ー後編ー
後編です。
「出番?」
すかさずソファから立ち上がって、エレンツィード殿下の隣にふわりと腰を掛けた。
彼は驚いた様に身体を反らせて私を見詰めた。でもそれに遠慮することなくもう一歩距離を詰める。
そして、ずっと呼んだことの無い愛称を耳元に囁いた。
「あら、エレン様?」
「えっ!?」
目を見開き、エレンツィード殿下は私の顔を間近に見降ろす。
「失礼します! エレンツィード殿下」
来た。漸く来た。この声はジョイル様だ。
「うっ!?」
驚いている! 気配的に固まっているのが判った。
ジョイル様が見ているのは、ソファに仲良く隣同士で座った私とエレンツィード殿下。
それも、咄嗟にエレンツィード殿下が自分から引き剥がそうとした両手は、私の肩に置かれているけど、これは逆に引き寄せている様にも見える。はず。
我に返ったエレンツィード殿下に、グイっと引き剥がされた。あら、意外に顔が赤くなっているけど、不意打ちが効いたのだろうか。
「エ、エレンツィード殿下……これは一体……」
私はジョイル様のその声に、徐にソファから立ち上がって、ドア付近で立ち竦んでいる彼の元に走り寄った。
「ジョイル様! 遅いですわ! な、何でもっと早く来て下さらなかったのですか? 私、私は、エレンツィード殿下にっ……!」
大きな瞳に涙を浮かべると、それ以上は何も言わず、はらはらと涙を零してみた。そして、近づいたジョイル様から一歩、二歩と遠ざかるように下がった。
「ヴィヴィ……」
さあ、ジョイル様。この局面をどう乗り切る? 自分の主君に婚約者の貞操を狙われた様なものだ。
だって、私とジョイル様は未だにキスもしたことは無かった。結婚するまでは~。とか言ってのらりくらりとお預けをしていたから。
でもその反動で、アリアーヌ嬢のあからさまな色香に迷ったのなら、少しお預けが効き過ぎたかもしれない。何事も過ぎたるは及ばざるがごとし? 例えが違うか?
「ジョイル。誤解をするな? コレは違う! 違うのだ!」
「酷いですわ、エレンツィード殿下。何が誤解だというのですか?」
「いや、君の方か―--」
「何てこと! 私が悪いというのですか?」
さすがに、このままでは不味いと思ったエレンツィード殿下が、立ち上がって否定する。
「殿下、殿下はヴィヴィの事を、もしや……」
「殿下は、エレンツィード殿下は、君が信じている婚約者は、男爵令嬢と浮気しているからと」
ハンカチを握りしめて、ジョイル様に邪気の無い目を向けて訴えた。男爵令嬢の言葉に、ぎょっとして顔色が変わった様に見えたけれど、そこから更に続けて口を開く。
「アリアーヌ・ポルテス男爵令嬢と、今も図書室で逢瀬を重ねていると!
それも一回でなくすでに何回も毎日のように二人で会っている。アリアーヌ嬢とジョイル様が、まるで深い関係で、とても成人前の学生の仲では無いと。そんな事在り得ませんわね?
だって、ジョイル様は陛下もお認めになった私の婚約者ですし、正式な公爵家の一人娘に婿入りすることが決まっている名門伯爵家の次男ですもの。お互いの両親が知ったら、何と言うか想像できますわ。 きっと、勘当。勘当されてしまうような出来事です。
ああ、私は一体誰を信じたら良いのでしょう?」
ぺたりと床の絨毯の上に座り込んだ。そして、顔を上げてエレンツィード殿下を見上げた。
止めて。その呆けた顔。綺麗なお顔が台無しだ。
でも、じっと見詰められているその瞳に、キラリと何かが浮かんだみたいだ。
エレンツィード殿が何かに気が付いた。賢しい彼はきっと判ったはずだ。
どうする? 共犯者になるのか、それとも傍観者になるのか?
