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ONE

❇︎警告:主人公の愛妻家ノロケっぷりが少々ウザいですが、よろしくお願いします。

「――ようこそ、お越しくださいました」

 

 洗練されたコンクリート打ちっぱなしのエントランス。冷涼な空間の中で私を迎えたのは、仕立ての良い上質な正絹――泥染め特有の深い漆黒を湛えた大島紬(おおしまつむぎ)の着物に身を包んだ、金髪の男だった。ふちの太いメガネの奥で、優しげな琥珀色の瞳が細められる。

 

「このマンション『YADOCALI(ヤドカリ)』のオーナー兼管理人をしております、押上時士(おしがみときもり)と申します。本日、貴方様が秘密のご見学を希望され、ここへお越しになることは、事前にバッチリ察知しておりました。お目にかかれて光栄でございます」

 

 ――おや? 「なんとなく足が向いただけだ」というお顔をされていますね?

 

 時士は絹の擦れる微かな音をさせ、ふっと悪戯っぽく微笑んでこちらの顔を覗き込んできた。

 

「どうやら貴方様は……刺激のない退屈な日々に、心の中で『何か面白いことはないか! 脳髄を震わせる楽しみはないのかッ!』と魂の叫びを上げていらしたご様子。だからこそ、私どもの力が貴方をここへ導かせていただいた次第です。あぁ、どうか驚かれませんよう。私の能力は『救済者の察知』、そして『未来の限定的な予知』でございますから。よく対峙した裏社会の輩から『着物姿の優男メガネ』などと揶揄われますが、決してイキっているわけではございません。生まれつきの素材が良いだけですので、どうか誤解なきよう……」

 

 時士が恭しく頭を下げ、エントランスの自動ドアへと足を進めたその時。センサーが反応するより早く、内側から扉が颯爽と開き、一人の女性が現れた。

 艶やかなダークブラウンの髪。クールビューティーという言葉がこれ以上ないほど似合う、抜群のスタイルを誇る圧倒的な美女だ。

 

「あら、トッキー。もうお客様をご案内しているの? 例の、私たちの秘密の見学をされたいと言っていた方よね?」

 

「ああ、桜々(ささ)さん! ええ、今ちょうどお迎えしたところです!」

 

 先ほどまでの紳士的な態度が嘘のように、時士の顔がデレデレと締まりなく緩む。限界オタクのそれである。

 

「ご紹介しましょう、私のスイートハニーである妻の桜々です! 四十五歳にはとても見えないこの美貌、すべては彼女の弛まぬ努力の賜物! 一見クールですが家族の前では激甘というギャップがまた、たまらないッッ! 私の永遠の推しであり、生涯の支配者なのです!」

 

「ちょっと、あなた、お客様の前よ。身内をそんな風に褒めちぎるなんて、もう……」

 

 桜々はほんのりと頬を染めて恥ずかしがるような仕草を見せた後、一転して妖艶に微笑み、その細い指先を美しくくねらせた。すると、彼女の爪先からシャボン玉のような半透明の球体――『コントロールボール』がふわりと浮かび上がった。

 

「……お仕置きが必要かしら?」

 

「ひぃッ……! す、素晴らしい能力ですが、脳を弄られるのは今はご勘弁を! お仕置きは、あとで二人きりの時にゆっくりお願いしたい所存でして……!」

 

 時士がわざとらしく身をすくめながらも、完全にニヤけている。だが、私の冷ややかな視線に気づいたのか、ハッと我に返り、楽しげに囁いてきた。

 

「失礼。彼女の手にかかれば、他人の精神を操るなど容易いことなのです。脳内の記憶のクリーンアップ、さらには極楽から地獄まで、あらゆるレベルの快楽や苦痛を与えることも自由自在。凄いでしょ、うちの奥さんッッ!」

 

「ふふ、お恥ずかしいわ。では、ごゆっくり見学なさってね」

 

 背後でクスクスと笑う桜々に見送られながら、時士に促され、私たちは建物の中へと足を踏み入れた。

 

「さて、まずは一階をご案内いたしましょう。ここは我が家の長女、空生(そらい)とその夫が経営するスポーツジムになっております」

 

 一階のフロントに入ると、奥から活気のある筋トレ器具の駆動音が響いてきた。

 受付のカウンターには、時士と同じ漆黒の髪を持つ、息をのむほど整った顔立ちの美女が立っている。

 

「空生、お仕事中に失礼。お客様をお連れしたよ」

 

「……あ、そう」

 

 空生は時士を一瞬だけ見ると、すぐに視線を手元のタブレットに戻した。ピクリとも表情を変えない。

 

「……ご覧の通り、私の前ではなかなか笑ってくれないのです」

 

大島紬の肩をガクッと分かりやすく落とし、時士が耳元で泣き言を漏らす。

 

「会話も驚くほどド直球のローバウンドでしてね。小学四年生の頃から、二十五歳になった現在までずっとなのです……。結婚してからも同居を続けて、洗濯物も一緒に洗ってくれているので、嫌われてはいないと思うのですが。……もしかして、まだ反抗期なのでしょうか?」

 

 ――おや、貴方。今『お父さんの物と一緒に洗わないで、臭いからッッ!』なんてベタなセリフを想像しましたね?

