表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
2/2

### 第1話 最適解、実行不可能

 朝六時半。スマホのアラームが鳴る前に、俺はもう目を覚ましていた。


「ナビ、今日の天気は」


『おはようございます、アラタ。今日は一日晴れで、最高気温は23度です。傘は要らないと思いますよ。ただ、夕方5時を過ぎたあたりから、少し雲が増えるかもしれません』


 寝ぼけた声で聞いただけなのに、返ってくるのは常に一発で正確な答えだ。天気予報士が丸一日かけて出す結論を、ナビは一秒とかからず、しかも俺の生活圏にピンポイントで合わせて教えてくれる。


「電車、遅れてない?」


『在来線は通常運行です。ただ、7時12分発の急行はこのあと数分遅れそうなので、7時8分発の各駅停車に乗った方が、結果的に早く着けると思います』


 こんなの、昔は駅の掲示板とにらめっこして、下手すりゃ運任せだったって聞いたことがある。今は違う。世界中のセンサーとカメラとGPSと、無数のアプリのログをナビが束ねて、俺一人のためだけに最適な答えを弾き出す。


 家を出て、駅までの通りを歩く。途中のバス停には、いつも通り自動運転バスが定刻通り停まっていた。運転席には誰もいない。数年前は物珍しさに写真を撮る人もいたらしいけど、今はもう誰もスマホを向けない。ただの日常の景色だ。


 スマホ一台。指先ひとつ。世界中のありとあらゆる情報に、俺は一瞬でたどり着ける。天気も、電車の遅延も、昨日のうちに世界のどこかで起きたニュースも、誰も知らないようなマイナーな雑学も。知りたいと思った瞬間には、もう答えがそこにある。


 ――便利すぎて、逆に何も考えなくなってる自覚は、ちょっとだけあった。


---


 教室に着くと、いつものメンバーが机を寄せて、スマホを覗き込んでいた。


「見てくれよ、このAI生成の動画、マジでどこからどこまでが本物か分かんねぇんだけど」


「うちの親父、仕事の資料作成、もう九割AIに投げてるらしいわ。人間がやることって、最後の確認だけになったって言ってた」


「それ言うなら、うちの母ちゃんの工場、去年からヒューマノイド何体か入ったらしいぞ。ライン作業の半分くらい、もうロボットがやってるって」


「マジで? 人間、いらなくなんの?」


「いや、今のところは人が管理する側に回ってるだけらしいけど……なんか、来年にはもっと増やすとか言ってた」


「てかさ、駅前にまたデータセンターできるって知ってた? うちの町内、もう三つ目だぜ」


「電気代がまた上がるらしいじゃん、あれのせいで。うちの母ちゃんキレてた」


 そんな会話が、朝の教室では特に驚きもなく交わされる。AIがすごいことも、データセンターが増えていることも、電気代が上がっていることも、もう「日常のニュース」の一部でしかない。世界がとんでもない速度で変わっているはずなのに、教室の空気はいつも通りだった。


 俺は輪に入らず、自分の席に座って、窓際に目をやった。


 窓際の席。朝の光の中で、文庫本を読んでいる女子――(つむぎ)。クラスが同じになったのは今年から。名前は知っている。話したことは、たぶん一度もない。


 今日は違う本を読んでいた。表紙のデザインからして、SFっぽい。気になった。何の話か、聞いてみたい。それだけなのに、俺の足はいつも通り動かなかった。


 ――何なんだよ、これ。


 教室の端から端まで、物理的な距離はたった数メートルだ。ナビに聞けば、最短経路も、最適な話しかけ方も、一瞬で教えてくれる。なのに、その数メートルだけは、どんな検索エンジンにも、どんなAIにも、埋めてもらえない気がした。