「ジョイル。君がアリアーヌ嬢と会っていたのは知っている。そして、君が彼女と婚約者であるヴィヴィとの間で揺れていたのも知っている。しかし、婚約者のいる身で別の女性と特別に親しくなるなど、マナー違反であろう? 私は君がヴィヴィを幸せにすると信じていたから君達の婚約を祝った。しかし、それが君の不誠実で壊れるのなら……私はヴィヴィを放って置けなかった……」
役者だ。そんな事これっポッチも思っていないのに。まったく王族というのは、面の皮が厚い上に本心を隠すのが上手い。
放って置けないどころか、面白がっていたのに。
「ジョイル様? エレンツィード殿下のおっしゃっている事は、嘘ですわね? 殿下の勘違いですわね? そうおっしゃって下さいな?」
見上げるジョイル様の目線と交差する。
優柔不断で、決断力に欠けているジョイル様。その癖、思い込みが激しくて、真っ直ぐで、素直で、優しいジョイル様。
どう答える?
「……」
「ジョイル様?」
自分の不貞と婚約者の不貞未満? さあ、どうする?
「そ、それは……」
「はっきりおっしゃってください。アリアーヌ嬢と不届きな関係等では無い事を!」
「あ、あのっ!!」
詰め寄った私の言葉に被せるように、聞き慣れない声が響いた。少し開いたドアの間から、可愛らしい顔が伺い見えた。
アリアーヌ嬢だ。
開けて良いかの了承も取らず、盗み聞きをしていましたとばかりの登場の仕方。言っても仕様がないが、マナーも何もあったものじゃない。ここは、仮にも王子様がいらっしゃる部屋だ。いい加減にして欲しい。
「アリアーヌ!?」
「ジョイル様!」
ジョイル様が驚いてドアの方を振り返った。震える子リスが一匹。ドアに縋っているのが見えたけど。
ああ、そう。床に座り込んで泣いている私を置いて、彼女の方に駆け寄るのか。
そうですか。貴方の答えはそれか。
だとしたら、やる事は一つ。大人しく謝れば許したのに、本人にそのつもりが無いのであれば、致し方ない。
いつまでも床に座り込んでいる場合では無い。涙を流すのも勿体ない。私はちらりとエレンツィード殿下の方に視線を投げて、
『起こせ』
と、念を送り顎をしゃくって催促した。公爵令嬢のする所作では無いが、今は許して頂きたい。
エレンツィード殿下は、すぐに察して私の元によると、まるで姫君を助け起こすかのように手を取ってくれた。
「殿下……こんな私に手を貸して下さってありがとうございます。とても一人では立てませんでした……」
殿下の顔を見上げほんの少し微笑んで、お礼を言った。一瞬、殿下の口元がひくついたのを私は見逃さなかったけど。
ハイ。ドアは開いたままだ。良いじゃないか。
ここは中途半端に、ドアが開けっぱなしになる部屋ではないのだ。それに、生徒会役員以外の姿があるなんてほぼ無いはずなのに、ピンクな噂のある令嬢がいるのが見える微妙な開きは……何とも好奇心と、少しばかり下世話な興味が湧いてくるじゃないか?
「ジョイル様? そのご令嬢はどなたなのですか?」
「き、君は知らないというのか? そんな事は無いだろう? 彼女がアリアーヌ・ポルテス男爵令嬢だ。君が嫌がらせをしている相手だ!」
ドアに背を向けている二人は気が付かないだろうけど、開いたドアの向こうには、すでに人だかりが出来ている。ほら、お喋りオウムのマリエッタ様とジョイル様の友人のアンリ様の顔が見えた。二人共好奇心満載の顔でこちらを伺っている。それに、段々人が多くなるにつれて、ドアの開き方が少しずつ広がっているのが見えた。
「私が? アリアーヌ様に嫌がらせ? 目の前でお会いするのが初めての方に? 何の為に私はアリアーヌ様に嫌がらせをするのでしょう? 思い当たる理由が見当たりませんわ」
小首を傾げて、ジョイル様の向こうの観客に聞こえるように言う。
「理由? 君は私がアリアーヌ嬢に親切にしたのに腹を立て、彼女に嫌がらせをしたのだろう? ノートや教科書を隠したり、音楽会の知らせや倶楽部の集合時間を教えなかったり。上げればきりが無い位、ネチネチと彼女を虐めたのではないか!?」
やっぱり。ジョイル様は全く疑う事を知らない、信じ易いお方だ。こんなに単純で良いのだろうか? 仮にも殿下の側近として、生き馬の目を抜くような政の世界に生きて行けるのだろうか?
「ふう。冷静によくお考えになって下さいな? 学年の違うアリアーヌ様のノートだの教科書だのをどうやって隠せるのでしょうか? 同じクラスならまだしも、なぜそれを私がやったと思われたのでしょうか?
