72.乗り越えていい過去
ふふふと小さく笑う声が聞こえた。誰が笑っているのだろうか。
…………。
ああ、そうか。私だ。
あの時の出来事が頭の中に流れてくる。怖くて怖くて怖くてたまらなかったあの数年前の夜の出来事。笑って親に刃を振るう綺麗な女の人。あの光景ができたのは私のせい。
そうか、そうなのか。だからあの時あの人は、『あなたのその目が欲しい』と言ったのか。
もう過ぎた出来事はやり直すことができない。
そんなのわかっている。だから後悔をする、だから悔しがる、だから悲しがる、だから、だから。
「そうか、そうなんだね。うん。元治おじさん教えてくれてありがとう」
とりあえず私は教えてくれた人に礼を言った。礼を言われた人はひどく歪な表情をした。それはたぶん私が笑っていたからだと思う。
そして。
「ハギナさん」
私は黒い着物を身に纏った女の人に体を向ける。
「なんだ?」
「あの時は無理でも、この数日間のうちに教えてほしかったです」
「…………てっきり、マセツが伝えたものだと思っていた」
「…………」
あの時、あそこに行って私が言った望みは『自分のことが知りたい』だった。だからたぶん、彼女はこのことを私に教えなかったのだろう。
もし私が『嵩梛家のことを知りたい』と言ったらどうあの人は私を対応したのだろうか。
やはり源にはなっていたと思うけれど、でも、たぶんこのことを教えてくれたんだろうな。
ああ、ミスったなぁ。今日は、ちょっと心にくることが多すぎる。
「あの、凛和ちゃん大丈夫? その、顔が真っ青」
優しい人が優しく声をかけてくれた。それが少し、今はムカついてしまう。
「そりゃあそうでしょう。親が殺されたのが自分のせいだったなんて言われたら」
あ、少し本音が漏れた。
しかしおじさんはうん、そうだね、と言って嫌な顔一つせず優しくキャスター付きの椅子を差し出してくれる。
私はそれをできるだけ彼の気分を害さないように断りを入れてから、少し後ろに下がって近くにあった机に寄り掛かった。足に力が入らなくなってきたからたぶん、今椅子に座ったら立てなくなってしまう。
あれ、空気をうまく吸えない。少しパニック状態になっているのかもしれない。
そうすると、少し彼が笑った。
「そう。だったら、なんで笑っているの?」
でも、そのなかには沢山の疑問が浮かんでいるのがこんな私でも分かる。
でも、あえてなんで笑っているかを彼は聞いてきた。それはたぶん、これを聞くことによっていろいろなことが分かるから。
ああ、でも本当にこの人はしたたかでいい人だ。
さっきのことも本当に善意で言ってくれたんだから。
ちょっとはタイミング考えろよって思うけれど、でも有益な情報には変わりはないからな。感謝しないと。
「……凛和ちゃん?」
元治おじさんが怪訝そうな顔で笑っている私の奥を覗きこもうとする。おっと危ない。
そうだ、返事。返事をしなくちゃ。えっと…………。
「こういう時は大丈夫だよって言っとけばいいよ、凛和ちゃん」
「そうだ、大丈……ぶ」
え。
「やあ凛和ちゃん。隠したくて誤魔化したい感情が見えてきてるよ。殺してあげようか」
そんな気持ちの悪いコメントの後に、とんでもない衝撃音が部屋に響いた。
「いった」
「……軽快なステップを踏んで豪速で壁にぶつかるなんて……凛和ちゃんそんなに俺のことが嫌い?」
流石に傷つくよ? と吸血鬼が顔をしかめる。私は上半身を強打してしまったので、うずくまりながら嫌いだよと答える。
ううう、痛い。これ傷口開いてないよね? 地味に怖いな。
「……凛和ちゃん大丈夫? すごい音だったけど。ゴンというか、ガンというか」
「だい……大丈夫と言いたいです」
しゃがみこんでいる私にあわせるように、元治おじさんが身を屈めて、私の様子を見てくる。この失態は普通に恥ずかしいのであまり見ないでほしい。
そんな心の声が漏れたのか、それとも『大丈夫』という言葉で安心したのか、彼は上体を起こして、うん、その様子だと心配なさそうだねと言ってきた。
……もう少し心配してほしかったな。
でもまあ、それも無理な話だろう。ハギナさんはともかく、こいつがここにいるのは、少し……いや、すごく、やばい。
「で、なんでここに君が来れるんだい?」
元治おじさんの声が暗い。暗いというか、圧がすごい? 奴に顔を向けていてあまり表情がよみとれないけれど、険しい顔をしているんだろうと思える声だ。