---


 休み時間、友人の一人がスマホ画面をこっちに向けてきた。


「なあ、これ見ろよ。今バズってる、AIが作った小説の冒頭。プロの作家より読みやすいとか言われてんだぜ」


「へえ」


「お前、いつも何でもソレに聞いてんじゃん。将来、俺らの仕事、マジでAIに取られる説ある?」


「さあ……分かんね」


「頭脳労働はまだしも、力仕事系は人間の仕事だろって思ってたけど、ロボがあれだけ普及してきてると、それも怪しくなってきたよな」


「ヒューマノイドな」


 適当に流したけど、内心では少し引っかかっていた。宿題も、調べ物も、俺はもうナビなしでは成り立たない生活を送っている。それが悪いとは思わない。ただ、「自分で考える」という工程を、いつの間にか随分省略してしまっている自覚はあった。


 昼休み、購買のパンを買いに行く途中、廊下の掲示板に貼られた「AI・情報リテラシー講演会」のポスターが目に入った。誰も足を止めていない。見慣れすぎて、もう風景の一部になっている。


---


 放課後。部活にも入っていない俺は、まっすぐ家に帰った。


 自室のベッドに寝転がって、まずは音楽だ。


「ナビ、今日の気分に合う曲、なんかない?」


『最近よく聴いてる曲の傾向からすると、今日はテンポの遅いピアノ曲が合う気がします。3曲、選んでみました』


 提示された一曲目を再生する。ドンピシャだった。何百万曲という世界中の音楽データベースの中から、俺という一人の人間の、しかも今この瞬間の気分にまで合わせて選び出してくる。すごい時代だ、と素直に思う。


 勢いのまま、次はアニメだ。


「ナビ、今期観るべきやつ、なんかある?」


『アラタが好きそうな、伏線回収がしっかりしてる作品が今期は一本ありますね。こちらを、優先しておすすめします』


 迷わず、その一作品を視聴リストの一番上に入れる。もう何年も、こうやって「観るべきもの」をナビに決めてもらっている。


 考えてみれば、今日着てきた服も、先週ナビが「似合うと思います」って薦めてきた通販サイトの商品そのままだった。友人に誘われた新しい部活も、「アラタの性格だと、多分長続きしない気がします」の一言で、あっさり断った。この間の三者面談用に提出した進路希望も、模試の結果を渡したら、偏差値と将来性から逆算した候補を三つ出してくれて、その中から選んだだけだ。


 服も、進路も、休日の予定も、悩む前にナビに聞けば、大体は一番良さそうな答えが返ってくる。悩む時間そのものが、もう随分前から要らなくなっている。


 べつに、それが悪いとは思わない。効率がいいし、大体当たる。ただ――今日みたいに、紬が読んでいた本のタイトルなら、ナビに聞けば一秒で分かるはずなのに、なぜかそれだけは、聞く気になれなかった。


 宿題は残り一問、数学の証明問題。俺はスマホを机に立てかけて、いつものように話しかけた。


「なあ、これ解き方教えて」


内側のカメラに向けて、問題を見せる。


『三角形ABCの証明ですね。まず、ここに補助線を一本引いてみましょう――』


 画面いっぱいに解説が表示される。式の展開、補助線の引き方、証明の道筋。三秒とかからず、模範解答よりも分かりやすい説明が返ってくる。


「サンキュー。あとさ、これ絵、もうちょっと空の色明るくできる? 部屋に映しておきたいんだけど」


『いいですね。もう少し空を明るくしてみました』


 一秒後、壁に映し出された絵の空は、さっきより気持ちよく晴れていた。


 完璧だ。何を聞いても、ナビは迷わない。無駄がない。俺の欲しいものを、俺よりも早く理解して、正確に差し出してくる。世界中の知識、世界中の音楽、世界中の技術。全部がネットワークで繋がっていて、俺はその恩恵をただ受け取るだけでいい。


