第61話「帝国の牙」
吹き寄せる風にそこはかとなく寒さを感じる今日この頃。皆さんはいかがお過ごしでしょうか。私、クロエラエール・ヒンチリフは帝国の車両が突進してくる進路上にいます。
「聞こえる?」
耳元でアトミールが囁く。もっとも、彼女は離れたところにいる。例の白い泥で作った機械が私の耳に取り付いて声を届けてくれていた。
「聞こえる……けど……ホントにやるの……?」
「逃げるという方法はあるよ。でも、結果はクロエの望むものにはならないと思う」
はい。おっしゃるとおり。アトミールは私の考えをよくわかってくれてる。嬉しくて涙が出そう。真っ赤な。
すべきことは簡単。進路上に立ちはだかって足止めをして時間を稼ぐ。そのまま引き返して貰えれば御の字、最悪の場合は待機したアトミールが側面から車両を撃って走行不能にする。死者が出たり連邦の秘密兵器が目撃されたりすると話がこじれるから、とにかくそうならないように立ち回らなければいけない。
「帝国軍の状況などについては私から観測結果を送る。あまり役に立てなくてごめんね。交渉ごとは私の得意分野ではないから。」
そうだね。よくわかるよ。とってもわかる。私も得意じゃないけどね。
まあ、分担としてこうならざるを得ないのはわかるんだ。電磁投射砲を扱えるのはアトミールだけだから。でも。いやー。しかし。思うところは限りなくあるけれど、恨めしいという気持ちは不思議と湧かなかった。
どんな風に話をしよう。なんで今ここに来たのかを確かめないとどうしようもないか。とはいえ当たりは付けられる。この場所について何らかの情報提供を受けたんだろう。誰から? それはもちろん、連邦と帝国との衝突を望む何者かだ。そのあたりのことをうまく説得できればなんとかならないか。そんな簡単に納得してくれる?
理神に祈って冬を迎えるという慣用句のとおり、答えの出ない問いに思い悩み始めると時間は無為に過ぎていき、前方にあるまばらな林からは唸り声のような轟音がとどろき始めた。ううん。出たとこ勝負で行くしかないのか。そんな風にある程度腹が据わり始めた頃、ついに何か巨大なものが木々を踏みにじって飛び出してきた。
帝国の牙というものはアミリス・オナーの殺人機械のようなものだろう。あの足が何本も生えて銃を積んだ機械に人が跨がって戦うような。そんな私の想像は全くの間違いだとわかった。虫のような脚はなく、代わりに芋虫のように地面を這うための回転する帯がついている。装備する兵器も銃などではなく、アミリス・オナーの海峡砲が霞むような巨砲が備えられている。その巨砲は車両本体の上に載った回転式の台座に支持されていて、私へと向けられていた。知らなかった。砲口が向けられていることを意識するのがこんなに底知れず不気味だなんて。しかも、道を走っている間その砲口は微動だにしない。命を吸い取る真っ黒な穴が虚空に空いている、そんな夢想が浮かんだ。ああ、父さま、母さま。先立つ不孝をお許しください。
現実逃避に忙しかった私がいつのまにか轟音が小さくなっていることに気付いたとき、その車両はすぐ目の前にあって停車していた。その車両の天井からは一人の乗組員が頭を出している。
「クロエラエール!? どうしてこんなところに」
え、えーと……。既視感がある。凄くある。帝国の……この間の……。
「すみません、お名前なんて言いましたっけ」
うう。気まずい。向こうも同じであるようで、少しの間嫌な沈黙が続いた。
「デューリスだ。あー……顔は覚えてくれているんだな?」
「も、もちろんです。国境での停戦交渉で帝国の代表をされていましたよね」
困惑一色だったデューリスさんの顔に安心の色が浮かんだ。
「こほん。それで、何故ここにいる。まさかこんなところに散歩というわけではあるまい」
知り合いで良かった。これなら少しなりと交渉が楽に済む……といいな……。お友達に甘い種類の人ではなさそうだけど……。落ち着け、私。まずはそれとなく帝国の目的を聞き出して、それで――。
「ここから先に行かれると困るんです」
私、今なんて? ばかばかばか。いかにも事情を知っててデューリスさんたちと妥協の余地がなさそうなこと言っちゃ大変なことになる。案の定、デューリスさんの目に好戦的な光が点る。ああ、今更取り消せない。
