15
外では雨が降っている。風はなく、ただ天から雫がいくつも落ちてくるような、しとやかな雨だった。
「あなたらしくないな、ザクロ。どうして鬼にあんなことをする必要があったんだ?」
剣は座敷であぐらをかいて、腰に帯びた愛刀の柄を時々いじりながら目の前の面長な美女にそう問うた。
ザクロは相変わらず寝そべって、煙管をふかしている。
この女は息をするように煙管を吸う。一度、なぜそんなに煙が好きなのかと聞いたことがある。「あんたが見ているわたしが、わたしのすべてってわけじゃないんだよ」という哲学のような答えが返ってきたことがある。
剣はこの女を愛していた。
「鬼のあの顔を見なかったのかい?」
ザクロが笑うと、彼女の吐く煙が強弱をつけて揺れる。剣もつられて笑った。
「確かにあれは見ものだったな。奴があんな風に血相を変えるのを見たのは、はじめてだった」
「それだけじゃない。お嬢ちゃんが目を覚ましたあとの鬼の様子を見ただろう?」
くつくつというザクロの笑いを聞きながら、剣は出された酒に手を伸ばす。
普段、ザクロが『紅屋』の中で剣や鬼に飲酒を許すことはないから、今日は本当に気分がいいのだろう。
「剣、あの子はずっと見失っていた心をやっと見つけたんだ。ちょっとくらい無様な姿を見せても、それは愛嬌というものさ」
「『あの子』とは鬼のことか」
「他に誰かいるかい。まあ、景姫もそうだろうけどね。でも鬼のほうが重症だっただろうからさ」
「似合いのふたりといったところか。なあ、ザクロ」
酒を口にふくむと、剣はぐいっと身を乗り出した。
実はザクロはあまり足がよくない。調子のいい日なら多少動かすことはできるのだが、座ることはできても歩くことはできない。剣は文字通りザクロの手足だった。この女性の足となり彼女の願いを叶えるために、剣はここにいる。
ここ『紅屋』で、彼女の刺客として刀を振るい、悪を伐つ。
「いい娘ができちまって、鬼はこの稼業から足を洗うと言い出すんじゃないか? あんたはそれでいいのかい?」
ザクロは珍しく切なげに目蓋を伏せた。
「どうだろうねぇ……。景姫は賢い子だ。わたしたちが討ち取るのは悪人だけだとわかれば、口出しはしないだろう。もちろん、鬼がそれでよければだけどね」
「あのふたりに選択肢を与えるということか。ずいぶんと寛容だな」
「ふふ。あんたがいるからね、剣、なんとかなるさ」
剣は酒を横にどけ、口元を引き締め真顔になった。
「俺は、なにがあってもあなたを離れないよ」
「知ってるよ」
剣も鬼も、幼い頃ザクロに拾われていた。
正確にはザクロの父親に拾われ、数年の血の滲むような修行と訓練の末、『紅屋』稼業に加わったのだ。これを、孤児を利用した極悪な行為だと断罪する向きもあるだろう。しかし剣にとって──おそらく鬼にとっても──『紅屋』は居場所を与えてくれる最後の砦だった。
闇に乗じて世の悪を斬る──。
南蛮の血を引き不遇の幼少時代を送った剣にとって、これほど似合いの生き方もなかった。
太陽の光をほとんど浴びないザクロの白い手が、剣の赤茶色の髪に伸びる。
「父が生きていたら、あんたを誇っただろうね」
剣は微笑んだが首を横に振った。
「あの狐親父の賞賛などいらない。あんたが俺を必要としてくれてるなら、それでいいんだ」
「そういうところだよ、剣」
ザクロはくつくつと笑った。
かつて、鬼と呼ばれた男がいた。
恐ろしい、恐ろしい鬼だ。
とてもひとの心があるとは思えない、そもそも、ひとと呼んでいいのかさえわからない、冷酷で鮮やかで無慈悲な鬼。悪を斬る刺客。
しかし、鬼には妻があったという。名をおケイというと、言い伝えられているが、真実のほどは不明である──。
【鬼景色 ー 了】