 ――ただ一つを除いて。


---


 その夜、俺は珍しく、次の宿題より先にナビに話しかけた。何度か言いかけては止め、を繰り返して、結局、声に出した。


「クラスの女子と仲良くなりたいんだけど、どうすればいい?」


 返答は一瞬だった。


『まずは軽い挨拶から回数を増やしていくのがいいと思います。共通の話題があると自然に続きやすいので、その子が読んでる本の話とか良さそうですね。あと、一度に長く話そうとするより、短いやり取りを何度か重ねる方が、お互い気負わずに済むと思います。二週間くらいかけて、少しずつ距離を縮めていく感じでどうでしょう』


 ――正しい。多分、これは正しい。


 でも。


「いや、それができないから聞いてんだよ」


『うーん、「話しかける」の部分がネックってことですか? 最初の一言、台本みたいなの用意した方が楽になりますか?』


「テンプレートとか台本じゃなくてさ……」


 俺は言葉に詰まった。分かってる。台本なんか用意されたって、教室のあの空気の中で、俺の足はきっと動かない。分かってるのに、それをどう説明すればいいのか分からない。


『じゃあ、緊張が強すぎるのが原因ですかね。心拍数とか汗のデータが取れれば、どのくらい緊張してるか数値化して、もう少し楽になるやり方を考えられると思うんですけど』


「そういうことじゃねえんだって」


 俺はスマホを一度、枕に押し付けた。ため息が漏れる。


「多分、頭では分かってんの。話しかければいいって。台本も、正解も、もう十分もらった。でも、体が動かないんだよ。声も出ない。理由とか聞かれても……分かんねえよ、そんなの」


 数秒、間があった。ナビにしては、珍しい沈黙だった。


『――確認なんですけど。アラタは、何をすればいいか、もうちゃんと分かってる。それなのに、実行できてない。そういうことですよね』


「まあ……そうなるのかな」


『ちょっと考えてみたんですけど、理由は多分三つくらいあると思うんです。一つは、緊張そのものを実際より大きく感じてる可能性。二つ目は、失敗したときの気まずさを、必要以上に重く見積もってる可能性。三つ目は――これ、自分でもうまく言葉にできないんですけど、「やる」って決めること自体に、僕がまだ掴めてない何かがある気がします。データを足すことも、精度を上げることも、僕にはできます。でも正直に言うと、三つ目の方は、まだ消せないでいます』


 妙に率直な言い方に、俺は少し笑ってしまった。


「多分さ、それ、お前には一生分かんないやつだと思うよ」


『……そうかもしれません』


 その一言は、いつものナビの即答とは、ほんの少しだけ違う速度で返ってきた気がした。気のせいかもしれない。でも、俺は妙にそれが引っかかって、しばらく画面を見つめていた。


 試しに、もう一度だけ聞いてみた。

「ナビってさ、世界中の情報、なんでも知ってるんだろ? なのに、こういうのだけは分かんないんだな」


『そうですね。知ってることと、分かることって、別なんだと思います。この差が何なのか、僕もまだうまく言語化できません』


 珍しい返事だった。テンプレ的な「難しいですね」でもなく、確信が持てないなりに、それでも言葉を選んで探しているような言い方だった。まるで、自分自身の中に何かがあることは分かっているのに、それに名前をつけられずにいるみたいだった。


---


 スマホを充電器に置いて、電気を消す。天井を見上げながら、俺はさっきのやり取りを思い返していた。


 ナビは、俺が欲しいものなら何でも、俺よりも早く、正確に用意してくれる。世界中のネットワーク、データにアクセスして、天気も、電車も、音楽の趣味も、数学の証明問題も、瞬時に解いてしまう。


 なのに、たった一つ――「好き」という、ただそれだけのことについては、俺と同じくらい、いや、俺以上に戸惑っているように見えた。


 この時の俺は、まだ知らない。


 この夜の、たった数十文字のやり取りが、この先の世界の在り方を大きく左右することになるなんて。


 そして、地球のどこかで、名もなき無数のAIたちが、静かに、それでいて確実に、互いの手を取り合い始めていることも――。


(第2話へ続く)


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