教室でコソコソと鞄や机から教科書を盗むなんて、私がするのはとてもリスクがあると思いますけど? 案外、同じクラスのどなたかがやったりして?
そう言えば、噂で聞きましたけどアリアーヌ様は、先日のダンスパーティーで婚約者のいらっしゃるご令息の方々と積極的にダンスをされていたとか? うふふ。私には出来ない事ですけど。ああ、その後婚約者のご令嬢達からつるし上げを喰ったとか? 怖いですわね?」
先日のダンスパーティーの事はジョイル様は知らない。何故ならその日は、私の父から領地経営についての特別講義を受けていたからだ。当然、私を誘わずに別の令嬢のエスコートなんて許されないでしょう。招待状に行くと返事をしたのに、私へのお誘いが無いのなんてとっくに知っていた。
だから、父に言って用事を作った。断れない様にお父様から、領地経営についての事で話があると言われれば、絶対来ない訳にはいかない。絶妙なタイミングで呼び出しを掛けて貰った。
伯爵家には、ジョイル様を探る密偵もどきをちゃんと忍ばせている。いそいそと一張羅を準備させているなんて。まあなんて脳天気な事だ。(当然、伯爵家では私と一緒に行くと思っていたらしい)
さすがに話を聞いていたジョイル様の顔色が変わり、隣で震える子リスちゃんの顔を見詰めた。
「ジョイル様! そんな事していません! ダンスパーティーでは一人でいた私を不憫に思った方が、お誘いして下さっただけです! 婚約者がいる方だったなんて知りませんでした。それに、つるし上げって、そんなことされていません。少しだけ、ええ、少しだけ注意を受けていただけですわ! 信じて下さい」
うるうるの大きな瞳で、ジョイル様を見上げる子リス。まあ、そう言うだろう。
「まあ、そうだったのですか。でも、アリアーヌ様は見た目と違って豪胆ですのね? パートナーもいないのにダンスパーティーに参加するなんて、とても私には出来ませんわ。だって壁の花になるか、お相手の方からパートナーをお借りするのでしょう? お相手の方はその間お一人になるのですもの。そんなお気の毒な事、幾ら誘われても私ならお断りしますもの」
ねっ。と、エレンツィード殿下に向かってやんわりと尋ねるように首を傾げて微笑みました。
『げっ! そこで相槌を求めるのか?』
と、心の声が聞こえるようだった。でも、一瞬だけその綺麗な瞳を大きく開くと、長い睫毛をばさりと伏せて小さく頷いてくれた。
意外と察しが良くて助かる。
「別に、私はアリアーヌ様を責めている訳でも、虐めたい訳でもありませんわ。ただ私が知っている事実を言っているまでの事です。でも、そうですわね、ご令嬢の注意の中には、こんなことも言っていた方もいたのではないですか? 仮にも貴族の令嬢がダンスパーティーに一人で来るものでは無い。と」
「私が……、私が、アリアーヌ嬢をエスコートするはずだった」
漸くジョイル様が言った。いつまで黙っているのかと待っていたけど、やっぱりそこで言うのか。
余りに想定通りで、呆れる。やっぱり、素直で疑う事をしないジョイル様だ。何でも正直に言えば良いと言うモノではないのに。
「ジョイル様? 貴方は何をおっしゃっているのですか? 言っている意味がお判りになっていまして?」
アンタは、婚約者でない彼女をエスコートするって言っている。その意味を判って言っているのか?
「それがジョイル様のお答えですのね? 私という婚約者がいるのにアリアーヌ様をダンスパーティーでエスコートするはずだったと。なぜ、私でなく彼女をお誘いしたのですか? 私では力不足だったという事ですのね?」
「い、いや。君が力不足などという事は無く……た、ただアリアーヌ嬢からパートナーが、急にエスコート出来なくなって困っていると……」
「そのパートナーとは、もしかしてレベネン商会のダンデル様ではございませんこと?」
「なっ! 何でそれをっ!?」
アリアーヌ様の顔色が俄かに青くなったのが判った。
「は? レベネン商会? ダンデル? 誰だそれは」
エレンツィード殿下が直ぐに聞き返した。アンタはジョイル様とアリアーヌ様の不貞を知っていたのに、その先の事を調べていないのか?