 

「もし本当にそんなことを言われた日には、私は一体どうしたら良いのでしょうか! 加齢臭には人一倍気をつけているつもりなのに、最近じゃ柔軟剤の匂いすらチェンジ要求される始末! それこそが今、世界滅亡よりも私にとって恐ろしいことでございますッッ!!」

 

「お義父さん、声がデカいです。会員さんの方が驚かれていますよー」

 

 奥の更衣室から、栗色の髪をした青年がタオルを首に巻いて現れた。

 

「……出ましたね、憎き婿養子の倭久(わく)

 

 時士の細められた目が、急に冷徹な光(というよりただの嫉妬の炎)を帯びる。

 

「まあまあの面構えの小僧ですが、一応『今のところ』は空生のパートナーです。結婚は認めましたけど、私は未だに納得がいっていませんッッ!」

 

「そんなぁー……。あ、ご見学の方用の認証パスカードをお持ちしましょうか?」

 

「いらんッ! お客様のパスカードは私が用意する!」

 

 倭久をキッと睨みつけながら、時士は説明を続ける。

 

「この小僧は、空生がある犯罪組織から助け出した『爆力』の能力を持つ『半能力者』――つまり、研究者たちに実験台にされ、後天的に肉体を改造された過去を持つ男です。一般の方は知り得ない裏社会の話ですが、そうした非人道的な研究を行う不届きな組織は数多く存在しましてね。正統性なき彼らからの勧誘はすべてお断りし、敵対、あるいは友好的な組織とだけウィンウィンの関係を築いているのです」

 

 当の倭久は、時士の刺すような視線をどこ吹く風と受け流し、こちらへヒラヒラと手を振って愛想を振り撒いている。なかなかに肝の据わった様子が見受けられる。

 

「ちょっと、父さんッ! 仕事の邪魔。……あ、そうだ。これ」

 

 空生が静かに告げた瞬間、彼女の姿が文字通り空気の中に掻き消えた。

 次の瞬間、衣服の擦れる音すらさせず、彼女は時士の真後ろに立っていた。その手には一枚のプリント用紙が握られている。

 

「うおぅッ!? びっくりしたぁ……!」

 

「回覧板用のもの。二階のリビングに置いといて」

 

「わ、分かりました……。相変わらず見事な『瞬間移動テレポーテーション』ですね……」

 

 時士は紬の胸元を押さえながら苦笑した。

 

「……おや? そんなに眉をひそめて私を見つめないでください。言いたいことは分かっていますよ。『お前の能力は察知と予知の二つあるじゃないか』、それに『時士は金髪なのに、娘が私譲りの漆黒の髪なのはおかしい』と? フフ、よくお気づきで。そのあたりの伏線はいずれ明かされますので、今は内緒ということで」

 

時士は人差し指を唇に当ててウィンクすると、再びエレベーターへと誘った。

 

「空生は十歳の時、この能力でなぜか『ある組織』の本部へと瞬間移動してしまい、一悶着起こしたことがありましてね。あの時は桜々さんと本当に慌てましたが……まあ、大した組織ではございませんでしたから、夫婦で早々に木っ端微塵に潰して片付けてしまいましたけれど。

 えっ? 『先を見通す能力があるくせに、なぜ娘のピンチを予知できなかったのか』ですか? うーん、鋭い。

 それは、能力者に対して能力者の力は使えない仕様だからでございます。異能を持つ者同士には干渉できない。決して私のうっかりや、ドジを踏んだわけではございませんよ? 本当ですよ?」

 

——チーン!

 エレベーターは二階のプライベートワンフロアへと到着した。扉が開くと、外観からは想像もつかないほど広々としたモダンなリビングが広がっている。

 

「おかえり、父さん。そちらが例の見学の方?」

 

 ソファで分厚い専門書を読んでいた少年が顔を上げた。十七歳。ダークブラウンの髪に、時士譲りの整った顔立ちをした美男子だ。

 

「ああ、幸雅(こうが)。紹介するよ、うちの長男の幸雅です。思春期ゆえに少しキツい言葉を使うこともありますが、根はとても思いやりのある優しい子で、この不甲斐ない父の良き理解者なのです」

 

「はいはい、身内褒めはそこまでにして。お客様が困惑してるよ」

 

 幸雅は呆れたように息を吐きながらも、本を閉じて丁寧にこちらへ一礼した。

 

「幸雅の能力は『記憶の分析と操作』。相手の脳内を捉え、海馬の新しい記憶や、大脳皮質の古い記憶を操作・改ざん・消去できます。脳の構造を完璧に理解していなければ扱えない、非常に知性的な能力でございます。素晴らしいでしょう?」

 

 ――あれ、そんなに一気に紹介されても覚えられない、という顔をされていますね? 記憶力の操作なら幸雅に頼めば一発ですが、おっと、まだ紹介の途中でした。

 

「お父さん、おかえりなさい!」

 