「そういう骨のある奴とは思わなかった。まさかたった一人でこの帝国の牙に立ちはだかるとはな。策はあるのか?」
背筋を冷たいものが流れる。ううー。全部私が悪い。私を落ち着かせようとするアトミールの声が聞こえる。こうなったら開き直るしかない。
「私は連邦を代表していません。個人的なお願いとして、ディーリスさんや帝国の人たちには連邦のよいお友達でいて欲しいんです」
「この先に連邦にとって都合の悪いものがある。戦争になったらヒンチリフとしては通商ルートが混乱して貿易に支障を来すからやめて欲しい、ということか。よし、わかった。そっちに行く」
車両から飛び降りたデューリスさんの背後から別の人の慌てた声が追いかけた。
「閣下!」
「私がこんな小娘に後れを取ると思うか?」
マントを翻らせて颯爽と歩むデューリスさんに見とれそうになる。
「持って回った議論は嫌いだ。あなたも同じ類の人間だと信じる。単刀直入にいこう。我々が引き返すにあたっては、引き返した理由を帝国政府に対し説明する義務が生じるのは理解できるはずだ。したがって、帝国政府をしてそのような経緯であれば当然撤退するだろうと信じせしめるだけの理由が必要になる。クロエラエール・ヒンチリフ。あなたにそれは提供できるか」
ううっ。とってもわかりやすい。話しやすいけど要求が高い!
「うう……。脅されて、ではデューリスさんの面目が立たないですよね……」
「当然だな。あなたが何の備えもせず一人でここにいるとは思っていない。大方あの従者がどこかに控えているのだろう? アミリス・オナーでの戦いくらいは北の地にも聞こえている。しかしそれを恐れて干戈を交えず退くくらいなら私は名誉の戦死を選ぶだろう」
歯を見せて笑ったあと、デューリスさんは付け足すように言った。
「私は戦争狂ではない。今回の件、何かと気に入らんことが多いのも事実だ。安心しろ。一緒に理由を考えるくらいの協力はしよう。そうだ。これは例えばの話だが……。今回の件が何者かの謀略であり、軍事衝突がその者を利するに過ぎないことが判明したなら、撤退にも理があると言えるだろうな」
この例え話はとても思わせぶりな気がした。
「何か具体的な疑いがあっておっしゃっています?」
「さあ? しかしあり得ないことではないだろう。連邦の貴族気取りどもの不誠実さには虫唾が走るが、こんな下手な仕事をする連中でもない。取って付けたような襲撃、突然たれ込まれる古代兵器の隠し場所。気に食わん。帝国内にも――いや、これはやめておこう」
一連の話しぶりから、デューリスさんが今回の件に限らず世界全体で何かよくないことが起きているのではないかと疑いつつも、決定的な情報がなくじれったさを覚えていることが感じられた。だとするなら、私にも提示できる取引の材料があるのではないだろうか。
「デューリスさん。私も例え話をします。今回の遠征で連邦の関係者と交渉を行い、撤退と引き換えにいくらかの重大な情報を得られたなら、それはデューリスさんの功績になりませんか」
デューリスさんの表情が厳しくなった。
「情報の性質にもよるだろう。しかし、ぺらぺらと国の秘密を明かすような奴を私は信頼せんぞ」
「ご心配なく。これは国の秘密ではなくて私の秘密ですから」
胸を張る私にデューリスさんは呵々と笑った。
「個人の秘密が一軍の帰趨を左右する取引材料になると言い張るか。言っておくが撤退する約束はできん。それでもいいなら話すといい」
慎重だけど率直な物言い。やはり思った通りの人だ。これなら――。
「本当にこの人を信頼して大丈夫? 決断のリスク管理についてはクロエを信じてるけど……」
アトミールから心配の声が入る。でも、大丈夫。その辺りは考えていた。
「星の浮島に寄せてきた賊が白状した話なんですが」
これは嘘だ。だって、あのとき何かを白状できるような地位の賊は口を封じられてしまったから。だから、もし彼女がこの説明に少しでも違和感を覚えるようなら、何かの情報を知ることができる立場、つまり未知敵対者の関係者である可能性を疑わなくてはいけなくなってしまう。杞憂でありますように!
「おお、賊を撃退したという話は伝わっているな」
良かった。私は胸をなで下ろす。もちろんデューリスさんが大変な演技派であることを疑うことはできてしまうけれど、そんな風に疑い始めたら息が詰まってしまう。私は、この人を信じることに決めた。