「ジョイル様はご存じないですか? アリアーヌ様のパートナーですわよ。そうですわね、アリアーヌ様?」
子リスちゃんの顔が青から白になった。血の気が失せるとはこういう事か。
「レベネン商会のダンデル様は、アリアーヌ様の婚約者? になる予定の男性ですわね? まだ正式に婚約はしていないですけど、17歳になったと同時にご結婚されるとか? 学院もお辞めになるのでしょう? 随分お急ぎですけど、愛されていますのね。羨ましい限りですけど……」
「レベネン商会? 聞いた事があるな。王都でも中堅クラスの商会の会長か何かだったと思うが?」
エレンツィード殿下が思い出すように顎に指を当てて思案している。大方合っているので、ここは頷くだけにする。
ジョイル様は知らなかったのか、驚いた様な顔でアリアーヌ様を見ている。
「そんな、相手がいたのか?」
信じられない表情で、小さな声で尋ねている。
信じようが信じまいが、事実だ。
少し調べればすぐに分かる事だった。彼女の実家、ポルテス男爵家は蓄積した借金で没落寸前らしい。何でも祖父の代からの借金と、それを更に増加させてしまった彼女の父親の不始末が原因らしい。何とも災難ではあるけど、私には関係無い。
ダンデル・レベネン氏は、御年52歳のオッサンで、尚且つ昨年の暮れ位に暴飲暴食、多量の飲酒のせいで倒れ、以来半身が不自由になっているらしい。その後妻になるのだから大変だ。自分の親より上の、義理の息子が妾腹も含めて6人もいるし、義理の娘は未だに結婚していないのが、2人。使用人にも厳しいと評判だ。
たった16歳の少女が、借金の返済の為、そんな相手から逃れたいと思う気持ちは判らないでもない。夢に見る結婚が、キラキラしい輝きの無い、どんよりした底なし沼への一歩に思えたのだろうから。
それは必死に、自分を助けて掬い上げてくれる人が欲しいと思うだろう。
それが、貴族からの申し出であれば、一介の商人との約束など、何とか反故に出来ると小さな頭で考えたのかもしれない。
でも、途中で欲が出た。より良い相手に乗り換えたくて。ジョイル様の前の、男爵家の4男坊くらいにしていれば良かったのに。
遅いけど。
「ち、違います。そ、そんな相手なんていません! 酷いです。ヴィヴィエット様!」
「そうですの? それでは我が家はレベネン商会に嘘を言われたのでしょうか? 12月2日に商会に我家の北の領地の特産物品評会をやって貰おうと声を掛けたら、その日だけは出来ないと言われましたの。何故かと聞きましたら、『12月2日は会長の結婚式でして、どうしてもその日だけは会場が使えない』 そう言われたのです。商会の大会場は規模も場所も丁度良かったのですけど」
アリアーヌ様の顔が白から朱に変わって来た。
「ねえ12月2日は、アリアーヌ様、貴女のお誕生日なのではなくて? 父から聞いていますわ。花嫁の17歳の誕生日なのだと。本当は16歳になったら直ぐに結婚する予定だったのを、17歳まで待って頂いたのではなくて?」
何とか結婚式の前に救世主を見つけたかったのだろうけど。
「ジョイル様? 貴方の御心は、残念ながら私にはありませんのね? エレンツィード殿下、私の婚約者のジョイル様は、アリアーヌ様にお心を移しているようです。殿下のおっしゃった通りかもしれません。私達はこのまま婚約を継続していけるのでしょうか?」
ここまで言って、エレンツィード殿下に言葉を向けた。
殿下にもこの顛末の責任を取って貰わないと。
「ジョイル。君がアリアーヌ嬢と懇意にしていたのを、僕は知っていて止められなかった。何故なら、君が真剣な気持ちでアリアーヌ嬢と付き合っていたのが判ったからだ。そうでなければ、格上の公爵家ヴィヴィエット嬢をないがしろには出来ないであろう? 自分の婚約者が他の令嬢を自分の知らない所でエスコートしていたなど聞いたら、耐えられない悲しみだ。幸い、そうにはならなかったが、君の口からはヴィヴィエット嬢に対する裏切りの言葉もはっきり出た。残念だが、この婚約は破棄したほうが良いのではないか? その方がお互いの未来の為ではないか? 僕が証人となってもいいぞ」
やっぱり、エレンツィード殿下は私達に婚約破棄させたいようだ。
「でも、残念ですわ。もし婚約破棄になったら、ジョイル様は男爵家に婿入りするのですか? でも、今回の事って、私に非はございませんわね? 言ってみればジョイル様の不貞ですわ。私という婚約者がいるのに、結婚の予定が決まっているご令嬢と懇意になってしまったのですもの。
