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喰いついた。
でも、ここで釣り上げようと焦るのは早計。相手のほうは私を針にかけた気でいるのだから。
いや、私ごとき本命を釣り上げる前の生き餌といったところか。
『まあ、本当に?』
私は夢見る夢子ちゃん。世間知らずの勘違い娘。自分を捨てろ、凪子。
『そんなに親切にしてくれるなんて、ネルロさんって、なんていい人!いえ、前からそう思ってたのよ。エリカをかばって戦ったとき、とってもこわかったわ。だって、本当にこんな女の子に切りかかってくるなんて、思わなかったんですもの。でも、ネルロさんは手を出さなかったわ』
私を見つめるネルロの口端が、隠し切れない嘲笑を帯びて微かに歪む。
『紳士として当然のことですよ。……実は、以前からサザランドにある実家の家業を継ぐことが決まっていましてね。近いうちにあちらへ戻るつもりです。それで、是非あなたに共に来て欲しいと思っています』
『私を、雇ってもらえるんですか……?でも、お世話になっているここの人も、とってもよくしてくれるし』
『いえいえ、雇うだなんてとんでもない』
流し目をしたネルロが、私の手をじっとりと握る。
『私の大切な人として、連れていきたいのですよ。もちろん働かせたりなどしません。美しく着飾って、使用人に指図をしていればいいのです』
『大切な人、だなんて……』
腰を引き寄せられて、違う意味で眩暈がする。おとなしく腕に収まりはしたが、落ちてきた唇は顔を背け辛うじて頬に受けた。
食道を逆流しそうになるものを堪らえた喉が、大きく鳴る。
『ついては、いくつか協力してほしいことがあります』
ようやく拘束を解いたネルロが囁く。
もはや私が断るとは思っていないようだ。この自信過剰男め。
『なんでもしますわ』
お前の顔を見ずにすむようになるなら。
『このことは、私がいいと言うまで黙っていてください』
『このことって?』
茫洋と答えると、ネルロの細い眉がイラつきを隠せず神経質に動いた。
小者っぷりに少しばかり呆れる。
『全てですよ。私がここから出てサザランドへ行くこと、あなたを連れていくこと、そして……あなたと私が恋人だということ』
『なぜ?』
『流石にきまりが悪いですからね。私がいずれ出ていくことは旦那様もご存知ですが、お嬢様お気に入りのあなたまで攫って行くとなると。あなたはとても可愛らしいから、他の男から邪魔が入らないとも限らないし』
いやいや、ちょっとお世辞が陳腐すぎやしませんか。尻が痒いんですけど。寒いし。
『まあ、いやだ』
『本気ですとも。約束してくれますね?』
もう一度手を握りそうな勢いで言われたので、即刻頷いた。
『もちろん!ネルロさんの、お願いですもの』
『本当に可愛い方だ。必ずあなたとサザランドへ行きたいのです。私の言うとおりにしてもらえれば、なんの問題もありませんよ』
『はい……』
『ところで話は変わりますが、あなたにしかできないお願いがあるのです』
『なんでしょうか』
『ある人の恋を取り持ってもらいたいのです』
『すてき!誰と誰の?私の知ってる人?』
小娘なら色恋の話に喰いつくだろ、と言ったところか。
生憎私としては全く興味がない話題だが、古今東西恋愛話は女子の好むところなのだな。
『まあまあ、落ち着いて。男性の名は明かせませんが、さる高貴な方とだけ言っておきましょう。お相手は、あなたのよく知っている方ですよ』
おー、そうきたか。こんにゃろう。
『誰かしら。メリー?アン?まさか、クルー先生じゃないでしょうね?』
『ふふ、どうでしょうか』
『もう、意地悪ね。まって、言わないで。高貴な方と言いましたよね……まさか、エリカ!?』
『さすが私のナギ、賢いですね。実はそうなのですよ。以前見かけたお嬢様の姿が忘れられないと、先方のたってのお願いなのです。協力して下さいますね』
『まあ。でも、勝手にそんなことしたら、旦那様が怒るかも』
『大したことではないのです。いずれその方は正式に旦那様に申し込むおつもりですが、その前に心の中をお嬢様に伝えたいと。意に染まない結婚ではなく、お互い愛しあって結ばれたいとお考えなのですよ。私たちのようにね』
私と彼の間を、ヒューと風が吹き抜けた。
『ネルロさん……。わかりました。エリカを置いて、私だけ幸せになるのはわるいもの。』
『なんと優しい。私は幸せ者です。勿論このことは』
『ないしょ、ですよね』
『ええ、二人だけの秘密です。皆を欺くことになりますが、結果的に私たちもお嬢様も幸せになれるのですから。それに私たちはサザランドに行くのですから、後々気まずい思いをすることもないですしね』
『すばらしい計画だわ』
クサいセリフを口走りながら何度も口止めを繰り返し、ひとくさり私が寂しがって見せたあと、ネルロは足早に去って行った。
必要以上に親しく見えないほうがいいと言う意見には大賛成だ。主に私の精神面で。
君の瞳に乾杯とか言われたら、本気でリバースしていたかもしれない。