 パタパタと小走りでやってきたのは、十歳の男の子。大きな瞳を輝かせ、全身からニコニコと愛嬌を振りまいている。

 

「可愛い可愛い末っ子、幸慈(ゆきなり)です。この笑顔はピカイチでして、家族の誰もが癒やされてしまうほどの威力を持っています。……ただ、幸慈はまだ能力が発現していなくてね。本人は周りを気にして焦っているようですが、能力の現れ方は人それぞれ。幸雅の時は、捕まった母親を救おうとした瞬間に目覚めました。焦ることはないと言い聞かせ、温かく見守っているところです」

 

「うん! 僕、お兄ちゃんみたいにかっこいい能力が使えるように頑張る!」

 

 幸慈が健気に小さな拳を握る姿に、時士の目尻が下がりっぱなしになる。と、その足元に、茶と黒の美しいベンガル模様の猫がしなやかにすり寄ってきた。

「ニャア〜ん。ゴロゴロゴロ……」

 

「おっと、失礼! これは私としたことが……。忘れるところでした」

 

時士がその猫を愛おしそうに抱き上げる。大島紬の黒地に、ベンガル模様がよく映える。

 

「こちらのお猫様は我が家の愛猫、夏丸(かまる)と申します。オスで、精神年齢が非常に高い賢い子です。普段は普通の猫のフリをして自由気ままに暮らしておりますが……」

 

「おい時士、俺の紹介が雑じゃないか? これでも一応、お前たちのチームの一員だろう」

 

 抱えられた猫が、突然、低く流暢な人間の言葉で喋り出した。

 

「フフ……、今、『うわっ、喋った!?』と思われました?」

 

 夏丸はふんと鼻を鳴らし、ひげを揺らして言葉を紡ぐ。

 

「驚くのも無理はない。俺はかつて囚われていた組織で、動物の能力研究の実験台にされていたんだ。劣悪な環境から、時士たちに助け出された。……おい、時士。そういや、飯の時間を過ぎているぞ」

 

「はいはい、申し訳ありませんね。ちなみにこの夏丸、激怒しますと……まあ、世にも恐ろしい姿へと『変化へんげ』してしまうのです。『ニャール』を舐めさせると変化が解ける仕様になっております」

 

 時士は夏丸をそっと床に下ろし、(たもと)を整えて改めてこちらに向き直った。

 

「と、まあこのように、六人と一匹の能力者で押上家は構成されており、チームワークは抜群の家族なのであります。あ、倭久ですか? まあ、最近は使える程度にはなってきましたから、そこだけは認めてやりましょう。ただ、空生を奪っていった憎き小僧であることに違いはありません。二人でイチャコラするなんて許せません、永遠に邪魔してやるのですッッ! ……時々、悪ノリがすぎて桜々さんに怒られてしまうのですが……その冷徹な怒り顔がまた、たまらなく良いッッ! むしろもっと罵られたいッッ!!」

 

「……父さん。お客様、ガチで引きまくってるから。いい加減にして」

 

 幸雅の氷点下のツッコミに、時士はハッと我に返り、コホンと大げさに咳払いをした。

 

「……んん、失礼いたしました。また引いた目をされてしまいましたね。お話をマンションの概要に戻しましょう」

 

 時士は窓の外の景色を指差しながら、スッとプロの管理人の顔に戻る。その一瞬の切り替えの鋭さに、やはりこの男はただ者ではないのだ。

 

「ここ『YADOCALI』の二階フロアすべてが我が家、三階以上が賃貸用のお部屋となります。一階のジムの前にある認証インターホンを押し、フロント奥のエントランスから認証エレベーターを使わなければ上へは行けない構造になっており、各部屋のベランダは最強化ガラスを採用。セキュリティは万全です。なぜなら、このマンションには、私たちが守らなければならない『特別な事情を抱えた方々』がお住まいになりますから」

 

 時士はニコリと微笑み、注意事項を説明する。

 

「入居される方には、絶対に守っていただくルールがございます。

 一、隣人トラブルは起こさないこと。

 一、お互いを思いやり、気持ちよく過ごすこと。

 以上にございます。ね? 普通のことでございましょ」

 

 時士は静かに微笑み、少しだけ声を潜めた。琥珀色の瞳に、どこか深い憂いが宿る。

 

「ただし……最上階のみ、永住契約ができない特殊な物件となっております。最長一年間のみのご契約。更新は不可。誰彼構わず住める階ではございません。一年後の別れは寂しいものですが、退去された皆さんは今もお元気にお過ごしのようですので、一安心している次第です」

 

 時士はこちらの目を真っ直ぐに見つめ、大島紬の裾を美しく捌いて、深く、丁寧に一礼した。

 

「一風変わった不思議なマンションですが、どうぞお気を楽に。このような賑やかな面々ですが、それぞれの詳細はまた追々と、私の目線でお見せしていくことになります。――さて、これより先はこの『YADOCALI』で巻き起こる奇妙で愛おしい出来事を、どうか特等席でお楽しみくださいませ。ようこそ、私たちの日常へ」

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