四十五、暗転
「……その想いは、愚僧も重く受け止めよう」
「それでは!」
拙僧は、これで説得に成功したのだと思っていたのだが。
「ただ」
と蓮淳が前置きする。精密機械のような確実さと冷ややかさで。
「覚恕どのの思いがそうであっても、山門全体がそうであるとは限りますまい。
山門にも善き僧は大勢おられたでしょう。それでも大谷は壊された」
また寛正の法難か、痛い所をついてくる。
確かに修行中の身である拙僧は、天台宗の中での影響力は低い。
だが。
「確かに、今の拙僧では直ぐには変えられない。しかし、いつか」
「……そのいつかを待つ間にも寺は壊され、門徒が路頭に迷うのですな」
「!!」
確かにそうかもしれない、しれないけども。
ああ、油の匂いがさっきより強く感じる。
「それを分かっているなら、なおの事だ。
いずれこの本願寺は包囲され、焼き討ちにあうだろう」
「……ええ、その動きには気づいてましたよ」
拙僧の指摘にも、蓮淳は冷静であった。
「だからね」
そう言って蓮淳は、阿弥陀如来像のそばにあるらしい引き戸を開ける。
いや、炎を見ない様にしている拙僧の視界には入っていないが、扉を開ける音でそう判断した。
油の匂いが強くなる。
いや待て、まさか。
「……焼かれる前に、こちらから焼いてしまうのです」
と蓮淳が言い油瓶の蓋を開け、それをぶちまけるような音がする。
「蓮淳どの、馬鹿な真似はおやめなさい!」
悲鳴にも似た怒声で経光が止める。
その間にちりちりと縮れる音、ぱちっと小さく弾く音、空気を吸い込むような低い音が聞こえる。
どうやら、仏像の灯明を紙のようなものに引火させたらしい。
「……ひいいっ!」
情け無い声をあげて経光が部屋を出て行く。
蓮淳は既に退避済みらしく、部屋にはもう誰もいない。
拙僧も逃げなければ、と頭では考えるが。
回り始めた火を前にして、体に力が入らない。
加えて煙の充満で意識が朦朧としてきた。
木造建築の焼き討ちは、建物がすぐ燃えて逃げられないイメージを持たれがちだが、実際は火がついて焼失までは意外に時間がかかる。
周囲を囲まれ逃げられない状況にさえなってなければ、実は本能寺の変でも織田信長は生きていただろう。
ああ、最期まで、どうでも良い事に頭を回らせてしまったな。
果たして来世が存在し再転生があるのか、案外死に戻り能力だったりして……
「——憶仁、大丈夫か!」
死を覚悟していた拙僧だったが、そんな声に意識が戻る。
目の前には忍者になった兄、覚悟。
馬鹿な、何故京に来ている!
「妙な胸騒ぎがしたので駆けつけた。
お叱りは後で幾らでも受ける」
そうなのか、いや……
「ありがとう、本当に」
拙僧は素直に礼を言う。
そうとも、こんな所で死んでる場合でない。
「あーあ、やっぱ生きてたんスね、その人」
と言う声がして振り向くと、そこには松本の忍びであるキヨヒコが立っていた。
最悪なタイミングだ。
向こうの陣営に気づかれない様に、兄の死の偽造までしたと言うのに。
「見られたからには、死んでもらいます!」
そう言って覚悟は刀を構えるが、その体は震えていた。
「ちょちょ、待った待った!荒事は勘弁っス」
しかしキヨヒコは両手を上に上げて降参、と言った態度を取る。
「オレは何も見ていない、それで解決っスよね。
松本さんも報告しないっスよ」
確かにそれで解決だが……
「オレ的にも、それに松本さん的にも覚恕さんは生きててもらわないと困るっス。
なのでまあ、今回はオレが助けたって事にするッス。
……ねっ?」
いや、「ねっ?」と言われても。
ただ他に方法もなさそうだ、今回はそれで。
「覚恕!良かった無事だったか」
本願寺を出た所で、珍平と合流出来た。
「心配かけた。なあ、珍平」
「なんだ覚恕?」
「本願寺は、燃えているか?」
「ああ、大炎上だな。と言うか、自分の目で確認したら良いだろう」
そうか、大炎上か。
確かに熱気がここまで伝わってくる。
「そうしたいのはやまやまなんだがな。拙僧、最近火を見るのが怖くてな」
「……そうか」
珍平は一言だけそう言い、それ以上何も聞かない。
長いこと一緒にいるが、こう言う気遣いがありがたい。
と言うより、うすうす拙僧の異変に気づいてたのかもしれない。
「覚恕でも、説得は無理だったか」
「ああ、足りなかったなあ」
そう、足りなかった。
もっと強くならなければいけない。僧としての修行もだが、説得力も。
例えばだが、もし今拙僧が比叡山天台座主であればこの事態は防げた可能性が……いやいや、先程蓮淳に山門の権威主義を問われたばかりではないか。別の方法を探そう。
一瞬だけ炎に視界を移して、真っ赤に染まった空だけを確認して目を逸らす。
史実通りであれば蓮淳は生き延び、お飾りのトップである証如と石山での再起を図る筈である。
その後は史実通り、法華の主導で「町組」という自治組織が作られて法華の町衆が力を増していくのだった。
当然我々の所属する山門派の不満が募り、このままで行けばその不満が爆発し松本問答が発生、やがて天文法華の乱へと発展していくのだろう。
そのどこまでを食い止める事が出来るのか。また松本がどう動くのか。
やれやれ、考えることは山積みだな。




