赤目の師
『十二城の落雷』では、若き医師・長春の姿を描きました。
今回の『赤目の師』は、その長春を育てた養父・東伯の物語です。
師から弟子へ、そして親から子へ。
医の道は、技だけではなく、人の生き方も受け継がれてゆくものなのかもしれません。
どうぞ、お楽しみいただければ幸いです。
◇天文九年皐月十日 赤目の師
長春は、養父東伯の横で筆を走らせていた。
大橋家から遣わされた使者の言葉を、一つも漏らすまいと墨を継ぎながら書き留める。
東伯は長春の隣で静かに目を閉じていた。
まるで言葉だけから病人の姿を見ているかのようだった。
事の始まりはこうであった。
三日前、養父東伯のもとへ津島の大橋重長様より内々に調薬の依頼が届いた。
――縁戚の者のために薬を調えていただきたい。
長春にとって東伯は養父である前に、医の道の師である。
どのように病を見立て、どのように薬を選ぶのか。
それを学ぶまたとない機会であった。
幸いにも東伯は、
「共に聞け。薬は調える前から始まっておる」
と長春を同席させてくれた。
やがて現れたのは、大橋家の家人頭を務める老人である。
尾張一の賑わいを誇る津島湊を差配する大橋家の重臣。
長春は自然と背筋を正した。
東伯が穏やかに告げる。
「まずは我が愛弟子からお尋ねいたす」
突然役目を任され、長春は軽く息を呑んだ。
「病について、詳しくご教示くだされ。」
老人は静かに語り始める。
「毎日、夕刻になると頭痛がある。」
「目眩に悩まされることも多い。」
「痛みが強い日は食も進まぬ。」
「されど朝のうちは加減がよい。」
長春は一つ一つを書き留めながら、さらに尋ねた。
「お歳は。」
「三十半ば。」
「体つきは。」
「小柄だが力強い。」
「お顔立ちは。」
「赤みが強く、声も大きい。」
筆を走らせながら、長春の胸がざわめいた。
夕刻ごとの頭痛。
三十代半ば。
身分を伏せねばならぬ御仁。
小柄ながら豪胆。
――まさか。
思い至った瞬間、思わず筆が止まった。
尾張でその姿に当てはまる人物は一人しかいない。
織田弾正忠家当主。
信秀公。
数年前までは勝幡城。
今は那古野城を本拠とし、尾張を駆け上がる虎。
名を聞かずとも分かってしまった。
その時だった。
静かだった東伯が目を開かずに口を開く。
「長春、それで終いか。」
「……は、はい。」
喉が乾き、短く答えるのが精一杯だった。
東伯は穏やかに使者へ向き直る。
「その御仁は酒を好まれるか。」
「食は多く召し上がるか。」
「水はよく飲まれるか。」
「馬には毎日乗られるか。」
「寒さ暑さには強いか。」
「衣は厚きを好まれるか。」
病とは関わりのないようにも聞こえる問いが続く。
家人頭も答えられる限り答えてゆく。
長春は慌てて筆を走らせた。
――しまった。
患者が誰であるかに気を取られ、肝心のことを尋ね損ねた。
師は病を聞いているのではない。
人を診ている。
「薬は苦にも楽にもなる。」
「それゆえ、薬を与える人を知れ。」
東伯が折に触れて語る言葉が胸に蘇る。
若先生と呼ばれるようになったとはいえ、己はまだまだ未熟。
唇を噛む長春を見て、東伯は微かに笑った。
一通り問い終えると、静かに言う。
「では長春。」
「後ほど、お前の見立てを聞かせてもらおう。」
「どのような薬を調えるかもな。」
叱責はなかった。
責めることもない。
ただ次に学ぶ機会を与えてくれる。
使者殿を見送った後、屋敷前の坂の上で短く教えられる。
「薬とは、人に合わせるものじゃ」
長春は深く頭を下げた。
「心得ました」
それが東伯という師であった。
師は決して弟子を叱りつけない。
失敗を責める代わりに、次に学ぶ機会を与えてくださる。
だからこそ長春は、この人の背に少しでも近づきたいと願っていた。
◇
勝幡は赤目の東一里。
幾つか浅い川を隔てるだけである。
長春も、領内を見回る信秀公の姿を幾度か見かけたことがあった。
尾張を駆け上がるあの方が、密かに病を抱えておられる。
それだけは決して人に悟られてはならぬ。
だからこそ、この依頼は大橋家を経て東伯へ届けられたのであろう。
大橋重長様は信秀公の娘・くら様を娶った御方。
そして東伯もまた、大橋家に縁を持つ。
互いに婿という縁が、この調薬となったのである。
東伯は長春の見立てを聞き終えると、静かに頷いた。
「よかろう」
そう言って、釣藤鉤をはじめ幾種類かの薬を調え始めた。
今日の昼までに津島の大橋家に届けることにしていた。 しかし昨日の昼過ぎに横井本家を訪れている客が激しい腹痛を訴えているとのことで、小雨の中、客の治療に鵜多須に向かわざるを得なくなってしまった。
それで大橋家に頼まれた薬は「翌朝津島の大橋家に届けるように」と、横井の屋敷の敷地の小屋に住まわせている権じいに命じていった。権じいは、若い頃に深手を負って以来走ることはできない。
そもそも「戦の傷で歩けない」と平野家から暇を出されたのを東伯が憐れみ、根気強く治療したのである。今では、ゆっくりであれば長く歩ける。 それゆえ権じいも、妻のおはまも、東伯を恩人として崇めている。
昨日も使いを言いつけられた時に、権じいはうれしそうに「先生の命とあれば熱田だろうと歩いて参ります」といっていた。 頼まれたのは二里足らずの津島への使いであるのだが。
一方、長春も赤目の里での治療で手一杯であった。このところの蒸し暑く小雨が続くためか、腹痛を訴え、嘔吐する者が多くいた。家の者皆が具合を悪くしている家が幾つもあり、横井のお祖母様も酷くはないとはいえ食が喉を通らず伏せっておられた。 それに数日前から酷く具合の悪い坊丸の件もある。
それでも東伯は自分の母親と赤目でのすべてを長春に任せて鵜多須の本家に向かったのである。
己では未熟さを噛みしめるばかりだが、師はもう赤目を任せられる医師と認めてくださっている。
横井長春、二十歳。
雨の多い時期であった。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
史実には、その時代を生きた人々の名前や出来事は残っていますが、その日々の暮らしや心までは伝わってきません。
このシリーズでは、「こんな出来事もあったのかもしれない」「こんな人たちが支えていたのかもしれない」と思っていただける物語を目指しています。
『赤目の師』は、長春という若き医師を育てた東伯を描いた一編でした。
次回は視点を少し変え、門前屋敷を舞台に、新たな人物との出会いをお届けできればと思っています。
また次のお話で、お会いできることを楽しみにしております。