「いやー、そんな怖い声と顔しないでくださいよ。あ、ここにいる人たちもそんな武器構えないでくださいよ。すっごい物騒。いやー怖いなー」
言葉の内容とは真逆にとてもにこやかにケラケラとこの場を楽しんでいる。
沢山の武器を、それこそ、一般の人なら、私でも向けられたら半泣きで許してくださいと土下座しそうなほどのものを向けられているというのに。寧ろ、できるものならやって来いよと言わんばかりの態度だ。
魔族だからか? いや、魔族でも無理な子はいるだろう。こいつだから、こんな状況でも余裕なんだろうな。
「なぜ、ここにいるんだい?」
余裕に思われた元治さんは何かを変えないといけないと思ったのか、胸元から何かを取り出す動作をする。何だろう。いや、今取り出すとしたら完全に武器だろう。
「なぜでしょうね?」
私をまっくろくろすけからかばうように元治おじさんが武器を構えて立つ。
多分こいつが私をさらったことがあるという情報だけは彼はつかんでいるはずだ。
だからこんなにも身構えて、警戒しているのだろう。それに今さっきの私の態度も彼の行動を後押ししてしまったのかもしれない。
ありがたいけどとても申し訳ない。
あれ、そういえばハギナさんは……あ。
「やあキリト。なんでここに来たんだい?」
キリトの隣にいた。なんていうか、とても……笑顔だ。あと、楽しそう。なぜだろう。
あれ? ていうか、ハギナさんキリトと話すとき、こんな優しい口調だったっけ。いや、違う。
「ん? それはですね」
あ。いなくなった。ということは。
「凛和ちゃんをさらうためですよ」
キリトが私の間隣にいた。
いつ彼女が彼に連絡したのかわからないけれど、まあ、たぶん、ここに来る前だろうな。
キリトが私の手をつかもうとした瞬間に銃声が一つ鳴り響いた。
「おお、怖い」
銃弾を向けられた人物はあと数センチということろで軽々よけて、煽るような笑みを顔に張り付けている。
元治おじさんはさすがに態度にムカついたのか、くそとむしゃくしゃしたような声がでてきた。わかるわその気持ち。
だがその隙に、奴は私を掴み、起き上がらせて自分の前に置いて盾にしてしまった。
こいつ本当にくそだな。
「おい、卑怯だぞ」
「だって痛めるのは好きだけど、痛いのはあまり好きじゃないし。それと、凛和ちゃーん、つーかまーえた」
ああ、元治さんの顔が焦りよりも先に怒りが大きくなっている。こういうの見ると閏さんと親子なんだなって感じるな。あ、五十嵐さんだっけ? あの人もすごいむしゃくしゃした顔になっている。ほかのたぶん、元治おじさんの部下の人も。みんなみんな、武器をもって、キリトにムカついている。こいつのあおりは一級品かよ。
そうのんきに思っていると、私の見ていた風景が一瞬にして変わってしまった。
あ、やらかした。
「はーい、凛和ちゃん瞬間移動した気分はどう?」
「どうって……」
ここは、月詠紀異さんの家となっている場所……だよな。なんでここに? 何がしたい?
「瞬間移動は別にって感じか。まあ上がってよ。俺先に入るから。あ、吐くならそこにトイレあるから自由に使って?」
来たことあるから場所わかるでしょと彼は笑った。
「へ?」
「あんなところにいたら凛和ちゃん感情しまいこんじゃうでしょ」
「は……」
「大丈夫。見た目ぼろいけどここは結界とか、防音とか、防弾とかいろいろ対策されているからいっぱい騒いだってなんも問題ないよ」
「え?」
私が呆気にとられていると、吸血鬼は履いていたブーツを脱ぎ捨て、着ていたコートを部屋の隅っこに投げながらあのくそ婆マジで次会ったら覚えてろよと独りごちた。
それを聞いて、ああ、ここは安全なんだなと一瞬でも思えてしまった。
思ってしまったのがいけないのだろうか。今日あった出来事が全部、駆け巡ってきた。不意打ちすぎて気持ちが悪くなった。
ああ、これはトラウマ確定だな。
「……お邪魔します」
私は靴を脱いで部屋に上がらせてもらう。
「……帰らないんだ」
広くない部屋の角に座っている吸血鬼が私に向かっておかしそうにそう言った。
今にも吹き出すのを堪えているような表情をしている。
「いつもの凛和ちゃんなら、悪態をついて早々に帰っていっちゃうと思うのに、靴を脱いで部屋に入ってきたから少しびっくりした」
そう言えばそうだな。なんでだろう。
私は首を傾げる。キリトにそう言われた今でも帰ろうと思う自分がいないことも不思議でたまらない。
「どうだった? 目の前で知り合いが殺されていく姿は。どう思った? 親が自分のせいで殺されたと知って」