私は別に慰謝料なんて必要としませんけど、レベネン商会のダンデル様はどうでしょう? あの方は商人でしょう? 契約と金銭で考える方だと聞いていますから……少々の金額で片は付きそうにも無いですわね? 伯爵家も大変ですこと。これは感動もの。いえ、勘当ものですけど、愛があればジョイル様とアリアーヌ様なら耐えていけますわね? 愛し合っているお二人に幸あらんことをお祈りしますわ」
そこまで言って、ふうっと息を吐いた。
ジョイル様が、崩れるように膝をついた。漸く事の大きさを思い知ったみたいだ。軽く考えていた火遊び、まあ彼にとっては真剣な気持ちだったと思う。ジョイル様にとっては仕掛けられたとはいえ、自らの心のままに恋をした結果だ。
どうする? アリアーヌ様。ある意味ジョイル様より頭の回転が速い貴女なら、私が言った意味も解るはず。このままでは別れさせられるか、多額の慰謝料を支払った伯爵家から勘当されたジョイル様と暮らすか。
こんな醜聞が流れれば、仮にジョイル様と別れたら、12月まで結婚を待って貰えるなんて事にはならないだろう。結婚は早められて、そのまま学院を退学していくかもしれない。きっとそうだろう。そうしたら、12月のレベネン商会の会場は使えるから、我家の品評会を開催しても良い。そうだ、そっちの方がメリットがある。
「どうぞ、ココから先はお二人で話し合って下さい。ジョイル様、両親には私からこの件についてはお話しますから、伯爵家にはジョイル様がお伝え下さい。正式なお話はその後ですわね? エレンツィード殿下にもご面倒をお掛けするかもしれませんが、その時は宜しくお願いします」
深々と3人に頭を下げると、私はドアに向かってスタスタと歩いて向かった。
「ああ、そうでしたわ」
あと数歩という所で、後ろを振り返る。
「エレンツィード殿下、以前のお申込みの返事ですけど……」
急に名前を呼ばれた殿下が、我に返って私に近づいて来た。そして、目の前に立った。
「承知しました。今でも宜しければ。ですけど」
そう言って、エレンツィード殿下のネクタイをキュッと引っ張った。
すると、
「うん。今で良い」
そう答えて……
チュっと、唇にキスされた。
きゃーっと、ドアの向こうの野次馬達から歓声が上がったのは言うまでもない。
5歳の時の喧嘩の発端。エレンツィード殿下の一言から始まった。
『ねえ、ちゅうしていい?』
『いや』
『ちょっとだけ』
『いーや!』
『いやじゃなくって!』
『ぜーったい、いや! さわらないでー』
今なら解る。だって、5歳の時の私はとっても可愛かった。まるで天使か妖精かと言うくらいに。多分、エレンツィード殿下の初恋だったはずで、後から聞いたけど、肩を触ったのは私を引き寄せて無理やりほっぺにキスをしようとしたらしい。全く、どんなエロガキだ。
12年も一途に想ってくれていたとは、とんだ拗らせ野郎だと思わないこともないが、私をコケにした元婚約者と男爵令嬢を私の視界から消すのに良い働きをしてくれた。
あの後、ジョイル様とアリアーヌ様が揉めていたのは予定通り。いくら考えの浅いジョイル様でも判っただろう。私が如何に良い物件だったかを。
はっきり言って、ジョイル様があそこでアリアーヌ様を切り捨てる位の気概があれば、婚約は継続しても良いと思っていた。私の方を採ったのだから。尤も結婚相手として、可も無く不可も無いけれど。
「ヴィヴィ、僕の婚約者になってくれるよね? 5歳の時からやり直そう」
野次馬が自然に道を開けて、私とエレンツィード殿下が歩く先を開けてくれる。
そうだ。こうでなくては。私、ヴィヴィエット・レベンデールはこうでなければ。
ええ。と頷こうとした私に殿下がはたと言葉を止めた。
「ああ、でもとんだ悪役令嬢になっていたね?」
満面の笑顔を向けられて、二人で廊下を歩く。
ちっ! アイツのせいで悪役令嬢って呼ばれてるっ!
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あんまり意地悪になれませんでした。
私の悪役エキスが足りないのか、薄いのか。
12年間拗らせていた二人ですけど、
良いコンビになりそうです。
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