みだぞ。なんでかといえば、手紙の中身が問題なのだ。もしも内通者との連絡が目的の手紙だったらどうだろう? 最悪の場合は私まで一味ということにされかねない。うん。やんわりと断るに越したことはないな。
「それは……申し訳ありません。連邦はとても広い国です。あなたのお知り合いを見つけられる自信がありませんので、どなたかもっと人探しのお上手な方にお願いすることをお勧めします」
なるべく丸く伝えたかったけれど、うまくできているかな。客観的にはどうあれ、彼にとって私の答えは決して丸いものではなかったようだった。刻まれた皺がひときわ深くなり、深々としたため息が溢れる。
「自慢の娘なんです。地道にやることしか取り柄のない私とは違う。学校に行かせてやって……帝都の商人のところにいい仕事を見つけたそうです。その嬉しいことと言ったら! 半年ごとくらいに届く手紙が待ち遠しくてねえ……」
幸せそうに細めるまぶたの向こうにはきっと娘さんの手紙が本当に見えているのだろう。けれど、そんな彼の幸せそうな表情にはすぐ陰が差した。
「三年ほど経つと、私はここに赴任することになりました。デューリス閣下のしがない老兵としてお国の境目を守れることは光栄なことです。ですがなにぶん急なことで……任地が変わることをあいつに伝えることができませんでした。ですがそれからというもの、こちらから手紙を出しても返ってきません。商人のところに消息を問い合わせる手紙を出しましたが、これまた返事ひとつない。そりゃあ手紙を出すのは安くないです。取引のない人間から突然送られてきた従業員の消息についての問い合わせなんていちいち相手をしていられないかもしれませんがね。にしたって……あんまりじゃあありませんか」
訥々と語られる物語に私は息が詰まりそうになった。これじゃあ私が悪者じゃないか。文句の一つも言いたくなったけど、反論は……できないなぁ。
「最近、通りすがりの旅人から娘らしい姿をアストーセで見たと聞きました。どうか、どうか。途中で別の旅人に託してくれたっていいんです。見つからなければそれでも構いません。どうかこの老いぼれに娘の綺麗な字を見る夢を見せていただけませんか」
深々と頭を下げるこの人の姿を見て冷たくあしらえる人がどれだけいるだろう。アトミールに目配せをすると、彼女は小さく頷いた。私の選択を尊重する、とその目が言っている。
「……わかりました。微力を尽くしましょう」
「ありがとうございます! ありがとうございます! ……ああ! クラヴィ! またお前の便りを聞けるかもしれん!」
こういう言い方って下品かもしれないけど……人に喜んでもらえるのって……嬉しいな……。
彼の嗚咽が落ち着くのを待って、私はつとめて穏やかに声をかけた。
「その、クラヴィ、というのが娘さんのお名前ですか」
訊ねながらも、私はどこか心に引っかかるものがあった。どっかで聞いたことがあるような……。
「ええ、そうです。クラヴィ、クラヴィーニャ・ユリスです」
その一言で老兵の顔とあの優秀な女性の顔立ちが重なった。
「クラヴィーニャさんのお父様!?」
「え、ええ……? まさか娘をご存じで……?」
私が頼むまでもなかった。アトミールは素早く老兵の前に立ち、腰を落として微笑んだ。
「クラヴィーニャさんはこの素敵な服を私のために選んでくださいました。とても立派なお仕事をされていましたよ」
治まりかけた涙は再び決壊し、あまりの騒ぎにデューリスさんまで様子を見にくる事態になってしまった。けれど、まあ、そのことはまた別の話かな。