「…………知ってたの? 親のこと」
彼の質問の答えより先に、そんな疑問が頭に浮かんでしまった。
前はこの吸血鬼に質問を質問で返すなとか言ったのに。
だが彼は嫌な顔一つせず今日初めてあの場所で知ったことを教えてくれた。
本当に嫌になるな。
「で、どうだった?」
わがままを言ったんだ。私のわがままをしっかりと答えてくれたんだ。
今度は私が、しっかりと答えなくては。
「ぼたんちゃんは……助けられたんだ」
そう思って声に言葉を出してみたけれど、全然思うように声にできなかった。
この吸血鬼に対する悪口はいくらでも出てきそうなのに。
そう思われている吸血鬼はそんなことは今は感じ取ることができないので、優しく相槌をうってくれる。
「でも、わが身が先で何もできなかった。助けられなかった」
「なんで?」
なんで? それはちゃんとわかっている。
「怖かったんだよ。あの人たちの敵になるかもしれないって、もしかしたら、刃物を、向けなきゃいけないのかもって、あの人たちに異能を、知られるかもしれないって思ったら」
何もできなかった。
「そんなことを無意識に思ってた。そんな考えをしていたって気づいた時にはもう」
彼女は死んでいた。
本当に、本当に、ずるい人間だ。汚い人間だ。襲われたからって自分のためになんども、なんども魔族を殺してきたのに、消してきたのに、人のためには異能の一つ使えず、武器の一つ、手にできない。
私には涙を流す価値などない。親のことで悲しむ権利なんてない。もしかしたらぼたんちゃんのように家族がいた魔族がいたのかもしれない。でも、私はそんなこと考えずに。
「うーん、そうか。じゃあ凛和ちゃんは今、泣いていいと思うよ」
「は?」
今のを聞いて、なんでそう思う? そう言える? こんなに自分を庇うしかできない人間に泣くことが許されるとでも?
「だって、過去は代えられない。どんな理由があろうとも」
それはわかっているねとキリトがそう優しく笑う。
「でもさ、これから起こることは何があるかわからない。そうでしょ」
「そう……だけど」
本当にこれから何が起こるかわからない。もしかしたらこれからはたくさんの幸せが待っているかもしれない。それともそんなものはなくて、ずっとずっとくらいままなのかもしれない。
魔族をまた、守れないかもしれない。
そんなことを思った私は、次の言葉を聞いて恥ずかしくなった。
「なら、これから会ういい魔族は今回のことで別れの辛さを知って、己の脆弱さを知って、自分が知らずに起こってしまったことを知って、それを乗り越えて強くなった凛和ちゃんに守られていくわけだ。いやー心強い」
そんなこと、言われると思わないじゃん。
「なんで責めないの」
「責める? なんで」
「だって、守れなかったんだよ?」
守れなかった。自分の可愛さあまりに。
そんな私の訴えに、でもさあ、とキリトが言葉を始める。
「守れなかったのはムカつくけど、駆けつけることができなかった俺にも、あと、人間界に滞在していたにもかかわらず、行くことができなかったほかの魔族にも責任がある。すべてがお前のせいじゃない」
「…………」
「だから、これは乗り越えていい過去だ。それに、親のこともあるだろ」
乗り越えていい過去、かあ。
そうか、そういうものがあるんだ。あってしまうのか。
…………。
乗り越えられるだろうか、私は。
「それに」
「ん?」
「お前ならしようと思うだろ、仕返しとか」
「…………」
思いますね。
「だから、傷ついていないふりをするな。しっかりと今は自分の気持ちに素直になりな。もう壊れてるなら、壊れているなりに」
「……ずるいなあ」
色々知られているから、そんなことを彼は私にいえてしまうのだろうか。
「ずるくねえよ。まあ、頑張ったよな。でも、これからも頑張ろうぜ。一緒に」
一緒に。一緒にか。
そう思ったら、頬が少し濡れてしまった。
「泣いた、泣いた。よーしよーし頑張ったなー。頭を撫でてやろう」
人間はこれが嬉しいんだろ? そう笑って目の前の黒くて肌が白いやつは頭を優しくくしゃくしゃと撫でてきた。
「やめろよ」
その手を払いのけようとすると、今度は腕を掴まれた。
立ち話は疲れるからこっちに来いと部屋に通される。そして壁にもたれかかる形で座らされた。その隣にキリトが座る。
「俺は不死身だから」
ただそれだけ言って、彼は何も言わなくなった。
無音の空間。今は少し、声を出すのを躊躇う雰囲気が流れている。
だけど、それがとてもありがたかった。




