ラウガの苦い思い
『騎士隊長殿の力をお貸し願えれば、と』
記憶の中の声にラウガは目を開いた。
机の上に組んだ手をゆっくりとほどいて椅子の背に体重を預ける。
ここは街はずれのラウガの館。その書斎だ。
あの英雄――なのかなんなのか、相当に胡散臭いとラウガは思っているが――が王城に乗り込んできてから一日が経っていた。
あれからは何の動きもない。
彼の申し出を断ってからは。
天井を見上げて昨日のことを思いを伸ばす。あの時少年はこう言って王の前にかしこまった。
「騎士隊長殿の力を借りたいのです。どうかお許しをいただければ、と」
「……どういうことだ?」
王は相当に困惑したようだ。
無理からぬことかもしれない。この英雄が本物であれ偽物であれ、こういった展開は想定していなかったに違いない。
「先ほど申し上げた通りわたしでは力不足なのです」
そして少年の言うことはいちいち身も蓋もなかった。
「……それは、ロウガ殿の手には余る、ということか?」
「はい」
「あなたは英雄ではないのか?」
「正真正銘の英雄です。ですが以前のような完全な力を持ってはいません」
「なんだと? 本調子ではないというということか?」
「はい。いたずらに動揺を招いてはと思い伏せておりましたが、ファムは召喚を焦ったために完璧な術式を施せなかったのです。そして来るべき戦いを考えた場合、その状態では非常にまずい」
「来るべき戦い……とは一体?」
「ファムが予知いたしました化け物共を滅するための最後の戦いです。その決戦を確実に制するために、なるべく力を温存しておきたいのです。どうかご一考くださいませ――」
意識を現在に引き戻してラウガは再び息をついた。
「くだらん……」
考える必要などなかった。
最後の戦いとはなんだ。
巫女見習いの予知? 馬鹿馬鹿しい。そんなものがあてになるはずもない。
来ないものに備える馬鹿はどこにもいないだろう。
そもそも勝手に現れてこちらの領分を侵しておきながら、今さら手伝えとはどういうことだ。
そんな輩のために大事な部下たちの命を危険にさらすわけにはいかなかった。
だから王は首を縦には振らなかったしラウガも却下を言い渡した。
英雄ならばそれでも課題を解決してしかるべきだ。
「……英雄か」
ふと舌の上に生じた苦味にラウガは顔をしかめた。
かつて国を救った剣の英雄。その存在は自分にとっての長年のしこりだった。
生まれてこの方ずっとその呪縛に囚われていると言ってもいい。
ロウガ様のような立派な男になれ。父からはそう言われ続けて育ってきた。
ラウガなどという紛らわしい名は、その願いを込めてつけられたものだ。
厳しくしつけられ鍛えられ、今は騎士隊の長として立ち、英雄に最も近いところにいるという自負もある。
だがその分嫌でも思い知る。
自分はただの人間に過ぎないと。
不意の出来事が起きれば死ぬし、部下の命を救えなかったことも一度や二度ではない。自分のせいで散っていった者たちのことを今でも夢に見る。
できることしかできないのだ。結局のところ。
とはいえ……それがなんだ。
英雄は万能らしい。だが、だからこそ分からないだろう。できる範囲でできるだけのことを尽くすということが。
あがく、という行為は普通の人間の責務だが、同時に特権でもある。
単につらいからと全て投げ捨てるのは甘えだ。甘えは敵だ。
敵ならば……それに敢然と立ち向かわねばならない。そう思う。